第7話 非常階段

「ええええええ!?」


 それよりも驚く事が起きていた。

 ――持っていたキッチンタオルが、ブランケット程の大きさになっていたのだ。


「と、ご覧の通り。変身する際、微量に放出されるキリエの影響で体に触れている靴や布、装飾品なんかが伸び縮みするのさ。体の大きさが変わっても着てる物に影響が出ないのはこれのおかげだ」


 実演販売の締めみたいにニコリと笑った太一さんは、現ブランケットを引き取るとインコになりキッチンタオルサイズに戻し、またイケメンに戻ってキッチンタオルを元の場所に戻していた。

 なるほど、こうすれば縮んだジャケットも戻せるのか。穴は縫う必要があるけど……でも嬉しい。

 と。

 キリエにもこの部屋の空気にも慣れてきた時。

 丁度動画を見終えたシオンが、疲れたとばかりに「はあ」と溜め息をついた。

 その重々しさに思い出す。僕の命はこいつが握っていた事を。頬が強張る感覚を思い出した


「太一、もう終わりだ。分かったか? お前の存在は厄介なんだよ。本国にも、地上にもな」


 紅茶を一気に飲み干し、シオンはこちらを睨み付けてくる。


「どうせ一度死んでるんだ。だったらもう一度死んだって良いだろ。安心しろ、一瞬で終わらせてやる」


 先程までのドヤ顔はどこにもない。こちらを見ているのは、標的を定めて冷徹に細まった黒い瞳。

 今までのは僕らに付き合っていた、と言う事か。だったら僕がやる事も決まっている。


「皇子、待っ――」

「黙れ」


 太一さんの言葉に聞く耳を持たないシオンは本気だ。


「っ!」


 勢い良く椅子から立ち上がり、勢い余って椅子が横転するのも構わずリビングから駆け出していた。


「夏樹君!!」


 重たい玄関ドアを開け静まり返った外に出た。

 夜明けが刻々と近付いてきた空と張り詰めた寒さに、ジャケットを着ずに飛び出してしまった事を思い出す。妹達がくれた大切な物だけど……諦める他ない。


「たすっ――……」

 叫ぶのを途中で止めたのは、相手を余計刺激しかねないと思ったから。

 キリエ持ち相手に、こんなアナログな逃走方法が何処まで通じるか。

 少しでも視界から逃れたくて死角で子供になり、エレベーターでも階段でもなく非常階段から逃げる。新築マンションとは言え、雨風に曝される事の多い非常階段は赤茶色に錆び付いている。


「っ」


 風が冷たい。パーカー1枚で飛び出して来たからか、それとも死への恐怖か。先程からずっとカチカチ歯が鳴っている。

 階段を1階分降りた時、頭上からギシリ、という微かな音が聞こえて来た。

 誰かやって来たんだ。早く遠くに逃げないと。


「!?」


 でも、そう思った僕の体は次の瞬間金縛りに遭ったように動かなくなっていた。

 なんでだ――キリエに決まっている。

 誰が――そんなの1人しかいない。

 カツン、とスニーカーの底を鳴らしながら階段を下りて来たのは、長い前髪が印象的な青年だった。コートを着ないで追ってきたらしい。寒そうに腕を擦っている。


「……寒いだろうが」


 シオンは僕を恨めしそうに睨み付けてくる。


「お前の味方をする太一は来ないぞ。少し動けなくしておいた」


 わざと僕の前に進み出て来たのだろう。相変わらず舐めプをしてくる奴だ。

 でもそれは今回だって隙になる筈。暫くすれば太一さんが間に入ってくれる。その時まで引き伸ばせば――。


「待て! っど、どうせ殺されるならお前以外が良い! 居るんだろ、他にも仲間が!」


 気付けばそう口を動かしていた。


「誰がそんな事聞くか。それに、俺は他の連中に頼らないって決めてるんだ」

「それはお前が皇族だからか? 皇族って人より強いんだろ」

「そうだ。だから俺1人で十分国を守れるんだよ」


 頑ななシオンの態度に、引き伸ばすだけのつもりが、駄目だと分かっているのにイラッとしてしまった。さっきからちょいちょい感じてたけど、こいつはワンマンすぎる。


「んなわけないだろ! 国ってのは大きいんだから1人で守れるかよ、そんなシンプルな事も分からないのか! 仲間が居るなら他の奴と一緒に国を守った方が絶対良いだろ!」

「っ……だっ、黙れっ! 知ったような――っ」


 どこか驚いたように目を瞠るシオンが声を荒らげた時。

 シオンの顔が強張ったのだ。

 僕の言葉に反応してではない。もっと違う何かに。

 直後。

 眼の前を黒い何かが横切ったのと、シオンの姿が目の前から消えたのは同時だった。


「失礼っ!!」

「うわああああああ!?」


 何だと思う間は無かった。突然飛んできた女性の小脇に抱えられ、気が付けば遥か上空を猛スピードで飛んでいた。


「やった、やった! 皇子から奪えた! この子が居ればわたくしの悲願は叶いますわ!」


 20代後半の女性だった。長い金髪は手入れが行き届いていて、薄く化粧を施した青い瞳が印象的だった。

 誰だ、こいつ。

 空中飛行なんてルシフモート人に決まってるから、こいつが僕を殺した奴か。そう思うと横顔を見る目が鋭くなる。

 抱えられて苦しいし、空気が塊になって顔を遠慮なく殴って来て痛い。

 空を飛んでるという有り得ない状況にパニックに陥りかけたが、建物の明かりもロクに見えないくらいの速度になると、顔がビシビシ痛すぎて逆に冷静になっていく。


「誰だお、いだっ!」


 女性の腕に必死にしがみつきながら問いかけようとしたが、舌を噛んでしまい何も言えなくなった。

 女性も今が喋る時では無いと理解しているのだろう。ふふっと笑うだけで何も説明しようとはせず、ただ何処かに飛んでいく。

 緊張しているのか女性の体は力が入っていて固く、こちらまで緊張してしまった


***


 夏樹と話している最中、紛れもない殺気を感じた。

 瞬時に屋上まで逃げたが、その一瞬の隙を突いて夏樹は何処かに連れ攫われてしまった。

 不味い事になったな、と内心舌打つ。夏樹を連れ去った奴のキリエがこれ以上強化されるのは困る。もうそろそろ自分1人で対処するのも難しいだろうから。


「大丈夫かい!?」


 少しして、屋上の扉からスーツ姿の太一が現れた。この流れでこれに使っていたキリエもすっかり緩んだようだ。

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