ルシフモートに安寧を

上津英

第1話 夜更け

 あ、死ぬ。

 冬の深夜。2桁のPayPay残高に涙を流しつつも、妹達の笑顔見たさに20個入りのアソートミニケーキを買って帰ろうとした時、事件は起きた。

 寒い寒い、と腕を擦りながらショートカットで緑豊かな公園を横切って……ここまでは何時もと変わらなかった。

 何時もと違っていたのはここから。


「ん?」


 人気のない深夜3時の公園を、幼稚園くらいの女の子が1人で歩いていたんだ。

 待て? ここは駅から離れた広い公園。こんな時間に子供が居るのはおかしいぞ。近くに親は居ないのか? この辺りでは最近子供の行方不明事件が相次いでるのに?

 って気になって見ていた――ら。


「!?」


 突然、何かウニョウニョとした黒い物が鎖みたいに女の子の手足に絡み付き、小さな体が宙に浮いたんだ。

 僕も女の子もビックリして目が点になっていた。だってそんな変なマジック、有り得ないだろ。

 何が起きているかさっぱり分からなかったけど、助けなきゃ。これは絶対に危険な物だ。

 気付けば女の子に駆け寄っていた。


「っ、何だよこれ!」

「やあぁたすけてぇ!」


 黒い物を払おうとしたけど、高原で雲に触った時のようにヒヤリとするだけ。黒い物が女の子から剥がれる事は無い。


「何だよ……っ!」


 数秒黒い物と格闘したけど目に見える効果は無く焦りは募る一方。そしたら四方に突然、ギラリと鋭く光る黒いサーベルが現れた。

 なんだ、これ。

 プロジェクトマッピング。マジック。

 色々な可能性が頭を過ぎったけどそれどころじゃないし、何が正解か分からない。

 浮き上がった女の子の足をただただ掴む事しか出来なかった。


「っ行っちゃ駄――ぐっ!!」


 全身をかけ巡る痛みと、ブスリ、と肉を断つ生々しい音が響く。


「かっ……は……!」


 独りでに動いた漆黒の刃に胸を貫かれた。

 それを認識した時にはもう前が見えなくなっていた。持っていたビニール袋が地面に落っこちて、箱が潰れる音がする。

 濃い血の臭いの中思った。

 僕は死ぬのか? この状況も分からず……ケーキも、渡せ……ない、まま……?

 それが僕の、水島夏樹みずしまなつきの最後の思考だった。




「――?」


 意識が途絶えてからどれくらい経っただろう。怠すぎて目が開けられず分からない。

 誰かと誰かが話している声がして、ちょっとずつ意識が戻ってきた。頬に当たる地面が冷たい。


「これはどういう事だい?」


 少し離れた場所からする、どこか呆れたような男の声。誰の声だ、知らない人だ。


「どうもなにも見ての通りだ。どうせ殺すんだ、その前に生き返らせてもいいだろ。やってみたかったんだよ、神話の再現」


 対する声も近くから聞こえてくる。やっぱりこっちも知らない声。さっきの声よりもずっと生意気そうで偉そうだ。

 生き、返らせる? ……殺す? 誰を? 僕を?

 そう言えばさっきの刃はどうしたんだ。記憶がこんがらがってる。


「そうかい。中途半端なのは失敗って事かな?」

「黙れ、成功だ成功! 蘇生ってのは俺ですらこうするしかない位難しいんだよ! 別に失敗じゃないぞ!」


 逃げろ――脳が警鐘を鳴らしだしたその思いが天に通じたのか、ピクリと指先が動いた。


「ふうん、動いているならそうかもな。それに、彼は個人的には嬉しい存在だよ。っと……君、起きられるか?」


 落ち着いた声が近くなる。どうもすぐ近くに身を屈めたようで、つんつんと脇腹を突付かれた。


「!?」


 物理的な刺激に一気に頭の靄が晴れて、末端にまで感覚が戻ってくる。

 寝てる場合じゃない。逃げないと。

 そう思い、腕立て伏せの要領で体を起こし――。


「いだっ!?」

「うわっ!?」


 ゴンッ! と勢い良く頭と頭がぶつかった。

 落ち着いた声の人が地面にドスンッと尻餅をつき一気に申し訳なくなる。ぶつかった箇所がジンジン痛むので、この人の痛みも相当な筈。


「あ、ごめんなさいっ!」


 完全に出鼻を挫かれた。これでは逃げるどころではない。

 状況を把握するべく立ち上がって周囲に視線を巡らせると、ベンチからこちらを嘲笑う声――あの偉そうな――が聞こえて来た。


「ははは! ノロマめ、ざまあみろ。何をやってるんだ!」


 自然とそちらに視線が吸い寄せられる。少ししてそれが人影である事に気が付いた。

 まず見えたのは赤。

 街灯と月明かりを背に立っていたのは、大学生の僕と同年代の青年。偉そうだからもっと年寄りかと思ったけど、意外と若い。

 ロング丈の赤いダッフルコートが印象的で、前髪が長い。そのおかげで見づらい表情は楽しそうに歪んでいて……一言で言うととても性格が悪そうな奴だった。キノコっぽくて、なんか陰湿そう。


(あ、でも。大丈夫、か?)


 友達になりたくないタイプだけど、キノコが同年代で安心したのも確か。殺す、と言うのも喧嘩の比喩だと思えたから。いや、それはそれで全力で逃げるけど。

 そう言えば地面に血が無い……痛くもない。さっきのあれ……夢、だったのか? でも大切な黒いジャケットに穴が開いてる……ああ……。


「……不可抗力だよ。君、あの子を助けてくれて有り難う。体調はどうだい? 名前は言えるか?」


 チェスターコートにスーツの尻餅をついたその人は、僕やキノコよりも年上で20代半ば。

 液晶画面をぶち抜いて来たのか? ってくらい顔が良い。キノコと比べるとずっと物腰が柔らかいが、節々から揺るぎない自信を覗かせている。


「体調は大丈夫、です。名前は……水島夏樹。あの子、ってそうだっ! あの子は無事ですかっ!?」

「大丈夫だから落ち着きたまえ。あの子はさっき私が家まで送り届けたよ」


 勢い込んで質問し、返って来た言葉に心底胸を撫で下ろす。あの子が無事ならアソートケーキが犠牲になった甲斐があったってもんだ。


「そうだったんですね、良かったです」


 ヘラリと笑ったその時――強い違和感を覚えた。

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