ちょこざいなダーククルセイド
「キエェイ!」
「はっ!」
私が手刀で飛びかかるのと、ルオキーノが
ルオキーノの魔導衝撃波はマリンカのそれよりも速い。私は間一髪でこれを避けた。
「ふん。汚れし東方の技だな。二度も同じ手は食らうものか」
「ノーランドー外の世界が汚れているなんて、ひどい偏見だわ」
「我らのイェホ・ウンディが仰せになったのだ。この豊饒なるノーランドーを蚕食する化外の者を滅ぼせ、とな」
構えたままにらみ合いながら、私とルオキーノは駆け出す。私の傍に空間を支える太い石柱が立っているのが見えた。
私は視線を外して速度を上げ、石柱の上を駆け上がる。中程まで達したところで跳躍、同時にリボンを引き延ばして、祭壇の周りに置かれた石の
「キエェイ!」
「かぁっ!」
ふたたび魔導衝撃波が飛ぶ。しかし今度は私の方が速いわ。
衝撃波が後方で炸裂するのをすりぬけ、打ち下ろしの右手刀でルオキーノの肩口をねらい打つ。
「ふん!」
ルオキーノの身体が僅かにのけぞって、私の指先は敢えなく相手の上着を切り裂いて抜けた。
だが私はすかさず着地から踏み込み、連続手刀を繰り出す。
「キエェイ! キエェェイ!」
私の手刀をルオキーノは自身の持つ杖で受け、裁き、弾いていた。魔人たちの持っていたような、歪んだ鹿の角めいた突起飾りは鋭く、打ち繰り出す私の腕や拳を
「嘗めるな、半ワーディンの
叫びと共に、捻れて
私は腕を十時に組んでそれを受け止めた。
「ぐっ!」
「ほう、俺の突きを受けるか。だが・・・・・・はぁっ!」
杖先から怪しい光が迸る。至近距離での魔導衝撃波だ。私は、受けたままの姿勢で後ろに飛んでこれを避けようとした。けれど、間に合わない!
「あああっ!」
身体の前面が殺傷力を含んだ霊光の被害を受け、私は背後に建つ石柱まで吹き飛び、強かに叩きつけられた。
骨の軋みがかすかに聞こえ、肺が詰まって息が止まる。呼吸が乱れた私の身体はつかのま、元の柔らかで傷つきやすい生娘のそれに戻った。
「うっ・・・・・・くふっ・・・・・・」
「ふははは。生意気にも邪神騎士の俺に刃向かうとは、ワーディンらしい無知蒙昧さよ・・・・・・そう、あの男のように蒙昧でなければ、イェホ・ウンディに逆らうなど、できようものではないのだ・・・・・・」
ぶつぶつとルオキーノはどこかに向かってつぶやきながら、虚空にまだ開いたままになっているイェホ・ウンディに繋がる門を見上げていた。
立ち上がらなければいけない。私は胸を押さえ、必死に呼吸を整える。呼吸が乱れては鉄心の術は十全に働かない。鉄心が乱れれば、私の心はこの邪悪な空間に満ちている害意と悪意に飲まれてしまうわ。それはすなわち、目の前に横たわるアンリ殿下の死を意味するのよ。
冷や汗が流れ、肌が震える。筋肉が強ばって熱が逃げていくようだった。それでも私は手刀を構え、ルオキーノを見た。
「ふぅん。まだ手向かうつもりか。だが、さっきまでの威勢はどうやらなさそうだな・・・・・・くく、震えているぞ?」
「黙りなさいっ。私はウラーラ・スプリングガルド!
「ふん。口ばかりは一丁前に吹く。ならば貴様から先に、イェホ・ウンディ様の元へ送り込んでくれるわっ!」
ルオキーノの杖が頭上の穴を指す。鈍色の輝きの中から、虹色にてらてらと油ぎった光沢を放つ触手が飛び出す。咄嗟に飛び退くと、石の床を砕きながらさらに触手は私へと迫った。
私はすぐさま韋駄天の術を用いて最大の速度で走り出し、追いかける様に伸びてくる触手を振り切って走った。広いとはいえ限界のある地下空間は無数の柱もあって決して走りやすい場所ではないわ。私は柱を縫うようにジグザグと進路を変える。曲がり込む度に、古い石で出来た床に素足の足跡を刻み込むことになるわ。
「わ は は は は ! い つ ま で に げ ら れ る か な ?」
目に映らぬほどの超高速で走っている私の耳へ、切れ切れにルオキーノの哄笑が届く。音さえ追いかけるのに必死なほどの速さで走っているというのに、イェホ・ウンディから呼び出された触手はひたりと私の後ろにつき、追いかけていた。器用に柱の間をすり抜ける触手の先が、徐々に私の吹き流れる後ろ髪の先に届こうとしているのが分かった。
・・・・・・だけど、私は決して、何の策もなく、闇雲に走っている訳ではなかったわ。
韋駄天の術の限界を告げる心臓の鼓動の数を数えながら、稲妻めいて四方八方へ駆ける私は、その実、ただ一点に向かって駆け出す機会を待っていた。
そしてその時は突然にくる。毛筋ほどの機会を掴んで私は、哄笑して杖を振りかざすルオキーノと、祭壇に横たわるアンリ殿下が一直線に並ぶ位置から全速力で駆け抜けた。
「 は っ ? !」
極限の集中力で走る私はルオキーノの目が私と、私を夢中で追いかけるイェホ・ウンディの触手が見えているだろうことを確認した。でも、見えたものを認識して行動に移すには、奴は鈍すぎたわね。
私は最高速度で奴に迫った。そのままルオキーノの胴にめがけて肉弾攻撃を仕掛けるわけではなかった。それでは背後の祭壇ごとアンリ殿下を危険に晒してしまう。
だから私は、最高速度で奴の懐に入った瞬間、ルオキーノを飛び越えるように床を踏み切って跳躍した。足下で石畳が衝撃で炸裂粉砕し、ルオキーノに降り注いで奴の目をつぶし、その隙に私は奴の頭上を宙返りを打って飛び越えた。
「あっ」
背後から声が聞こえ、その直後、私を追って迫っていたイェホ・ウンディの触手の切っ先がルオキーノの身体にぶつかり、肉と骨を砕いて貫く音がした。
跳躍から着地して振り向けば、背中から飛び出した触手でその場に釘付けになっているルオキーノの姿があった。
「あ゛っ・・・・・・がばっ・・・・・・」
「自分の主人に血肉を食われて、いい身分ね。ルオキーノ」
ルオキーノは血泡をこぼしながら首をねじり、私を睨みつけていたけれど、次第に身体を痙攣させ、やがて動かなくなった。触手を異次元から伸ばしていた邪神は奉仕者の肉体を手元に引き寄せ、喜んで貪っているようだった。
おぞましい気配はまだ去らないけれど、ひとまずの驚異が消えたことは違いない。先導者である邪神騎士がいなくなれば、封印のほつれはやがて閉じ、イェホ・ウンディは引き下がるはずでしょう。
私は祭壇に登って、寝かされているアンリ殿下に近寄った。青白い肌に伏せられた目、金糸の髪もそのままに寝かされている。白いシャツと外出用のキュロットを着ていて、シャツの袖には水彩絵具の染みが残っているから、写生に出ようとして外に出たところを拐かされたのかもしれないわね。
私は意を決して殿下の肌に触れた。静かな温もりがあり、肌の下では弱々しいもののきちんとした脈がある。むしろ触れたことで自分の脈があがりそう。
だめよウラーラ。心まで全裸になってしまってはいけないわ。
心を引き締め、私はアンリ殿下を担ぎ上げる。思ったよりも重たい気がする。やっぱりひ弱に見えても男性なのね。
まだ殿下は意識を失ったまま、深い眠りの中にいる。そのまま何も知らぬ内にお帰りになってもらいたいわ。
そうして私は彼を背に担ぎ、邪神の神殿の最奥から退散しようと踏み出した。その時。
「ワーディン」
冷たい声が虚空から呼びかけた。その冷たさに私は総毛立つ。
「イェホ・ウンディの供物を持ち出すなかれ」
背に、アンリ殿下の温もりと重さを超える、圧倒的な重圧がのしかかってくるのがわかった。
私は胸がつぶされ、息が詰まってくる中で、ぐっと頭上へ視線を伸ばした。
「うっ!」
そのまま立ち消えてしかるべき、邪神を縛る封印の解れは消えることなく、むしろ一層の拡大をみせ、いまやそこには小なりとも『門』ともいえる様な開口部が形作られているではないか。
開口部からは、先ほどまで貪り食われていただろう邪神騎士ルオキーノの痕跡を伺わせる
邪神は不意に手に入れた余分な供物となったルオキーノの血肉に力づけられ、手ずから封印を押し広げて
「供物を置いて去るがよい、いと
次元を押し広げながら続々と量を増す触手越しに響きわたる、邪神の優しく、そしておぞましい声が、鉄の頑なさによって鎧われている私の心を侵す。
膝ががくがくと震えて力が抜けていく。背に負っているアンリ殿下を押さえている腕から、ずるずる殿下の身体がずり落ちていく。
「それでよい。立ち去れば貴様に触れずに地上へ帰してくれよう」
甘く、優しく、慈しむが如き声が見えざる手のように私を包んでいた。このまま殿下を置き捨てて、一目散に走り抜けてしまいたい衝動がこみ上げてくる。
ああ、このまま、すべてを邪神の言葉に任せるべきなのかしら。
「うぅん・・・・・・」
「はっ!?」
黒い
私は全身に降り注ぐ圧力に抗しながら、再びアンリ殿下を背負い直す。
「イェホ・ウンディ。私の父スプリングガルドに破れて虚空の果てに追い落とされた神よ、生憎だけど、尊き血に生まれたアンリ殿下を貴方に貪り食われるわけにはいかないの。何故なら、この方は遠からず私の夫となる人ですもの。妻となる者として、あたら見殺しになどできるものですか」
失礼しますわ、と、私は悠然と歩き出す。私の言葉は暗く深い神殿の闇に響きわたり、その奥に現れつつあった邪神に伝わったでしょう。
私は徐々に歩む速度を上げ、早歩きから緩やかに駆け出しに変わった。それと同時に、背後の祭壇に掲げられていた篝火が消え去り、神殿の内部が完全な・・・・・・本当に完全な闇が辺りを包む。
闇が広がると共に、それまで頭上にあった強烈な気配が背後に動いたのが分かった。床に伝わる冷気が蛇のように這って、私の
途端、私は韋駄天の術でもって全速力で駆けだした。
「ヴォォォォォォ!」
背中に負ぶったアンリ殿下ごと、私の心臓を鷲掴みにして握りつぶしそうな激しい怒りの声が轟く中、私は限りない果て先にある出口を目指し、走り続けた。
命を賭けた全力疾走がこうして始まる。
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