はりつきあるいてマッピング
ジャーダイ伯は、正確にはジャーダイ女伯爵というらしい。つまり女性の身で爵位を継承された方ということね。
リュー少年が知る限りでは、女伯爵は四つの村と、二つの鉱山を持っているそうだ。大したお大尽だわ。
ちなみにスプリングガルド候国には二つの村と清流の入る湖があるわ。魚がいっぱい穫れ、水の便が良くて酒造が盛んなの。父はどうにかして稲作が出来ないか農学者を招いて実験してるわね。
さて、私はリュー少年にジャーダイ伯のお屋敷まで案内して貰おうとしたんだけど。
「で、できないよ!」
「どうして?」
「だってお姉さん、裸じゃない!」
なるほど。確かに私は裸ね。今は少年の持っていた織物で身体を覆っているけれど、とても服を着ているとは言えない格好だわ。ちょっと動いただけで隠れている胸やお尻が飛び出してしまうもの。
けれど、問題ないわ。私はニンジャだから。
「安心して。私はあなたに隠れてついていくわ。誰にも見つからないし、あなたが変な女をつれているなんて見られる心配はないから」
「で、でも、どうやって?」
「それはね・・・・・・」
私はやおら身体を覆っている織物を脱ぎ捨て、リュー少年の視界を塞いだ。
「わぁ!?」
驚いて身を竦ませるリュー少年の陰へ飛び込んだ私は、そこで少年の呼吸を読み、それに自分を合わせた。
呆気にとられた少年は突然目の前から居なくなった私を探してキョロキョロとしているわ。
「お姉さん!?」
「ここよ」
「! ど、どこ」
「あなたのうしろ」
私はそっと少年の両肩に手を置いた。リュー少年の小さな肩がビクッと跳ねた。
これがニンジャの
人は自分の背中を見ることは出来ないし、他人の陰になっている部分には驚くほど意識が向かないわ。勿論気配を消すために色々なテクニックが必要だけど。
ちなみに私は陰遁を使って使用人の陰に隠れて半日ほど見つからずに過ごしたことがある。 仕えているお嬢さまが屋敷から居なくなったと大騒ぎになり、後でアヤメにこっぴどく叱られたわ。
「この状態ならあなたの足が向く先ならどこでもついていけるわ。さ、出発して」
「え、あ、うん。わかった・・・・・・あ、でも、織物を家に置いていかなきゃ」
リュー少年は地面に転がった織物を拾い上げ、丁寧に払って纏めあげた。
「・・・・・・お姉さん、もしかしなくても今、何もつけてない?」
「当然でしょう。さ、早く出発して」
私は身を乗り出すように彼の背中を押した。陰に張り付くように隠れているから、ほとんど身体を押しつけているようなものね。
「ひゃっ! あ、あ、う」
「ほら、さっさと歩く!」
「は、はい・・・・・・」
耳まで真っ赤にして、リュー少年はようやく一歩を踏み出してくれたのだった。
川縁から離れると、人一人が通れるような
道幅はせまく、左右には逆棘のある茨が茂っている。
「お姉さん、大丈夫? 身体、引っかかってない?」
「大丈夫よ。私の肌は鉄のように硬いの。これくらいなんてことないわ」
「嘘だ・・・・・・絶対嘘だ・・・・・・」
少年にニンジャの鉄心について講釈するわけにはいかないけど、いずれにせよ彼には気にせず歩いて貰わねばならないわ。
リュー少年の家は小さな風車が屋根に建つ、まるで模型のようなかわいい家だったわ。・・・・・・なんて、彼に言っては失礼かしら。
少年は織物を家に置き、代わりに目深に被れる笠を持ちだし、歩き出す。
「どうして笠を?」
「お屋敷の建ってるノザン山の麓に行くには村の中を通るんだ。・・・・・・また村の子たちに顔を合わせたくないし・・・・・・」
ああ、そうなのね。
「ひどい話よね。少年の仕事を邪魔して、お陰で少年は熊に殺されそうになって」
「・・・・・・そりゃあ、憎ったらしいけど。あいつらの家は僕の家よりたくさん税金を納めなきゃいけないから、きっと大変なんだ。僕の家は昔の
御免状というのは、領内特権のことね。領内の産業や職人を保護する証明だわ。
「今の御舘様のことはみんなあんまり好きじゃないみたい。僕がもっと小さかった頃に先代の御舘様が亡くなって、今の御舘様になったんだって。そうしたら、みんな前より一杯税金を取られるようになったって」
ジャーダイ女伯爵は領民に良く思われていないみたいね。領民の間に格差が出来て、小さな不和が膨らんでいる。
少年の家から出て、枝道を抜けた先に素朴な作りの道路があった。石は葺いていないけど、馬や車が往来するには十分で、雨や雪が降れば泥濘に変わりそうな道だ。
道路を道なりに進むと、川を越える為の橋が掛かっていた。
「本当はこの辺で織物を洗うつもりだったのにな」
橋の欄干から見下ろすと、確かに河川敷の所に小さな桟橋があって、そこで川の水を利用できるようになっているわ。
橋を越えて歩いていると、次第に人の気配が増えていく。川の近くということでこの辺りは農地らしい。でも、植わっているのは野菜や穀物ではないわね。
「リュー、あそこで植えているのは何? ・・・・・・小声で答えて頂戴、独り言が大きいと目立つわ」
「この辺で牧草を育てているんだ。馬や羊のための」
「食べ物は作ってないの?」
「ないこともないけど、ほとんど牧草の畑だよ。みんなこれで育てた家畜を売って暮らしてるんだ」
だんだんとジャーダイ伯国の構造が私にも掴めてきたわね。畜産で回っている領国なんだわ。
「よぉ、リューじゃないか」
道ばたで野良仕事をしていた男性が少年に声をかけて近寄ってきた。少年はかなり動揺してオロオロしているわ。
「安心して、私は見えてないわ」
「で、でも、もし見つかったら・・・・・・」
「なんだリュー、何か困ってんのか」
男性はリューの様子を訝んでいる。リュー少年は大げさなくらい首を振ったわ。
「な、なんでもないんです! おじさん、なにかようですか」
「いやな、おまえさんさっきガキどもに邪魔されて織物洗い出来なかっただろ、どうしたんだろうと思ってな」
「それなら、上流の方でやってきましたから」
「上流!? おっかねぇな。上流には山賊どもがうろついてるってぇ噂の廃墟があるし、熊だって出るんだぜ。子供一人で行っちゃいけねぇって、親父さんに言われてないのかよ」
「う、・・・・・・で、でも、大丈夫でしたから」
「まったくよぉ。二度と上流なんて行っちゃいけねぇぞ。ガキどももうちでしっかりどやしておくからな」
「は、はい。そ、それじゃ僕、行かなきゃ」
「ああ、じゃあな」
男性が離れていくのを見て、リュー少年は胸をなで下ろしていたわ。
「・・・・・・本当に、お姉さんのこと見えていなかったね」
「当然よ。ただの人にニンジャの技が見切れるものですか」
「ニンジャ、って、なんです?」
「ふふ、内緒。さ、歩いて」
リュー少年を促して、私は村の中を通過した。
村の中は鄙びている、と言えば聞こえはいいけれど、はっきり言って活気のない、やせた村という印象だったわ。
複数の村を抱えているらしいジャーダイ伯国といっても、この様子ではなんとも先行きが暗そうね。
「こっちの枝道に入るよ。道路から外れるけど、お屋敷までの道に近いから」
「詳しいわね。伯爵の屋敷に行ったことあるの?」
「父さんに連れられて、一回だけ。御免状を持って行って、家族で名前を書かされたけど、何をしていたのかはわかんないや」
私はそれを聞いてピンときた。きっとそれはリューの父親が御免状に記された免税特権の更新を求めたからでしょうね。領主の代替わりでそれまでの特権が剥奪されたり、なんてことはままある話よ。
枝道にはいると、人気が薄れてますます村の中は薄ら寂れた雰囲気を見せるようになった。暫く開けられたことがなさそうな納屋の戸口、色の剥げた屋根、ひび割れた土壁の家に、錆びた農具にツタ植物が絡みついている。
侘びしい場所を通り抜けながら、私は炉端の井戸に集まっている農婦が膝を付き合わせて噂話をしているのを見つけ、リュー少年の肩を叩いた。
「え? なに?」
「ごめんなさい。少し立ち止まってくれる?」
「いいよ」
リュー少年は最寄りの家の壁際に立ち、笠を深く被り直した。
私は聞き耳を立てる。ニンジャの聞き耳はたんに良く音を拾うだけではいけないわ。音の跳ね返りを読んで、何の音か、誰が話しているかがわからなければいけないの。
話している農婦は三人で、一人は四十代くらい、二人は六十を超える老体だろう。六十の二人のうち一方は肺を痛めているのか、声が酷くしゃがれているわ。多分、お酒の飲み過ぎね。
「今年はもうだめだ。牛がちっとも売れねぇ」
「納付を待って貰うように掛け合ったって言うじゃねぇの。どうなったんだい」
「だめだったよぉ、うちの父ちゃんたらこんなでかいこぶこさえて帰ってきて、酒飲んでねちまった」
「隣のマッケン一家なんて農場全部売ってもたりなくて、娘息子を奉公に出して作った金でやっとだよ。もうあたしはうんざりだ」
「それでさ、どうやら大きい所が動いてるって流れの商人が言ってたよ」
「大きい所ってどこだい」
「王様さ」
「王様がこんなところにくるかい」
「王様じゃなくて、大公様がくるって聞いたよ」
「それじゃ大公様にあたしらの話を聞いて貰おうじゃないか。そうしたら御舘様も考えを変えてくれるかもしれない」
「そうかね、御舘様がそんな玉かね。まったく、あの
「しっ! 滅多なことを言うんじゃないよ。御舘様は魔法を使うからね。どこで聞いているのやら」
・・・・・・農婦たちはそうやって、取り留めない井戸端話を繰り返していたわ。
「ありがとう、リュー。もう行きましょう」
「うん。ねぇ、お姉さん、今は何をしていたの? あそこのおばさんたちが何かしていたの?」
「うふふ。それはニンジャの内緒よ」
「だから、ニンジャって何?」
村を区切る境界を越えて、リューの背中に隠れたまま私はノザン山まで続く道に入った。
ジャーダイ女伯爵、待ってなさい。必ずその顔を拝んでやるから。
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