20 二度目の別れ際は前と違って


「それにしても、ここのお料理はどれもすっごく美味しいですね。お二人で全部作ってるんですか?」


さすが接客業と言うべきか、2人は好奇心を抑え込んで私に話を合わせてくれた。できる大人は空気が読めるのだ。どっかの誰かと違って。


「俺は簡単なもんしか作れねえよ。だいたいはこいつが作ってる」


松さんは肘で馨さんを指す。


先ほどから出てくるもの出てくるもの全部が美味しかった。シンプルな酒の肴もあれば少し変わった創作料理まで内容は様々だったけど、他のお店では味わうことのできない絶品ばかり。


「馨さんはお料理上手なんですね。羨ましい」


私は馨さんをうっとり見つめる。綺麗で清楚で大人の女性にしか見えないのにどこか少女めいた可憐さが嫌み無く共存している。美人というならこういう人のことをいうのだろう。


奥さんにするならこんな人が良いと、何故か男目線で考える。


馨さんはにっこり微笑んだ。


「うふふ、ありがとう。陸ちゃんはお料理しないの?」


「一人暮らしなんで少しはしますけど、馨さんみたいな和食はちっとも」


「そういえば、俺が寝込んでいたときに作ってくれたのはお粥じゃなくてリゾットだったな」


課長は遠い昔のことを思い出すかのように呟いた。


実は課長が寝込んでいた土曜日のご飯は私が作ったのだ。


金曜の夜は早く帰ってきて、その後すぐに課長はダウンしてしまった。翌日、一日中ほとんど何も口にしていなかったと思われる課長を心配して、ミルクチーズリゾットを作った。


お粥を作ったことがなかったから。


「あら、リゾットを作れるなんて凄いじゃない。お粥より手間がかかるんじゃない?」


「いや、慣れてたので。私の実家イタリアンレストランなんですよ」


課長が少し目を見張って私を見ているのが横目でわかった。実家の家業はそんなに意外だったのだろうか。


「というと、親父さんはシェフってやつか?」


「ええ。父の作った料理を母がお客さんに提供してます。そんなに大きなお店じゃないですけど、結構地元では人気で、学生のときは少しだけだけど手伝わされました」


「じゃあ、お料理はお父様から教えてもらったのね」


「そうですね。主に賄い料理でしたけど」


だから、家ではご飯を作るときはついついパスタが多くなる。


疲れて帰ったときなんかは、コンビニ弁当で済ませてしまうことも多く、和食を作る機会も気力もない。あるのは憧れだけ。


「母は料理が苦手な人でしたから、家で和食を食べる機会って全然なくて、教えてくれるような人もいないし時間もなかったのでまったく作れません。好きなんですけどね」


「じゃあ、馨に習ってみるか陸ちゃん」


「あら、それ良いわね。楽しそう」


松さんはなんてことない風にさらっと提案してきた。馨さんもニコニコしながら賛同している。


思ってもいなかったお誘いに困惑した。


「でも、私仕事で忙しくてなかなか来れませんし、ご迷惑では……」


「迷惑なんてとんでもない。こんなお店をしていると若い女の子と接する機会がないから、時々来てくれると嬉しいわ。それにわざわざお料理の勉強をしに来るなんて堅苦しくする必要もないし。遊びにでも飲みにでも来るついでに一品ずつ教えてあげるわ」


気さくな笑顔で提案してくれる馨さん。課長も賛同してきた。


「いいじゃないか、近所で気軽に飲める店が欲しかったんだろ。飲むついでに料理の腕が上がれば良いことだらけじゃないか」


課長の言葉に後押しされ私はおずおずと尋ねる。


「本当に良いんですか?」


「いいぞいいぞ、いつでも来な。ついでに馨にイタリアンってのを教えってやってくれ」


「そうね。私は和食ばっかりだから丁度良いわ。ということで、いつでもいらっしゃい」


そんなこんなで、私はここ『酒のみや』に頻繁に来る理由ができたのだった。


その後、お酒の力もより強力になり、課長に対する緊張も警戒心も遠慮もほぼなくなった私はただただ楽しい時間を過ごした。


課長は時たま意地の悪いことを言ったりしてきたけれど、基本的にはとても穏やかな顔をしていた。


思った以上に有意義な時間を過ごせてとても名残惜しかったが、店仕舞いになる12時になる前に松さんと馨さんにまた来ることを固く約束し、私は課長と一緒に店を後にした。


帰りは課長がまた家まで送ると言ってきた。


以前に送ってもらったときの、身の危険を思い出し常に課長から一定の距離を保って歩いていたが、課長はそれを気にするそぶりはなかった。


アパートの前に着き、その距離を保ったまま送ってくれたお礼を言う。


課長はスラックスのポケットに手を突っ込んだラフな格好で店に居たときと同じ穏やかで優し気な笑顔を向けてきた。


「今日は楽しかった。松さんも馨さんもお前のこと気に入ったみたいだから時々顔出してやれよ、じゃ、おやすみ」


それだけ言い残すと、今来た道に向かって直ぐに歩きだしてしまった。


以前のこの場所での行為が嘘だったかのような別れ。


何だか拍子抜けだ。


お酒でフワフワした私は遠ざかっていく背中をしばらく眺めていたが、途中ではっとして小走りで部屋に戻った。


柔らかな雰囲気をまとった課長は今まで見たどの姿とも違かった。


また、違う一面を知ってしまった。


部屋に戻ってからも何度も最後に見た笑顔が頭に浮かんできた。頬がほんのちょっと熱くなったりする。そんな自分が鬱陶しくて、浅いため息が出た。

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