『吸収』
6−1「駆除」
そこから先は、まさに
マインの開けたスーツケースから、あふれ出す煙。
煙が触れた途端、みるまに
糸の切れた凧のように崩れていく巨大な女性の顔。
周囲に広がる絶叫とうめき声。
そして煙は瞬く間に建物全体に
(ごめんね、亮ちゃん)
その中で、ふと亮の耳に届いた小さな声。
思わず、声のする方へと顔を向ける亮。
「要救助者、一名確保!」
駆けつけた防護服の社員が亮を確保し、現場から退去させる。
「…母さん?」
市役所の壁に生えた小さな人型のキノコ。
その姿に亮はどこか懐かしい面影を見たような気がした。
「【根】は空間の
緊急で市役所の広場に設置された簡易テント。
防護服を脱いだマインは簡素なスーツ姿であり、近くのパイプ椅子には消毒を済ませ、提供された花火柄のシャツと黒いズボンを身につけた亮がいた。
「…じゃあ、俺がずっと市役所に勤めていたというのは」
「まあ、この三年間。キミはそう思いこまされていたと言うほかない」
亮から聞き出した、数時間ほど前まで
「胞子に含まれる
「…そう、でしたか」
「まあ、公共機関ということもあって、街の人口の大部分が出入りするからな。何もキミが特別というわけではない」
ついで、机の上に置かれたスマホとタブレットをみるマイン。
元々、亮の持ち物であったその二つは、今や【危険物】と書かれた黄色と黒のハザードシールの貼られた箱の中へと保管されていた。
「アミが司法解剖した結果、
「ただし…」と言いつつ、マインは卓上の箱を別の場所へと移動させる。
「胞子から発芽した【根】は、区間が離れていようとも空間同士で繋がる性質を持つ。そして、それによって生じる
ついで、精密検査をした亮の結果が書かれた電子カルテへと目を通すマイン。
「ただ、こうして多くの犠牲者からサンプルを採取した結果、空間の拡大をまねく【根】の駆除剤を開発し、今回、使用することで有効であることも証明できた…まあ、キミに話せる部分はこれくらいだが」
そして、医師のカルテを最後までチェックしたマインは、「よし、健康状態も問題なさそうだな」と顔をあげる。
「キミはこれからレッドの
ついで亮に防護服を着るよう指示し、自分も防護服を着用するマイン。
「夜更けすぎだが、外に出よう。車は地下の駐車場にある」
テントを出てあたりを見渡してみると、今や建物の大部分に張り付いていた菌糸は一本残らず消え去っているように見えた。
「ここまで綺麗に…これは、アミの成果でもあるな」
マインはそう語ると、どこか寂しげに目を細める。
「妹にも見せたかったが。つくづく、死んでしまったのが惜しいよ」
「大規模な空間以上の原因を取り除くとまれに反動で別の空間異常が起こることがある。彼らはその後始末をしているというわけだ」
地下の駐車場で車に乗り込みつつ、シートベルトを締めるマイン。
「もちろん、他に
エンジンをかけ、車を動かし始めるマイン。
「まあ【根】による大規模な認識操作のせいで、この三年ものあいだ街の人々は異常に気づかなかった。それゆえ、すでに【根】の肥料となってしまった人間がどれほどいるか…調査はするが、おそらく完全な人数の
マインの言葉の意味に気がつき、亮は声を上げる。
「つまり、身内が【根】によって殺されてしまっていても記憶の刷り込みのせいで気づいていない可能性がある…と?」
それに「ああ、それは大いにありうる」とハンドルを切るマイン。
途端にざらつくコンクリートとタイヤがこすれあい、不協和音を立てた。
「おそらく向こう三年間の死者の何割かは、認知操作によって歪められた偽りの死因として記憶されているのだろうな」
(じゃあ、俺の母さんは…)
「まったく、マーゴには街に来るなと言っていたのに。今頃どこにいるのやら」
苦言を漏らすマインの視線の先には【方舟】の影響によるものか道路の左右に大量の屋台がぼんやりと浮かび、幽鬼めいた当時の街の記憶たちが、今にも崩れそうな野菜や魚を売っている様子が見えていた。
「…行方、わかっていなんですか?」
亮の質問に、
「ああ、社員に探させてはいるが、どうにも」
瞬間、車の周囲に大量のヒトデが降りそそぐ。甲殻類めいた手足が大量に生えたそれらの生き物は路面に落ちると素早い動きで手足を動かし、車道を走り回る。
「困った話だよ」
ついで、バキッという音がしてヒトデを手足ごと車で
「今回の【根】のように人に寄生するタイプもいくつか報告されているからな。ただでさえ【ウィンチェスター】のように、接触時に肉体を持っていかれるパターンもあるのに」
そう、ため息をつくマインに「…もしかして【ラム】とでくわしてしまっているかもしれない」とつぶやく亮。
「【ラム】?なんだ、酒のことか?」
意外にも、マインはその存在を知らないらしく、亮は「いえ、違います」と、答えると数日前に病院や駅で接触した【ラム】のことを手短に説明する。
「…そうか、会社内部の反勢力組織。それは盲点だったな」
マインは悔しそうにそう答えると車内に取り付けたスマートフォンの短縮キーを押し「レッド、聞こえているか?」と話しかける。
『ああ、どうしたんだよ。兄貴?』
スピーカーから聞こえるのは、反響音を伴った低い男性の声。
「今、どこにいる?」
『チャンネルCとDのあいだあたりかな』
「この街の地図に当てはめると?」
『あー、街の一番古い橋の近く。今さっきカゲロウの死体が上から大量に降ってきたばかりだが…合流地点となると市の図書館にある一枚絵の壁面だな』
「なるほど。読書スペース横の白一面に点がはいっているあの絵だな…それと」
『んだよ』
「【ラム】について何か知っているか?」
『…』
「…」
無言の二人。
だが、最初に口を聞いたのはレッド。
『一応、聞き覚えがある。といっても社員の中で噂される程度だがな』
その言葉にピリッと車内の空気が張り詰める。
『なんでも、俺たちの福利厚生に文句のある連中が結託して、通信できないように妨害電波を流しているとか、見つかった資源を武装組織に横流ししているとか…まあ、そんなところだが。大した内容は知らないね』
それにマインは「わかった、噂程度なら十分だ」と答えた。
「その件についてはまた後で話をしよう」
ついで、スマートフォンを切り替えると画面はカーナビへと切り替わり『この先、三百メートル先。右方向です』と女性のアナウンスが流れる。
「…どうして、マインさんは人工知能を外してしまったんですか?」
画面はよく見るようなナビアプリ。
マーゴの持つスマホのように老婆の姿は映らない。
「ん?…ああ。以前、アンインストールした、祖母の人工知能についてか」
そう言いつつ、ハンドルを切るマイン。
「では、質問だが。キミはあの菌の苗床になっていたと知ってどんな気分だ?」
急な質問に亮は目を白黒させると「どうって…ショックでしたね」と、先ほど簡易テントでつけた眼帯を思わず押さえる。
「三年前からそうだったなんて。気づかないうちに双子にも迷惑をかけていたみたいだし…内心、未だに気持ちの整理がつきません」
それにマインは「だろう?俺もそうだよ」と答えてみせる。
「俺も三年前にこの役職についてから、ずっとその気分を味わい続けている」
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