『知覚』
1−1「曇天のショッピング」
十五階建てのマンションの屋上。
それまで上を向いていた『彼』は下へと落ちていった。
(…久しぶりに見たな、アレ)
青信号の先にある県内有数のスーパー。
店内には近く行われる花火大会のテーマソングが流れていた。
(確かめても何もいないだろうし、見に行くだけ損なんだよな)
憂鬱な気持ちでカートを押しつつ、スマートフォンを確認する亮。
節電のためか店内に灯された電灯はまばらであり、曇りの日であることもあいまってか店全体が薄暗く感じられる。
持ったメモ帳には菓子やジュースなどの注文の数々。
それは一緒に暮らす双子がよこしてきたもので
「まあ、お盆も近いしな。この時期に見るってことは、お化けなのかも」
「…へぇ、それってどんなお化け?」
独りごちる亮にかけられた声。
「え?」
見上げてみれば、そこに一人の女性がいた。
浅黒い肌にチリチリの髪。
明らかに東洋人と思えぬ顔立ち。
どこか幼さの残る彼女の片耳には馬とも鹿ともつかぬ逆さ吊りの生物のピアスがついていた。
「駐車場にいた時にも近くのマンションを見ていたよね?何か関係あるのかな」
おどけた調子の口調。だが、何かを問いつめるような女性の瞳に、面倒ごとに巻き込まれたくない亮はとっさに「えっと…僕、急いでいますので」と言い訳をしつつも踵を返す。
「そりゃあ、無いよね?」
ついで、亮の顔面に差し出されたのは一台のスマートフォン。
「見ていたのはこれでしょう?ほら、この屋上の」
その画面には先ほど亮が見ていたものと同じマンション。
だが、その画像はサーモグラフィーのような色分け加工がされており、彼女の言う通り、屋上には人影のような
「君の近場にあった車の車載カメラの画像を解析したものなんだけれど…本当は見えていたんじゃないの?この屋上にあった物体」
なおも問いかけてくる彼女の言葉に(近場の車?)と亮は困惑しつつも「いや、でもあの下に何もないのは以前確認していて…」と口ごもりつつも目を逸らす。
しかし、女性は逃げ出そうとする亮の肩を片手で押さえると「…と、いうわけでグランマ。近くのカメラをジャックしてサーモ機能でマンション全体を照射。何かしら出るはずよ」と、袖口のボタンへと話しかける。
そこに『もう済んでるよ』と、あたりに響くしゃがれた声。
『すでに通報済み。現場は12階の1206号室のバスルーム。地元で介護職員をしていた、お嬢ちゃんの部屋だったみたいだよ』
それに「さいですか」と耳元のピアスに手を当てながら女性は答えると、亮の引いていたカートを半ば奪い取るようにして歩き出す。
『部屋の電力供給も数分前にストップ。脱衣所にあったスマートフォンの位置情報も同時刻から切断気味になっている…近隣の建物の電波状況も同様だから、あのマンションを中心として磁場の乱れが起こったことは間違い無さそうさね』
「ありがとグランマ」と、耳元のピアスに触れながら答える女性。
「じゃ。こっちも終わり次第、車に乗り込むコトにするわ」
そして最後の商品をカゴに放り込むと女性は亮のスマホへと手をやり、瞬間、亮のメモ帳に書かれていた買い物リストに全てチェックがつく。
「うむ、外部操作も順調。これならグランマの移行もまもなくね」
呆然とする亮の前でそう独りごちると女性はそのままカートごとドアをくぐり抜けようとし、亮は「ちょっと待ってくれよ」と思わず声をあげ、慌ててカートを押さえ込む。
「誰だよキミは!それに、このままじゃあ万引きだ!」
それに女性は「大丈夫よ。お金はキミのライフ・ポイントで支払ったことになっているから。購入ポイントも加算されるし、プラス以外にはなりえないはずよ?」と茶目っ気たっぷりにウインクをする。
「ライフ・ポイント?」
思わずそう問う亮に「あ、まだ名乗っていなかったわね」と話を逸らす女性。
「私は、天文学者のマーゴ…でも上下関係は嫌だし『ハカセ』とか『センセー』呼ばれるのも嫌い。だから、マーゴで良いから」
マーゴと名乗る女性はそう告げると、ついでカートをそのまま外へと押し出し、まるでそれに合わせるかのように店の前に一台のタクシーが停まる。
「じゃ、これよろしくお願いします」
ついで、中から降りてきた運転手は亮の持っていたエコバックを受け取ると、カートの中身をてきぱき詰め込み、あっという間にタクシーの荷台へと載せてしまった。
「ちなみに、キミが十年以上乗ってきた車はあちこちガタがきているようだし、このままレッカー移動で修理工場行きね」
マーゴの言葉に駐車場を見れば、いつしか亮の車はすでにレッカー移動されている真っ最中で、その横でマーゴはドアを開けた運転手に「ありがとうございます、行き先は市役所で」と頭を下げる。
「で、今日からキミは私の助手」と強引にそのまま亮を車にマーゴに「え?」と、疑問の声をあげるしかない亮。
『…まあ、詳しい内容はアンタの勤める市役所の土木課で聞けるさ。それから、アタシもこのスマホの中で長居させてもらうから。よろしくね…亮くん?』
見れば、亮のスマホに一人の老婆の映像が映り、笑いかけている。
「え、俺のスマホが何で。それにどこで名前を?」
困惑する亮に「よし、無事グランマの移行ができたわね」とマーゴが得意げにうなずき、タクシーが発進する。
『…それと、さっきマンションに向かったチームから連絡があったが今のところ被害が拡大する兆候は見られていないようさね。あとは地元警察と協力して周辺封鎖と現場の調査。病院に送った遺体の検死を地元の医者と行うとのことでね、向こうに送るライフ・ポイントの計算はこっちでしておいたよ』
それにマーゴが「ありがとグランマ」と画面に微笑むも『いえいえ。どうせ、アナタのグランマは今や便利な人工知能型計算ツールになってしまったからね。これぐらいしかできないさね』と皮肉げに画面の中でため息をつく。
そんな老婆とマーゴのやりとりに目の前で何が起こっているのかわからない亮は困惑しつつも「あの…」と覚悟を決めて手を上げる。
「ちょっと待ってください、あのマンションで何が起こっていたんですか?」
いつしかタクシーは駅前を通り過ぎ、そのあいだにも数台のパトカーと救急車とすれ違う。その様子をまるで見えているかのようにスマートフォンの中の老婆は目で追ってみせると『そうさね』と亮のほうに向き直り、目を細める。
『ありていに言えば、あの嬢ちゃんは今この惑星でランダムに発生している空間の歪みに運悪く巻き込まれてしまったのさ』
「え?」と聞き返す亮にマーゴが「つまりね」と続ける。
「何らかの理由で磁場が乱れてしまって、遠い銀河の惑星と私たちの星とが接触と分離を繰り返しているの。そのためにキミのように本来見えるはずのないものが見えてしまったり、今回のように触れられるはずのないものに触れてしまって被害に遭う人たちが世界で続出しているのよ」
『あのマンション嬢ちゃんはその中でも運の悪い部類…最後に残ったのは湯船に浮かぶ生首のみさね。それ以外は別の空間に置き去りにされてしまったのさ』
老婆の言葉に目を丸くする亮。
…いつしか、タクシーのフロントガラスを大粒の雨が叩き始めていた。
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