第2話 憤怒っていうか天災(1)

 鍋にバターと砂糖と牛乳を入れて火にかける。

 沸いてきたら焦げ付かないようにじっくりと、もったりするまでゆっくり混ぜ続ける。

 あとは冷まして、冷えたらお好みのサイズにカットして出来上がり。


 混ぜながら火にかけてる時間が結構長いと感じる人もいるだろうけど、工程も材料もシンプルだし、わりと簡単に出来上がる。

 市販品もいいけど、簡単に作れるしアレンジもしやすいので、私の中では結構定番のレシピだ。


 出来上がったものを一粒手に取ってみる。

 艶やかで滑らかな表面。摘まんだ指先の温度で、じんわりと油分が溶け出すのを感じた。

 口の中に入れればすぐに溶け出し、痺れるような甘い余韻が舌に残る。


 完成した生キャラメルの甘さに、私はしばし現実を忘れ去った。




「完成ですか」


 儚過ぎる一瞬だった。無情な現実は、いつの間にか背後に忍び寄っていたらしい。

 ロウさんが、背後から私の手元を覗き込んでくる。


「……今回は珈琲味も作ってみました」


「ほほう」


 針金の手がキャラメルをひとつ、摘み上げ、いたずら描きのようにしか見えない口元へと運ばれた。


「……甘いですな」


「キャラメルですからね」


「塩辛が食べたい」


 好きにしてください。


 ロウさんは、わりと器用な人、人? 蝋? まあいいや、器用ではあると思う。

 スイーツの最後の盛り付けとか、その他の家事とか色々一手に引き受けているスーパー執事だ。

 ただ、紅茶をやたらと高い位置から注ぎたがったり、卵を片手で割ろうとしたり、なんか色々と、とにかく恰好を優先させるタイプの蝋燭なのだ。


 お菓子作りとは、ある程度丁寧さを求められるものだと思う。

 そのせいかロウさんが作るお菓子は、微妙にルシフェルさんのお気に召さない。

 なんでもかんでもフランベしようとするせいもあるだろう。


 基本的には器用なので、きちんと作れば普通に美味しいものが出来上がるだろうに。


 ただ、そうなると私の存在意義が薄れる。

 薄れたその結果、どうなってしまうのかと想像すれば、ロウさんにはお菓子作りを遠慮してもらった方がいいだろう。

 私自身がパテに混ぜ込まれてディナーとして出されるような未来は避けたい。


 そんなことを考えたその時、どーん! という大きな音と、お屋敷全体を揺るがすほどの振動に襲われた。

 トレイの上の生キラャラメルが跳ねて、その隊列が崩される。


「えっ、なに?!」


「もうすぐおやつの時間なのに……」


 ぱらぱらと天井から降ってる来る何かと、爆発? と動揺する私を尻目に、ロウさんはぼやきながら珈琲味のキャラメルを一粒口に入れた。


「……こっちも甘い」


 針金のような指を舐めてから……たぶん、舐めたんだと思う。とにかく舐めるような仕草をした後、キッチンの戸棚をがさごそと探り、取り出したのは、セメントとこてである。なんで。


 さらにセメントとこてがもうワンセット。

 それを有無を言わさず手渡された。


「さ、行きますよ」


 だから、なんで。






 一日の大半、ルシフェルさんが籠っているお気に入りの部屋の、お気に入りの猫脚テーブルの上に、ルシフェルさんが立っていた。

 もちろん土足で。


 部屋の中は他にも気にした方が良さそうなことがいっぱいあったけど許容量オーバーです!


 一人用丸テーブルには、本日は糊の利いた藍色のテーブルクロスがかけられている。そのテーブルクロスを土足で踏みつけたルシフェルさんは、明らかに腹を立てていた。

 銀糸の髪で遮られた額には、青筋を立てていると思われる、そんな状態。


 関わりを避けたい私が条件反射的に回れ右したのを、無情な針金が遮った。

 エプロンドレスに引っ掛けられた黒い針金が……! 何これ全然動かない……!


 どーん! と、地面が揺れた。


 うっかり視線をやればドラゴンがいた。

 いや、うそ。なんでもない。


 本日のルシフェルさんは、どっかの王様みたいな恰好をしている。教科書とかに載ってそうな感じ。ナントカナントカ十三世、みたいな。

 毛皮がついた真っ赤なマントに内側の服は煌びやかなゴールド。まぶしい。


 陶器のように白い肌、銀の髪に赤い瞳。

 そして、その側頭部で緩い円を描く羊の様な立派な二本の角。


 その辺の日本人が着ても絶対おかしなことになりそうな衣装に、全然負けてない。

 その色、異形の姿、異様なぐらい整った顔もあるんだけど、その纏う雰囲気のせいもあるんだと思う。

 本当に王様がいたんならこれぐらい偉そうだろうな、って態度だからそういう服も似合うんではなかろうか。


 ケシャー! と咆哮が轟いた。空気がびりびりと振動し、暴風のような風が吹く。

 ルシフェルさんの重そうなマントすらもがはためいた。


 針金の指が、今すぐ走って逃げ去りたい私のエプロンドレスをひっかけて、この場に縫い留めている。


 セメントとこてを持ってひっそりと藻掻く私の視界で、不機嫌MAXなルシフェルさんが対峙しているのは、たぶん恐竜が実在したらこんな感じかな、ってサイズ感のおっきいドラゴンと思しき生物である。


 推定ドラゴンは、蝙蝠のような飛膜がついた前足か腕かを、威嚇するかのように広げた。

 崩れた元部屋の壁が、ガラガラとと音を立てて転がる。


 ちょっと意味がわからない。


 丸太のような立派な足がソファを踏み潰し、尻尾がうねり既に崩れている壁をさらに粉砕した。


 見なかったふりで自分を騙すことがもうできない。


「なんのつもりだ! サタン!」


 ドラゴンに負けず劣らず、凶暴さを滲ませたルシフェルさんが吠えた。まあね、おうち崩れちゃってますもんね。そりゃあ怒りますよね!

 それにしても、悪魔がサタンとか言ってるの、すごくそれっぽいですね。


 ルシフェルさんに応えるように、ドラゴンが再び咆哮を上げた。轟音が響き渡る。

 私は思わず持っていたこてとセメントを取り落とし、耳を抑えてしゃがみ込んだ。


 身体が跳ね上がるほどの振動。床が、空気が、揺れる。震える。


 どーん!!!!


 という一際大きな音が響いた。


 こわい。


「……チョーコさん、チョーコさん」


 ちょいちょいと針金の指で肩をつつかれて、おそるおそる顔を上げると辺りは静まり返っていた。

 ドラゴンもルシフェルさんもいない。崩れた壁を超えて吹く風が、頬を撫でた。


 崩れた壁、と私との間に、先ほど落としたこてとセメントが差し出される。


「ぼっちゃまが戻られる前に修理しましょうね」


 半ば無理やり、再び持たされたこてとセメント。 


 ほんと、ほんと意味わかんない! 説明不足!!!!






 セメントを崩れた壁の割れ目に乗せ、その上に瓦礫の中から破片を適当に選んで乗せる。

 隙間が無いように、慎重に。


 と、やったところで素人の施工がそんなに上手くいくはずもない。

 がたがたになった壁のみすぼらしさと、減らない瓦礫に早々に嫌気がさして顔を上げる。


 と、そこは既にいつも通りの部屋の中だった。


「え?」


 天井、壁、潰れていたはずのソファも全て元通り。

 

 天井も壁も、どこも崩れている様子どころか崩れた跡すらもが跡形もない。


 足元を見れば瓦礫もない。今まさに私が不器用にセメントを塗った壁も、見事にいつも通り。ちょっと目を離した一瞬後、綺麗なただの壁。壁紙まで綺麗に貼られている。


 私の足元で、ちょいちょいと壁をつついていたロウさんが、私を見上げた。


「作業遅」


「………………………………」


 ここで生き残るコツは、意識を明瞭にせず、深く物事を考えないことである。


 蝋燭に対する僅かに滲み出す殺意を隠し、私はへらっと笑った。


「……お茶、用意しますね」


 無心。無心。






 一人用の猫脚丸テーブルに、糊の利いたグリーンのテーブルクロス。その上にティーコゼーを被せたポットと陶器でできたカップ&ソーサー。シュガーポットには角砂糖がいっぱいに入っている。

 真っ白な丸い皿には生キャラメル。普通のと、珈琲味のを乗せられるだけ乗せて山にした。


「……盛り付けセンス」


 それを見たロウさんが何か言ったけど、気にしない。


 準備は万端、と思ったそのタイミングで廊下の柱時計が鳴り始めた。

 ぼーん、ぼーん、と大きく不気味に反響し響きわたる音が十回。午前十時のおやつの時間。


 時計の音が鳴り止むと同時、王様……ではなくルシフェルさんが戻って来た。

 無言無表情で毛皮がついた真っ赤なマントを床に放り投げ、いつも通り、一人用の猫脚丸テーブルの前に用意されたルシフェルさんの特等席、ふわふわのクッションに背中を預ける。


 絨毯の上に放り出された毛皮のマントが謎の液体でぐっしょりと濡れている。

 マントを伝い絨毯に浸み込んでいく液体、漂う鉄錆びの匂いに私は思考を放棄した。


「おかえりなさいませ」


 ロウさんのそれにも無反応。

 ロウさんは特にめげる様子もなく、ポットの中に入っていたロイヤルミルクティーをカップに注いだ。

 いつも通り、ちょっと無茶では? ってぐらい高い位置に掲げたポットからカップに注ぐから、いつも通り半分ほどが床に敷かれた絨毯へと染み込んでいった。

 今日のそれ、ミルクですけど、大丈夫ですかね。後で臭わない?


 ルシフェルさんは、カップに注がれるロイヤルミルクティーを待たないで、真っ黒な鋭い爪の指先で生キャラメルをひと粒持ち上げた。

 血のように赤い瞳に映るのは、あまーい生キャラメル。

 瞳と同じ、真っ赤な口に運ばれた。


 その口元が、蠱惑的に歪む。官能的とすら思えるような色香漂う吐息を漏らし、真っ赤な舌が唇を舐める。


「あまい」


 ロウさんが言った「甘い」とは違う。ルシフェルさんの口から出たそれは、妖艶な魅力に溢れる満ち足りたもの。


 次の瞬間にはもう、真っ白な丸い皿に山と盛られていた生キャラメルは消えていた。


 さっきからルシフェルさんといい、ロウさんといい、その悪魔的な速度はなんなの。ただの人間の私、全然ついていけないんですけど。


 差し出されたロイヤルミルクティーに溶け切らないぐらいの角砂糖を突っ込みながら、ルシフェルさんが囁くように声をあげる。


「もっと食べたい」


 私へと向けられた綺麗な顔が、優し気に微笑んだ。


 その言葉、笑み、既視感。

 憶えのあるそれに、思考より先に身体が拒絶反応を起こした。

 私は慄き、そして、絨毯に向かって嘔吐した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る