第25話 もう一人の仲間

 ――コンデラルタ中央国家。

 そこはクレルモンの大渓谷を通り抜けた先に存在する大都市。都市の中でひと際存在感を放つ『魔術教院』の建物、その一室では、スーツを着込んだ政治家や白衣の学者、豪奢な装いの貴人などが集まり円卓を囲んで言葉を交わしていた。

 そんな中、ゴン、ゴン、と円卓の間の扉から、無遠慮なノック音が鳴り響く。


「何事かね」

「失礼します。タツガシラ白十字騎士団コウ・カマタ、只今帰還しました」

「丁度いい所にきた。コウ、君の報告書が話に上がっていたところだ。これは一体どういうことだい?」


 壮年の男がコウに尋ねる。書類を軽く手で突き、視線には圧を込めていた。


「ハッ、院長様。報告書の内容についてはお読みいただいた通りですが……」

「そうではない! あの半世紀の魔女は殺せと命令したはずだ。だのに貴様は恥ずかしげもなく失敗したと報告し、あまつさえ最終手段であった裁判での死刑判決も覆してしまった!」


 もう一人の男が声を荒げて言い放った。それに対してコウは臆することなく、真っ直ぐと発言者の顔を見つめて返す。


「あぁ……確かに殺しませんでした。貴方達が裏金で強行させようとした死刑判決も、裁判官を脅して覆しました。そもそも宗教議会で正式に裁こうと提言したのに理由もなく跳ね返した貴方達にも問題が――」

「責任転嫁か、見苦しい! 貴様が任務を放棄したことは事実! それに神意の針の神格まで汚してしまうとは、嘆かわしいぞ!」

「神格だなんて、ただのオモチャでしょう。魔術教院の権威を大衆に主張する為だけの」

「貴様ぁ……!」

「落ち着きなさい二人とも。――コウ、君はさっき殺せなかったのではなくと答えたね。その真意について問おうか」

「では改めて……。そもそも、今回の任務クエストは『半世紀の魔女の討伐』でありました。ですがオレが接触した時には、対象はナギ・トルーサーという魔術師によって弱体化され、ほぼ戦闘不能状態だったのです」

「どの程度かね?」

「オレの攻撃に手も足もでないくらいには」

「貴様! 適当言いおって、魔女にたぶらかされたんじゃあ――」

「加えて。彼女は既に我々がかねてより観測していた『半世紀の魔女』程の力は持っておらず、ただの一介のネクロマンサー程度の実力に成り下がっておりました。なので、アレは半世紀の魔女ではなくただの少女アズ・オルディンガーとして扱い、本任務の討伐対象外として処理したのであります」

「コウ、屁理屈で言い逃れする気か! アレだけガシラの不始末を嘆いていたというのに……これは魔術教院に対する背信行為だぞ!」


 今度は院長と呼ばれた男も止めずに、じいっと見つめてコウの言葉を待っている。その男の双眸は、並々ならぬ威圧感を孕んでいた。


「えぇ。確かに半端な仕事は非難すべきです。しかし隠し事も同じことではないですか?」

「なんだと?」

「あなた方が消したがっているのはアズ・オルディンガーではなく、彼女の持つ『東の魔女』の情報ではないかと」

「どういうことかな、コウ?」

「少女アズが接触し、禁術を与えてきた『東の魔女』の存在が、あるいはその一連の事実があなた方にとって不都合なことだった。だから抹殺を命じたのでは、と」

「コウ、君は自分が何を言っているか分かっているのかね?」

「はい。です」


 包み隠さず疑惑をぶつけたコウだったが、威圧的な眼差しによってそれらは跳ね返された。院長の男は小さくため息をついて、今度は柔和な笑顔で口を切った。


「はぁ……君はせっかく仕事熱心なのに、不満があるとすぐ噛みつきたがる。サイガにあまり迷惑をかけないようにね。今回の報告書はこのまま受理しておくよ。しかし、君もガシラの一員ならこの言葉を努々忘れないことだよ」

「えぇ。『知らないのも無理はない。だが知りすぎるのもいけないことだ』」

「肝に銘じておきなさい」

「はっ。――あぁ、ステラとディア・テオドーシスの件についてなのですが」

「調査中だよ。今、サイガが直接ディア氏の元に向かっている。喧嘩しないと良いんだけど」

「サイガ先輩が……!? ま、まずいぞ……」

「何か問題があるのかい?」

「い、いえ! それでは、失礼します」


 コウは粛々と頭を下げ、円卓の間を後にした。

 彼の去った後の部屋では、コウの処遇について院長に進言をするものが何人か居た。しかしそれについて男は首を横に振って答える。


「魔術の神秘性、高尚さがこの社会を根本から支えている。だから例え東の魔女が何をしでかしたとしても、それは決して公になってはならないんだよ。――そういう意味では、コウはとっても利口だ。それをよく理解している。魔術に対する信仰の強さを思えば、彼の噛み癖も可愛いものだよ」

「甘いですな、院長殿」

「フフ、私は皆に平和を享受してもらいたいだけさ」



 一方、クレルモンの外れ、大渓谷のとある場所では、獣たちの呻き声と共に大量の打撃音が周囲を席巻していた。

 それは百を越えるマインパンサーの群れを、赤髪の男が眼にも止まらぬ速さで仕留めていく衝撃の音だった。

 『最速』のステラ・テオドーシスによる嵐のような防衛線。祈りも、息をつく暇もなく襲い掛かるモンスターたちを相手に、限界を越えれば記憶喪失を起こすスキルを限界直前まで酷使して、仲間たちを守っていた。


 背後には気を失っているナギとラズベリ、カルティアナ。そして銃を握りながら怯えて座り込むスーラント。彼らの周りには絶対防衛ラインの円が描かれており、この円より内側に敵を侵入させまいと、ステラが死力を尽くしていたのだった。


『クソッ、いよいよ体力が尽きてきた……身体の感覚がない』


 その危機感を煽るように、岩壁から次々と這い出てくるマインパンサー達。一体一体が驚異的な速度と膂力を誇るそれらは、単体ではステラに敵わないながらも複数体がバラバラに動くとなれば話は別である。連携力を持たないが故の予測不可能な獣たちの猛攻が、彼をひたすらに苦しめた。


「お兄さん……頑張って!」

「ハハッ、カッコつけた手前死ねないよね!」


 しかし、その声に反応したのか、マインパンサーがステラへの攻撃を止めて一斉に少年の方を凝視する。数コンマ経って――少年がただの非力な餌だと認識されたのだろうか――獰猛な牙と爪が少年目掛けて襲い掛かった。


「ぐぁッ! す、スーラント君、大丈夫かい……!」

「あ、お兄さん、血が……!」

「ははっ、こんくらい追い込まれなきゃ、ハイになれないんだ」


 少年を襲ったそれらはステラの身体で受け止められた。少年の涙に応じるように、ステラがまた一段階スピードを上げた。


『あの時、ナギとラズベリが殺されそうになったのに、俺は助けるのを諦めてしまった。屈服を選んだ。絶望なんて柄にもない……絶対に助けるんだ、四肢が千切れても、頭が焼き切れても、例え記憶を失っても……』


 最初にマインパンサーが現れてから三十分が過ぎていた。群れの勢いは衰える様子もなく、一方でステラは割れるような頭痛に苦しめられていた。これ以上出力を上げれば、間違いなく過負荷の反動、デメリットの『記憶喪失』が起こる。


「はぁ……ナギ、また怒るかな」

「グゥルルル……!」

「グアウ!」


 立ち止まったステラに、マインパンサーは却って警戒状態になった。運良く訪れた膠着状態に、ステラは少しでも体を休めようとしたが、この緊張を解けば彼奴らが一斉に襲ってきそうな、そんな気概を感じてしまい、一向に呼吸を落ち着けられなかった。


『駄目だ、意識が朦朧と……』


 どれだけ体に力を込めても、下がっていく瞼に抗うことができない。ふと自身の体を見渡すと、先程スーラントを庇った傷以外にも二発の銃創を見つけて思い出す。少年に撃たれたものと、ジオラから少年を庇った時のものだ。自身の体力を自認してすぐ、その意識は溶けるようにして薄れていき……気が付くと、ステラはその場で膝をついて倒れてしまった。


「お、お兄さん、お兄さん!! そんな……ぼ、僕のせいで、僕が散々迷惑かけたから……!」


 少年が無理に体を揺さぶったが、起き上がる気配はない。辛うじて意識こそはあるものの、指一本も動かせなかった。この出来事を好機と見たマインパンサーが、にじり寄るようにして少年に近付き始める。


「あ……ああっ……!」


 獣たちが地面を蹴り、大口を開けて少年に飛び掛かった。少年はもうどうしようもできないと思うと、ステラの衣服を力の限り握りながら、眼を瞑って祈りを捧げた。


「か、神様、もう僕はいいんです……どうか、この人達だけでも……」

「ガゥアッ!」


 牙が剥かれ、小さな顔に影を落とそうとしていたその時。少年はふと、祈りの為に咄嗟に捨て置いてしまった拳銃の存在を思い出す。


『まだ、弾は入ってる……』


 助けられながら、迷惑をかけながら、最後には祈ることで責任を果たそうとする自分の姿を想像した。それはまるで走馬灯のようだった。

 結局、何も出来ていないじゃないか。流れゆく後悔の記憶の中で、スーラントは自身の醜態を認めるに至った。そうと決まれば、行動に移すのはすぐだった。

 次の瞬間には、少年は祈る手をほどき、両の手で拳銃を握って、襲い掛かるマインパンサーに狙いを定めていたのだ。


「喰らええッ!!」


 パァン、パァン、パァン、パァン! と、立て続けに銃弾が放たれた。内一発は命中して一匹を仕留め、更に他の者も突然の爆音に恐れ慄いて身を固めている。


「やった! ――あ、あれ。弾が……!」


 だが、事はそう上手く運ばない。銃は既に残弾が尽きており、これ以上対抗する手段はなかった。

 少年の様子を察したマインパンサーが再び勢いを取り戻すと、グルグルとその喉を震わせた。「今度こそ死んでしまうのか」――心の内で諦めの言葉を呟いた少年は、今度は祈りの手ではなく拳銃を握り締めながら、死を覚悟して眼を瞑った。




「ッッシャオラァ!」


「……!?」


 しかし、少年の絶望は一転し、襲い掛かったマインパンサーの大口が弾け飛んだ。

 眼を開けたその時には、彼奴らの顔が、体が、一切合切が、自身の背後から突き出された白銀のガントレットによって、その牙やら爪やらを砕かれながら滅茶苦茶な形に変形していたのである。


「シッ! まずは一匹!」

「お、お姉さん……?」

「ん? おいおい泣いてんのか小僧? 情けねえなぁ」

「な、泣いてなんか……!」

「まぁそう慌てるなよ。アイツの代わりにこのアタシがからさ」


 その人物は、こなれた様子でガントレットを振り回しつつ、ステラの描いた円を飛び越える。そして洗練された隙の無い構えでマインパンサーの群れを威嚇した。


「情けねえなぁステラ。アンタが守らなきゃナギもガキ共も皆死ぬんだぜ……」


 それは見た目だけならば、さっきまでラズベリだったはずの女だ。しかしどう見ても同一人物とは思えず、話ぶりも、仕草も、それまでの彼女と全く違った別人である。


「た、助けてくれるの……? 一体何者なの、お姉さん……」

「おう! 命の恩人の名前だ、よーく覚えときな。アタシの名は――」

「グアウアッ!」


 二人の話を遮るように一匹のマインパンサーが飛び掛かったが、女はそれを地面がめり込む程の勢いで殴りつけた。


「ストロベリ・ジャーニーだ。ラズベリのダチだよ」

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