第7話 水の魔術

「ぷはぁ~! い、生き返ったぁ……っ!」


 塩をふんだんにまぶした蒸かし芋を平らげて、続けて砂粒一つ無い綺麗な水をその小さな喉にぐぐっと流し込む。そうすると次第に込み上げてきた生の実感に、ナギは全身をリラックスさせて酔いしれた。


 現在、一行は見張り塔の中に居た。

 二人が座すその部屋には一般的な家具が配置されており、そこに幾つもある本棚には誰かの私物らしきぶ厚い書物がぎっしりと詰められていた。

 机や椅子、日が良く差し込む窓、本棚、鏡台等々。そこはおよそ地雷原を走り抜けて不法侵入を図った二人が入れられるには贅沢すぎるくらいの、普通の部屋だった。


「い、良いのかい? こんなに良くしてもらって」

「嫌なら今すぐ飲み食いを止めればいい」

「――いや! 頂きます!」

「フン……改めて、砂漠前線基地『アームルート』へようこそ。私の名前はジャミア・ロックス、ここの責任者だ。この基地では砂漠調査の為、私と何人かの調査員が滞在している」

「ほへえ~~」

「ほうらっはんでふね」


 紺色の髪を波のようにして揺らすと、ジャミアは淡々と紹介した。汚れてしまった白衣は脱ぎ去って、今はまた新たな白衣をその身に纏っていた。

 食料を口に運ぶので必死だった二人は、頬張りながら間抜けな返事をする。彼女は呆れながらも、何も言わずに話を続けた。


「さて、ステラ、そしてナギと言ったか……私がお前たちをただの遭難者じゃないと疑っている理由が二つある」

「え!? まだ疑われているの! 飯も水もくれたのに」

「嫌なら止めれば良いんだぞ。――まず一つ目、成人男性と小さな子どもが並んで砂漠を彷徨っている。こんなのは特異なケースと言う奴だ」

「ちょっと! 僕は子どもじゃありませんよ!」


 芋で頬を膨らませたナギが抗議の為立ち上がった。ジャミアは忙しなさに若干見下したが「それでは」とナギに実年齢を問いかける。


「なんとですね……僕はこう見えて二十歳はたちなんです!」

「なっ……!?」

「ええーーっ!?」


 ナギは胸を張って答えたが、一方で気の知れたステラもその発言に驚いている。


「初耳だよ、ナギ」

「砂漠を歩いてるときに言いましたよ! この忘れん坊!」

「そんななりで二十歳だと……!? い、いや! 所詮の言うことだ。信じられん」

「――ちょっと待ってください。そもそもどうして最初から、僕たちが魔術師だってことに気付いてたんですか。地雷原の前で言ってましたよね……」

「そんなことか。遠目でスキルを使っていた所を見たからだ。それで十分判断できる」


 ジャミアは自信満々に言ったが、スキルというものを知っていなければ、見ただけでそれだと分かる筈がない。一般にはあまり知られていない魔術の秘奥たる『スキル』――その存在を知っているというジャミアは、相当に魔術に関して心得があるのだとナギは推理する。


「お前たちを疑う二つ目の理由もそれだ。最近現れた、このアームルートを攻撃する盗賊『鷹の鉤爪』は盗賊らしからず魔術師をその一員に加えている。そこで突然現れたお前たちも魔術師と来たものだ。疑わない理由はないだろう」

「そ、そりゃそうかもだけど……水や食い物を与えといて今更というか……もぐもぐ」


 ステラはそれらを口に運びながら苦言を呈した。ナギの方も確かに、と頷いている。


「それはだ。何度も言うが気になるのなら食わなければいい。毒が入っているかもしれんからな」

「先行投資……?」

「毒入り!? ぶえっ! もう四つも食べちゃいましたよ!」

「冗談だよ。全く単純な奴め……さて、このようにお前たちの疑いは未だ晴れない訳だが。どうやってこの私に盗賊の一味じゃないと証明できる?」


 翻弄された二人は不満そうにジャミアを見つめた。


「証明って言っても魔術師の身分証がある訳でもないし……どうしようか、ナギ?」

「あ! それなら……」


 がたん、と椅子から立ち上がると、ナギはその手に世界樹の戒杖を持って天へと掲げた。


「おい、魔法を見せたって無駄だぞ」

「ふっふ~ん、僕が見せるのはただの魔法じゃありませんよ。盗賊だって真似できない、立派な魔術です!」

「おー! やっちゃえやっちゃえー!」

「……それでは得意の『水の魔術』をお見せします!!」

「ちっ、無駄だと言っているのに……」


 そう言ってナギが眼を閉じると、辺りにしんとした静寂が訪れた。暫くの間ナギの小さな呼吸音だけが聞こえ、そのすぐあとに水の気配が辺りに漂った。


「……『ランジスの大河』」


 ナギが唱えた時、大気中の水分が寄り集まった。水は混じり気のない純水となり、次第に目視できる程に大きく増大し、綺麗な球体と成っていく。それは辺りから差し込む光をそのまま吸収し、周囲に乱射させている。あまりの美しさに、誰もが思わず息をのんでいた。


 ――しかし、そうして球体が出来上がったかと思うと、それは途端にパァン! と弾けだした。

 弾けた瞬間、影で一部始終を覗き見していた存在が「わあっ!」と声をあげたのを、ナギが眼の端で捉える。

 拡散された水は等間隔で周囲に広がり、幾本もの水の筋は集中線のような紋様を描いた。その繊細な魔力操作に、ステラもつい見入ってしまう。


「――あ、書類が……」

「……!」


 ふと、研究員の一人、女と思しき声が言葉を漏らした。しかし、ナギはその言葉を待ってましたと言わんばかりに、得意げに戒杖を振り回す。


「ほいっと!」


 杖の動きに従うように、水は一所ひとところに固まった。そして今度はゆっくりと辺りに散らばり、水の粒となって霧散――再び大気の中に溶けていった。涼し気な霧が広がると部屋全体が冷涼を帯びて、無事パフォーマンスは終了した。


「えっへん!」

「す、すごい! そんなこともできるんですね!」


 披露し終わってすぐ、薄いピンク髪の女が小さく拍手をしながら現れた。


「ま、まあ? 僕にかかればこれくらい朝飯前ですよ、えへへ」


 女に続いて、眼鏡の男や大柄褐色の男が部屋に入ってくる。皆一様にナギの魔術を賞賛していた。思わずナギも顔を綻ばせて喜んでいると、そんな彼に対し冷ややかな視線が突き刺さる。


「フン、下らんな。ただの魔力を帯びた純水じゃないか。飲めない水を出したところで何になるというんだ?」

「え!? えっと……た、確かに意味はないですけど……」

「ちょっとジャミアさん、あんまり意地悪するのは良くないですよ」


 研究員の一人、眼鏡の男が止めに入ったが、ジャミアはそれを無視して続ける。


「良いか! 私の言う証明とは魔術師然としたところを見せろということだ! 経歴やその証拠、師匠の名や専攻する分野への見解、あと魔術の発展に寄与する発明とか……ああ、とにかく!」

「ひ、ひえ……」


 語気は徐々に強まり、ヒートアップしていく。冷ややかな目はいつの間にか怒りを混じらせていた。


魔術師おまえたちの言い分では、魔術というものは神学や哲学にも片脚を突っ込むほどに神聖で、なおかつ真理に近い学問のはずだ。それを易々と他人に示して俗的なパフォーマンスを行うなど……全く!」

「ジャミア先輩、それくらいにして――」

「役に立たない魔術なども同然だ。とても証明とは言えん! ステラ、お前のほうはどうなんだ!」


 鋭い目を向けた先。そこでは男が指を上に向けてぽつんと立ち尽くしていた。


「あ、えっと……もうやってるんですけど……」


 ステラは指先から淡い炎を出すと、それを力いっぱい放出させようとした。しかし、どれだけ力もうともその火の勢いは変わらない。それどころか少しの風で消えかかるばかりである。


「フン、本当に手品師だな……」

「ああーー! 人の努力を笑ったな!」

「落ち着いてくださいステラ! しょぼっちいのは事実なんですから!」

「しょぼっちい言うな!」


 暴れるステラを見下すようなジャミアの視線はとても冷たい。いつの間にか火の消えた指先を向けてくる彼に、ジャミアは睨み返した。


「魔術は有用に使われてしかるべきだ。それを貴様らはこんな愚図なことで……」

「ちょっとちょっと! それ以上否定するなら、さっきの研究員たちの感動はどうなるんだい。彼らの感動こそ神秘に対する敬意の表れだ! 実際ナギの魔術はスゴかっただろ?」

「出力自慢に神秘など在りはしない。私は由緒ある魔術師であることを証明しろと言ったのだがな。役に立たないことをしたところで所詮それまでということだろう」

「はっ! 役に立たなくても凄いことなんていくらでもあるだろ? 数学や物理学、歴史に言語、それに……」

「ステラ、僕はもう大丈夫ですから……」

「それに、生態学とかも、ね」

「……!」


 その時、ステラの一言を耳にしたジャミアが表情を固まらせた。

 図星を突かれたように言葉を失いかけた彼女だったが、すぐに調子を持ち直したかのように咳払いを行う。



「お前、何故私が生態学者だと?」

「えーっと……そこに本があったから? はは、テキトーテキトー」

「……当てずっぽうか」


 ナギはちらりと部屋中を見渡した。すぐ近くの本棚の背表紙には『砂の生き物図鑑』という題が印字されており、なるほど、と合点がいく。


「あ、あの。ごめんなさいね、旅の方。ジャミア先輩はもともと魔術師があんまり好きじゃなくて……」

「シーファ、余計なことを言うな」


 ジャミアがすかさず口止めしたが、シーファと呼ばれた女はそれに不貞腐れたか、頬を膨らませて抗議の様相を呈した。


「はぁ……柄にもなく熱くなってしまった、済まなかったな。とにかくお前たちの疑惑を晴らすにはさっきのでは足りんということだよ。そこで、折角だから機会を与えようと思うのだ」

「機会っすか……」


 ジャミアは強引に話を戻すと、何も言わず足早に塔の螺旋階段を降りていった。二人は彼女の勢いに負けて、黙ってその後ろに付いていくしかなかった。

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