第3話 調速の魔術師

第3話 調速の魔術師


 ギラギラとした太陽が微笑みかける過酷な砂漠。狂暴なモンスターが息をひそめて獲物の往来を待ち構える中で、その小さな魔術師は懸命に働いていた。


「おいナギぃ! もうすぐオアシスだ、スピード落とせよ!」

「は、はぁい!」


 彼は目を閉じ、頭の中で速さが落ちるイメージを作る。キャラバン船にかかっていた強化効果バフは見る見るうちに弱まり、ようやく舵取りが容易な速度にまで減速する。


「はぁっ、つかれたー!」

「なにへばってんだよナギ、とっとと樽を運べ! 水の補給がまだあんだろうが」

「えぇ、わ、分かりました……」


 ナギはかれこれ十二時間、大型のキャラバン船をたった一人のスキル『調速』で加速させていた。へばりたくなるのも無理はないが、キャラバンの隊長兼船長のヴァンドーがそれを許さない。

「仕方がない」と重たい体を起こして水汲みの手伝いに向かうのが、このキャラバンでのナギの日常だった。


「あの、隊長! 今度の目的地なんですけど」

「あぁ? また巡礼地に向かいたいって言うつもりか? 確かに魔術師共は沢山居るだろうが、アイツらはケチだからな。俺達の商品なんざ買わねえだろうよ」

「で、でも薬品とか、食料とかは需要があるかもしれないですし……」

「はぁ~っ、あのなぁナギ。お前が行き倒れている所を助けてやった恩を、まだ忘れちゃいねえだろうな?」

「そ、それは」

「お前みたいなひ弱なガキがモンスターに囲まれてんのを助けてやって、その上安全な砂漠の航海も提供して……その結果がこんな我儘か、ええ?」


 ナギが魔術修行の為に巡礼地へ早く向かいたいという目論見は、ヴァンドーにはお見通しだった。恩着せがましい言葉と共にその要求はねじ伏せられる。そして、トドメと言わんばかりに次の言葉が待っていた。


「俺はお前を頼りにしてんだぜぇ? お前が来てから船の燃料も節約できるし、モンスター共との戦闘も随分楽になった。感謝してるんだからよぉ、ここを離れるなんて言わねえでくれよな?」

「ほ、本当ですか! えっと、そ、それなら……」

「ガッハッハ! じゃあこれもよろしく頼むぜ」

「わわっ!」


 ナギの返事を待たずして、ヴァンドーは高笑いを上げながら彼の荷物を増やして去っていった。


『あぁ、まただ。頼りにされている、求められていると分かるとそれに応えられずには居られない』


 生粋の偽善の精神が、ナギの旅路を自ずと邪魔していた。

 自身の冒険に戻りたくて仕方がない筈なのに、ずるずると彼らの要求を聞き続けて早数か月が経とうとしている。まだ若いとは言えこのままで良いのだろうか。人の願いを振り切ってでも自分のしたいことをするべきなのか……。ナギは一人オアシスの湖面を見つめながら葛藤に苦しんでいた。


『わがままなのかなぁ、僕って……』


 そこに映ったのは自身の純白の祭礼服。細やかな金の刺繍が施されたベレー帽に、トルーサー家に特有の空色の髪。そして、魔術師が皆一様に携える大きな世界樹の戒杖である。

 ナギにとってこのキャラバンで異質なのは自分の方だった。安全な砂上航海が出来るのは間違いなくキャラバンのお陰だ。うだうだと文句を言ってられないのだろう、と。

 そう割り切って、ぐっと膝の力で立ち上がったその時。ナギはようやくその存在に気付いた。


「げえっ!」


 オアシスの湖、その対岸からぷかぷかと流れて来る男の姿。すうっと視界に入ってきたその存在に、思わず声を上げてしまった。


「た、たすけてぇ……っ」

「ぎゃあーーっ!!」



「助かったよ~、ようやく水を見つけたからはしゃいじゃってさぁ。うっかり溺れちゃったんだよね」

「そ、そうでしたか……」


 オアシスの湖面から引っ張り上げたのは、二十代半ばの、ある程度成熟した顔立ちの男。身長も成人男性の平均的なそれより遥かに高く、一見してハンサムなその出で立ちには目を引かれるが、ナギからは彼がどこか幼そうに見えた。おそらく彼の言動がそう思わせるのだろう。

 特徴的な赤毛は元より、男というのに長く伸びた髪の毛とそれを纏めるポニーテールは印象に残る。襟もとには砂漠の旅に使っているのか、不似合いな丸いサングラスが掛かっていた。膝や肘、拳には鉄のサポーターを装着しており、少々イカつい。かなりの武闘派だと窺える。

 彼の羽織る、砂漠の迷彩服とも言える薄茶色のコートは膝まで丈が伸びており、前が開いているのでインナーのぴっちりとしたスウェットが覗けた。見たところガタイは良さそうなので、ただ遭難していた様には見えない。


『仲間は居ないのでしょうか……?』


「いや~キャラバンの人に助けられてよかったよ! 塩気のある物がどうしても食べたくて食べたくて」


 そう言いながら大量の干し肉やパン、水が男の胃袋へと消えていく。と同時に、客室を覗く他のキャラバン仲間の視線が鋭い。どれだけ食わせる気だと言わんばかりの批判の視線であった。


『うぅ、食べるのやめてください、なんて言えないですよ。これは仕方ないことなんです……!』


「あ、あの! お一人でこの砂漠を移動していたのですか? 車とか、乗り物などは見当たらないようですが……」

「あぁ、ここまでは来たよ。いやぁ大変だった……あ、これも頂くね」


 傍らに置いていた、酸味の強い果物を手に取る。異国の『レモ』というもので、健康によいらしいのでキャラバンで取り入れた新商品だ。それ故とても高いのだが、男は遠慮なく平らげる。


「すっぱ~~!」

「あ、あの。申し遅れました。僕は魔術師のナギ・トルーサーと言います」

「俺は『最速』の魔術師ステラ・テオドーシスだ。よろしく——」

「——魔術師!? まさかこんな所で同業者に会えるだなんて……!」


 ナギはステラの挨拶に食い気味になって反応すると、目を輝かせて質問を投げかけた。


「出身大学はどこですか!? 得意な魔術は!? 師匠の名前はなんですか!? 僕の師匠はカリプソ・トンプソンです、あまり有名じゃないんですけど……あ! スキルって分かります? 僕こう見えてスキルを持ってて……」

「えーっと、そのー……」

「あっ、すいません……! 僕ったら初対面の人につい……いきなりこんなに質問されたら困りますよね」

「いや。そうじゃなくて。答えられないというか、覚えていないというか……」

「はい?」

「なんていうかその……忘れた! アハハ……」

「はぁ!? 魔術は……師匠の名前は……!?」

「師匠も居ることには居るんだけど、ちょっと思い出せないんだ。あっ、スキルは……」

「い、いいです! もう結構です」


 修行中の魔術師にとって出身大学や師匠の名前等を明かすことは必須の作法であり、自身の所属と責任を開示する最も手っ取り早い方法なのである。もし仮に術師本人が何かをしでかした場合、その批判は師匠の下にも届くことになる。過去にはそれにより破門を喰らった者も居る為、それを述べることは魔術師としての自覚を問う意味も込めた、一つのライセンスの役割を果たしていた。


『そんな大事な師匠の名前を、忘れた……!?』


 怪しい、怪しすぎる。ナギはそう思ってじぃっと見つめて男の持ち物を確認したが、いくつかの道具を詰めた背負い鞄以外は、ごつごつとした装備を身に付けているだけだった。


「ステラさん。魔術師なら大きな杖を持っているはずですよね? それが無ければふつう、中級の魔術すら唱えられませんから」


 例えばこんな感じのを、と自分の世界樹の戒杖を見せた。自分の頭くらいはあるゴツゴツとした先端を持ち上げる。


「ん? そんなものないよ」

「は、はぁ!? そんな、あり得ない……」


 彼の目には、その男は余りにも魔術師としてだらしなく、そして不審に見えた。もしかするとこのキャラバンに対して詐欺行為を働く為にこうして巧妙な手口で接近してきたのではないか? ナギは邪推を働かせる。

 魔術は高度な学識を備えた者が扱える、非常に高尚な学問とも言える。力強い攻撃魔法、物を操る操作魔法、その他強いエネルギーを孕む技を幾つも持っている。それ故扱う者に求められるのは知性、品性、理性である。

 もしうかつにかたれば他魔術師から批判され、最悪の場合法で裁かれてしまうだろう。詐欺師などの無法者であれば、そんな命知らずな行いも頷けるが――

 ナギはそこでふとテーブルの上の惨状に気付いた。


『——というかこの人、助けてもらっている立場なのに悪びれもなく食べ散らかして……!』


「あ、あのですね! 初対面ですがいい加減目に余ります! 貴方――」

「コラぁ、ナギぃ!」


 ナギががたん、と客室を揺らす勢いで立ち上がった時、キャラバンの隊長ヴァンドーが自分を怒鳴る声が聞こえた。肩をびくつかせてその声の方を向く。


「緊急事態だ、砂蛇が来るぞ!」

「ん? 砂蛇? なにそれ」

「貴方はそこでじっとしていてください!」


 不審者をキャラバン内でのさばらせてはいけない。拾ってしまった責任として、ナギはステラを客室に留めてからヴァンドーの所に向かった。


『でも、最速の魔術師……どこかで聞き覚えが……』




 船の甲板ではキャラバン隊員が辺りを行ったり来たりしている。その騒がしさから、事の重大さが窺えた。


「遅えぞナギ! さっきの男は何者だよ?」

「えっと、そこのオアシスで拾ったんですけど遭難してたみたいで」


 そう説明すると、ヴァンドーは「鬱陶しい」とでも言いたげな表情をした。キャラバンはそれなりに規模も大きく、物資も十分にあるというのに、遭難者一人拾い上げるのにも難色を示している。

 魔術師をケチだと罵った男が聞いて呆れる……とナギは心中で罵倒しながら、ヴァンドーの指示に耳を傾けた。


「見ろナギ、大量の砂蛇がこっちに向かってきてる。今すぐ迎撃の準備をしろ」

「迎撃って言っても、結構な数が……」

「かまわねえ。砂蛇は弱いからなんとかなる。奴らは集団で襲ってくるから、手早く処理するのが要だ。とにかく速く準備を――」

「へぇ、あれが砂蛇かぁ」

「わぁ! い、いつの間に!?」


 ナギの影からひょいと身体を出したのは、部屋に留めていたはずのステラ・テオドーシスだ。地平線の彼方を指望遠鏡で覗いていた。


「ステラさん、客室に居てくださいって言いましたよね……!」

「あはは、ご、ごめん……」


 語気を強めて迫ったナギに、ステラは身をのけぞらせながら苦笑いをする。


「でもさぁ、あれ蛇っていうより胴長の魚じゃない? 勝てるの?」

「なんだ、兄ちゃんは見るの初めてか? アレの正式名称は『サンドルージュ』つってな。砂漠だけに生息するちゃんとした蛇だ。だが少々デカイだけで防御力は大したことはねえ。拳銃一発で死んじまうだろうさ」

「そっか。忘れてたよ。それじゃあ――」

「え? ——って、ちょっとちょっとちょっとー!!」


『忘れてた』その言葉にナギは疑問を抱いてステラの方を見ると、いつの間にか甲板の柵に乗り出して飛び出そうとした。


「ま、マジモンのバカですか貴方は!? せっかく助けたのに、食べさせた食料腹に詰めて砂蛇の食料になる気ですか!? そんな回りくどいポイ捨てする為にわざわざ助けたんじゃないんですよ!!」

「えぇ~?」


 ヴァンドーはナギが柄にもなく荒々しい怒り方を見せたのでぎょっとして驚いたが、それでもステラ本人は気にしていない様子だった。その図太さに、ナギは呆れかえる。


「でもあんな大群、君達じゃ相手できないでしょ? 百体は超えるかも」

「貴方みたいな似非エセ魔術師が出る幕じゃないって言ってるんですよ!」

「おいナギぃ、お前はお前の仕事があるだろ。この兄ちゃんは俺が見といてやるからさっさと持ち場につけ!」


 ナギはヴァンドーの圧とステラの相手に嫌気が差すと、諦めて指示された持ち場に駆け付ける。

 眼前には同じ方角を向いて並ぶ大砲達。ふうと一息を挟んで仕事の準備に取り掛かった。


「うおおおおおお!」


 ぺたぺたぺたぺたぺたぺた、と、ナギは意気込んで隊員の用意した砲弾をその手で触っていく。


「ヴァンドーさん、だったっけ。あの子なにしてるの?」

「スキルの準備だよ。実力のある一部の魔術師は持ってるっつーアレだな」

「へぇ。実力のある魔術師……」

「アイツのスキルは『調速』。能力だ。例えばこの船、そしてあの砲弾、そこらの木片などなど。なんでも加速・減速させることで推進力や威力を操ることが出来るんだ。その名も——」


「準備オーケーです、発動しますよ! 『これがトルーサーの流儀ですスピード・アジャストメント』!」


 直後、隊員の猛々しい号令と共に爆音が連続した。


 ドォン、ドォン、ドォン……。爆音と共に着弾先で鉄片が拡散した。それらの砲弾には炸裂弾が内包されており、命中が正確でなくともナギのスキルが合わされば砂蛇達に強力な拡散攻撃を与える、という仕組みになっていた。

 砂蛇は群れで行動する上にその図体が大きく、しかし拳銃一発ほどの負傷で動きを止められるほど脆い。砲弾一つで沢山の砂蛇が沈んでいく。

 仕留め損ねた砂蛇も何体か居たが、それらは全てキャラバン船に衝突することなく、その目前の透明な壁に足止めされた。


「掛かったぞ! 攻撃しろ!」


 その透明な壁は、ナギが魔術で生成した障壁『魔術防壁』だった。キャラバンの隊員が防壁の隙間から砂蛇を攻撃し、鮮やかに処理していく。まさに盤石の体制だった。


「まだ使いこなせてねえのか。対象が余りに多いと直で触れなきゃいけねえのが難点だがな。防壁、強化効果バフ、回復とアイツは色々出来るが、何よりあのスキルが素晴らしい! いやあ良い拾いもんをしたぜ」

「殆どあの子の功績じゃないか」

「人聞きわりいな兄ちゃん。使いこなすのはいつだって賢い人間だ。これが砂漠商人の知恵って奴よお!」


 ようやく一仕事を終えてへたり込んでいたナギは、ふとステラからの視線に気が付いた。その場に立ち直り、胸を張って声高に言う。


「え、えっへん! どうですか、これがの魔術師ですよ!」

「あぁ、本当に凄いよ。一人で幾つも術を扱えるだなんて!」

「えっ……」


 少し嫌味っぽく言ってみせたつもりのナギだったが、ステラの反応は予想外に素直だった。悔しがるか、詐欺師だと白状するか、あるいはとぼとぼして客室に帰るかと様子を伺っていたのに、これまた子供のように無邪気にはしゃいでいる。

 ナギは素直に褒められたことに照れると、その顔を俯かせた。ステラはそんな彼に構わず興奮冷めやらぬまま尋ねる。


「特にあのスキル! 気になったんだけど、もしかして人にも使えるのかい?」

「あっ、えっと、それは……」

「兄ちゃんやめときな。こいつのはそこまで万能じゃねえよ。人の速さは操れねえんだとよ」


 ヴァンドーの言葉の後に、ステラが再び期待の眼差しを向けたが、ナギはそれでも無理だと首を横に振った。

 ——すると、落ち込んでいる彼に向かって隊員の1人が怒号が浴びせる。


「おいナギ! テメエしっかり守りやがれ! 仲間が怪我したじゃねえか!」

「わわっ! すぐ向かいます!」


 ナギは大急ぎで甲板を駆け回って、大怪我のものから回復の必要がなさそうなものまで、全て自身の魔術で癒していく。その忙しない様子はステラにとってに目に余るものだった。


「ヴァンドーさん。やっぱりあの子、ちょ~っと仕事が多すぎやしないかな」

「なんだ、そんなにあのチビが心配か? アイツが好きでやってることだぜ」

「それでも一人で移動、攻撃、防御、回復をこなしてるのは異常だよ。あの子が居なくなったらどうするつもりなんだ」

「おうおう、に命を助けてもらった癖に随分な言いっぷりだな。アイツのは全て、主役はあくまで俺達だよ。それに……」


 ヴァンドーは高笑いをしながら言い切ってみせた。


「アイツはこのキャラバンから抜けねえ! 必要とされるのが嬉しくてたまらねえ性分だからなぁ? 全く、商人からすればボロい話だぜ! ガッハッハ!」

「そ、そうですよ。僕が自分からやってることですから、気にしないでください! ハハ、ハ……」


 ステラがそんな彼を確かめるように見つめる。その真っ直ぐな瞳にたじろぎながらも、ナギは誤魔化すようにして視線を逸らすことしかできなかった。

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