異世界日常短編集

矢田川怪狸

第1話 ありきたりな転生者

「あっ、ちくしょう、これは、どういうこった!」と、おれは叫んで飛び起きた。隣で眠っていた女房は俺の声で目を覚ましたらしく、とびきり不満そうな声を上げた。

「なんだっていうのよ、こんな夜中に」

「転生だ、おれは転生していたんだ!」

「あらそう。でも、もう少し静かにしてちょうだい、夜なんだから」

 女房はフンと鼻を鳴らすと、おれに背中を向けて眠ってしまった。おれの方はすっかり寝こじれてしまって、布団の中に留まろうかそれとも寝酒をひっかけに起きあがろうかを悩んでいた。

 部屋の中はびっくりするくらいに暗い。それに寒い。

「そう考えると、ニッポンっていうのは便利な世界だったな」

 こういう時、スイッチひとつで明かりがつく、エアコンがつく。それに冷蔵庫にはキンキンに冷えたビールがある。

 ところがここじゃ、暖炉の火を起こすのだって大した手間だ。おれの家は食うに困るほど貧乏ってわけじゃないが、裕福なわけでもないから、夜になったら節約のために薪を引く。灰の中を掻き回して熾火を探して、そこに薪をくべる手間を考えたら。

「ええい、面倒だ、寝てしまえ」

 おれは寝酒を諦めて女房に抱きついた。女房の体は暖かかったが、気まぐれに腰の辺りを撫で回してやると冷たい反応が返ってくる。

「やめて、疲れてるんだから」

 女房とは見合いで結婚して5年、夜もマンネリだから断られてまで押し通すほどの情熱もない。

「ああ、ごめんよ、そうだね」と、素直に手を引っこめる。

 転生者として前世の記憶を得たのだから、いまさら抱き飽きた古女房に固執する必要もない。転生者といえば、前世での職能を生かして大成功を収めるか、特殊な力を与えられて大活躍するか、人生の成功者になると相場が決まっているのだから。まあ、前世で読んだ物語を参考にするならば、だが。

 そうなれば美女に囲まれて選び放題よりどりみどりなのである。

「むひひ、むひひ」

 笑い声が溢れてしまったらしく、女房が俺に背中を向けたまま舌打ちした。

「あ、ごめんよ、うるさかったよね、寝よう、さあ寝よう」

 俺は女房に背を向けて目を閉じたが、嬉しすぎて眠気は訪れなかった。

 そのせいで翌日は寝坊をしてしまった。女房は昼も近くなって起きてきたおれに向かってチクリと嫌味を言った。

「転生者サマってのはお偉いんだねえ」

 いつものおれならば、このくらいの嫌味で腹を立てたりはしない。女房はおれをゆっくり寝かしてくれるつもりで一人だけで畑仕事をしてくれたらしく、その手は泥で汚れている。本当ならば感謝の言葉でもいうべき場面だと十分に承知している。

 だけど寝起きであることもあって、おれはひどく機嫌が悪かった。

「なんだ、そのモノイイは!」

 女房も目をかっとカッピラいて怒鳴り返す。

「そっちこそ、こんな時間まで寝倒してひとことの謝りもなしかい!」

「それはあれだ、え〜と、頭痛だ! ひとひとり分の人生の記憶を思い出したんだから、頭痛がひどいんだ!」

「へえ、やっぱり転生者様ってのはお偉いんだね、頭痛ごときで畑が休めるんだから」

「うるせえな、そんなこと言うなら畑なんてやめちまえ!」

「やめてどうしようって言うんだい!」

「そんなの、転生者の能力を使って稼げばいいじゃないか!」

「そんなもので稼げるもんかい!」

 あとはただただ怒鳴り合いだ。女房が時折「きい」だの「ひい」だのヒステリックな高音を出すもんだから、おれの方も段々に頭に血が上ってくる。

「このアマがっ!」

 ついにおれが手を振り上げたその時、ドアがバンと開いて一人の男が飛び込んできた。

「や、ややっ、いけませんぞ、暴力は。どうぞ、どうぞ穏やかに」

 見知らぬ他人に言われたことで頭から血が下がる。おれは振り上げた拳を下ろして男を見た。

「誰だあんたは」

「や、ご挨拶が遅れましたな、初めまして、転生者管理局のヤコブ・トビデールです」と、男は言った。ジュストコールにキュロットという姿をしているのだから、一応は貴族の身分なのだろう。それにしては猫背で腰の低い男だ。

「え、転生者の方は必ず届出をしなければならない決まりになっておりまして、え、それでこちらにお伺いいたしました次第にございます、はい」

 しがない農夫であるおれにペコペコと頭を下げる様子は、むしろ哀れでさえある。多分これは彼なりの処世術であるのだろうが。

 おれなんかはニンゲンができているからしないけれど、転生者の中には身分制度のない世界から転生してきて「誰もがみんな平等である」みたいな思想をかざして横暴に振る舞う者もいるだろう。特にこちらが平民であちらが貴族であれば、日頃の鬱憤をここぞとばかりに晴らそうとするクレーマーもいて然り。

 だけどおれはニンゲンができているから「どうか頭を上げてください、おれなんかは平民なんで、お貴族様に頭なんて下げられたらどうしていいかわからねえや」と、トビデール氏に言ってやった。

「あなたはこちらの世界での常識をよく心得ていらっしゃる」トビデール氏はひどく感動した様子で、涙ぐんでいた。

 そんなことがあったせいか、その後の会話はスムーズだった。トビデール氏は聞き取り調査だと言っておれに前世での住所や氏名や職歴や、あとは世俗風俗のあれやこれやを尋ねてきたが、おれはその全部に丁寧に答えてやった。

「おれの仕事はエスイーだったんですよ、わかりますか、エスイー」そんなふうにこちらの世界では耳にしないようなものを出すと、トビデール氏はその都度、百科事典みたいにデカい本を引っ張り出してきてページをぱらぱらとめくっていた。

「ああ、はいはい、エスイー、パソコン関係のお仕事ですね」

「パソコンを知っているんですか」

「実物を見たことはありませんけどね、とても便利なものなのでしょう」

 トビデール氏はそれからもしばらく百科事典みたいにデカい本を捲りながら何かを調べていた。

「ふむふむなるほどSE、いえ、とても大事なお仕事なのでしょうが、パソコンのないこの世界では全く役に立たない職能ですね」

 女房がこれを聞いて鼻を鳴らす。

「ほらごらん、転生なんてなんの役にも立ちゃしない、こんなことならちゃんと朝起きて畑を耕してくれる方がよっぽどいいじゃないか」

「バカヤロー、チミチミ畑なんか耕してられるか、おれは転生者だぞ」

「だからなにさ」

「確かにSEのスキルは役に立たないが、おれには前世の知識っていうのがある、あっちの世界にはエアコンだの冷蔵庫だの掃除機だのといった便利な道具があったんだ、それを作って売り出せば儲かること間違いなしだ!」

 トビデール氏は冷静だ。それはもう腹が立つほどに。

「大変よろしいアイディアですね、しかし、エアコンや冷蔵庫や掃除機をどうやって作るんですか、設計図とかひけますか」

 エアコンがどんな形をした道具で、どうやって使うのかは知っているが、内部構造なんて知らない。

「じゃあ冒険者だ、おれは冒険者になる。そうして名を上げて、王様から褒美をもらうんだ」

「よろしいです、とても建設的でよろしいと思います。ちなみに戦闘経験は?」

「ない。だけど転生したんだから、何かすごい魔法とか使えたり……」

「しませんね、大体、この世界に魔法なんて存在しないじゃありませんか」

「あ〜、じゃあ、あれだあれ、この世界は前世でプレイしたゲームの中で、おれが悪役令嬢で、みたいな」

「ほうほう、女性の転生者の方に人気のパターンですね。しかしあなたは女性ではございませんから、令嬢ってのは無理でしょう」

 女房がにやにやと笑いながらおれを煽る。

「ほら、早く活躍して見せてちょうだいよ、転生者サマ」「なにをっ!」と拳を固めたおれを押しとどめたトビデール氏は「まあまあ」と。

「転生者だからって大活躍しなくっちゃいけないとか、素晴らしい知識をこの世界に伝えなくちゃならないとか、そういう義務は一切ございませんので。むしろ転生者様とご家族様のご負担を減らすために、一日でも早くこちらの日常生活に戻っていただくことをこちらは目的としておりまして、はい」

 トビデール氏はおれと女房に書類の束を一つずつくれた。タイトルには大文字で『転生者更生プログラム』と書いてあった。

「こまごまとした注意事項はこちらに記載してございますので」

 女房は書類の中身なんかろくに見もしないで金のことばかりを気にしていた。

「支援ってことはなにがしかのお手当が出るってことかね」

「はいはい、それについては三枚目をご覧ください、こちらに転生によって就労不可能になった場合の生活の補償と、転生による傷病にかかる医療費補助等の記載がございますので」

「こういうのじゃなくて、ウチだったらいくらもらえるのかが知りたいのよ」

「それは状況を見ての話になりますので、現段階ではなんとも」

「わかんないひとだねえ、状況とかいいから、ザックリいくら払ってくれるのかだけ聞きたいのよ」

「おい、やめろ、ご迷惑だろうが」と、おれは言った。女房は不服そうではあったが口を閉じた。おれも聞きたいことがいくつかある。

「この、転生知識による利益の獲得と税率ってのは?」

「そちらですね、前世の知識を使ってご商売をなさる方向けですね。まあ、前世で生活していた知識があるだけでは、なんの商売にもなりませんけれどね、なにしろあちらの世界とは工業技術のレベルが違いすぎますし、原材料の問題などもございますから」

「エアコンや冷蔵庫や」

「そう、先ほどのお話にあったそれもそうですね、皆様そこをよく見極めずに前世にあった便利な何かを作ろうとして失敗なさる。でもですね、まあ、成功例もないわけじゃないんですよ、メシデールというレストランはご存じですか?」

「最近よく聞く名前だな」

「あれなんかは転生者の方が前世にあったフランチャイズチェーンの仕組みを真似て作ったそうですよ。ですから、ちょっと大きな街道のあちこちにお店があるでしょう」

「なるほど、そういう稼ぎ方もあるのか」

「お待ちください、早まっちゃダメですよ、メシデールの創設者はヨクフトール公爵様で、設備投資から宣伝費からオープンスタッフの研修費用まで、惜しみなく財を注ぐことができたからこそ成功なさったんですよ」

「財か、つまり金か。どの世界でも金が物を言うということか」

「ええ、まあ、そうですね」

 おれのような前世でも平凡今世でも平凡な男は、結局は凡庸に生きるしかないということか。おれは女房を見た。女房もまた凡庸な女だ。

 すこぶるがつくほどの美人ではないが、とびきり不細工でもない。鼻は低いがそれも愛嬌のうち。口は悪いが気立は悪くない。少しがめついところも経済観念がしっかりしていると言い換えればむしろ長所である。

 それに、5年も一緒に暮らしてきたんだから愛着もある。物語のような激しい惚れた腫れたはないけれど、一生を共にして不満ない程度の愛情はある。

「これくらいがおれの身の丈に合っているってことか」諦観込めて呟く。

 トビデール氏はおれに向かってペンを差し出した。

「そうしましたら、こちらにお名前頂戴してもよろしいでしょうか、あ、もちろん、こちらの世界でのお名前でお願いいたします」

 おれはトビデール氏からペンを受け取った。

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