日出卜英斗は相手になりたい

 もうグラウンドでは、行進が始まっていた。

 春の大運動会、開催である。

 開会式のおごそかな、ちょっと浮かれた空気も、ここまでは届かない。どこかぼやけて遠い声が、全校放送でスピーカーから流れてくるだけである。

 俺は人の気配が全くない学園を走った。


「ちょっと不気味だな……朝からこの静けさはさあ」


 沙恋されん先輩を探すが、もともと野良猫みたいに飄々ひょうひょうと暮らしてる人だ。全く足取りがつかめないし、いそうな場所も想像できなかった。

 どこにでもいて、どこにもいない。

 そんな言葉が脳裏を過る。

 もしかしたら、このまま一生会えなくても不思議じゃない。何故か、そんな刹那的なネガティブ思考さえ湧き出てきて困った。


「っととと、お? おおっ! ……ちょっと、これは意外というか」


 そう、意外な人物を見つけて急ブレーキだ。

 がらんとした教室の窓際に、その男は佇んでいた。

 そう、長い長い金髪の男子で、そんな目立つ恰好は一人しかいない。

 流輝るき先輩は俺に気付くと、ニッコリ笑って振り返った。


「やあ、おはよう。なんだい、君もサボリかい?」

「あ、いえ……沙恋先輩、見ませんでしたか?」

「僕があれをかい? いや、知らないな……学園のどこかにはいると思うけど」

「ですよね」


 妙にアンニュイな雰囲気で、今日も流輝先輩には全くやる気が感じられない。

 それなのに、一人で妙に楽しそうな、そう見せようとしてるような。

 そんな横顔を見詰めていると、やっぱり少し腹が立ってきた。

 今日も今日とて、唯我独尊ゆいがどくそんでサボってる。今日という日を迎えるまでに、生徒会の役員全員がてんやわんやだったのに。勿論もちろん、俺も忙しい中で頑張ったし。


「流輝先輩は運動会、出ないんですか?」

「んー? パス、かなあ」

「勝負にならないから、みたいな? 多分、そんな感じですよね」

「そりゃね。……君、僕らのことをもしかして、沙恋から聞いたかい?」

「ええまあ、ざっくり雑にですが」


 流輝先輩もまた、一部の大人たちの利己的な行動によって人生を歪められた。生まれた時から人生は歪んでいて、それがそのまま人格に……なんてことを少し思う。

 でも、沙恋先輩はじゃあ、どうだ。

 あの人は変人だけど、毎日堂々と生きてる。

 ちょっと最近、ハナ姉との間に挟まってくる感じにも慣れてきたしな。


「英斗君さ、しらけちゃうだろ? 多分、どんな競技でも僕が勝ってしまうんだ。そういうふうに造られてしまったら、なかなか出しゃばれないものさ」

「しらけるって? しらけてるのは流輝先輩一人じゃないですか?」

「おっ、言うねえ」

「俺、馬鹿だからよくわからないことも多いけど……だから、いいか悪いかの話じゃないって感じで、聞いてくださいよ」


 俺は一度言葉を切って、静かに呼吸を整える。

 机の上で脚を組んで、流輝先輩はさして興味もなさそうに俺を見詰めていた。

 外では選手宣誓が始まってて、その声はハナ姉のものだ。

 あー、ハナ姉のチア、見てえ……!

 そんなことを考えながらも、吸って吐いた息に言葉を乗せる。


「あんた、そんなに強くて優れてるのかって話だ! 大変な生い立ちかもしれないけど、そうやって一人でしらけて、いじけててちゃなにも面白くないだろっ!」

「……ふぅん、なるほどね」

「能力だけを求められて望まれ、自由がない? でも、それから逃げてるあんたのは、自由じゃなくてただの無法だ! やりたいことがあっての行動じゃない、ただなにもしたくないだけだろ!」


 言ってやった。

 ちょっと手酷いかなとも思ったけど、言っちゃった。

 俺が思って考えた、俺の気持ちだ。

 だってそうだろ? 生徒会長に指名された時にもっとこう、やりようがあった筈だ。ハナ姉との婚約だってそう、この人はなにも意思表示していない。

 やりたくない、ということが沢山あって、その全てから逃げてる。

 やれば勝てるよといいながら、決して勝負はしないスタンスに見えるんだ。

 だったら、俺がやってやろうじゃないか!


「流輝先輩、なにか運動会の競技に出ませんか?」

「はは、僕は遠慮しとくよ」

「俺と戦えっていってるんだ! 本当に優れてるなら、それを証明してみろよ!」

「よせよせ、そんなにあおるなよー。……ちなみに英斗君、得意なこととかあるかい?」

「なんちゃってゲーマーですけど、ゲームは一通り好きですね。得意かもしれません。でも、今日は運動会なんでそれでいこうって思って」

「なるほど。それで? 僕の全勝で終わるけど、ゲームでも運動でもそう。それで僕になんのメリットがあるのかな」


 その通りだろう。

 そして、俺には差し出すものはなにもない。

 そもそも論として、理事長の息子になってる人とじゃ格が違う。でも、格の違いは魅せつけてこそだろう。力を示してもらわないと、優れてるとか能力がとか、馬鹿な俺にはわからない。納得出来ないんだ。

 でも、図々しいことに俺が勝ったら……やってほしいことは決まっていた。


「俺が勝ったら! 生徒会長を真面目にやってもらう!」

「ほんで? 僕が勝ったら?」

「えっと、なにかほしいものとかないすか? ぶっちゃけノープランだったんですけど」

「はははっ! やっぱり君、面白いねえ! でも、僕はねえ………………欲しい物なんてないんだ、なにもね」


 嘘だと思った。

 妙な間があって、その短い沈黙は一瞬。

 それでも、確かにそこに流輝先輩はなにかを想って、考えた。

 そして、その瞬間に凛とした声が挟まってきた。


「へえ、言うじゃないか。流輝、はっきり言って今……キミ、滅茶苦茶めちゃくちゃ恰好悪いぜー?」


 振り向くと、そこには沙恋先輩が立っていた。

 ロングコートかってくらい丈の長い詰め襟を着て、白手袋で腕組みしている。

 そして、いつもの不敵な笑みがなんだか冷たく凍っていた。

 まるで氷の刃みたいで、俺の背中を悪寒が走る。

 怒ってるんだとすぐにわかった。

 けど、流輝は全くペースを乱さない。


「普通にダサい、見てられない。笑っちゃうね、ホント……流輝、本当になんでも自分が一番だと思ってるのかい?」

「いや、厳然たる事実だと思ってさ。結果の決まった勝負って、そりゃ僕も冷めるよ」

「冷めてるフリして逃げてるだけだろう? クソダサ臆病兄貴。英斗クンの方が八倍は格好いいぞ?」


 どういう基準で八倍かはわからないけど、沙恋先輩は俺の隣まで来て流輝先輩を睨んだ。

 そして、とんでもないことを言い放つ。


「今日の運動会、英斗クンが一回でもキミに勝ったら……観念して、生徒会長やるんだね。そのかわり、一勝もできなかったら……

「それは」

御統学園みすまるがくえんの伝統、生徒会長は前任者の指名によってのみ決まるんだろう? ボクを指名するといい。どうせ来年は三年生で、ボクに回ってきそうな気はしてたしね」


 妙な緊迫感が広がってゆく。

 外では花火が上がって、いよいよ大運動会が始まった。

 けど、それもまるで遠い国の出来事のようで、窓一枚を隔てたこの教室には重苦しい沈黙が横たわっていた。

 沙恋先輩は鋭い楔で流輝先輩の心を穿った。

 心の隙間に挟まったまま、それはグイグイと進んでゆく。


「どう? やるの、やらないの? 流輝、キミがなにもしないお陰で、困ってる人が沢山いるんだ。だったら、ちゃんと手続きを踏んでやめればいい。男らしくしさ」

「こりゃまた厳しい、それと……ちょっと前時代的じゃない?」

「キミは男になることを選んだじゃないか」

「君と違ってね。……ふむ、まあいい。やろう、やってみようか」


 ひょいと流輝先輩は机から飛び降りた。

 そのままポケットに両手を突っ込むと、教室を出てゆこうとする。

 その背中を俺は見送り、なんだか寂しそうだと思った。

 孤高にして孤独、そういう雰囲気だ。

 でも、沙恋先輩の言う通り格好悪いと思う。

 そして、そんな流輝先輩にも友達がいて、楽しい場所があったことを思い出した。

 流輝先輩がいなくなると、隣に「ふー!」と緊張感が切れた声が響いた。


「英斗クン、キミってやつは……やるね! こいつめ、恰好いいぞ男の子だぞっ!」

「ちょ、ちょっと、叩かないでくださいよ」


 背中をバシバシとはたかれた。

 そして、沙恋先輩は満面の笑みに変わる。

 とても眩しくて、いつもの先輩らしい笑顔だった。


「けど、流輝は強いよ。なんていうか、さ。馬鹿な大人が造った『優れた新人類』ってキャッチコピーの完成品なんだ。で、ボクはその出来損ないという訳だ」

「はあ……あっ! ひょっとして、沙恋先輩の疲れやすい体質って」

「そう。ウルトラマンみたいにね、数分でスタミナが切れちゃうんだよね。あと……残念だけど、研究所に隔離されてたころからずっと、ボクは流輝に勝ったことがない。なにをやってもね」


 そう言って俯きつつ、しれっと沙恋先輩は小さく舌を出した。


「あ、でも、かわいさはボクの勝ちかな。それに、甲斐甲斐しいし性格いいし」

「そーですねー、ほんと……いい性格してますよ」

「だろ? さあ、アイツの鼻を明かしてやろう。ボクも手伝う、だってボクは助っ人部の部長だからね!」


 今日ほど、沙恋先輩が頼もしいと思ったことはない。

 そして、やっぱり気になることがある。

 流輝先輩は、男として生きることを選んだ? それって、どういう意味だろう。確かに流輝先輩も中性的な雰囲気だけど、確かに男子だなって感じはする。

 一方で、沙恋先輩は相変わらず性別不明、行方不明で謎過ぎるのだった。

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