日出卜英斗は腑に落ちない

 信じられない。

 だって、センターラインからだぜ? しかも、ほぼほぼノールックで、だ。

 鋭く踏み込んだまことの手を避けて、ふわりと跳んだ沙恋されん先輩。その華奢きゃしゃな姿が、やや大きすぎる体操服を棚引たなびかせていた。

 そして、体育館が静まり返る。

 ゴールのネットが揺れ終わってから、徐々に興奮が歓声に変わった。


「嘘だろ……デタラメだ」

「ふふ、でもねヒデちゃん。沙恋ちゃんって、ああいう子だから」

「そ、そういうもん?」

「運動神経はいいんだよねえ、運動神経は」

「運動神経、は? は、っていうのは」


 瞬間、疾風が吹き抜けた。

 今ので完璧に、まことのスイッチが入ってしまったんだ。

 彼女は長身が嘘のような猛スピードで、ボールを拾う。そして、振り向きドリブルで走り出した。その速さは、全ての視線を置き去りにしていた。

 普通なら、あり得ない神業かみわざシュートに動揺したかもしれない。

 でも、まことは普通のスポーツ少女とは訳が違う。

 メンタルだって図太くて、いい意味で鈍感なのだ。


「くっ、狭宮沙恋はざみやされんっ! 面白い芸当だったぞ!」

「そりゃどうも」

「けど、ここからはあたしのターンだっ!」

「それもいいけど、ボクへのご褒美ほうびの話を、――ッ、!!!」


 沙恋先輩の顔色が変わった。

 その表情が、鋭利な刃物のように凍ってゆく。

 緊張感に満ちて引き締まった目元が、不思議と雄々おおしくて、凛々りりしくて。

 そして、重戦車の如く突進してくるまことの前に立ちはだかる。

 激しいマッチアップの中で、キュッキュと床がリズムを刻み始めた。

 そして俺は驚愕きょうがくに思わず声が盛れる。


「すげ……あのまことと互角に競り合ってる」


 そう、沙恋先輩は一歩も引かなかった。

 真正面からプレッシャーをかけてゆくまことは、鬼気迫るものがある。普段のボーっとした眠そうなジト目も、こういう時には無言の迫力が怖かった。

 けど、沙恋先輩だって負けてない。

 巧みな体捌たいさばきで、まことに抜く隙を全く与えてなかった。

 そして、軽口を叩く余裕まで見せてくれる。


「でっかくて強くてはやいときた! やっかいだね、まことクン!」

「……今、デカいと言ったか? あたしを、デカいと!」

「おおっと、怖い怖い。ああ、それでね、まことクン」


 不意に動きを止めた沙恋先輩が、振り返る。

 ちょうど、俺と目が合った。

 こっちを指さしてくるので、すかさずハナ姉をかばうようにして両手を広げる。

 けど、気障きざったらしくウィンクしながら沙恋先輩は余裕の笑みを取り戻した。


「一日中借りて好きにできちゃうとか、どう? つまり、デート」

「隙ありっ!」

「ありゃりゃ? おーい、まことクン、ちょっと今のはずるいぞ?」

「真剣勝負の最中によそ見をする奴が悪いんだ!」

「そりゃ、まあ、ごもっともだね」


 まことは秒でトップスピードに乗るや、ドリブルの速さを高さへ変換する。

 そのまま、ダンク。

 苛立ちをそのまま叩きつけられたリングが、ぐわんぐわんと大きく揺れた。高校一年生とは思えない大迫力である。

 そのまま少しぶらさがって、まことは力強く着地した。

 肩越しに振り返る視線が、真っ直ぐ沙恋先輩を貫く。

 けど、やっぱり先輩はへらりと余裕の笑みだ。


「いやー、凄い! キミ、格好いいね。どう? うちの部に、助っ人部に入らない?」

「断る。あたしはこれで進学を決めたんだ。他の部に入ってどうする!」

「いや、真面目にそう言われるとねえ。ま、いいさ。続けよう」

「さっさとボールを拾え。次で終わりにしてやる」


 俺は自然と、声を張り上げた。

 ちょっと流石さすがに、イラッとした。それに、ここでビシッと言っておくのが彼氏ってもんだろう! だから俺は、周りの目も気にせず叫ぶ。


「沙恋先輩っ! ハナ姉は物じゃない! 貸し借りとかデートとか、お断りですよ!」

「おや、キミが怒るのかい? ふむ、まあ、それはそうだね」

「まことっ! なんかよくわからんが、やっちまえ!」


 うなずきも返事もよこさず、まことは静かに身構えた。

 集中している証拠で、恐らく俺の声は届いていないかもしれない。

 けど、想いは伝わってると思いたいし、以心伝心いしんでんしんの仲なので頼もしい。

 それにしても……デートだって?

 俺だってまだ、したことないのに!

 ハナ姉とようやく再会して、一緒の時間が動き出したんだ。どこの馬の骨とも知れぬ男に……男? いや、女か? とにかく、駄目ったら駄目だ!

 そんな俺のいきどおりと焦燥感しょうそうかんが、二人の対決に注がれてゆく。

 見守る生徒たちの熱狂も最高潮に達していた。

 やいのやいのとあおってはやし立てた声の中で、二人の会話だけが通りよく届く。


「ハァ、ハァ……ふう。フィジカル強いなあ、まことクン」

「その手には乗らない。口数が多いのは焦っているからだ。息が上がってるぞ?」

「体力には自信がなくてね。……じゃあ、そろそろいこうか」

「全力でかかってこい! 英斗とハナ姉のために、やっつけてやる!」


 そう、沙恋先輩は肩を大きく上下させていた。

 表情こそいつもの不敵で不可思議な笑みだが、汗が玉と浮いてしたたる。

 それに対して、まことはまだまだ全然体力に余裕が見て取れた。

 なんだかアンバランスな人だなと思った。

 あんなに鋭い瞬発力を秘めているのに、もうガス欠らしい。


「じゃ、決めさせて、もらう、ねっ!」


 再び沙恋先輩が3ポイントシュートを狙う。

 しかし、それはもうまことも承知済みだ。あっという間に伸ばした手と手が、あらゆるシュートコースを塞いでゆく。体全体を使った見事なディフェンスだった。

 体格差が大きいので、それだけでもう沙恋先輩はドリブルしながら下がるしかない。

 そして、相手の得意技を封じた上でまことが動く。


「あたしは特待生なんだ、半端な気持ちの奴には負けないっ!」


 キュキュキュと床がビートをテンポアップさせる。

 激しい位置取りの奪い合いで、沙恋先輩もついに苦しそうな表情を垣間見せた。ちょっと意外な、それは初めて見せる顔色だ。

 けど、それだけ沙恋先輩も真剣ってことだろう。

 そして、心なしか嬉しそうにさえ思える。

 気付けばまことも先輩も、口元にはギラついた笑みを浮かべていた。


「楽しんでる、のか?」

「そみたいだねえ、ヒデちゃん。ふふ、スポーツを通じて友情が芽生えるって、わたしはアリだと思うなあ」

「いや、そういう可愛げのある関係じゃなさそうだけど」

「……ヒデちゃん、沙恋ちゃんが勝ったらどうしよっか? わたし、レンタルされちゃう?」


 ちょんと俺のそでを指で掴んで、ハナ姉が見上げてくる。

 嫌だ、絶対にノゥ!

 デートするなら、俺としてくれ! 俺がしたい! 俺は中学時代は、周囲から勝手にヤンキー認定されて灰色の青春を過ごしてきたんだ。ハナ姉と結ばれた今、俺は最高にイチャラブな青春を取り戻すんだ!

 だから、はっきりとハナ姉に気持ちを込めて伝えた。


「ハナ姉、もし沙恋先輩が勝ったら……次は俺が挑戦する。ハナ姉を、守る!」

「わわっ、でも大丈夫かな」

「勝てるかどうかじゃない、勝つんだ。だって俺……ハナ姉があいつとデートするの、嫌だよ」

「ふふ、ありがとね、ヒデちゃん。でも、あれって多分……ん、ヤだな。それは、うん」


 二人だけの空間が広がっていった。

 けど、周囲は一進一退の攻防を見やって俺たちを忘れてくれている。ハナ姉だって今は、その他大勢の中に埋もれていられた。

 そして、一際大きな歓声が上がる。


「おおっ! 狭宮がデカい一年を抜いたァ!」

「低い! そして、鋭いっ!」

「まじかよおい、せてくれるぜ狭宮よぉ!」


 呼吸をむさぼっていた沙恋先輩が、すっと息を止めた。

 そしてそのまま、シュっと消える。

 消えたかに見えた先輩の姿は、低くうようにしてまことの手をすり抜けていた。

 その時にはもう、ボールは意外な場所を素通りしている。

 信じられないことに、まことの長い両足の間をバウンドして抜けていた。沙恋先輩は、一瞬あとの自分に向かって股抜きのパスを出したのだ。


「なっ、なにっ! 狭宮沙恋っ!」

「先輩、だろ? ふふ、楽しかったよ」


 そのまま、お手本のようなレイアップを決めて……そして、沙恋先輩はその場にへたり込んだ。今度こそ完全にエネルギー切れのようで、それでも振り向き拳に親指を立ててみせた。

 なんだかそこには、ニカッと無邪気な笑顔があって不思議と怒れない。

 そして、唖然あぜんとしていたまことが駆け寄り手を伸べる。

 沙恋先輩は、まことの手を借りてヨロヨロと起き上がった。

 二人は二言三言ふたことみこと言葉を交わしていたが、なるほど本当にまことは単純な娘なんだよなあ。強者に素直に敬意を払える、それは彼女の美点の一つだ。

 で……どうしよう、沙恋先輩が勝っちゃった。


「ふふ、ふう……ハァ、ハァ、待たせた、ね……ボクの勝ちなんだけど」


 バッテバテでフラフラになりながらも、皆の拍手に応えつつ沙恋先輩が歩いてくる。

 俺はいよいよ覚悟を決めようとして、意外な言葉に「あ?」と間抜けな声を漏らしてしまった。そして、あまりの驚きに酷い目付きになってらしく、周囲がサッとしおが引くように黙ってゆく。

 俺の目の前に来て、沙恋先輩は汗に濡れた微笑みを輝かせた。


「じゃ、付き合ってもらうよ? 英斗ひでとクン。


 そう、俺だった。

 ハナ姉じゃなく、沙恋先輩の狙いは何故か俺なのだった。

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