日出卜英斗は報われない

 もろもろの行事が一通り終わって、明日から本格的な授業が始まる。それはいいんだけど、俺は放課後もいたたまれない気持ちでいっぱいだった。

 多分、もとから悪い目付きが極悪ごくあくになってると思う。

 ハナ姉を校門前で待ってるだけで、春風がひそやかに噂話を運んできてくれた。


「ちょっと、ほら……あいつよ、あの一年」

「空手部を早速シメちゃったんだって?」

「やばいじゃん、あの空手部でしょ? 勧誘うざかったから、いい気味だけど」

「ほら、すっごい顔でこっちにらんでる! いっ、行こっ! 早く行こ!」


 入学式とその次の日だけで、着実に俺の印象は最悪なものになっているみたいだ。

 ズバリ、『札付ふだつきのワル』とか『ガチのヤンキー』とか『血に飢えた狂犬クレイジードッグ』とかだ……あ、最後のやつはちょっと格好いいか? いやいや駄目だろ、実態像との剥離はくりも甚だしい。

 俺はまあ、品行方正とまではいかないけど、どこにでもいる普通の男子高校生だ。

 趣味は読書とゲーム、うんうん……いたって普通だ。

 そして、そんな俺の毎日をこれから特別にしてくれる人がいる。

 今もほら、息せき切ってこちらへ駆けてくる。


「ヒデちゃーん、お待たせーっ! ゴメンね、生徒会の打ち合わせが長引いちゃって」


 長い三つ編みを揺らしながら、ハナ姉が走ってくる。

 その姿を誰もが振り返り、口々に帰りの挨拶が連鎖していった。丁寧に笑顔で「ごきげんよう」と返事をしながら、ハナ姉は俺の前までやってくる。

 弾んだ息を整えるように、彼女は豊かな胸に手を当て微笑ほほえんだ。

 か、可愛い……橘花華たちばなはなか、学園のマドンナは俺にとっても天使だ!


「じゃ、行こっか。あ、まことちゃんは?」

「あいつ、もうバスケ部で練習するって。特待生だしな」

「そっかあ、なかなか会えないなあ。もう十年も経ってるから、もっとずっと、可愛くなってるだろうなあ」

「ん、デカくなった。なんつーか、俺よりデカいよ」

「そうなんだあ。ふふ、会うの楽しみだな。じゃ、行こっか」


 そう、行くんだ。

 一緒に帰るんだ、二人きりで下校だ。

 本当に、ずっと夢見ていた光景が広がっていた。

 親元を離れて上京、見知らぬ大都会に出てきたのもこの日のためだ。

 でも、俺はついつい注意深く周囲をキョロキョロ見渡してしまう。


「どしたの? ヒデちゃん」

「いや、あいつが……沙恋されん先輩が湧いて出そうな気がして」


 そう、不思議で不可思議、訳のわからない狭宮沙恋はざみやされんを俺は探していた。

 ゲームでいうなら、あの人はお邪魔キャラだ。とびきりのレアキャラで、まるで付きまとう影のようにそこかしこでポップする。エンカウントは不可避っぽいところもグヌヌだった。

 でも、どうやら近くにはいないらしい。

 そして、ハナ姉は「あ」という顔をして、ちょんと俺のそでを握ってきた。


「沙恋ちゃんなら、部活かな……男子に混じって、サッカーしてたよ?」

「あ、ああ。よかった……えっと、なんだっけ? 助っ人部?」


 そう、助っ人部。

 なんだそれ、どういう部活動?

 でも、すでに俺はその内容を把握しつつあるし、実際に助けられた。

 沙恋は、困ってる人を助けて回ってる。特に、多忙を極めるハナ姉をサポートしてくれてるみたいだ。物理的にも守ってくれてるらしい。

 まるで、姫君を守る騎士様だ。

 そこは俺がやりたいんだけどな……俺自身が助けられてるようじゃなあ。


「まあ、悪い人じゃなさそうだよな」

「うんっ! 沙恋ちゃん、すっごくいい子だよ? ただ、ちょっと、ふふ……心臓には悪いかな」

「同感。いつもあんな感じ?」

「そだよ? いつもいつでも、沙恋ちゃんは沙恋ちゃんなんだ。それがね、ちょっと……ふふっ」


 思い出したように、ハナ姉は小さく笑った。

 俺はそっと、袖に咲くハナ姉の手を優しくどけて、さらに手を重ねる。

 手を握られて一瞬、ハナ姉は驚いたように目を見開いた。

 けど、すぐに小さくうなずいてくれる。

 やわらかくてすべやかで、温かい手。

 俺の手の中で、そのぬくもりはしっかりと握り返してくれた。上目遣いに見上げてくる、ハナ姉のほおが桜色に染まってる。

 今この瞬間、俺は幸せの絶頂だった。


「じゃ、じゃあ、行こうぜハナ姉……今日は、二人で」

「う、うん……二人、きり、だよね」


 うおおおおっ、我が世の春が来た!

 この時点でもう、俺の高校生活最大の目標は達成されたも同然だった。悲願成就ひがんじょうじゅ、ついに俺の恋が再び始まった。十年間離れ離れだった隙間を、これから埋めていくんだ。

 けど、やっぱり恋には障害がつきものなんですかね?

 幸せな時間は、実にあっけなく終わりを告げた。

 校舎の方から、ひょろりと背の高い男子が走ってくる。ハナ姉を呼んで、書類の束を片手で振り上げての全力疾走だ。


「副会長っ! す、すみませーん! 緊急! 緊急の案件が!」


 どうやら、生徒会の役員らしい。

 マジかよ……このタイミングで? それ、本当にハナ姉がやらなきゃいけない仕事なのか? それはわからないが、はっきりしてることが一つだけあった。

 ハナ姉はいつだって、求められれば与えてしまう。望まれれば応えてしまう人なんだ。


「どしたのぉ、松井君。あ、ヒデちゃん。生徒会書紀の松井君だよっ」

「ひっ! ど、どうも……」


 ひょろっとした印象の松井君は、俺を見て一歩後ずさった。

 俺、睨んだつもりはないんだけどなあ。

 ああそうか、俺は多分ムッとしてて、それが顔に出てたのかも。それも、極悪に鋭い目つきでだ。勘弁してくれよ……でもまあ、ごめん。松井君は悪くない。

 その松井君だが、早速手にした書類を広げてまくし立てる。


「会長、ずっと忘れてたみたいで! ていうか、むしろ隠してた? あの人、ほんっとうに……それより副会長、これです! 来月の運動会の話、全くの白紙で!」

「落ち着いて、松井君。大丈夫だよ、わたしがいるから。提出の期限日は?」

一昨日おとといです! もうオーバーしてて、それで先生から確認のメールが来てて」

「そっかあ、大変。じゃ、急いで取り掛からなきゃね」

「はいっ! 今、会長を尋問してあらいざらい吐かせてます! なんか、他にもあれこれペンディングにしたままほったらかしにしてて、もう、もう……」


 なんだか松井君はもう、涙目だ。

 俺だって泣きたいよ、俺の青春……というか、ハナ姉の時間を返してくれよ。

 それにしても、ここの生徒会長ってそんなにズボラで駄目人間なのか。

 ただ、それでも生徒会が回ってて、高度な自治で学園が運営されている理由ははっきりしていた。


「大丈夫だよ、松井君。まず、今ある資料を集めて確認、すぐに作業に取り掛かろ?」

「副会長ぉ~! す、すみません、本当に」

「松井君は悪くないよ? 大丈夫、大丈夫だから。……わたしに任せて、ね?」


 松井君の背を優しくさすりながら、ハナ姉は笑顔で俺の手を離した。

 昔からそうだ、知っている。熟知してるし、思い知ってる。

 ハナ姉は、優しいんだ。

 切なくなるくらいに、優しい。

 困ってる人を見過ごせない、俺はそんなハナ姉が好きなんだ。

 松井君はわずかに安堵の表情を見せると、生徒会室で待ってるとだけ言い残して去っていった。走る背中は心なしか、先程よりずっと安心が感じられる。

 そして、ハナ姉は俺を見上げてムムーと小さく唸る。


「……ごめんね、ヒデちゃん」

「いいって、ハナ姉。行ってやってよ。俺たち……今日から毎日、これからずっと一緒なんだし」

「うん。でも……でもね、わたし……一緒なだけじゃもう、少しヤだから」


 突然、ハナ姉は俺に抱きついてきた。

 ギュムと抱き締められて、俺はビクリ! と身を震わせる。抱き締め返そうなどという思考も気持ちもフリーズしちゃって、ただただ虚空に手をワキワキさせるだけだった。

 たっぷり数秒、ハナ姉は俺に密着して深呼吸。

 そして、ぱっと弾かれたように離れて走り出す。

 一度だけ振り向き、俺に手を振ってくれた。


「ヒデちゃん、またね!  ヒデニウム充填完了だよっ! わたし、頑張る!」

「お、おうー……って、ヒデニウム?」

「ヒデちゃんからしか得られない、わたしの元気のみなもと! ずっとわたしの中に貯めてて、少しずつ使ってきたけど……今日からもう、遠慮なくもらっちゃうねっ!」


 それだけ言って、小柄な背中は去っていった。

 やっぱり、ハナ姉は変わらないな。そして、俺のハナ姉への気持ちも変わってない。だからまあ、今日はしかたない。

 あせるな、俺……がっつくな、クールにクレバーにだ。

 よく考えてみたら、すで薔薇色ばらいろの学園生活が約束されてるじゃないか。

 そう思ってると、頭上から声が降ってきた。


「おやおや、キミは本当にお人好ひとよしだね。ハナとの逢瀬おうせを前に、残念だよ」


 咄嗟とっさに振り返って、涼やかな視線を見上げる。

 校門の横にそびえる木の上に、ジャージ姿の沙恋先輩がいた。先輩はひたいの汗を手の甲で拭って、颯爽さっそうと飛び降りてくる。

 華麗に着地して、ちょっとよろける。

 慌てて駆け寄った俺は、そっと手をのべ支えた。

 沙恋先輩はなんだか、妙にひんやりとしてて冷たい感触を伝えてきた。


「危ないですって、沙恋先輩! ……いーんですよ、ハナ姉って昔からああいう人ですから」

「おっと、ありがとう。そうか、キミたちは幼馴染おさななじみだったね。それと、彼女も」

「彼女も? それって――」

「ボクはどうやら、あの子を怒らせてしまったみたいだぜ? さて、どうしようか」


 なんだか訳がわからなくて、ただただにんまり笑う沙恋先輩に俺は小首をかしげた。

 だが、すぐに理解した。

 

 そして、いつものジト目があきれたような、どこか問い詰めるような眼差まなざしで俺を見ているのだった。

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