かくして安らぎは遠く

間川 レイ

第1話

1.

 死にたい、と。生まれて初めて思ったのは、一体いつのことだっただろうか。泡のように消えて、こんなにも苦しい世界から逃げ出したいと、初めて思ったのは。


 その感情は、私にとって、呼吸するようにあまりに当たり前で、ずっと抱き続けてきた感情だったから、具体的に「いつから」を答えるのは難しい。だけど、少なくとも、小学生のころ。私が、本格的に中学受験を目指し始めたころには、すでに、そんな気持ちはあったように思う。


 なんで、中学受験を目指しだしたか、なんて。そんな遠い昔のこと、もう覚えていない。せいぜいが、名門私立中高を卒業した父さんの話を聞いて、ぼんやりと私立中学というのもいいなと憧れたことぐらいだろう。そこに、最近荒れ具合の甚だしい地元中学への進学を心配した両親の意向が合わさって、私は私立中学受験を目指すことになった。


 もしもの話だが、もし私が、真に優秀なら、この後の苦労はなかったのだろう。あるいは私が、もっと頑張り屋さんなら、両親も私をあそこまで心配しなかったに違いない。


 だけど、残念なことに私はそのどちらでもなかった。私はまだ、友達と遊びたい盛りの10台前半の女の子で、せいぜいが国語と歴史が大好きで、ついでに男友達に交じって野球をするのが好きというぐらいの、ちょっと変わった、だけどごくごく平凡な子でしかなかったのだ。


 そんな私と、厳しい受験戦争、就職戦争を潜り抜け、やるからには徹底的にという価値観を持つに至った私の両親との間に、温度差があるのは明白だった。塾には通っていたけれど、正直なところ塾の宿題だっていい加減。それよりも、所属している地域の野球クラブの練習のほうに熱心で、来る日も来る日も外が暗くなるまで練習に明け暮れた。そして家に帰ると、その疲れから塾の宿題も学校の宿題も放り出して、泥のように眠る毎日。このままではいけない、と両親が危機感を抱くのも時間の問題だった。


 そして、きっかけになったのは、小学4年の夏。通っていた塾での県内統一模試の結果が返ってきたことが最後のきっかけだった。それは、散々たるありさまだった。あまりに無様な結果だった。算数 偏差値38。国語 偏差値41。塾の中でも下から数えたほうが早いような成績。このままでは、私立中学どころか、公立中学ですら落ちこぼれかねないような成績だった。


 両親の判断は迅速だった。習字、お茶、お琴。私の習っていたお稽古事はすぐさますべて取りやめになった。それだけでなく、私が愛してやまなかった野球クラブも、やめることになった。随分泣いて抵抗したことを今でもよく覚えている。それでも、今がどれだけ危機的か、今どれほど努力しなければならないかという両親の説得により、最終的には私も、習い事をやめることに同意した。


 それからの生活は激変した。これまで習い事にあてていた時間はすべて塾に置き換わった。それだけではない。家に帰ってからも父さんや母さんの監督のもと、自主学習に励むことになった。文字通り朝から晩まで。そうしなければこの子は落ちこぼれるという愚痴をBGMにしながら。でも私に不満はなかった。このままではいけない、その危機感は私にもあったから。


 あとは父さんや母さんの教え方がうまかったのもある。私は、乾いたスポンジが水を吸い込むように、ぐんぐんと遅れを取り戻していった。おかげで数か月後には、国語 偏差値58 算数偏差値56と、第一志望はまだ遠くても、少なくとも第二志望の中学は射程にとらえつつあった。塾の先生にはよく頑張ったと褒められ、私ももっと頑張ろうと心に誓っていた。それと同時にこうも思っていたのだ。これで多少、両親の心配も和らぐだろうと。そうでなくとも、苦労を掛けている自覚ぐらいは子供心にもあったのだ。それでもしっかり努力すれば結果を残していくことができた。この調子で勉強を続けていけばきっとと私は届く。私はそう信じていたのだ。


 だが、両親はそうは思わなかった。確かにこのままいけば届くだろう。だが、それだけでは足りない。もっと上を目指させなければ。そういう焦りが、両親の言動から透けて見えるようになった。日々の指導はますます厳しくなった。求められる問題の難易度は日増しに上がり、私の脳みそでは理解が困難な問題に出くわすことも増えた。両親の指導にも、私へのいら立ちが明らかに見て取れるようになった。「なんでこんな問題も解けないの。頭悪いな」何気なく放たれた言葉たちが、私を切り刻んでいった。


 それでも私は頑張った。両親をいら立たせている原因は私だという自覚があったから。少しでもいい成績をとって、両親に安心してもらおうと私は頑張った。その甲斐あって、小学5年生の夏ごろには、国語 偏差値61 算数偏差値58と、第一志望校を着実に射程に収めつつあった。これなら多少なりとも両親を安心させられるはず。そんな確信とともに結果を見せに行った私は、母さんにあっさりと嗤われた。「全然良く無いよ、その成績」。私は初めて勉強がつらいと思った。


 だが私はめげなかった。確かに、現段階では合格確実とは言い難い。もっともっと頑張らなければ、そうそう両親も安心はできないだろう。だから私はもっと頑張らなければならないのだ。私はそう決意も新たに努力した。両親からの指導は、さらにも増して厳しくなった。与えられる問題は第一志望校の域を越え、さらに上へ。投げかけられる言葉はさらに鋭利になった。この問題そんなに難しい?なんであんたが理解できないのかがわからないんだけど。びっくりするぐらい頭悪いね。そんな言葉に交じって、暴力まで降りかかるようになった。そんなところで間違えるなこの屑と頭を鷲づかみにして机にたたきつけ、身を守るために頭を庇えば大人を馬鹿にしているのかと力いっぱい殴られた。


 だが、私は頑張った。確かに、両親が私に怒るのは無理もない。同じところを間違えるし、勉強習慣が根付いているとも言い難い。私の将来を心配するのも当然のことだ。それに、私は、私自身が恵まれているほうだという自覚があった。何せ、実家はそれなりには裕福で、私立の中学受験を許してくれてばかりか、そのための塾のお金だって惜しまない。教え方は確かに厳しいけど、その内容は理路整然としていて、何より二人とも仕事でくたくたのはずなのに私のために時間を割いてくれている。時間になったら美味しいご飯だって作ってもらえるし、家の手伝いより勉強を優先したって怒られない。私はただ、ひたすらに勉強さえしていれば、衣食住を保証されるのだ。


 それはなんて幸福なことなんだろう。ぐるりと世界を見渡してみるがいい。遠い他国を見ずとも、親に恵まれず、理不尽な暴力に振るわれる子供たちや、勉強したくとも塾や学校に通わせてもらえない子供たちの話なんて、山のように聞く。だから私は、その子たちの分まで頑張らなければいけないのだ。


 そう思って私は頑張った。そして小学6年生のころには国語 偏差値65、算数 偏差値60とさらに伸ばし、塾の先生には第一志望の合格は確実と太鼓判を押してもらった。そして何より嬉しかったのは、母さんに「悪くないんじゃない」と褒めてもらったことだ。その時の母さんは、少なからず安心した顔をしていて。不甲斐ない私でもやっと私はここまでこれたと、胸がいっぱいになる心地だった。父さんは何も言わなかったけれど、きっと合格すれば、父さんも安心させられる。多少なりとも立派になったと認めてもらえる。そうすれば褒めてもらえるかもしれない。そう思って私は決して手を抜くことなく頑張った。そう、頑張ったのだ。決して手を緩めることなく。


 だけど私は失敗した。結果は不合格。補欠合格にすらひっかからなかった。塾の先生はそんな馬鹿なという表情を見せ、私より成績の悪い子たちがこぞって私の第一志望の学校に受かっていくのを見るのは辛かった。


 でも本当につらかったのは、「どうしてなの」と泣く母さんと、諦めたようにため息を吐く父さんの姿だった。私なんて、生まれてこなければよかったのにと心から思った。このまま死んでしまったほうがみんなのためになるのに、どうして私は生きているのだろうと。私の自室から、はるか下にある道路を見下ろして、ここから飛び降りたらどれほど楽になることか、なんて考えたりもした。だって死ねば、もう、これ以上頑張らなくてもいいのだから。それが、私の生まれて初めて死にたいと願った時だった。


2.

 渋々ながら第二志望の中学に進学した私は、それはもう、強烈に腐った。私の頭にあるのは、あれだけ頑張ったのに、どうしてということばかり。あれだけ勉強してもまだ届かないというのなら、あと私はどれだけ頑張らなければならないというの。そう考えるだけで、胃の奥底からひっくり返るような、猛烈な不快感に襲われた。いや、それだけならいい。また私が頑張って、再び次も失敗したら。今度こそ私は、壊れてしまう。そんな奇妙な確信にも似た予感があった。そう、きっと私は生きていけないだろう。次も失敗してしまったら。中学受験失敗の時の悲しみをもう一度味わうのは嫌だった。また、父さんや母さんを失望させてしまう。あの失望のまなざしを向けられると、心の奥底がぞわぞわするのだ。そして叫びだしたくなってしまう。何を叫びたくなるわけでもない。ただ、得体のしれないことを、無性に、がむしゃらに叫びだしたくなってしまうのだ。そして、失敗しないためにはただ一つ。努力するしかない。努力するしかないことは私だってよくわかっているのだ。


 でもやっぱり机を前にすると思ってしまう。あれだけ頑張ったのに、まだ足りないなんて。まだ勉強しなければならないというの。そう考えるだけで頭はぼーっと、霞がかったようになる。その霞は、私が深く物事を考えるのを妨げるようで、考えようとしても無理やり考えるのをやめさせてくるような、言語化しにくい奇妙な不快感があった。


 その不快感から逃れるように、私は読書に没頭した。好きな本を読んでいるときだけは、頭に靄もかからなかったから。それに、小説の世界なら私は何者にもなることができた。バッテリーを読んでは、少年野球部に入っていたころともに甲子園を目指そうといったことを思い出し、ハリーポッタ―シリーズを読んでは神秘溢れる世界に憧れた。小説を読んでいるときだけ、私はすべてを忘れられた。勉強しなければならないことも、もっともっと頑張る必要があることも。小説を読んでいると、まるでふわふわのお布団に包まれているような、ポカポカした気持ちになる。その感覚のあまりに居心地のいいこと。私は、次第に勉強より読書に夢中になった。かつてのようにやるべき勉強から目をそらして。愚かにも私は、本を読み続けた


 当たり前といえば当たり前だが、当然のごとく成績は下がった。当然のように両親は激怒した。こんな成績で将来一体どうするつもりなのか。そう言って私を殴ったりもした。私は避けなかった。だって両親の怒りは正当だから。将来を考えるのであれば、趣味なんてほっぽり出してただひたすらに勉強するしかない。そのことはよくわかっている。よくわかっているのだ。だけど、私は怖かった。もう一度失敗することが。まだ頑張らなければいけないということが苦しくて苦しくてたまらなかった。でもそんな気持ち、打ち明けるわけにはいかなかった。だってそんな気持ち、理解してもらえるとは思わなかったから。


 以前それとなく勉強がつらいということを言ったことがある。心底見下した目で、全然努力していないあなたが何を言っているのと言われた。違うのだ。私はそう叫びたかった。私は私なりに頑張ろうとしている。でももう私は限界なのだ。もう頑張れそうにない。少しでいいから休ませてほしいのだ。そう思った。でも口にはしなかった。だったら学校辞めれば?と言われることはわかりきっていたから。学校をやめて私はどうすればいい。今更公立の学校に行ってうまく行くわけがない。実際私立から公立に移って酷いいじめを受けた子の話なんて、星の数ほどある。だから私は口をつぐむ。そして努力のまねごとを続けるのだ。涙がこぼれても。夜中げえげえとトイレで吐いても。


 私は、ぼんやりと死にたいと思うようになった。今すぐ積極的に死にたいわけではない。それこそ手首を切ったり首を吊ったりするのは怖い。でも、生きていたいわけではなかった。生きていれば、努力し続けなければならないことは明らかだったから。それに、父さんや母さんに怒鳴られ殴られるのが嫌だった。殴られたりすれば涙が出るぐらい痛いし、面と向かって屑だのボケと罵られ続けていれば、さすがに心に来る。


 それにあんまり怒鳴られ、殴られしていると次第に心が凍り付いていくような感じがするのだ。あらゆるものに興味が失われ、殴られても、怒鳴られても、どこか遠い世界のことのように感じられてしまう。私は壊れ始めているのだ。そんな自覚があった。殴られるたび、怒鳴られるたび、かつて私の人間であった部分が凍り始めていく。何も感じなくて済むように。それは自分として認識できる領域が、徐々に狭まっていくような感覚。それは自分が自分でなくなっていくような、ぼんやりとした恐怖でもあった。だから私は死にたかった。自分が自分でいられるうちに。手首を切る勇気は、まだなかったけれど。


3.

 エスカレーター式に高校に上がった私の成績は、まるで年齢の上昇と反比例するように相変わらず下がっていった。勉強していないわけではない。努力していないわけではない。それでも何かが欠けていたのだろう。私の成績は下降の一途だった。そして、そんな姿は私の両親にとって相当不甲斐なく映ったに違いない。また、そんな状態でありながら文化祭や体育祭に生徒会メンバーとして積極的に参加する私の姿は、遊び惚けていると映ったのかもしれない。私は私でいるために、ただ息抜きの場を求めただけなのに。

 

 勉強を教えてくれることはもうなかったけれど、その代わりと言っては何だが両親の姿勢は日に日に厳しくなった。両親は私の家での一挙一動に苛立ちを感じるようになったかのようだった。しまいには、朝おはよう、と挨拶をすれば舌打ちで返され、家の中ですれ違う度、憎々し気な目を向けられる。それだけならまだいい。成績面での叱責は、いよいよ厳しいものとなった。


 なぜもっと勉強しない、なぜもっと努力しないと文字通り絶叫しながら私の髪を引きずり回す父さん。何度も何度も私の頭を壁に打ち付けたりした。食事の時間中ずっと私の下がった成績について嫌味を言い続ける母さん。幼い妹に、お姉ちゃんみたいになったらだめよ、なんて言い聞かせるのはざらだった。そうしたものにはまだ耐えられた。ただ何より辛いのは、そうした私への態度の裏に透けて見える私への強い失望と、もはや憎悪にも似た強い怒りだった。


 そうした目を向けられるたびに、私の心は小さく震える。どうしてそんな目を向けるの。私は、これでも一生懸命努力しているのに。私はできる全力を常に尽くしているのに。それに、私を殴るのはもうやめて。成績が悪くてごめんなさい。出来損ないでごめんなさい。だからもう殴るのはもうやめて。殴られると本当に、本当に痛いし、何よりそんな目を向けられると魂に来るのだ。私は実の両親にそんな目をさせるほど悪いことをしたのか、なんて。生きていて、ごめんなさい。生まれてきて、ごめんなさい。そう思い続ける日々だった。


 なぜ人生とはこんなにも苦しいものだろう、なんて。そんなことばかり考えるようになった。私はこんなにも努力しているのに、成績は上がらない。努力しても努力しても、先が見えない。その努力さえ、頭にかかった靄と慢性的な吐き気で邪魔される。私はもっと頑張らなければならないのに。他の子たちは、もっと頑張っているのに、こんなことになる私はきっと、人間として欠陥製品なんだろうって。ああ、きっと。もし私が機械のように、余計なことを考えずコンスタントに努力を重ねられる人間なら、きっと私はこんな苦労をせずに済んだのだろう。父さんや母さんを失望させることもなかったに違いない。だけど私には、余計な感情があった、自我があった。


 そうだ。私は気づいた。感情や自我なんてものがあるから人間は苦しむのだ。もしも感情や自我をお手軽に放棄することができれば、それはきっと、幸福に違いない。だってそうだろう、感情や自我なんてものがなければ、もう私はこんなにも苦しむこともなくなるのだから。そうすればきっと私は救われる。楽になれる。その考えはまさしく天啓だった。やっと私は救われるんだ。そう思うだけでこのところ重たくてたまらなかった体も、ふわふわと弾むかのようだった。世界だって彩を取り戻したかのようによく見える。私ががたんと倒した椅子の音だって、それはさながら天上のしらべ。


 そうと決まれば話は早かった。浴室に行き、父さんの安全剃刀を一つ拝借。湯船にお湯を張るのを待つ時間だってもどかしい。景気づけにこれまた同じく拝借した缶チューハイを一気飲み。味は桃味。お酒なんて初めて飲むけれど、ジュースみたいなのにジュースよりコクがあっておいしかった。程よくお湯がたまり、頭も程よくぼんやりしてきたところで、私は自分の腕を湯に浸らせ、ゆっくりと手首に剃刀を走らせる。チクり、とした痛みが走るけれど、想像していたよりはずっと痛くなかった。それこそ父さんに殴られたほうがずっと痛い。お酒の力か、それとも。


 ゆっくりとお湯の中で真っ赤な糸のように揺らめく私の血。徐々に徐々に湯船が真っ赤に染まっていく。脈拍とともに、私の体から何かが流れ出していくのを感じる。それは血なんて物質的な物だけじゃなくて、私を構成する魂とか、そんなものも一緒に流れ出して言っているに違いない。その証拠にだんだん眠たくなってきた。自分というのが、どんどん小さくなっていくのを感じる。それでも全然怖くない。むしろお湯に浸した熱がポカポカと広がって、いい気分。こんなにいい気分なら、もっと早くにこうしておけばよかった。そんな思考を最後に、私の意識は闇に飲み込まれた。


4.

 次に目を覚ましたのは、奇妙に白一色で統一された部屋の一室だった。壁紙は白、天井からつるされたレースも白。体は鉛が詰め込まれたように重くって、体勢からするにどうやらベッドの上に寝かされているかのようだった。


「ここは……。」


 思わず呻く。とたん、がばと私に覆いかぶさるものがあった。それはふんわりとして柔らかかった。それは、甘くて懐かしい香りがした。それは母さんだった。


 母さんは見たことない程顔を涙でぐちゃぐちゃにしながら、「よかった、よかった」と繰り返す。「あんたが死んだら私は生きていけない」。そう泣きじゃくる母さん。ようやく私は自分が病室にいることに気づいた。部屋を見渡せば医師と思わしき人に交じって、同じく泣いている妹に、どことなく安堵した雰囲気を漂わせている父さん。父さんのあんな表情なんて初めて見るな、なんてぼんやりと考える。


 別にそこまで嫌われてなかったんだ。そう内心呟く。軽い驚きとともに。本来なら喜ぶべき場面なのだろう。だが私の心には何も響かなかった。響くものを失ったかのように、酷くがらんどうな心地がそこにはあった。ただ、ふーんという、どこまでも他人事で、無関心な、ただの事象としてしか受け止められなかった。例えるなら、もう一人の自分がいて、もう一人の自分を曇りガラス越しに眺めているかのような心地。そのぐらい、どうでもよかった。


 あるのは、ただ失敗したという意識のみ。それと、耐えがたい喪失感。あの軽く、ふわふわとした浮遊感の中で、私というものが徐々に消失していく感覚。あれこそが死というものなのだろう。あの死に向かう中での感覚を言葉にすることは難しい。あの、奇妙にふわふわとした、微睡にも似た優しい感覚。それと同時に感じるのはああ、自分は死ぬのだとすとんと腑に落ちると言えばいいのか、人間があるべき場所に収まるような、不思議な納得感。その感覚は、一言で言うのなら甘美だった。やっと、たどり着けるという充足感といってもいいかもしれない。私はそれを奪われた。私はあの奇妙な充足感を一生忘れることはできないだろう。きっと私は再び自殺を試みる。あのたどり着くべき充足感を味わうために。


 だから私は小さく謝るのだ。「ごめんなさい」と。


 「いいのよ」と抱きしめてくる母さんの腕が、酷く煩わしかった。









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かくして安らぎは遠く 間川 レイ @tsuyomasu0418

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