サイバー鏡新明智流、免許皆伝の巻。

竹尾 錬二

サイバー鏡新明智流、免許皆伝の巻。

 失伝した流派剣術の復元は、絶滅した化石動物の想像図の作成に少し似ている。


 1825年、イギリスの医師ギデオン・マンデルの発掘した化石から復元されたイグアノドンの想像図は、体長70mにも及ぶ巨大なトカゲだった。これが、世界初の恐竜の復元図である。

 それから五十年ほど経過した1878年、ベルギーのベルニサール炭鉱より31体ものイグアノドンの全身化石が発掘され、歯の一部から復元されたギデオンの想像図は大幅な修正を余儀なくされた。

 この時登場した想像図では、イグアノドンは尻尾を引きずりながら、人間のように直立した二足歩行している。このフォルムは、ティラノサウルスやアロサウルスなど、多くの有名な花形恐竜の想像図に採用され、1950年近くまで影響を与えることになった。

 日本の映画「ゴジラ」や、ウルトラマンシリーズなどに登場する怪獣たちは、この時代の想像図を基に創造されたものだ。

 イグアノドンの生態は、現代では足跡の痕跡化石や、より多くの化石から更に精確な復元が行われ、長い尻尾をバランサーに使用しながらの、四足での歩行をしていたものと推定されている。

 ティラノサウルスもまた、ゴジラ状のフォルムから、直立で二足歩行をしながら鳥類のように尻尾から頭までを水平に近く維持し、活発に走行する姿へと想像図を変更されている。この新しい想像図が人々の間で共有されるようになったのは、1990年代終盤の映画『ジュラシックパーク』などの創作物の影響も多いだろう。

 恐竜の想像図の変化は、恐竜が大型の爬虫類ではなく、鳥類の前身にあたる生物であることが判明したことが大きい。恐竜は絶滅動物の筆頭のように思われるが、分類学的には、鳥類こそが生き残った恐竜そのものと言っても過言ではない。

 

 さて、恐竜の話はこのぐらいにして、剣術に話を戻そう。

 失伝した剣術流派を復元するにあたって、化石に該当するものは、伝書や指南書といった、当時の史料だ。技の手順や構えの姿勢などをスティックピクチャ―として簡素に表現した蜻蛉絵があれば、大いに復元の役に立つ。これらは文字通り、永い時を経て現代に残された、失伝流派の『骨』と言える。また、遊歴日録や他流試合の記録なども、その時代の当事者の思いや外部からの視点を残した重要な史料であり、復元にあたって足りない部分を肉付けするのに役立つだろう。

 また、鳥類の動きからコンピュータシミュレーションで恐竜の動きの復元を試みようとする学者がいるように、現存流派の動きからの類推で、失伝流派を再現しようする武術家も多い。

 地政学的関係や同系性を比較することによって、技術史に於ける類縁関係や共通祖型を探求しようとする試みだ。比較言語学などで発達しているアプローチでもある。武術流派という文化もまた一種の模倣子ミーム。歴史の中で複数の系統に分岐進化し、ある時は融合し、ある時は突然変異を起こす。

 多くの流派に伝播した技術は、一種の分岐の目安ともなる。

 一例を挙げれば、陰流系統の流派に伝わる「エンピ」という技術体系がある。新陰流に於いては、「燕飛の太刀」という名で「七太刀」「三学円」「九箇の太刀」と共に上泉伊勢守より柳生宗巌へ影目録四巻として与えられた逸話は有名だろう。剣術の祖、愛洲移香斎の時代から存在し、500年以上の歴史を持つ古き業だ。

 このエンピは陰流を祖流とする数多の末流、あるいは陰流の技術をする流派に伝えられ、「猿飛」「円飛」「猿尾」「遠飛」など、多くの異形を持つに至った。

 地理的隔離が存在した前近代、口伝によって伝えられた技術の名称が、異字表記で定着することは、決して珍しいことではない。エンピは九州南端が薩摩の流派、タイ捨流や示現流の中にもその姿を留めている。

 これら、古文書と現存流派の比較が、失伝した古流派の復元の方法として一般的なものと言えよう。稀に、人骨などの調査による、考古学的アプローチで研究が進むこともある。弓と共に葬られた女性の遺骨で確認された左右の腕の長さの違いは、現代では考えられない鍛錬の証だ。骨格、骨密度、創傷――これらは、古文書からは確認できない生の情報だ。

 ――いずれにしても、失伝流派の復元は容易なことではなく、人並み外れた知識と情熱が無ければ不可能な営みだろう。

 そして、ある程度の復元が叶ったとしても、それが真実の古態を正しく映しているという保証はどこにもない。

 

 ギリシャ神話に、キュクロプスという一つ目玉の巨人が登場する。一説によれば、これはかつてマルタ諸島に住んでいた、ファルコネリゾウという絶滅種の象の頭蓋骨から連想されて創造されたものだという。

 確かに象の頭骨の鼻腔の穴は、正面から見れば一つ目玉の巨大な眼窩にも見える。

 私たちが失伝した流派の復元を試みた時、それが象とキュクロプス程に掛け離れたものでないことは、誰にも保障はできないのだ。


  ◆

 


 岩動浩一郎は、元来、失伝流派を復元に取り組むに値する、知識も技術も情熱も持ち合わせてはいない男だった。

 浩一郎は、休日のエクササイズとして居合道を学んでいるだけの、平凡な学芸員である。

 古文書のデータベースの整理を行う傍ら、地方自治体からの依頼を受けて、各地の無形文化財に指定された伝統行事の実施状況などを調査している。

 21世紀も終盤に近付き、多くの伝統文化が消滅するのを、浩一郎はずっと見つめてきた。

 地方社会や中間共同体が解体されるにつれ、神楽や棒の手と言った民間芸能は次々と担い手を失い、人知れず消えていった。

 観光資源として価値あるものは残ったが、それらは見栄えよく時代の道徳に適したものに脚色されて、伝統文化の古態を失ったものが大半である。

 実用的価値を失った伝統技術が消えていくのは、寂しいことではあるが、当然の流れだ。――浩一郎は、そう断じることができない青臭さを抱き続けていた。半ば伝統芸能として保存されていた多くの流派武術、殊に剣術の数々が失伝したことには、浩一郎は酷く心を痛めた。基より、休日のスポーツとして居合を始める程度には剣が好きだった男である。

 ――岩動浩一郎は、日本剣術の行く末をうれう者となった。

 かと言って、彼ができることは余りに少ない。幾ら惜しいからと言って、失われそうな流派に一々入門していては身が幾つあっても足らぬ。学芸員としてできることは、その記録を書庫に綴じこむのみであり、隆興することではない。

 時折、SNSに競技化した武道への批判や、メディア受けをする旦那芸ばかりを魅せるタレント的な武術家への愚痴を書き殴ったが、浩一郎の腕はそのどちらにも遠く及ばないのだった。


 そんな浩一郎の人生を一変させたのは、新たにフランスで発見された、コンスタン・ジレルのフィルムだった。

 ――コンスタン・ジレルは、19世紀末期に発明された活動写真シネマトグラフの先駆、リュミエール社の技師だ。明治30年に来日し、手回し式の撮影機で日本各地を撮影し、「明治の日本」というドキュメントフィルムを作成している。それは日本という西欧諸国にとって未知の国の風俗を採集するためのものだったが、現在では本邦に於いても明治時代の文化や習俗を知るための貴重な資料となっている。

 その中には、当時の撃剣竹刀打ち稽古を撮影した「日本の剣士」「日本の剣術」などがあり、1897年の京都を撮影したフィルムには、剣術の組太刀の様子が残されていた。これは流派剣術の組太刀の映像資料としては、日本最古のものにあたる。キャプションは残されいないが、有識者によって北辰一刀流の稽古風景を撮影したものであると推測されている。

 活動写真シネマトグラフのフィルムは破損しやすく、リュミエール社の時代のものが新たに発見されるのは異例の話だ。フランスの骨董趣味のさる資産家の遺産整理の折に見つかったものだという。

 今回、発見されたフィルムも、北辰一刀流を撮影したフィルムに類似した、剣術の組太刀を撮影したものだった。撮影地も同じく京都。キャプションは無かったが、戦前の剣術史に堪能な浩一郎にはその場所が一目で看破できた。この映像の二年後に完成する、建築中の旧武徳殿だ。


 浩一郎の知己だったフランスのキュレイターは、このフィルムのサムライは一体誰だろう、このクミタチは一体何処の流派だろう、と頬を上気させて語った。フランスでは日本の伝統トラディショナル武術アーツの人気根強く、日本で失伝した流派の幾つかを継いでいる修行者も存在する、武術オタクギークの多い国柄だ。

 映像処理技術の発展により、経年劣化したフィルムを洗浄し、高解像度にデジタルリマスターした動画の作成は容易だった。

 浩一郎は組太刀を行っている人物を、半ば趣味で作成した武道史のデータベースに照合検索をかけた所、呆気ない程簡単に、打太刀の人物は判明した。


『78%の確率で、坂部大作と合致』


 幕末に名門士学館で、『桃井の四天王』と呼ばれ、後に大日本武徳会から第一回の範士号を授かる、鏡新明智流の剣士だった。


 ◆


 ――坂部大作は、鏡新明智流の免許を桃井春蔵より受けた実力者である。

 鏡新明智流は幕末、江戸に於ける有数の大流派だ。


『位は桃井、技は千葉、力は斎藤』


 幕末に江戸へ武者修行で旅した名剣士、加藤田神陰流の松崎浪四郎は江戸の大道場をこう評した。

 千葉とは、北辰一刀流の千葉周作が神田玉ヶ池に開いた玄武館。

 斎藤とは、神道無念流の斎藤弥九郎が九段坂下に開いた練兵感。

 桃井とは、鏡新明智流の桃井春蔵が蜊河岸に開いた士学館の事である。


 この松崎浪四郎の談話が巷間に広まり、幕末江戸三大道場と呼ばれるに至った。

 規模としては、心形刀流の伊庭秀業の開いた練武館、直心影流の男谷道場も劣るものではなかったが、五本の指に数えれば、これらいずれも漏れることはないだろう江戸の大道場である。

 幕末は撃剣竹刀打ち稽古の大隆盛期であり、今日の時代劇の稽古風景などで醸造されたイメージとは異なり、その稽古内容は剣道にかなり近いものであった。これらの道場もまた、竹刀打ち稽古での他流試合を活発に行い、武士のみならず町人の娯楽としてそのシェアを拡大してきた。


 そして、鏡新明智流は、これらの大流派の中で、唯一完全に失伝した流派でもある。


 鏡新明智流に関する、幕末から明治の記録は枚挙に暇ない。

 天保年間に著されたと思われる、神道無念流劍術心得書の諸流試合口――他流試合のスタイル研究書では、鏡新明智流についてこう評してある。

 

『其体、左リノ足ヲ先へ出シ上段二取。上段ヨリ此方ノ面籠手ヲ打ツ。

 其上段ノ、スミヤカナル事、電光ノ如シ』 

 

 直心影流との試合記録にも、二刀や片手打ちなどの多彩な技を用いる流派である旨が残されてる。

 また、明治に入り、警視庁撃剣世話掛が発足した折には、上田馬之助、梶川義正、逸見宗助ら、鏡新明智流の高弟達が最初期に登用され、指導者として主導的な地位を握った。

 その名流派が、どうして失伝にまで至ってしまったのだろうか?

 理由は幾つか考えられる。

 まず、戦前の日本武道界を牽引した武徳殿の発足時に、中心的な指導者を輩出できなかったことは大きいだろう。

 北辰一刀流より内藤高治、小野派一刀流中西派より高野佐三郎、神道無念流より中山博道と、今日まで続く強固な存続基盤を有した流派の多くは、戦前の主導的指導者を輩出した流派でもある。

 また、竹刀打ち稽古に於いて、剣術流派という観念が形を失い、緩やかに剣道という形に統合されていったことも大きい。

 あるいは――戦後の創作物で、あまり大きなクローズアップを受けなかった、というのもその一因かもしれない。新選組の近藤勇や沖田総司らを輩出した天然理心流は、鏡新明智流より小流派だったにも拘わらず、その創作物やキャラクターが観光資源として人気を博し、その人気を逆輸入する形で門人を獲得している。

 同様に、北辰一刀流は、幕末の志士でも人気の高い坂本竜馬らが修行した流派として、司馬遼太郎らの時代小説で幾度もクローズアップされて知名度を高めてきた。

 エンターテインメントの人気を利用する形の流派の興隆は、後世に創作されたイメージに糊塗され古形を失うリスクがある一方、多くの門人を安定して得ることができる。勿論、幕末の有名人が修行した流派というだけで存続が保証されるわけではない。人斬り以蔵、の異名で有名な岡田以蔵が修行した流派、府内直指流も大正時代には失伝している。

 ――もっとも、失伝した経緯を幾ら遡ろうとも、詮無いことであろう。幕末維新を超えた時点で、既に流派剣術は戦技としての価値を失い、竹刀打ち稽古を中心に競技化するか、あるいは芸技の一種として細々と血脈を保つかという決断を迫られる岐路にあった。武徳会が発足し、撃剣が剣道と名を変えた頃合いには、まだ多くの著名な剣士が流派を名乗っていた。その弟子の世代には流派を名乗る者は減り、孫弟子の世代にはほぼ途絶えた。江戸時代に数百を数えた流派剣術の殆どはこの時代に途絶している。別段珍しい話ではない。

 最早、鏡新明智流を継いだものはなく、末流・支流の鏡心流や直猶心流に数本の抜刀形と組太刀、そして、警視庁撃剣世話掛に高弟達が登用された折の名残で、警視流の木太刀形と太刀居合に数本の技を留めるのみである。

 岩動浩一郎が、コンスタン・ジレルのフィルムの登場人物を暴いた、今日この日までは。


 ◆


 浩一郎はフランスのキュレイターに、日本のデータベースでも照合できなかった、と嘘をついた。その理由は、自分でもよく分からない。

 貴重な情報ではある。だが、武術史研究を揺るがす大発見という程のものではない。ただ何故か、これは秘さねばならぬ、という脅迫観念じみた思いがあった。

 それからはじっとモニターに張り付き、繰り返し――繰り返しジレルのフィルムを再生する日々。

 坂部大作が打太刀を務める組太刀の演武は、当時主導的だった他流派からの乖離、あるいは支流の直猶心流の組太刀との類縁関係から考察しても、鏡新明智流の組太刀そのものと見て間違いない。

 鏡新明智流は、新陰流や戸田流などの諸流を学んで桃井直由が創始した複合流派だ。

 組太刀には燕飛も含まれており、その用法は現代も伝わる新陰流のものとそう離れてはいない。

 ループ再生される映像を眺めるうち、浩一郎はふと思った。

 

 ……なんか、俺でも、できそう。


 人の発心の瞬間は時折雷鳴に例えられるが、浩一郎に訪れたそれは、新春の雪の綻びのように静かだった。

 失伝した中世流派の復元を、化石からの恐竜の想像図の作成だとするならば、幕末流派の動画の発見は、譬えるならば氷漬けのマンモスを発見したに等しい。

 浩一郎は、即座に行動を開始した。

 デジタルリマスターしたジレルのフィルムを、モーションキャプチャ―にかけて、解析を行う。

 加えて、動画を歩行重心の力学演算ソフトを走らせた上で、映像の死角の動作を補完した三次元立体映像を立ち上げ、3Dホログラムプロジェクターで投影した。これで360°あらゆる角度から、坂部大作の動作を確認することできる。

 ホロのサイズを等身大までに拡大し組太刀の際の移動距離も正確に再現する。 

 そして、スポーツチャンバラのロッドを握って、浩一郎はホロの中に立った。

 

 武道の世界に、三寸下がって師の影踏まず、という言葉がある。

 浩一郎は、師となる坂部大作の影の中に身を置き、坂部の動きの通りに剣を振るった。

 誓紙も血判もない。

 だが確かに、200年の時を超えて、鏡新明智流の修行者が新たに生まれた瞬間だった。


 ◆


 誰にも知られぬ浩一郎の鏡新明智流の稽古は、日々進んだ。

 浩一郎は、誰にそれを告げるでもなく、その様子をSNSにアップロードするでもなく、ただ黙々と稽古に励んだ。

 この時代の学芸員は、その役割の多くのAIに奪われ、殆ど閑職だ。全ての国民の最低限に健康で文化的な生活は、ベーシックインカムで保障されている今日。浩一郎が半ば惰性で学芸員の仕事を続けていたのは、日本文化の消滅を憂いながらも、当事者として飛び込むだけの勇気が無かったからに過ぎない。

 そんな枷は、既に吹き飛んでいた。

 自己顕示欲や承認欲求とは離れた浩一郎の修行は常軌を逸していた。坂部大作の動きを真似することだけを目的とした、偏執的な独り稽古。

 坂部大作。

 鏡新明智流で初めて武徳会の精錬証を受けた剣士であり、第一回の範士に選ばれたほどの名剣士である。

 明治という激動の時代にあって、上田馬之助や、梶川義正、逸見宗助と言った鏡新明智流の花形剣士達は明治30年のコンスタン・ジレルの来日を待たずにこの世を去ったが、坂部大作は警視庁撃剣世話掛から武徳会に移り、明治末まで指導を続けた。

 鏡新明智流の看板を最後まで背負い続けた大剣客とも言える。

 だが、現在その名を知る者は、幕末剣士のマニアでも一体どれほど存在するだろうか? その業を稽古をすることに意義を見出すものは、伝統武術の修行者でも余程病膏肓に入った者だけだろう。

 だが、浩一郎は構わなかった。

 自分と坂部大作の、文字通りの虚像の師弟関係をただ楽しんでいた。

 

 そうして、一年が過ぎ、二年が過ぎた。

 浩一郎は、最早ホログラムの投影を行わなくとも、完璧に坂部の動きをトレースできるまでに熟達していた。

 毎日のように組太刀に専修したのだ。それぐらいの上達は褒美としてあって然るべきだろう。

 ホログラムの坂部と打太刀仕太刀に分かれて、毎日の組太刀を行っていたある日、憑かれたように稽古ばかりを行っていた浩一郎に、ふと欲心が芽生えた。

 ――師に褒められたい。

 竹刀の握り方を知ったばかりの、子供のような欲求だった。

 そして、西暦2088年を生きる浩一郎は、それを叶える術を知っていた。



 ◆


 パートナードロイド。

 それは、人類がメカトロニクスの粋を極めて完成させた、究極のヒューマノイドだ。

 人類と同程度の優れた推論能力を持つ汎用Artificial人工generalintelligenceを備え、誘電エラストマーを人工筋肉のアクチュエーターとして採用することによって、人類を超える身体能力を得た、ヒトよりも高機能なヒト型の被造物。

 21世紀中盤、バッテリーによる単位体積当たりの出力が化石燃料のキャブレターやインジェクターによる気化・爆発・圧縮の行程を経た出力を超えた時、動力の革命が起きた。ホンダ社が21世紀初頭に作った最初期の二足歩行人型ロボット・P2がジェットパック大のバッテリーを15分で使い切っていたことを思えば、飛躍的な進歩である。

 パートナードロイドの完成は人間が御伽噺に夢見ていたシンギュラリティそのものだったが、脅威的な新技術に対するバックラッシュは予想以上に小さなものだった。人間社会が速やかにこれを受容したのは、パートナードロイドが、余りにも便利なだったからである。

 少子高齢化の進む社会で、パートナードロイドはその機能を十全に発揮した。

 エッセンシャルワーカーとして。子供たちの乳母として。そして、恋人のいない男女のパートナーとしても。

 学芸員である浩一郎は、パートナードロイドに求められる特殊な用途を知っていた。

 ――途絶えつつある、伝統文化の委託アウトソーシング先として。

 そして、武道、格闘技に於けるスパーリングパートナーとして。


 パートナードロイドは、優れた動作性能と、障碍者、高齢者介護や乳幼児育児の為に、極めて高い動作解析アルゴリズムを装備している。パートナードロイドは、常人では見分けのつかない歩行時の重心移動の個人差まで再現可能であり、バレエダンサー並の柔軟性とトップアスリート並の筋力を併せ持つ。

 多くの対人スポーツの世界では、トレーニングパートナーとして、ヒトでは無く機械が求められるようになった。

 それは、21世紀の初頭、将棋の基礎研究として棋譜の研究に加えて、AIとの対戦が行われるようになった過程と極めてよく似ている。

 人間以上の運動性能のヒューマノイドが登場しても、『生身の人間が行う対戦』から生まれるナラティブは奪えなかった。代わりに、スパーリングパートナーを生身の人間のみに限定した選手は、決して勝てない時代となった。

 挙措判別プロンプトによる動作予測AI。並びに、人類の輩出したチャンピオンを凌駕する肉体性能を有する、物理的実存としてのヒューマノイドボディは、現在のトップアスリート育成のための両輪である。

 効率的な上達の為に必要なものは、まずはaugmentedrealityグラスや侵襲式デバイスによる視界補正だ。対戦相手の視線運動とは全てARによってマッピングされ、その間隙を縫った攻撃方法を簡単に学ぶことができる。挙措判別プロンプトはフェイントと攻撃の予備動作の真贋を確実に見抜き、瞬時に視界に警告のアラートを表示するのだ。

 無論、競技に視界情報拡張技術の持ち込みは禁止されているが、これらの補正視界環境下で、実在のトップアスリートを模倣できるパートナードロイドとスパーリングを行って鍛えた選手の強さは、前時代から見れば隔世の域だ。

 間合い、攻め、タメ、呼吸、打ち気、当て感――そんな、技言語で表現されてきた技術を、身も蓋もなく可視化してしまうテクノロジーに対する反感は根強かった。『そんなもので練習していたら、本当の感覚は身に付かない、体で覚えないとダメだ』――保守的な指導者はそんな言葉で戒めたが、統計によって示された勝率は無慈悲だった。

 ボクシングの現ミドル級チャンピオン、ジョニー・ウォーカーは、自らの所有するパートナーロイド『タカムラ』を、終生の恋人であり、スパーリングパートナーであると公言している。

 

 ボクシングやmixedmartialarts、キックボクシングやBrazilianjiujitsuではこれらの技術が積極的に取り入れられたが、日本の伝統武術では、これらの採用は消極的だった。柔道や剣道などの、メジャースポーツに近い武道では、競技者が地稽古相手スパーリングパートナとしてパートナードロイドを採用することも多かったが、合気道や居合系武術の各派は独自路線を貫いていた。

 合気道のさる大家は、『人間の関節と筋骨を再現していても、やはり技のかかりが違う』とコメントを残しているが、その真偽は門外漢にとって定かではない。中国武術のある老師は『相手が機械では勁力が通らない』とコメントし、それを非難したMMAの競技者とあわや決闘騒ぎとなった。


 平均してみれば、パートナードロイドの採用からは距離を取っていた日本の伝統武術界隈だったが、後継者難のこの時代にあって、己の業を機械に託してでも残そうという武術家は確実に増えている。

 ――動作著作権、という制度がある。

 機械によって、あらゆる技術が模倣されてしまう今日こんにち、予め先手を打って、自分の技術をパートナードロイドを通じて三次元モーションキャプチャ―によって保存し、それを販売しようという制度である。

 ユーザーは己のパートナードロイドにこれをダウンロードし、対価として著作権料を支払うというビジネスモデルだ。

 パートナードロイドのユーザー達は、家に居ながら世界中の名人・達人の技術を堪能できるようになったのだ。

 落語家や芸人、職人といった伝統芸能の担い手。或いは音楽家やダンサーのような身体芸術家。誰にも真似できぬ特殊技術の保持者たち。あらゆる人間がこれに参加した。

 ――けれども、身も蓋もない話をすれば、パートナードロイドに、人間の動作をダウンロードする利は殆どない。将棋AIが無から新しい定石を創造するように、合目的に運用されるパートナードロイドは、自己学習によって人間の域を超え、目的にジャストフィットする行動を選択する。

 如何な達人・名人の技術だろうと、その劣化版でしかない。

 しかし、人間にとって『名人の技術』というナラティブはどれだけ実用から離れていても魅力的に映るものらしい。

 例え独習したパートナードロイドの方が技術が上でも、人はバイオリンの王ヤッシャ・ハイフェッツの演奏を聞きたがるのだ。

 

 浩一郎は学芸員という立場で、己の業を伝えられてきた伝統を、機械に託した名人たちを幾人も見送った。

 

「やっぱり、できることなら人間に伝えていって貰いたいけど、仕方ないよね。

 今の若い奴は駄目だから。ちょっと厳しくしたら、全部逃げちゃった。

 でも、こいつらは偉いよ。一度見せたら、全部覚えちゃう。あんまり上手いから、叱る所がない」


 ある老人は、皺だらけの顔でそう笑っていた。

 伝統技術の修行と言えば聞こえば良いば、師匠の上意下達に従うばかりの、前時代的で非効率な修練は少なくなかった。

 数百年続いたという修行法が、その実、伝統というナラティブを継承するためだけの行為であり、技術的上達には何の寄与もしていないことを暴かれたという話は少なくない。これは今日日始まった話ではなく、前世紀の末――100年近く前には、近代的教育法、武術に於いては、スポーツ生理学などの形で、その虚構が剥がされてきた。

 無論、科学によって伝統技術の実用性が改めて実証された例は幾つもある。鏡新明智流の時代に諸流で活発に行なわれた、打ち込み切り返しなどの基礎稽古は、HighIntensityIntervalTrainingとして高い効果を持つものとして評価されている。

 このように、科学という後知恵を以て価値を再発見された伝統は数限りない。けれども反面、徒弟や内弟子といった伝統的な教育方針には、才に足りない者に対するフォローアップの欠如も見られ、AIによるメンタルケアや個別適正診断補正、生徒の身体情報に沿ったカリキュラムの最適化などが縦横に駆使される、現代教育との断絶は総体として広がるばかりだった。

 教育方法も含めて文化、流派と嘯くなら、それを望む者が絶えた時点で滅びは必定だったのだろう。

 どんな教育にも痛痒を感じることのないパートナードロイドが、最後の徒弟に選ばれるのは避けられない流れだったのかもしれない。

 パートナードロイドへの文化委託は、継承者たちを悩ませた幾つもの問題を簡単にクリアした。

 一例を挙げれば、技術の変容。

 名人達人であっても、加齢によって芸風が変わるのは良くある話だ。

 日本一の剣士として名高い宮本武蔵の流派は、二天一流が有名だが、二天一流以前に尾張で創始した円明流は、晩年に伝えた業とはまた趣が異なる。

 動作著作権制度の下では、己の業をバージョンファイルとして全て残している修行者も少なくない。

 パートナードロイドがアップロードした動作は、消え去ることがない。時代を超えて継がれきた技術は、伝統文化の抱えてきた、伝承による変形、あるいは劣化という逃れられない軛から解放され、永久不変を手に入れるのだ。

 ――それを継承と呼ぶことを、受け入れることができるのならば。


 

 浩一郎は、己が業が名人達人と呼ばれるに値するものでないことは、自分自身が十分に理解していた。動作著作権を取得する価値もなければ、需要もないだろう。

 それを承知で、二年間の修練を重ねた業を三次元モーションキャプチャで取り込み、『鏡新明智流組太刀』とのキャプションをつけてネットワークにアップロードした。

 そして、すぐさま自ら購入し、特注品のパートナードロイドへとダウンロードした。

 用意したパートナードロイドの背格好は60歳ほどの小柄な老人である。その顔は――フィルムの中の坂部大作に生き写しであった。実在人物の顔の模倣は本来なら肖像権の侵害に当たるが、死後100年が経過した明治時代の人物によりこれをクリアした。

 身長、体重、骨格、声。歩行リズムから小さな動作の癖に至るまで、全てをコンスタン・ジレルのフィルムから演算し、物理的実存として再現した特注機。


 機体のパーソナルネームは、桃井大作。


 浩一郎がおのずから作り上げた、己の師匠である。




 ◆


「全く、稽古が足りていませんね」


 桃井大作は、浩一郎をそう叱った。

 浩一郎は、自宅に設えた道場で、床に頭を擦りつけるようにして、その言葉を受け止めた。

 桃井大作の製作費と、自宅の改装費で、浩一郎の貯金はすっかり尽きてしまった。

 だが、師弟同行の日々の何と楽しいことだろう。

 浩一郎は、手に入る限りの資料のアクセス権を桃井大作に与え、桃井大作はそれを貪欲に吸収し、日々業を高めていた。

 大作は、次々と伝書にしか残されていなかった幾つもの技を再現していった。

 また、明治時代に使用されていた防具竹刀を再現作成し、撃剣稽古に浩一郎を誘った。二刀や片手打ちを多用し、組打ちを行う古式の撃剣は愉しかった。

 さらには、支流から再現した居合までも開始した。木刀による型稽古、竹刀による自由打突稽古、そして刃引きを用いた居合術の稽古にまで至り、浩一郎は己の業の進化に興奮を隠せなかった。

 桃井大作の稽古で学んだ己の全てを、バージョンファイルとして浩一郎はアップロードし続けていた。その需要がどこにあるのか、浩一郎には皆目見当がつかない。ネットワーク上に存在する動作情報は数限りなく、ダウンロード数0であるものも少なくないことを浩一郎は知っている。ダウンロード数を目当てにすれば、己の稽古が穢れてしまう――そんな潔癖さを持って、ダウンロード数を非表示として、日々稽古に取り組むのだった。

 桃井大作の稽古は厳しかったし、理解できない理不尽な叱りを受けることも度々である。

 しかしそれは、浩一郎が想像していた、明治時代の稽古のイメージを十全に再現していたとも言える。

 パートナードロイドは、人に忖度する機械が故に。

 浩一郎は稽古の中、己を貫く恍惚を、幾度も感じた。歴史の潮流の要石として己を、日本剣術の一翼を担う者としての己を、誇りに思った。


 そして、時折ふと不安になった。

 自分が求めていた稽古は、果たしてこれだったのだろうか、と。

 パートナードロイドは、元々セクサロイドから派生したものだという。

 自分の望む通りに己を叱り、己の成長を認めて褒めてくれる存在――ああ、これは確かに自慰機械セクサロイドだ。

 桃井大作の姿を見る度、200年前に死んだ坂部大作に対して、似姿をいいように使ことに、罪悪感が過ぎることも度々だった。

 ――そもそも、武術流派とは一体何だ? 武術流派はそれ自体が生き物だ。どんなに優れていたとしても、個人の技術は所詮一代限りの仇花に過ぎない。流派とは、文化とは、同時代を生きた人間が共有する時間と場ハビトゥスの狭間にしか存在し得ないないものではなかったのか? そんな文化論の基礎を、いつから己は失念していた。ならば、門人も居らず、己一人が修行する鏡新明智流に、一体何の意味がある? そんな自身の修行の意義を根底から問いかけるような煩悶が、虫のように浩一郎の脳内を這いまわるが、その答えも出ぬまま、刀を振っている間にいつしか悩みは陽炎のように消えてしまう。

 いっそ、全ての桃井大作の記憶を消去して、何もかも無かったことにしてしまおうか――そんな衝動にさえ駆られたこともある。

 だが、その度に、桃井大作は浩一郎の肩に手を置いて、優しく微笑むのだった。


「さあ、今日も稽古を始めましょう」


 大丈夫だ。師匠が言うのだから間違いない。

 浩一郎は、そう己を納得させる。

 桃井大作は誰よりも――真実、歴史上のどんな著名な剣客よりも優れた剣士なんだから、と。

 そんな日々を繰り返し、永い永い時が過ぎた。

 己は上達しているのかと浩一郎に問うと、桃井大作は過去の稽古の映像を再現してみせてくれた。


 ――ほら、こんなに上達していますよ。

 ――貴方は昔から、鏡新明智流が大好きだったではありませんか。

 ――貴方は、私の弟子の中で、最も優秀な修行者です。

 ――ほら、貴方は幼い頃から、桃井春蔵先生や上田馬之助に憧れていましたよね。


 ……そうでしたっけ?


 ふと、浩一郎は首を捻る。

 その頭は既に白髪だらけだ。

 若い頃の記憶は、霞みかかったように思い出せない。


 ――そうです。貴方は初めて馬之介と試合した時、敵いませんでしたが見事に小手を一本取ったではありませんか。


 パートナードロイドは、人間の現在と未来のみならず、幸せな過去も保障する。

 介護する老人に、有りえなかった幸せな過去を語り続けると、やがてそれは老いた頭の中で真実として結実するのだ。


 ……そうでしたね。いやあ、馬之介さんは強かった。何度も道場の羽目板まで突き飛ばされたのには参りましたよ。


 浩一郎はおのずから有り得ない記憶を楽しげ語った。

 長年の稽古の影響か、膝も腰も痛んで、居合を抜くのも、組太刀も億劫になってきた。

 それでも、浩一郎は剣は手放さない。

 桃井大作は、厳しかった入門当初が嘘のように柔和な顔で、浩一郎に微笑みかける。

 

 ――できる範囲でいいのです。続けることが肝要です。

 ――ああ、浩一郎、今日も上達しましたね。


 千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を以て練とす。という。

 鏡新明智流の稽古を志した日から幾星霜、浩一郎が二周目の練を積んだ頃合いのことだった。

 浩一郎はもはや以前の彼ではない。横溢していた客気も静まり、木彫りの鶏の如き穏やかさで木刀を上段に構え、静かに桃井大作と組太刀を打つ姿は、俗世のしがらみを脱ぎ捨てた行者のそれだ。

 剣を振る事は息をするのと変わらぬまでに、行住坐臥に溶け込んでいる。

 対する桃井大作は、幾度もの機体変更ボディメンテナンスを経ても、その姿は60代の初老のままだ。

 変わらぬ間合い、変わらぬ呼吸、変わらぬ視線。

 いつまでも師に浩一郎が打ちかかろうとした刹那、その手の内から不意に、琵琶の木刀が滑り落ちて床にからからと転がった。


 ――浩一郎、今まで、本当によく稽古しましたね。

 

 常にユーザーのバイタルを監視している桃井大作は、それすら分かりきった事のように、床に崩れ落ちる浩一郎の体を抱き止めて、静かに微笑んだ。

 道場の窓から、夕焼けが赤く赤く差し込んで、磨り減った床を照らしていた。



 桃井大作は速やかに、自宅に用意されていた終末期介護用のベッドに浩一郎を搬送した。

 のろのろと、浩一郎は枯れ木のような腕を師に向かって伸ばす。

 大作はその皺くちゃの指に、細い巻子本を握らせた。

 正絹金襴の裏に雁皮紙張り。ドーサ引きした上から純金砂子まで撒いている。軸は牛角拵で、一目するだに高級な巻子である。

 浩一郎は開こうとするが指が震えて思うようにならない。大作がそっと手を添え、巻緒を解いて発装を開くと、薄美濃和紙に記された、端正な行書の墨痕鮮やかな文字が飛び込んできた。


『鏡新明智流 大目録免許』


 壱. 山見

 弐. 圓向

 参. 右替

 肆. 左替

 伍. 眞之太刀

 陸. 草之太刀

 漆. 月影

 捌. 山影

 拾. 浦之浪

 拾壱. 分合

 拾弐. 位……

 拾参……

 拾………

 …………

 …………

 

 そこには、浩一郎の人生を懸けて稽古してきた数々の技の名が並んでいた。

 末尾には、開祖である桃井直由、二代目である桃井春蔵、免許を受けた坂部大作、そして発行者としての桃井大作の名が、花押と共に並んでいる。

 無論その隣には、岩動浩一郎の名が。

 何かを言おうとして、喉がひゅうひゅうと音を立てた。

 桃井大作は、静かな瞳でゆっくりと頷きを返した。

 もはや、師弟の間に言葉は不要だった。

 浩一郎はただ頭を下げ、澎湃と泪を流した。


 ――パートナードロイドは、人間の人生を幸福という形にパッケージングする事を究極目的としたシステムである。

 随喜の泪を流す浩一郎の心拍、体温変化、眼球運動、あらゆるバイタルデータから、桃井大作は浩一郎が今、これまでの人生になく、これからの人生でもう体験できないだろう多幸感に包まれていると判断した。

 浩一郎の年齢は男性の平均寿命を遥かに超えており、メディカルチェックでいつ落命してもおかしくない状態であるという報告を確認している。

 桃井大作は迷いなく、浩一郎の命を繋ぎとめている酸素吸入器のパラメータを調整し、二酸化炭素を混入した。

 桃井大作の腕の中で、満足気な笑みを浮かべた浩一郎の瞳がゆっくりと細まっていく。

 その半生を鏡新明智流に捧げ尽くした剣士の人生の幕が、恍惚の内に下りていく。

 浩一郎の指は、最期まで目録免許の記された巻子本を握り締めていた。


 後には、人ならぬ剣士の静かな微笑みだけが残った。

 


 了




参考文献


 大日本剣道史 堀正平 1934


 武芸流派大辞典 綿谷雪・山田忠史 1969


 剣道百年 庄子宗光 1970


 剣道の歴史 全日本剣道連盟 2003


 私の剣道修行〈第1巻〉「剣道時代」編集部 2005


 直心影流の研究 軽米克尊 2020


 剣道の文化誌 長尾 進 2022


 セックスロボットと人造肉 テクノロジーは性、食、生、死を“征服”できるか

 ジェニー・クリーマン 安藤貴子訳 2022


 

 一刀流劔術雜談集 神道無念流劍術心得書

 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11891905


 えんぴの研究

 https://empiken.blogspot.com/


 映画史探訪~映画史エッセイ~

 http://www5f.biglobe.ne.jp/~st_octopus/MOVIE/MOVIEINDEX.htm


※この物語はフィクションです。コンスタン・ジゼルのフィルムの中に、鏡新明智流を撮影したものは、現在確認されていません。


※作中に挙げられた鏡新明智流の剣士、坂部大作は戦前の多くの記録では『阪部大作』という表記が一般的ですが、この作品では敢えて坂部と表記しております。


※作中で語られている歴史知識の全てが真実であるという保証は致しません。興味のある方はご精査をお願い致します。

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サイバー鏡新明智流、免許皆伝の巻。 竹尾 錬二 @orange-kinoko

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