『大魔王の遺産』編

下剋上っていい気分

 とある魔界の僻地に、リリスたちとは異なる魔王城がある。

 その玉座に座るのは、まだ若い悪魔だった。

 彼は玉座で堂々と、部下たちを見下ろしながらため息をこぼす。


「はぁ……これだけ?」

「はい。こ、今月の徴収であります」


 部下の悪魔は震えながら魔王に献上する。

 魔王は明らかに苛立っていた。

 否、呆れていた。

 

「随分と少ないじゃないか。先月より減っているんじゃないか?」

「そ、それは仕方がないことなのです! 領民の暮らしは常に貧窮しております。これ以上絞りとっては、皆が餓えてしまいます」

「いいじゃないか、別に」

「なっ……魔王様!」


 部下の悪魔は声を荒げる。

 しかし魔王は動じることなく、退屈そうな顔をして言う。


「弱くて役に立たない連中なんて、いても邪魔になるだけだろ? そんな奴らは餓えて死んでしまえばいいんだ」

「……自分だって下級悪魔のくせに」

「ん? 何か言ったか?」


 チャキ、と金属音が鳴る。

 魔王は腰に携えた魔剣の柄に触れていた。

 禍々しいオーラを纏ったその剣は、見た者を恐怖の淵へといざなう。

 焦った悪魔は首を横に振って否定する。


「な、なんでもございません!」

「そう? わかったなら足りない分を徴収してきてよ。抵抗するようなら殺してもいいから」

「は、はっ!」

「そうそう――」


 報告を終え、立ち去ろうとする部下の悪魔を呼び止める。

 振り返った悪魔に、魔王はニヤリと笑みを浮かべて言い放つ。


「もしまた減っていたら……お前たちの報酬を削っていく」

「ぅっ……そ、それは」

「嫌だよね? だったら意地でも回収してきてよ。じゃないと、餓えて死ぬのはお前たちになるぞ」

「……畏まりました。魔王様」


 部下の悪魔は唇をかみしめ、拳を震わせながら去っていく。

 悔しそうな横顔をのぞかせて。

 一人になった魔王は、その表情を思い浮かべてほくそ笑む。


「くくっ、悔しそうだったなー。ざまぁないよ。今まで散々いばってたやつが、今じゃ俺にヘコヘコしちゃってさ~」


 彼は最初から、この城の主だったわけではない。

 魔王を名乗ることは誰でもできる。

 しかし、名乗った時点で多くの悪魔から狙われてしまうため、力なきものが名乗っても長続きしない。

 故に、新進気鋭の魔王たちは急かしい速度で入れ替わる。

 もっとも、彼の場合は特殊だった。

 下級悪魔でしかなかった彼が魔王の座に付けたのは、すべて腰に携えた剣のおかげである。


「ほんっと最高だな。この魔剣さえあれば、俺も『大罪の魔王』の一人になれるんじゃないか? なんて、今でも十分に快適だから挑んだりしないけど」


 その剣はただの剣にあらず。

 憎悪、嫉妬、呪怨、様々な負の感情が凝縮された一振り。

 全ての魔剣の頂点に位置し、いずれ世界を終らせる強大な力を秘めている。

 原初の聖剣と対をなす……終焉の魔剣。

 かつて大魔王が所持していた代物を、彼は手に入れていた。


「俺ってついてるな~ 選ばれし者ってやつ? ははっ、その点あいつらは違うな。なんの取り柄もないんだ。俺にこき使われてるのがお似合いだよ」


 彼は部下たちをあざ笑う。

 配下の悪魔たちの中には、素の力なら魔王を軽く超えている者も多い。

 本来、下級悪魔は上級悪魔に勝てるはずがない。

 その不可能すら可能にしてしまうのが、終焉の魔剣の力である。

 この剣が魔王の元にある以上、誰も逆らうことはできない。

 どれだけ理不尽な命令だろうと実行する。

 達成できなければ自分が消されるかもしれない。

 そんな恐怖と、格下だった悪魔に見下される屈辱に耐えながら、彼らはこの城で働いていた。

 それ故に、彼らは胸のうちでこう願っている。


 誰でもいい。

 この馬鹿で腹の立つ似非魔王を……引きずりおろしてくれ。


 残念ながら願うばかりで、誰もその力を持っていない。

 他の魔王も、積極的に敵対しない彼をわざわざ襲撃することはない。

 すでに新鋭の魔王が数名、彼に挑んで敗れている。

 その情報もめぐり、魔王たちの敵対候補から優先順位が下がっていた。

 さらに彼は魔界で目立った行動をしていない。

 故に勇者側からも、マークはされているが優先度は低く設定されている。

 並みの勇者では、彼のもつ魔剣には敵わない。


 全てが順調。

 まさに順風満帆な生活。

 何もかも、彼の思うがまま。


「ちょろいもんだな。魔王をやるってのも」


 彼の名は、魔王リーベ。

 魔剣の魔王、魔獣使いと呼ばれる彼は、実力がないまま偶然手にした力だけで魔王になった。

 その鼻っ柱がへし折られるまで、そう時間はかからないだろう。


  ◇◇◇

 

 身体は眠っていて、意識は半分覚醒している。

 もうすぐ目が覚める。

 眠っている自分を自覚し、起きようとする直前の状態だ。


 なんだかいい香りがする。

 甘くて優しい。

 穏やかな……風?


「ぅ……」

「おはようございます。アレン様」


 ゆっくり目を覚ました。

 最初に視界に入るのは部屋の天井……ではなく、サラの顔だった。

 俺のことを起こしに来てくれたようだ。

 王都にいた頃から、彼女はそうして俺が起きるのを待っている。

 ただ、今回は明らかに……。


「ち、近いぞ」


 顔が近すぎた。

 文字通り目と鼻の先に彼女の顔がある。

 俺が少しでも顔をあげたら、おでこがぶつけってしまいそうな距離。

 いい香りは彼女の匂いか。

 感じた風は、彼女の吐息だった?


「ど、どいてくれるか?」

「失礼いたしました」


 彼女は何事もなかったかのように、そっと俺から離れる。

 ほんの少し、ガッカリしたような表情を見せて。

 俺はベッドから起き上がり、じっとサラのことを見つめる。


「どうかなさいましたか?」

「……いや、なんであんなに距離が近かったんだ?」

「アレン様が気持ちよさそうに眠っておられたので、その寝顔を見ておりました」

「あの至近距離から?」


 サラはニコリと微笑む。

 

「……何もしてないよな?」

「はい。まだ何もしておりません」


 ま、まだ……?

 何かするつもりだったのか?


「あのままお目覚めにならない様子なら、心配になって人工呼吸の一つでもしていたかもしれませんね」

「じ、なんでだよ。普通に起こしてくれ」

「お嫌でしたか? 私と……」


 そう言いながら彼女は自分の唇に触れる。

 切なげな表情を見せながら。

 そのしぐさに、思わずドキッとしてしまう。


「別に嫌とかじゃない」

「ふふっ、冗談ですよ。アレン様はお優しいですね」

「おい、まさかお前、からかってるのか?」

「どうでしょう?」


 彼女はまた笑顔を見せる。

 苦手だったはずの笑顔が、自然な形で作れている。

 それも、普段見たことがない意地悪な笑顔だ。

 なんだか活き活きしている。


「サラ……なんか変わったか?」

「私は普段通りです」

「いや全然違うだろ。今まで俺をからかったりしたことは一度もなかったじゃないか。少なくとも王都にいた頃は、そんな風に笑うこともなかっただろ?」


 俺の記憶にあるサラは、いつも冷静で落ち着いていて畏まっていた。

 メイドとして粗相がないように注意し、受け答えも気を使って、俺の邪魔をしないように。

 笑顔も作り笑いだとわかってしまうくらい下手だった。


「そうですね……王都ではいろいろな方の目がありましたから。いつも気を張っていました。私の失態一つで、アレン様にご迷惑をかけないように」

「そんなこと考えてたのか」


 気づかなかった。

 ずっと傍にいてくれたのに。

 忙しいことを言い訳にはできないな。


「ですが今は、周りの目を気にする必要がありません。おかげで少し、身軽になりました」

「そうか」


 なら、今の彼女が本来の姿なのだろう。

 厳格な性格ではなくて、ちょっと悪戯好きな女の子。

 今まで抑圧されていた分、悪戯にも力が入っているのかな。

 ビックリさせられたけど、悪くないと思った。


「朝食の準備はできております」

「わかった。着替えたらすぐに行くよ」

「よろしければお着替えもご一緒しましょうか?」

「いや……遠慮しとくよ」

「残念です」

 

 ただ、俺のほうが慣れるまで時間がかかりそうだ。

 しばらく彼女の悪戯に、ドキドキさせられる日々になるだろう。

 それもまた、悪くはない。

 自由に生きられているという証拠だから。

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