契約成立ですね

 夢を見る。

 平和な世界に、穏やかな日常。

 なんてことはない普通の人生を歩む自分がいる。

 夢みたいだ。

 そう思えてしまうほど、俺の現実は過酷で厳しい。

 戦い続けるしかない。

 なぜなら俺は――


「ぅう……ああ……」


 見慣れぬ天井を見つめる。

 そうだ。

 俺はもう、勇者ではなくなったんだ。

 しばらくじっと天井を見つめ、感慨にふける。


「……起きるか」


 むっくりと起き上がり、ベッドから降りて部屋を出る。

 魔王城の中は静かだ。

 窓の外は暗い。

 魔界は常に夜だから、時間の感覚が乱れる。

 今は何時だろう?

 俺はどれくらいの間眠っていたのだろうか。

 考えているうちに扉の前に到着する。

 すぐ隣の部屋だから当然か。


 トントントン――


「もう起きてるか?」


 返事はない。

 数秒の静寂を挟み、もう一度ノックをして呼びかけた。

 二度目の返事もなかった。

 鍵がかかっているわけでもない。

 一応女の子の部屋だからノックしたが、相手は魔王だし気にしなくていいか。

 そう思って扉を開ける。

 ベッドのほうへ近づき、彼女を見下ろす。


「スゥー」

「なんだよ。まだ寝てたのか」


 彼女はベッドで眠っていた。

 大きく広いベッドなのに、真ん中で丸まるように。

 猫みたいだな。


「気持ちよさそうに寝やがって」


 こうして見ていると、人間の子供と大差ない。

 俺たちがイメージする悪魔とは違う。

 人間にとって悪魔は邪悪な存在だ。

 ただ、俺たち勇者は知っている。

 悪魔だから悪いわけじゃない。

 悪い行いをする悪魔が目立つだけで、それ以外に善良な悪魔もいることを。

 旅をしていれば自ずと見えてくる。

 だから信じられた。

 共存を願うと言う彼女の言葉も、大魔王がそれを望んでいたことも。


「いい加減起きろ」


 俺は彼女の肩をゆする。

 リリスは眉をぴくっと動かして、ゆっくり目を開ける。 


「ぅ……」

「起きたか?」

「……お父様?」


 ぼそりと呟き、俺の手をぎゅっと握ってくる。

 俺を父親と勘違いしているみたいだ。


「っ、おい寝ぼけてるのか? 大魔王と勇者を見間違えるなよ」

「……勇者?」

「そうだ。もう勇者じゃないけどな」

「……勇者!!」


 リリスは飛び起きた。

 寝ぼけ眼がパッチリと空いて、ベッドの上で立ち上がる。


「な、なぜこの部屋におる? ワシに何をしたのじゃ!」

「何もしてない。お前が急に寝たからここに運んだだけだ」

「は、運んだ? それだけか? ワシの身体にえ、エッチなことしたり……変態勇者!」

「かってに決めつけるな! お前みたいなチンチクリンに興味ないわ!」

「な、なんじゃと! ワシだって成長すればボンキュッボンのナイスバデーになるんじゃぞ!」

「だったらそうなってから出直してこい!」


 互いに息を切らし、言い合いきったところで落ち着く。

 起き抜けに叫ぶと疲れるな。

 大きく息を吸い、落ち着かせるように長く吐き出す。

 ふと、彼女の胸元に目が行く。


「そのペンダント、父親の形見か?」

「――そうじゃよ。お父様がワシに残してくれたものじゃ……この力のおかげで、ワシは一時的に大人の姿になれる。ワシが一人になっても生きていけるように」


 大魔王は娘を守るために力を残した。

 自分が討伐される未来を予見していたのだろうか。

 詳しく聞きたかったが、辞めた。

 父を思い出すリリスの表情が、今にも泣きだしそうだったから。

 大人の姿の疑問は解消したし、一先ずよしとするか。


「リリス、昨日の続きだ」

「つ、続き?」

「質問に答えろ」

「な、なんじゃ!」


 身構えるリリス。

 俺は部屋をじっくりと見回し、扉のほうへ視線を向ける。

 誰の気配も感じない。

 この魔王城内で感じる気配は、目の前にいる幼い魔王と自分だけだ。


「他の部下は?」

「も、もちろんおるぞ!」

「そうか? 城の中にはいないようだけど?」

「い、今は外に出ておるだけじゃ。ちゃんとおるぞ!」


 ムキになる様子が怪しい。

 ただ、加護が発動しないということは嘘ではない。

 部下はいるようだ。


「ちなみに何人だ?」

「に、百人じゃ!」


 加護が反応した。


「嘘だろ」

「な、なんでわかるんじゃ!」

「そういう加護を持ってる。俺に嘘は通じないぞ」

「うぅ……」


 リリスは悔しそうな顔をする。

 加護がなくてもこいつの言葉ならわかった気がする。

 表情に出ている。

 わかりやすすぎるだろ。


「本当は?」

「……ふ、二人じゃ」

「二人か。ま、そんなとこだろうな」


 予想はしていた。

 これだけ広い城に誰もいない。

 その時点で大半の部下たちには逃げられたか。

 もしくは百年前の戦いで全滅したか。

 二人でも残っているだけマシだっただろう。


「いつ戻ってくるんだ?」

「……わからん」

「は?」

「わからんのじゃ! 一人は武者修行とか言って出て行ったし! もう一人は研究対象を探しに行くとか言ってた! 十年は帰ってきておらん!」


 リリスは声を荒げる。

 怒っているせいで口調も荒く、唾がたくさん飛んできた。

 正直言いたくないが、それは逃げられたんじゃないのか?


「実質一人だな」

「む……」

「だったらお前、一人で暮らしてたのか?」

「そうじゃよ。何か文句でもあるのか!」


 この広すぎる城で一人きり……。

 父親がいなくなったのは百年前だとしても、十年は一人だったことになる。

 悪魔の寿命は長い。

 百年でも、人間に換算すれば十歳にも満たない。

 そんな子供がたった一人……。


「頑張ったな」

「へ?」


 無意識だった。

 俺の手は勝手に、彼女の頭を優しく撫でていた。


「な、なんじゃ急に!」

「あ、悪い。なんか勝手に……手が動いたんだ」


 むすっとした彼女から手を離す。

 撫でられている間は、まんざらでもなさそうな顔をしていたな。


「……他に聞きたいことは?」

「ない。もう十分だ」

「そ、そうか。それで……どうするのじゃ?」


 彼女は恐る恐る尋ねる。

 縋るような視線が俺に向けられる。


「そうだな……普段は子供で、部下もほとんどいない魔王城……」

「ぅ……」

「そんな場所に一人でいるっていうのは、寂しいよな」

「なんじゃ……何が言いたいんじゃ」


 我ながら回りくどい言い方をしてしまった。

 少々照れくさい気持ちはある。

 勇者らしいといえば……そうなんだろう。

 俺は結局、困っている誰かを放っておけないようだ。


「契約書をくれ。サインする」

「――! ほ、本当か?」

「ああ。ここで働いてやる。その代わり、ちゃんと条件は守れよ? 今すぐじゃなくてもいいから、必ずな」

「もちろんじゃ! 必ず守ってみせる!」


 元気いっぱいにベッドから飛び降りて、テーブルに置かれた契約書を拾ってくる。

 挙動の一つ一つが子供っぽくて、悪魔だということを忘れてしまう。

 やっぱり放っておけない……そう思えた。

 だから俺は、彼女と契約することにした。

 おそらく史上初だろう。

 魔王に雇われる勇者なんて。


「世の中じゃ、不名誉なんて言われそうだな」


 自分にしか聞こえない声で呟く。

 思い切った選択だが、後悔はしないだろう。

 どの道、俺に残された選択肢は少ない。

 国王に裏切られた以上、もうあの国には戻れないわけだし。

 ここで頑張るしかないんだ。


「契約成立じゃ! これから頼むぞ! 勇者!」

「勇者はやめてくれ。俺にはもう、そう呼ばれる資格はない」

「資格なんて関係あるのか? 勇者は勇者じゃろう?」

「……アレンでいいよ」

「そうか? じゃあアレン、よろしくなのじゃ!」


 彼女は手を伸ばす。

 握手を求める小さな手に、俺は応えようと手を伸ばす。


「ああ、よろし――」


 直後、轟音が鳴り響く。

 振動と爆発がここまで届く。

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