第9話 エピソード2 姫とメイドの温泉旅行(3)

 紅龍邸をチェックアウトした私達は、銀熊邸へと向かった。

「いらっしゃいませ」

 銀の扉の前には、なんとドアマンが立っていた。

 この国では、珍しいサービスだ。

「お部屋は空いているかしら?」

 しかし、王宮で慣れているリレイアは、その高級そうな佇まいに臆することはない。

 ドアマンも少女の堂々とした振る舞いに少し面食らったようだが、自分の仕事を思い出したらしい。

「銀熊邸は高級宿でございます。お手持ちはございますでしょうか」

 旅の魔道士とメイド……ではなく、今は浴衣姿なのだが、女性が二人だけでがやってくれば、そう問われるのも仕方の無いことだろう。

「心配には及びませんわ」

 リレイアが半歩後ろに控えていた私にちらりと視線を送ってきた。

 私は荷物から革袋を取り出すと、その中をドアマンに見せる。

 ここに来る途中、持ち物を売って手に入れてきたお金だ。

「失礼いたしました。ようこそ、銀熊邸へ」

 革袋の中を見たドアマンは私達を中へと招く。

「おや、お早いお着きですね。他の宿からのはしごですか?」

 そう言って寄ってきたのは、三十代にさしかかったかどうかという男性だった。

 しっかりした身なりと、周囲の視線から察するに、この宿のご主人だろう。

 最寄りの街を朝に出たとしても、到着は昼過ぎになるはずだ。

 たしかにそう考えるのも無理はない。

「昨晩は紅龍邸でしたわ」

「ちっ……それはそれは。旅の疲れはとれましたか?」

 ものっすごい小者っぽい舌打ちされた!

 しかも、一瞬だが露骨に顔をしかめていた。

 これは……怒り? 憎悪?

 わからないけれど、あまり良い感情でないことは確かだ。

「ええ、とても良い宿でしたわ」

 リレイアはそんなご主人の反応など気にしないそぶりで、まるで挑発するかのように言う。

「おや、爆発があったと聞いていますが」

「あらあらそうなのですね。お料理が美味しすぎて気付きませんでしたわ」

「へ、へえ……それはそれは」

 ご主人は少したじろきながらも、どこか面白くなさそうだ。

 もう怪しさ満載である。

「こちらの宿も期待していますわ」

「もちろんです。申し遅れました。ここの主人をしております、リッカルと申します。この街一番の宿をごゆっくりお楽しみください」

 リッカルさんはややひきつった笑顔のまま、カウンターの向こうへと消えていった。


 部屋の準備ができていないということで、私とリレイアは浴衣で街に繰り出した。

「ふふふ……怪しい、怪しいわ」

 リレイアはずっとこんな感じである。

 最初は紅龍邸を疑っていたリレイアだが、ターゲットを銀熊邸に切り替えたらしい。

「あっ! ねえユキ、温泉まんじゅうが売ってるわ! 温泉まんじゅう!」

 かと思えば、急に露天に向かって駆け出していく。

 こういうところだけ見ると、年相応の子供なんだけどなあ。

「お金はもうありませんからね。もろもろ解決したら食べましょう」

「ええー? 今食べたい!」

 訂正。

 実年齢より子供じゃなかろうか。

 とはいえ、私も温泉まんじゅうはとっても気になる。

 香辛料に比べて、砂糖が貴重品であるこの国では、中にあんこがたっぶりなどということはないだろう。

 かなり売れている名物みたいだし、とっても気になる。

 それにしてもこの温泉街、和風なところがぽつぽつ目立つ。

 過去に私のように転生してきた人が作ったんだろうか。

 それとも、人間は同じような発想に行き着くのかな。

「問題はどうやって銀熊邸の悪事を暴くかよね。もぐもぐ」

 銀熊邸が悪だというのは、やっぱり確定なのね。

 ……もぐもぐ?

 街の景色からふとリレイアに視線を移すと、彼女は温泉まんじゅうを頬張っているところだった。

「いつのまに!?」

「ユキの分もあるわよ」

「ありがとうございます。……じゃなくて! どこからお金を出したんですか」

「ユキと違って胸の中に隠したりはしてないわ」

「知ってますよ」

 いくら大きな胸を持っているといっても、私だってそんなことはしない。

「失礼ね!」

「ご自分で言ったのでは!?」

「店主に『あそこの巨乳が、貴男に興味があるみたい』って言ったらくれたわ」

「その巨乳って誰のことですかね!?」

「ユキに決まってるじゃない」

 だよね! このやろー!

「そんな当たり前でしょみたいな顔をされましても!?」

 そっと露天のおっちゃんの方を見ると、なぞの決め顔でウィンクなぞ飛ばしてくる。

 たしかに愛嬌はあるけど、どうみても十以上歳が離れてるのはさすがに守備範囲外だ。

「彼の作る温泉まんじゅうに興味はあったでしょう?」

「ええ……まあ……」

「じゃあ間違ってないじゃない」

 ほとんど詐欺では……。

 私は愛想笑いをしながら、おっちゃんからそっと視線を外した。

 あの店の前は二度と通らないようにしよう……。


 リレイアの半歩後ろについて街を見て回るのは、なかなかに楽しいものだった。

 旅の思い出話など、たわいない会話をしながら歩いているうち、あたりはすっかり暗くなっていた。

 だけど、露天と街灯でライトアップされた街はとても綺麗だ。

 王都以外でこれほど明るい夜を見たことがない。

 そもそも、街灯なんてものが整備されている街自体が珍しいのだけれど。

 街灯に火をつけてまわるおじさんを見上げながら、こういうところで魔法が使えればいいのにと思ってしまう。

 毎日、持続時間の長い灯りを町中につけてまわれるような魔道士を一つの街が抱えておくなんて、人材面でも費用面で現実的ではないけれど。魔石も使うしね。

 街の灯りに目を細めていると、ふと見覚えのあるゴロツキが視界に入った。

 昨日の連中……かな?

 いかんせん、この手のゴロツキって似たような顔と格好をしてるからなあ。

「昨晩、紅龍邸を襲った連中ね」

 リレイアが言うのだからそうなのだろう。

 クスリを盛っておいたのだが、目覚めるのが想定より少し早い。

 見た目通りタフな奴らである。

「つけるわよ」

 リレイアはぺろりと舌なめずりをすると、尾行を開始した。

 にぎやかな街と言っても、東京と比べれば過疎地のようなものだ。

 土地にも余裕があるので、普通に歩いていれば肩があたるようなこともない。

 金持ちばかりが集まる街なので、ある意味当然か。

 尾行をするのに適した環境とは言いにくいが、ゴロツキ達は周囲に目を配る余裕はなさそうだ。

 これなら見つかる心配もないだろう。

 旅を始めた頃に比べると、リレイアも尾行が上手くなったしね。

 お姫様が覚える技術じゃないとは思うけど……。


 ゴロツキ達が向かったのは、銀熊邸だった。

 背後からではその表情は見えないが、かなり慌てているようだ。

 ドアマンに止められるのもかまわず、宿へと入っていく。

 そんなことをすれば――

「ここには来るなと言っただろう!」

 ご主人のリッカルに見つかったところで、激しく叱責されていた。

 リッカルにしても、周囲に他の客がいなかったからこその行動だろうが。

 ゴロツキ達はリッカルに奥の部屋へと連れて行かれた。

 私とリレイアは互いに目で合図をする。

 なんとか盗み聞きをしたいところだ。

 宿の構造は把握済み。

 彼らが消えていったドアの向こうは、従業員用の通路といくつかの部屋がある。

 普通にドアの前で聞き耳を立てていては、誰かに見つかってしまう。

 いつもの分担で行こう。

 ドアマンに軽く挨拶をした私達は、リッカル達が消えたドアに近づき、向こう側に人の気配がないことを確認する。

 よし……今だ。

 私はそっとドアを開け、中へ体をすべりこませる。

 リレイアもそれに続いたのを確認すると、音も無くドアを閉める。

 廊下の左右にドアが二つずつ。

 そのうち一つが、リッカルの部屋だ。

 寝泊まりではなく、事務仕事用である。

 リッカル達がいるのはそこだろう。

 それ以外の三部屋は物置だ。

 問題は廊下の向こう側である。

 L字に曲がった廊下の先は、従業員の控え室、そしてキッチンへと続いている。

 そちらから物置に誰かが来てしまうとアウトだ。

 私はリッカルの部屋の前に立ち、そっとドアに背中をつける。

 一方のリレイアは、ドアに施錠魔法をかけた後、廊下の先のL字部分で待機だ。

 あちらはリレイアに任せ、ドアの向こう側に意識を集中する。

 ライゼの聴力をもってすれば、かなり聞き取れるはず。

『丸一日、なにをしていた? 仲介人に首尾を報告する契約だっただろ』

 リッカルのイラついた声が聞こえる。

 大声ではないものの、ドスが効いている。

『そ、それが、気絶させられてまして……』

 しどろもどろになっているのは、ゴロツキのリーダーらしき男だ。

 よしよし、ばっちり聞こえる。

 私の盗み聞きも板についてきた。

 メイドだからね。

 しょうがないね。

『街で一番強いというから使ってやってるんだが?』

『す、すいやせん。女だと思って油断しやして……』

『ほう……油断? つまり、気を抜いた仕事をしたと?』

 うわぁ……すっごいパワハラっぷり。

 この世界なら正論ではあるんだろうけど。

『い、いえ……向こうの雇った用心棒が、オレ達を一発で気絶させるほどの腕だったんですよ』

『あの女達がか? そうは見えなかったけどな』

 見る目ないねえご主人。

 あと、用心棒じゃないけどね。

『え……? お知り合いで?』

『ウチに客として来た』

『は? なんで?』

『知るか! オヤジの嫌がらせだろ。最初はこちらの宿に逃げてきたとも思ったが、違うようだな』

 オヤジ……?

 もしかして、紅龍邸のご主人と親子なの?

 言われてみれば、面影があるかも。

 あのご主人が息子に嫌がらせかあ……。

 めんどくさそうな人ではあったけど、そういうことするイメージはわかない。

 子供から見ると印象が違うというのはよくある話ではある。

『とりあえず、客がいなくなったならいい。報酬は払ってやる』

 嫌がらせをしてるのはどっちさ!

 自分の親の宿を潰そうっていうの?

『へい! ありがとうございやす!』

『次はわかってるな?』

『献湯の邪魔ですね。ターゲットは?』

『明日出発予定の大亀荘を狙え。領主の覚えがめでたくてな。目障りだ』

 どうやらターゲットは自分の親だけではないらしい。

 湯を運ぶ馬車に護衛がついていたのは、もしかしてこいつらのせい?

 街で馬車を見た時、ずいぶん過剰な護衛だとは思ったけど。

『へい。またたのみやすぜ』

 部屋の中では、値段の交渉が行われている。

 その時、通路の向こう側から、人の来る気配がした。

 私はリレイアに目で合図。

 小さく頷いたリレイアは、数歩下がって勢いをつけると、廊下の角から現れた若い女性にタックルをかました。

「きゃっ!?」

 女性は抱えていた三十枚ほどのお盆をぶちまけつつ、尻もちをついた。

 慌てたフリをした私は、彼女に駆け寄る。

「申しわけありません。目を離したスキにこの子が宿の探検にでてしまったみたいで……」

 平謝りしながら、お盆を一瞬で拾い、女性に手渡す。

「気をつけてくださいよ」

 高級宿であっても、客に対して露骨に不機嫌になるあたりは文化の違いだろう。

「リアちゃんも謝って」

「ごめんなさい……」

 しゅんとして見せるリレイアちゃんかわいい。

 ちなみに『リア』とはたまに使う偽名である。

 写真がまだないこの世界において、王族の顔を知るものは少ないが、今回のように作戦中は念の為というやつだ。

『何事だ!?』

 部屋の中からリッカルの怒鳴り声とともに、ドアノブをガチャガチャ回す音が聞こえる。

 リレイアの施錠魔法でドアが開かないのだ。

 従業員の女性は、怒られる前にさっさと退散していく。

 私達も姿を見られる前に逃げよう。


 部屋に戻った私達は一息ついた。

「また子供扱いして……」

 ちょっと不機嫌なリレイアである。

「素晴らしい演技でしたよ」

 事前の相談なしで合わせてくれたのはさすがだ。

「え? そう? やっぱり?」

 ちょ、ちょろ……。

「いま、ちょろいって思った?」

「めっそうもございません」

 時々、心を読まれているんじゃないかと思うくらい鋭いんだよなあ。

「それで、情報は手に入ったの?」

 私はドアの前で聞いた話をリレイアに話した。

「ふーん、なるほどね。ちょっと考え事をするわ」

 唇をペロリと濡らしたリレイアはベッドにあぐらをかくと、目の前に王家の紋章を投影した。

「献湯……親子……領主御用達……嫌がらせ……」

 この時のリレイアは神々しささえある。

 お茶を淹れておきたいところだけど、さすがにこの宿のキッチンは借りられないので、大人しく待つことにする。

 ………………。

 …………。

 そうして待つことしばし。

「整ったわ」

 そのフレーズ、ずっと使うんだ?

 キメ台詞……にはちょっとダサい気もするけど、また一つヒロインっぽくなったんじゃない?

 ニヤリと笑ったリレイアは、私に作戦を説明するのだった。


「今日はどんなお話しをしていただけるのです?」

 少し首をかたむければ顔が触れあう距離で、私とリレイアはベッドに入っている。

 今日のお話はリレイアの番だ。

「そうねえ……じゃあ、今までに押しつけられそうになった、変わった賄賂の話でもしましょうか」

 なにそれ面白そう。

「この国の貴族って賄賂大好きですよね。送るのも貰うのも」

「そりゃそうよ」

 リレイアは何を今更という顔をする。

「貰う方は嬉しいし、贈る方も便宜をはかってもらえる。男性が女性にプレゼントを贈るのと同じ感覚なのでしょうね」

 普通の男女の場合は、純粋に相手に喜んでもらいたい場合もあると思うけど……。

 そんなプレゼントもらったことないからわかんないや。

「むしろ、賄賂を貰わずに貴族の世界で上手くやっていくのは難しいわ。関係を遮断するということに近いから。ユキの故郷では違うの?」

「そういえば、同じかもしれませんね」

 政治家なんかがよく逮捕されてるし。

「それでそれで、変わった賄賂ってどんなのですか?」

「そうねえ……八歳の時にもらった、金の像はすごかったわね。これくらいのサイズなんだけど」

 リレイアが両手で示したのは、高さ三十センチくらいだった。

「金だとするとすごいお値段しそうですね」

「値段もそうなんだけど、像のモデルが送り主のでっぷりしたおじさん貴族だったのよね」

「うへぇ……それは……」

「『コレを部屋に飾って頂ければ、私のことを忘れないでしょう』とか言ってたわね」

「き、気持ち悪いですね……」

「王族になんとしても顔を覚えてもらおうと思っての暴走なんだろうけどねぇ」

「確かに覚えるかもしれませんが、心証最悪ですね」

「ちょっと考えればわかるはずなんだけどねえ」

 さすがのリレイアも苦笑いだ。

「他にはどんなものがあったんです?」

 彼女が口にしたのは、どん引きするものから思わず吹きだしてしまうものまで様々だった。

 個人的に印象に残ったのは、「惚れ薬」「純銀製ギロチン」「純金製溲瓶」あたりだろうか。

 貴族ってみんな頭おかしいんかな?

「そういえば、リレイア様は賄賂を受け取らないんですよね」

 これはライゼの記憶によるものだ。

 どれだけ探っても、リレイアが賄賂を断っているシーンしか出てこない。

「そうね」

「なぜなのです?」

「借りを作りたくないからよ。私は余計な借りを作らずにこの国を良くしたい。できるだけしがらみはなくし、私の裁量でね」

「でもそれは……」

「そう。今の社交界では関係性を拒否することにも繋がるわ」

「苦しい道ですね」

「でも、そうしなければ、私の理想は実現できない。ユキは、私が賄賂を受け取った方がいいと思う?」

「私にそれを決める権利はございませんよ」

「貴女の気持ちを聞いているのだけど?」

「突き放すように聞こえるかもしれませんが……どちらでもいいと思います」

「なぜ?」

 ここで理由を聞いてくるのがリレイアらしい。

「そういうことに関しては、リレイア様の判断を信じているからです」

「信じてもらっても、間違うかもしれないわよ?」

「たとえ間違っていたとしても、そこからのリカバリーをお手伝いするのがメイドの役目ですよ」

 おお……我ながらカッコイイセリフである。

 これこそメイドだよね!

 失敗や間違いを許し合い、バネにすることの大切さは、ヒーローやヒロイン達にしっかり教えて貰ったからね。

 そのおかげでメイド喫茶じゃ、ちょっとは頼られる存在だったんだよ。

「そっか」

「そうです」

 リレイアは頭まですっぽり布団をかぶってしまった。

 布団の中で小さな頭を私の肩にコツンと当ててくる。

 どういった感情なのか、細かいことは私にはわからない。

 でも、喜んでくれたことだけは確かなようだ。

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