まーちゃん、この火傷の跡はどうしたの

グエンくんには、不可抗力とはいえ、申し訳ないと思う。あんなに泣かれてしまうとは思ってもみなかった。




それは入浴介助の時だ。


私はこれまで男性の介護職員などに入浴を介助してもらうこともあった。まあ、私の裸を「見ないで」とか、小娘のようなことを言ってもしょうがないと、気にすることは無くなっていた。


だが、問題は私の心にあったのではない。


グエンくんに入浴介助を初めてしてもらうときだ。グエンくんが私の体を見て、泣いてしまった。




「まーちゃん、どうしたの。この傷、火傷の跡なの」


私の焼け爛れた皮膚を見て、悲鳴のような声を上げた。




「痛いの。こんなに体全部、とっても痛いでしょう」




「そんなに目を丸くして見なくても。大丈夫だよ。もう全然痛くないから」




「だけど、まーちゃん。これは絶対に痛いよ。いつこんなことになってしまったの。ごめんね。まーちゃんごめん。こんな痛い思いをしたまーちゃんを、その時助けに行けたらよかったのに。助けに行けなくてごめんね」




グエンくんは顔を覆って泣き崩れてしまった。他の入浴介助されている人や介護士たちが「何事だ」と思って見てくる。


私はグエンくんの頭をポンポンと優しく撫でた。


「グエンくん、優しいねぇ。ありがとう。この全身の火傷の跡はね、名誉の負傷だよ。なんにも辛い思い出じゃないんだ。だから、いいんだよ」




私はそう言ってから、何の脈絡もなく、毎日のように思い浮かべている教え子たちを、今はどうしているのだろうと、何万回にもなる問いで想像する。




松沢、あの子は障害を持つ弟がいたね。特別支援学校教諭になりたいと夢を語っていた。今はその夢を叶えたんだろうか。弟くんと幸せに暮らしているのだろうか。




野村、あの子は自分が「うっすぃーの」と呼ばれていたことで傷ついていたな。「影の薄い人間にはなりたく無いんだ。誰かの記憶に残る何者かになる」と言っていた信念を貫いているのだろうか。




笹田、あの子は「自分は文章能力だけ人並にある」と自慢げに言っていた。野村もだけど、沢山の魅力を持っている。あの殊勝さは今でも健在なのか。私の教え子の中で、一番大物にみえたけどね。






そして、雪乃。


森下 アリサ 雪乃。

彼女の名前を、新聞で時々目にするのだ。




あの子はまだ、傷ついた無力な少女のまま、世界を敵に回して独りで戦いに出ているのだろうか。




そんなことをボンヤリ考えているうちに、私は夢の中へと行ってしまった。


夢の中の私は、60代のオバハン。


と言っても、今現在の年齢も、自分自身で分からなくなっている。夢の中でさえそんなものに囚われる必要はないのだ。


ただ、夢の中の私は嫌なオバハンだった。


市営住宅に住み、弱者を助ける法律に守られて、粛々と暮らしていた。


自分ではそういうつもりで生きていた。




だが、元来の人嫌いとコミュニケーション不足から、近所の奥様方には後ろ指を指されている。


「あの部屋に一人で住む真澄っておばさん、元犯罪者らしいわよ」


「私もそう聞いたわ。犯罪者が近くに住んでいるなんて不安ね」


「嫌だわ。子供もいるのに、なんか嫌なことされないわよね」


「挨拶してもムスッとして感じが悪いし」


「お金が無くなったらきっと、無料で三食付きのムショに戻るために、また悪いことをするに決まっているわ」






好きだったはずの子どもたちにさえ、私は嫌われている。


「いってらっしゃい」


登校する子供たちに挨拶をした。


すると、その子供が私に石を投げつけてきた。




「黒猫おばさんだ、逃げろ」


「挨拶されると不幸になるぞ」


「不吉なおばさん」






私は、この夢が前から繰り返し観ている夢だと気づいた。


ムショに入っていた頃から観ている悪夢だ。




その夢での人生は、ある大晦日に終わる。




「さぁて、今日の紅白歌合戦は誰がでるのかねぇ」


古いテレビの映し出す歌番組では、もう誰なのか何なのかわからない歌手たちが歌って踊っている。


「もうずっと前からだけど、若いもんの見分けがつかなくなってる。私も年を取ったなぁ」




私は熱燗をグイっと飲むと、炬燵に潜り込み瞼を閉じる。




そして、ゆく年くる年が流れ、次の年になったら、私が目覚めることはなかった。






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