第3話 杏樹と印象の薄い子(2)

 テーブルの上にはお菓子が置いてある。ふわふわのカップケーキで、上にアーモンドが載っている。向こう側にはバウムクーヘンみたいなのも置いてあった。駅前の「満梨まりさんの店」で買ったものかも知れないけれど、ちょっと違うようでもある。

 どちらにしても洋風で、あんまり「日本史」っぽくはない。

 向かい側の印象の薄い子の前にはお皿があった。カップケーキの皮と菓子フォークと、あとケーキの食べかすが少々載っている。たぶん一つ食べたのだろう。品のいい白いカップもあって、お茶が入っているようだった。お皿とカップとカップのお皿は柿かぶどうか何かの絵が描いてあって、これは少しは「日本史」っぽい。もっとも、きれいな形の把手がついたカップだから、日本茶用のお茶碗ではないけれど。

 「あ、お茶……」

 杏樹あんじゅがカップに目をやっているのがわかったらしい。

 「わたしでは入れかた、わからないから」

と印象の薄い子が言う。けなげだ。

 杏樹は答える。

 「あ、いや。勝手に座るだけならともかく、勝手にお茶入れて飲むのもよくないでしょ」

 「なんで?」

 印象の薄い子がすかさずきいたので、杏樹は小さく驚いた。

 「だって、ここの主人は、先生と先輩なんだからさぁ」

 とくにその先輩というのがおっかないという。

 一年生のときにサークルでいっしょだった鈍川にぶさわ沢子さわこ、通称「どんたく」という子が、「日本史やめたほうがいいよ。あそこ、三年生に、風俗嬢出身っていう先輩がいて、そのひと、すごくおっかないから」と繰り返し言っていた。

 杏樹が日本史研究室を見に行くともなんとも言ってないうちから。

 どんたくのって、逆効果だったよなぁ。

 それのおかげで、杏樹が、そういえば日本史って選択肢もあるかな、って意識してしまったのだから。

 「今日はわたしたちが主人公だよ」

と、印象の薄い子が平然と言う。

 「だって、今日は、わたしたちが研究室を選ぶための日なんだから」

 「え?」

 そういえば、この子がなぜいまここにいて、お茶とお菓子を前におとなしく座っているか、いま「わたしたち」ということばが出るまでまったく考えなかった。

 この子の体つきは、一年生どころか、中学生と言われても驚かない。でも、先に研究室にいるということは、先輩かも知れない。しかも、杏樹を迎えてから少しも動かないこの落ち着きようは、もしかすると四年生かも知れないと思うくらいだった。

 「二年生?」

 「うん」

 二年生はとても当然のようにうなずいた。

 いや、それなら杏樹とだいたい同じ歳のはずなのだが。

 「研究室訪問で来たの?」

 「うん」

 「名まえは?」

 「いずみ仁子じんこ

 リズムに乗せて、とんとんときいてしまった。泉仁子は顔を上げ、二つの黒い瞳を揃えて、杏樹を見上げている。

 杏樹はそれほど大柄でもないけれど、泉仁子の前では自分が大きいと感じてしまう。

 「ああ、わたしは森戸もりと杏樹。児童福祉学部の二年生。よろしく」

 「あ、よろしく」

 仁子がちょこっと頭を下げた。それで後ろに回っていた髪が左の肩から軽く前に垂れる。軽い癖っ毛だ。

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