第6話「シー・トゥ・ビー・トゥルー」



「さーーっせんしたああああああ!!」


 それはもう、とてもとても見事な土下座だった。

 いきなり胸を揉むなど理由はどうあれ明らかに秋仁の非である。

 重いボディブローを貰った後、彼は全面降伏の意を込めて謝罪し。


(変よ、アキ君は変な人だけども……簡単に性欲なんかに負けないし、理由なく揉む筈がないわ)


 海恋は秋仁にとって、己が極上の女に見えている事は自覚している。

 幼馴染で、短い期間だったが数日前まで恋人だったのだ。

 だからこそ、怪しむ。


「…………」


(くッ、無言は辛いぞ海恋!! 何か言ってくれ!!)


(あんな別れ方したのは悪かったと思ってるけど、アキ君は腹いせや復讐で襲ってくるタイプではないし、――さっき何て言ってたかしら?)


(ど、どうするッ、まさか真衣ちゃんと間違えたなんて言えないし――)


(決定的な違い、昨日……、家出している間に何かあった?)


 すぅっと海恋の目が細まる、土下座のままの秋仁は以前と変わらない様に思えた。


(――時計? アキ君ってスマートウォッチ持ってたかしら? っていうかアレ……)


 見覚えがある、恋人になったすぐ後に浮かれきった海恋はまったく同じ物をプレゼントとして買っていた筈だ。

 けれど、あんな事があったから渡しそびれてしまって。


「一つ、質問なのだけれど……」


「はいッ!! 何でも答えます海恋様!! 俺が全面的に悪かったです!!」


「わたしの部屋に無断で入った?」


「お前の部屋に? 何のために? あー……、何かマンガかゲーム貸してたか?」


(違う? ならアレはわたしが用意したのじゃなくて……)


 考え込み無言になった海恋を前に、秋仁は恐る恐る頭を上げる。

 もう許されたのだろうか、それとも激怒の前触れか。

 長年の付き合いからして、怒っている雰囲気ではないと思うのだが。


「あ、あの~~、海恋? すまない、ちょっと混乱してたんだ水に流してくれると助かる、お詫びとして何か奢るぞ?」


「奢る? 無駄遣いして万年金欠のアキ君が? 恋人になった途端わたしに貢いでたアキ君が? 何処にそんな余裕あるの?」


「ええっとだな、まぁ、今はそれぐらいの余裕はあるっていうか、手をつけちゃいけないんだけど、これぐらいは――って、何言ってんだろ俺」


 ますます怪しい、別れてから数日だ秋仁の懐事情など変わるはずが無い。

 それに、自分の買ったプレゼントと同じ時計。

 到底、彼が自分で買ったようには思えず。


「――――アキ君も隅に置けないわね、わたしと別れた後にもう女の子にアプローチ受けてるんでしょ、真衣ちゃんかしら?」


「ッ!? い、いやー、そうなんだよ。俺が好きだなんて告白してくれてさ、ちょっと動揺してたんだ」


「へぇ、やっぱり真衣ちゃんなんだ。――チっ、とうとう動いたわねあの子」


「やっぱりって……、まさかお前カマかけたのか!? つーかやっぱりってなんだよ!?」


 目を丸くして驚き立ち上がった秋仁を、海恋は複雑な視線で見た。

 彼女としても、前から真衣の気持ちに気づいていたし。

 何より。


「アキ君みたいな変人好きになる子って、わたし以外はあの子しかあり得ないわよ。それに、前は散々釘さしておいたもの、アキ君はわたしのだって」


「は? おい、おい? 聞いてねぇぞ!?」


「言う訳ないでしょう? あんな危険な子が狙ってるって」


「真衣ちゃんが危険? そりゃあ、ちょっと過激で強引な所もあるけど……失恋した俺を慰めてくれた良い子だぞ?」


「良い子はね、兄の親友の妹って立場を利用してプレゼント相談という名目のデートを企まないし、兄の親友の服装コーディネートという体裁でデートしないし、――――ストーカーなんてしないのよ」


「…………………は?」


 今、なにか途轍もない事を聞いた気がする。

 秋仁は動揺した、真衣の今までの数々の行動が、最悪の形で腑に落ちてしまう。

 信じたくない、だって彼女はあんなにも献身的で。


「その時計、真衣ちゃんのプレゼントでしょ。少し待っててアキ君、あの子がヤバい証拠を持ってきてあげる」


「え、ちょッ――」


 秋仁が止める間もなく、海恋は窓から彼女の部屋に戻り。

 ガサゴソと音がしたと思えば、何かを手に持って戻ってくる。

 するとそれを、秋仁が好きだった花咲くような笑顔で差し出して。


「はいアキ君、渡しそびれて意味がなくなっちゃったけど。恋人記念にプレゼント、欲しがってたでしょ――スマートウォッチ」


「~~~~ッ、何だよソレ!! ふざけんな冗談も大概に――――…………ッ」


「まだ、冗談だって言える?」


「………………………………マジか」


 ラッピングされた包みを乱雑に開けると、そこには秋仁が今している時計があって。

 パッケージも同じだ、彼は慌てて己の鞄を漁ると全く同じ箱が。


「………………俺さ、流石に気まずくてダチの所にでも何日か泊まろうと家を出たのよ」


「気持ちは分かるし、わたしと葵ちゃんが原因だものね」


「でな、部室行ったら真衣ちゃんが待っててな?」


「先回りするのは容易かったでしょうね」


「慰めて貰って、告白されてな、勢いで有城んチに行ったんだ」


「あの子の家でもあるわね」


「酒飲んでさ……後は分かるな? 俺は理解したくない!! しかも連日だぞ!!」


 突拍子も無い事をするが、健気で可愛い子だと。

 以前から、癒やしの様に思っていた存在だ。

 それが、こんな、こんな事って。


「………………詰んだわねアキ君、それじゃあ頑張ってね? 葵ちゃんとのラブラブを邪魔しなければコッチも邪魔しないから――――じゃあ今日はこれで!! 葵ちゃんかわたしの部屋から変な声が聞こえても気にしないでね!!」


「逃がすかテメェ!! ふざけんなそんな情報あるならもっと前に教えろ後セックスは俺のいない時にしろっていうか助けてくださいお願いしますううううううううううううううううう!!」


「うぎゃあっ!! スカート引っ張らないで関わりたくないったら!! 一人で解決しなさいよ!!」


「うるせぇ形振り構ってられるか陥落寸前なんだよコッチは、何か変なアプローチしてくるんだよ雁字搦めで変な性癖開拓する前に助けろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」


 逃げようとする幼馴染を、秋仁はその腰と服を掴んで抱きしめて離さない。

 絶対に逃がすものか、そんな彼の気迫に海恋は深いため息をひとつ。

 別れてもまだ大切な幼馴染だ、それに彼女にも責任の一端はあるというか発端である。


「ああもうっ、相談ぐらいは乗ってあげるから離しなさいよ!!」


「言質取ったかんな!! 逃げるんじゃねぇぞ!!」


「逃げないわよ……はぁ、取り敢えずあの子を呼び出して二人っきりで話し合いなさいな。それ次第よ」


「オッケー、じゃあ明日にでも大学で会って話し合うぜ!!」


 ようやく海恋は開放され、秋仁は床に胡座をかいてスマホを取り出しメッセージを考え始める。

 そんな彼の姿に、彼女の心は痛まなかったが思う所はあって。

 恋人の時と同じで、そして只の幼馴染だった頃と同じように背後からふわっと抱きしめる。


「ごめんなさい、アキ君――」


「…………お前が気にする事じゃない、ガキの頃は俺以外の男を毛嫌いしてたじゃねぇか、気付くべきだったんだよ俺がさ」


「でも、恋人になるのを望んでたのはわたしも同じ、セックスだって、その先に……死ぬまで一生に居るって思ってた」


「でもそうじゃなかった、お前が異性として愛せるのは同じ女で、お前は葵を選んだ。――ま、お前への未練はまだある、今も愛してる、大好きだよ海恋……愛してた」


 その言葉は秋仁が思っていたより自然に出て来て、海恋は目を閉じて受け入れた。

 今、本当の意味で二人の恋人関係は終わったのだ。

 幼馴染から恋人へ、そしてまた幼馴染に戻り。


「お前の幸せを望んでる、これは一生変わらないぜ。それに幼馴染だからさ、死ぬまで一生にいても不思議じゃねぇさ」


「……ありがとうアキ君、最悪な別れ方をしたわたしを。……まだ、幼馴染と言ってくれて。アナタはわたしが異性として愛した最初で最後の男よ」


「それは光栄だな、俺の初恋で最初の女さんよ。――葵との仲、応援してる」


 逃した魚は大きかった、海恋はそう苦笑したが。

 己の性癖から目を反らし、苦痛を隠して笑っていられなかったのだから仕方ない。


「ふふっ、アキ君ったら恋人の時より格好良くなったんじゃない?」


「失恋が男を磨いたのさ」


「磨き過ぎて地雷を引き寄せてしまったぐらいに?」


「テメェそれ言うのは反則だろッ!? ペナルティとして母さん達帰ってくるまで晩飯作れよな!」


「なら葵ちゃんとイチャイチャしながら作るわね」


 しまった地獄だコレぇ!? と秋仁は叫んだが拒否はせず。

 海恋もいるなら、葵ともちゃんと兄妹になれるかもしれない。

 その日、帰ってきた葵は怪訝な顔をするも海恋と一緒に夕食を作り。


「形だけは兄さん呼ぶ、今はまだそれだけだ」


「はいはい、あらためてよろしくな葵」


 海恋を奪った義妹がいる生活も、新たな一歩を踏み出せた様に思えた。

 そして翌日、真衣と待ち合わせをした大学のカフェテリアに海恋が慌てた顔で駆け込んできて。


「今すぐ家に逃げてアキ君! ちょっと喧嘩売ったらヤバい事になったの!! わたしは有城君を探して連れてから向うから急いで逃げて!!」


「何してくれてんのおおおおおおおおおおおおおお!?」


 一瞬、微かな違和感が過ぎったが。

 窮地とあれば真衣の弱点である有城が来るまで逃げるしかない、家ならば籠城も可能だろう。

 秋仁は飲みかけのアイスコーヒーをそのままに、青い顔で走り出す。


(――うっしゃ到着!! 後ろに誰もいない問題なし!! これにて籠城を開始する早く来てくれ有城おおおおおおおおおおおおおおおッ!)


 玄関の鍵とチェーンをかけ、一階の窓の鍵も確認する。

 そして、冷蔵庫の中のコーラをラッパ飲みし一安心。

 胸を撫で下ろしながら階段を上がり、二階の自室に入ると。


「お帰りアキ君、先にお邪魔してるわ」


「――――は? 何でテメェの方が早いんだよ海恋!? つーか有城はどうし…………ぁ」


「どうしたのアキ君?」


(コイツ…………“本物”の海恋なのか?)


 秋仁の額に、冷や汗が浮かぶ。

 変だ、海恋が先に居るわけがない。

 ベッドの上に座る海恋らしき誰かを、彼は警戒するように睨んだのであった。


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