♰Chapter 28:二度の救済に見し希望

†SIDE:水瀬優香



私は三十メートルを超えると思われる高さから重力に引かれて自由落下する。


氷鉋に〚生命の破綻ソウル・ティア〛は確かに命中した。

それは油断でも怠慢でもない。

魔法使いにとっての『最期の切り札』を今この瞬間に行使することを誰が予測できただろう。


――一定時間の無尽の魔力、魔法の威力の増強、身体能力の向上。


得られる力は魔法使い最大の宿命にして『概念具象化』という名の狂騒だ。

その対価に魔法使いは文字通りを失うことになる。

だからこそそれを使うか否かは人生としての結末に直結する。


――氷鉋は今がその時だと判断した。


細い笛のような音が聞こえる。

これは――鼓膜を振動させるのは風を切る音だ。

この高さから落ちたのならわずか数秒で地面に到達する。

魔力で身体能力を底上げしていたとしても絶命は免れない。


早く着地の態勢を整えなければと身じろぎをするがわずかにも動かない。

ただ返ってくるのは左肩から右脇腹にかけての焼かれるような激痛だけだった。

極限まで引き伸ばされた時間感覚の中で思いが過る。


――嫌だ。ようやく独りじゃなくなると思ったのに。

――やっと孤独から解放されると思ったのに。


私は八神くんと出会うまでは常に独りだった。

両親もいない。友達もいない。頼るべき寄る辺もない。

自分自身の出自すら知らず、誰も探してくれはしない。


そんな矢先に帰属したのが〔幻影〕だ。

表立つ組織ではなく、裏から人々を守るそんな組織。

諸手を血に染めいつ死ぬかも分からない。

でもそんな環境に私は安息を求めたのかもしれない。

いや確実に死に場所を選んだのだ。


世界は無常で残酷だ。

神様を信じて祈ったとしても救いは訪れない。

そして、誰がどのように感じどのような行動を起こしたとしても時止めの楔とは成り得ない。

膨大な時の奔流のなかで人ひとりの感情など些末なものだから。

それだけでも酷薄なのに、世界は時々甘い果実を落とす。

それを偶然拾ってしまったのが私だ。

そして私にとってのそれは八神くんとの出会いだった。


――一月のあの夜、〔幻影〕の任務にかこつけて終わらせるつもりだった。


戦って、戦って、適当なところで死に果てる。

それが人を手に掛け無意味な生を得た私の末路にお似合いだと思っていた。

でも結果的には実行する前に助けられてしまった。


――短刀による精密な投擲。


余程の熟練した人でなければ行えない絶技。

それをやって見せたのが八神くんだ。

当時の私はただ自殺にも等しい行為を妨げられたことに感謝よりも不快感を抱いた。

でも救われたのもまた事実。

そのことが心残り――というよりはつっかえとなって以降の自死に向かう行為は妨げられ続けた。


そして四月の入学式。

私はあの夜に背中だけ見えた彼――八神くんを奇跡的に見つけた。

本当に彼なのかは少し見ていればすぐに分かった。

その時点で放課後にコンタクトを取ろうと決めてからは、仮相棒になったり会話を交わして相手のことが少しずつ分かるようになった。

その過程で彼がどんな気持ちで私を助けてくれたのかも。

その時の言葉はたとえ嘘であったとしても私の心を強く揺り動かした。


――私の心を縛る鉄鎖は緩み、死への渇望から生への希求へと変貌を遂げていった。


だから――


「――ない。私はまだ死ねないっ!」


無意識に口をついた言葉は活力に富んでいた。

意思の力か、わずかにではあるが身体の自由が戻っている。

目前に迫るアスファルトに片手をかざし、精一杯の風魔法を発現する。

解放された風圧が落下速度を逓減するがそれでも勢いを殺し切れず、ダンッと叩きつけられる。


「っ! はっ――‼」


肺のなかから強制的に空気が押し出されて苦しい。

吐き出した酸素を取り戻すように身体は呼吸を求めるが、音にならない声が出るばかりだ。


満身創痍で膝をつく私の目前には周囲に煌々とを咲かせる氷鉋がいた。


「……まだ起き上がるとは蛮勇も甚だしいな。散り際くらい潔く逝け。相容れない私たちに終止符を」


氷鉋は今まででもっとも細く鋭い氷炎柱を生成する。

それを投擲しようとした瞬間、私は首のチョーカーにそっと触れた。


「なにをっ⁉」


直後突風にも似た風が吹き抜けるが、氷鉋は状況の把握ができていない。


固有魔法〚生命の破綻ソウル・ティア〛。

それは傷つけた者に確実な死を迎えさせる呪いの魔法。

でもそれは本来持ちうる能力の端切れでしかない。


もし――。

もしも、この魔法を何も顧みずに無鉄砲に具現化させたのなら。

それはきっとを”死”に導くことができるだろう。


これは二度と使わないと思っていた固有魔法、その“本懐の一部”の解放を示す狼煙だ。


一歩――たったそれだけ踏み込んだ大鎌の一撃が氷鉋の鎧を紙細工のように切り裂き、なかの生身にも浅くない傷をつける。

先程の固有魔法など比較にすらならない異質な傷がつく。


――より強くよりおぞましく青黒く光り輝くそれ。


「これほどとは……っは」


氷鉋の吐血を私が見ることはない。


「ぐ……! っああ……あ⁉」


私自身も固有魔法〚生命の破綻〛の代償たる“殺人衝動”と葛藤していたからだ。

視界が白黒に明滅し、狂おしいほどの情動が大波のように押し寄せてくる。


――殺したい。壊したい。この手で生きているモノ全て。


この気持ちは以前に守護者を巻き込んで命を奪ってしまった時と全く同質のものだ。

身を焦がす力の奔流に晒され意識が朦朧とするなか訳もなく抱き留められた。


「水瀬、落ち着け。大丈夫だ」


彼は出会ってから変わらない無機質で穏やかな声音でそう言った。

衣服越しにも伝わってくる熱感が身体の芯からゆったりと温めてくれるようだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る