♰Chapter 10:第二元素・水

「やあ、ユウに八神くん」


二日目の昼過ぎに伊波はやってきた。

長袖ジャージの上下に身を包み、首には真っ白なタオルという出で立ちだ。

軽く息を上げ額に汗の玉が浮いていることからジョギングをしていたことが伺える。


それにしても今日は暖かい春の日であるにも関わらず、上下ともに長物であることに暑そうだという感想が浮かぶ。


「ああ。それにしても今日は半袖短パンでもよかったんじゃないか?」

「あはは、確かにね。朝起きたときは肌寒かったからなあ……服装選びを間違ったかな」


伊波はタオルで顔周りを拭うとオレに調子を尋ねる。


「八神くんの魔法の進捗はどう?」

「概ねいいんじゃないか。火属性の魔法はそこそこ使えるようにはなったな」

「そうね。八神くんの魔法習得の速さには目を見張るものがあるわ。彼は『そこそこ』なんて表現していたけれど『かなり』の間違いね」

「へえ! 初日からかなりの成果があったんだね!」


水瀬の積極的な褒め言葉に対して伊波はうんうん、と頷く。


「伊波は様子を見に来てくれたのか?」

「それもあるけどそれだけじゃないかな。ユウから連絡を受けて水魔法を教えに来たんだ」


僕は水魔法が得意なんだ、と照れくさそうに頬を掻く。


「つまり水瀬は水魔法が苦手なのか? ついさっきまで教わっていたが」

「火魔法と同じくらいには扱えるわよ。でも同じ人に教わるだけじゃ味気ないでしょう? 私は八神くんに多角的に学ぶことで色々な魔法の技術を得てほしいの」


その配慮は正直にありがたい。

水瀬は手本として申し分ないが他の人に教えてもらえるのならそれもまたコネクトを深められる点で嬉しい。


「そういうことだよ。八神くんはここからは僕でもいいかい?」

「もちろんだ。わざわざすまない」

「いいっていいって! じゃあ早速取り掛かろうか。って言ってもユウがある程度教えたみたいだからなあ……。そうだ、実戦経験型でやってみよう!」


そう言って万全の態勢を整える。

これはまた唐突だな。


「ルールは簡単。人間の急所である頭部か心臓にクリーンヒットした方の勝ち。さあ、八神くん。魔法を混ぜながらどんな手でも使って良いよ!」


……これはスパルタだ。


伊波は次々に水魔法を放ってくる。

時に巨大な球形の水塊を、またある時は細かい水の弾丸を。

どれも当たったとしても濡れネズミになる程度の威力だろうが、相当にバリエーションが多い。


そしてオレはここまでで気付いたことがある。

それは伊波が曲射やその場での据え置き、ストレートなど多くの軌道や水の大小、速度の緩急において技量の違いを見せつけてくることだ。

水瀬が丁寧に多くを教えてくれるのに対し、彼は身をもって体験させたことを覚えさせるタイプらしい。


「――!」


オレは無詠唱で火魔法を放つ。

だが火炎の球は伊波の展開する水壁に阻まれて呆気なく散ってしまう。


……属性の相性が最悪だ。


次に午前中に水瀬から教わった水魔法を行使して見るが、それも伊波の水魔法に呆気なく掻き消される。

オレはしばらく攻撃を止め、回避に専念する。


「ここで一つヒントっていうのかな、それをあげる。相手の実力が格上の場合、相手の意表を突くのがセオリーだよ」


助言を渡してからは一段階ギアを上げたのか魔法の密度が増している。

すでに何発かはその身に受け、服の袖が濡れてしまっていた。


オレはふとかつての師の言葉を思い出す。

『――実力が高いことは大切だ。それがあれば大抵のことは上手くいく。強者になることもできるだろう。だが真に警戒すべきは我強しと自負する奴よりも自身を弱者だと認識し、相手の足元をすくってやろうと常に思考を巡らせる奴だ――』


……伊波の言葉はあの人のそれと重なるな。


オレは引き続き彼の攻撃を避けつつ足元に意識を向け続ける。


「これなら――!」

「甘いよ!」


オレの手のひらから一直線の激流が荒れ狂いながら伊波に向かっていく。

だがそれは例のごとく相殺される。


――そして少しタイミングを外してから曲射の水弾。


視界外からの嫌なタイミングでの曲射には対応できないだろう。

そう思っての時差攻撃だったが――


「おっと……! 今のは危なかったね!」


完全に意識の外だったはずだが彼はワンステップで回避を決める。


「これで君はいよいよ手詰まり――わわっ⁉」


わずかに地面が揺れたかと思うと大量の水が地下から噴き出した。

それは何事かと動けずにいた彼の足元からであり、当然全身余すことなく濡れネズミだ。


今なお状況が呑み込めていないようでぱちくりと目を白黒させている。

やがて腹を抱えて笑い始めた。


「……ぷっ……あははははは! 何それ! たしかに何でも使って良いって言ったけどさ!」


顔面から雫がしたたり落ちては大地に吸い込まれていく。

ひとしきり笑い終えた伊波はうんうんと頷いた。


「偶然にしちゃ出来過ぎだよね。八神くんは水道管を破裂させた。だよね?」

「ああ、魔法は直接身体で行使することもできるが多少なら遠くの物でも間接的に魔法を行使できることは学習済みだからな。それとこの広い洋館の地下にはかなりの水道が通っていることを併せたら、あとは範囲を意識した氷魔法で破裂させてこうなったというわけだ」


先程足元に注意力を割いていたのはこの結果を引き起こすためだった。

もっともこの洋館を全て把握しているわけでもないので、伊波のちょうど足元に水道管が通っているかは賭けのようなところもあった。


「まさかだよね、ほんとに。君なら魔法を補助にして武術の方で決めに来るかなって思ってたんだけど」

「それだと魔法の練習の意味がないだろう。オレも伊波のテクニカルな魔法の使い方に学ぶ点が多かった」


一日目の火魔法も段階を踏んで遠隔操作を会得したが、今日の水魔法はその一つ上をいく成長だったと思う。


二人で魔法の感想を言い合っていると無言で近づいてきた水瀬が静かな微笑みを浮かべていた。

心なしか背筋を寒気が駆けていく。

美人の無言ほど怖いものはない、とどこかの誰かが言っていたような気がする。


「――二人ともあとで必ず直しておいてね?」


氷魔法で破損個所を凍てつかせた水瀬の言葉に、オレと伊波は黙って頷いた。


「ともあれ私も八神くんの戦い方には目を見張るものがあると思うわ。もしかするとこれからの戦いで特異点になるかもしれない」

「確かにそうかもしれないね。でもこんなに飲み込みが早いと教える方としては少し物足りないかなあ」

「……すまない」


オレが若干いたたまれなくなるのと対照的に、伊波は身体を乾いたタオルで拭きつつ視線を向けてくると爽やかに笑った。


「あはは、八神くんは面白いなーほんとに! これからも君と戦えることが嬉しいよ」


その言葉に何かむずがゆくなる気配を感じ思考を巡らせていると、伊波が片手を挙げる。

それから右耳に触れ木陰の隅に寄るところを見ると任務の呼び出しに合っているのかもしれない。

よく見ると耳に装着された黒色のイヤーカフが青く点滅している。


……誰と交信しているのだろうか。


「――了解です」


短めの連絡を終えたらしい伊波は溜息を吐いた。


「それは?」

「ああ、八神くんはまだ貰ってないんだよね」


伊波はイヤーカフを取り外すとオレに見せてくれる。


「これは遠距離通信用のアーティファクト――『EAエア』だよ。任意の相手に自分の伝えたい言葉が伝わるっていう便利なものだね。ただ、魔力を自分の意志で扱える人――魔法使い同士でしか交信できないってことが難点かな」


水瀬の方も長い黒髪を掻き分けてくれたため、同一の物を確認できる。

普段は黒髪に黒いイヤーカフで同化していて気付かなかったのか。


オレはふと疑問を思いついたので聞いてみることにする。

すると水瀬が丁寧な解説を寄越す。


「それが壊れた場合はどうなるんだ?」

「壊れた原因を究明してから直せそうなら直すし、直せなかったなら新しいものと交換されるわね」

「第三者が確認するのか?」

「実際に本人が誰かと通信を行ってみてそれを受信できなければ交換ね。原因究明は持ち主自身が調査して報告するわ。それがどうかしたの?」

「いや、戦闘があるから普通に壊れることもあるだろうし、かといって高価そうだからどうなるのかと。ただそれだけだ」

「そう。なら安心して。確かに貴重なものではあるけれど予備はあるから。貴方の分もきっとそう遠くないうちに支給されるわよ」


オレが頷くと、水瀬は伊波に問いを投げる。


「話は戻るけど伊波くん、今の連絡は誰から?」


どうやら全体通信ではなく伊波個人に宛てた通信だったらしい。


「『盟主』からだよ。僕も昨今の情勢が悪化してきていることを踏まえて任務が与えられてるんだ。折角の休日にゆったりと過ごせると思ったのにさ、ほんとに忙しくて困るよ」


あははと苦笑気味に笑う。


「じゃあ、僕はこれで。ユウも八神くんも頑張って!」


伊波はタオルを首にかけ直すと去っていった。

それからオレは水魔法の修練に付き合ってくれた礼を言っていなかったことに気付いた。


「……まあ、次会った時にでも言えばいいか」


オレが自己完結して今日の修練を切り上げようとすると、水瀬がイヤーカフに触れつつ片手で制止した。


「今私にも『盟主』から連絡があったわ。朱音が何者かの奇襲を受けて倒れた……そうよ」

「あの東雲が?」


たった一回とはいえ、つい数日前に手合わせした仲だ。

オレも彼女も本気で戦う気は毛頭なかったが、軽く打ち合わせただけでも相手の力量は推し量ることができる。

少なくとも推し量る材料を大量に手に入れられることは確かだ。

その時にオレは相当量の武術的力量を感じ取ったのだが、それを上回る者が現れたというのだろうか。


「ええ、ともかく搬送先の中央病院に入院しているそうだから今から行きましょう」

「ああ」


オレの頭の中でℐから小耳に挟んでいた『心喰の夜魔』などという噂が過った。

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