♰Chapter 9:夜想の権化Ⅰ

東京――もとい東京二十三区にはそれぞれの特徴を象徴する別名が設けられている。


例えば、第一区――そこは『行政区』の別名を持ち、全二十三区を統括する機関のほか、国全体を運営する機関が集中している。

文字通り、最重要区である。


例えば、第五区――そこは『学生区』の別名を持ち、小・中・高・大といった学び舎が集結している。

八神零の通う『凪ヶ丘高校』も第五区にある。


このようにその区画を一言で表すなら、といった言葉が容易に出てくる場所が東京だ。


なかでも第二十一区は別名『自由区』と呼称されるほどに規律が緩い。

クラブやバーなどネオンカラーに染まる街並みはどこか妖艶な雰囲気を醸し出す。

朝は酔い倒れの人々が路上を点々としており、夜は派手な賑わいを見せる地区だった。

それがこの場所に住まう人間にとって魅力的な面であり、犯罪件数が多い排他的な面でもある。


八神零と水瀬優香が第一元素・火の修練を行ったその日の夜その場所において、〔独立治安維持機構ISO〕の構成員――『独立治安維持員ISC』たちが物々しく進んでいた。


「第七班各位、隊列を崩さずに前進」


班長と思われる人物が恐ろしく緊張の糸を張った声音でそう告げた。

それは後に続く四名にも同様の緊張感をはらませる。


狭い路地では表通りの華やかな夜明かりが意味をなさない。

耳が痛くなるほどの静かな空気が各々の精神を蝕んでいた。


ISCはいずれも対魔法使い用装備――Flareフレア仕様装備を身に付けていた。

ハイテクノロジーの分野において、新進気鋭の『Flare技術』を用いた型式番号・ISA-Flare-742式機関銃が特に目立っている。

全身を覆うFlare加工防具は魔法の猛威から装備者を守り、武器は魔法使いを無力化するための最重要機密である。

言い換えれば一般人が魔法使いに有効打を与えられるものである。


――カラン。


その音に全員が足を止めた。

限界まで膨張した緊張が構成員たちの指を動かさなかっただけ僥倖と言える。


「ッ――なんだ、空き缶か」

「ったく脅かすなよ。というか、そもそも本当に『心喰の夜魔エフィアルティス』なんているのか?」

「魔法使いなんて人外みたいなものがいるんだ、それもいるかもしれないだろ? 俺だってまだ信じられん。冷や汗が止まんねえよ」


「静かに、警戒を怠るなと命じたはずだぞ」

「すみま――」


――ぞぶり。


現場指揮の男が進行方向から一切視線を逸らさずに諫めていたその時だった。

無駄口を叩いていたISCの一人があまりにも唐突に左胸から淡い水色の燐光を散らしたのち息絶えた。

その左胸には赤黒い血液が染みを作り出していく。


「な、なんでだよ⁉ 俺たちの装備は魔法に耐性があるはずだろ⁉ なんで防げないんだよ‼」

「う、うああああああああああ‼」


恐慌状態に陥るなか、リーダーは即座に大声を張り上げる。


「総員、戦闘態勢‼ 仲間の死を無駄にするな!」

「ッ!」


その声に鼓舞され、感化された者から徐々に冷静さを取り戻し始めた。

硬質な音を響かせて、全員が互いの死角を庇い合うように銃口を構える。

前方も後方も蜘蛛の子の一匹さえ逃さない万全の布陣だった。


ふと十メートル以上先の暗闇を何かが蠢く。


「進行方向前方、掃射‼」


カタタタタ、カタタタタと無数の銃声と光が乱れ舞う。

飛び交う弾丸によって壁面には生々しい弾痕が刻まれていく。


やがてリーダーが片手を挙げるとその号令で即座に銃声が止む。


最大限に警戒しつつゆっくりとにじり寄るように近づき、ついに蠢くものから数メートルの間合いに入る。

それは生き残りの彼らにとって緊張による凄まじい発汗を誘発した。


蹲る影に手を触れた班長は叫ばずにはいられなかった。


「猫――囮か――⁉」


悲鳴すらなくリーダーを除く三名がその場に倒れ伏す。

心臓が位置するであろうその左胸には例外なく血の染みが浮き、そこ以外は気持ち悪くなるほどに生前を保った死体ばかりが横たわっていた。

もはや班長の生存は絶望的な状況となっていた。


「ぐ……!」


程なくして左胸に衝撃が走ったかと思うと徐々に冷たい何かが侵入してくる感覚を得る。

そして薄れる視界には黒い人影。


「私は、職務を……」


最後の力を振り絞って引いたトリガーによりわずか一発の弾丸が人影を掠めていく。

それが東京第二十一区ISO第七班における最後の行動だった。

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