KAWAII☆HAZARD1

――Nico――

 あれから少しが経ち、休めるときに休めというオークラーの言に従って、死ぬほど暇な人並みにぼうっとしていたカイを捕まえ、車に乗せた。


 姉からの秘匿セキュア通信機から連絡があり、緊急で出なくてはならなかったのだ。その用事というのは、あまりにも予想外なものだった。


「ぜ、前哨帯のメンバーとデートぉ?」


 カイが世界でいちばん間抜けな声を出した。その一方でニコは、運転を続けつつも呆れきった声で答えた。


「そう。殺しあってる敵とデートだ。なんでもキミに、繁華街で会って欲しい人がいるそうでね」


「なんか任務の出撃と同じくらいデートしてないっすかおれ」


「アハハ。そりゃいいね。わたしとのデートでどう過ごすべきかは予習済みだね?」


「うーん……」


 彼の反応は微妙だった。実はニコ自信、あれだけ魅力的に振る舞っておきながら、ちゃんとデートしたことなどなかった。


 それさえ見抜かれている気がして、カイの『人の気持ちが分かりすぎる能力』がちょっと怖かった。だがそれ以上に、やっと心の裸を見てくれる人が現れたようでもあり、人として彼のことが好きだった。間抜けなのが玉に瑕だが。


「リィラにまた怒られそう……」


「それはないね。御機嫌取りにプレゼントを置いていったから、今ごろきっと夢中さ。それでクロウディアとの約束では、向こうもキミも、お互いにひとりということだが……」


「め、メチャクチャ怪しいじゃないっすか」


「普通なら、な」


 ニコはカイへ向かい、その真顔を向けた。彼女が真顔になることなどほとんどない。姉の話をしているとき以外は。


「だがクロウディアは決して、わたしに嘘を吐かないのだ。その口で安全を保証すると言うのだから、これは信用していい」


「ウソをつかない……?」


「彼女はキミの正反対。人の心なんて分からないのさ。故に、正直な良い子ちゃんでいることでしか誠意を示せないのだ」


 それに、理由はもうひとつある。通信機越しのクロウディアの声が、ひどくイラついていたのだ。あれは自分の思い通りにならなかったときの苛立ちであり、大抵は言うことを聞かない誰かへ向けられるものだ。あのデートの約束自体、彼女の計画には無かったことに違いない。


「……正直なのはいいことなんすけどね」


「まぁね。お陰で助かっている」


 そしてニコは、「だ・か・ら・こ・そ」とリズムをつけ、右左交互にハンドルをパンパン叩いた。


「狙いがさっぱり分からん! 前哨帯全体か、少なくともクロウディアはすでにキミを始末しようという段階に入っているはずだ。それがノンキにデートしろと来た。……それでも強いて理由を考えるなら言えば弱点を探ろうというのだろうがそれにしては不自然じゃないか」


「不自然?」


「順序が逆だろう。弱点を探ってから殺さねば確実ではない。殺せなかったから弱点を探ろうだなんて、そんなに分かりやすく後手に回るほどバカではないはずなのだよクロウディアもファイマンも……」


「う~ん……。おれを裏切らせようとか?」


「それも否定できないが、肯定する理由もない。あれだけキミを怒らせて、彼らも説得に成功するとは思わんだろう。物凄いタイプの子が来たとして、キミはその子を理由に裏切るのか」


「う、裏切らないっすよ」


「そういうこと。という訳で、行ってきてくれまいか」


 とは言ったものの、その顔からは明らかに不安が払拭できない。やはり罠の可能性もあるが……クロウディアに逆らうわけにはいかない。


 この戦争はまさに、ニコの綱渡りであった。クロウディアが本気を出せば終わるものを、ニコ自身を人質としているからこそ未だに続いているようなものだ。


 人質としての価値がなくなる訳には――――『言うことを聞かない人間』にカテゴライズされる訳にはいかない。


「ひ、ひとりは不安なんすけど~……」


「すまないが、頑張ってくれたまえ。クロウディアに取りつくためには、向こうの〝お願い〟に付き合い続けなければならんのだ。大丈夫、少し遠くで盗聴する。なぁに、それくらいなら向こうも見逃してくれるだろう」


「そうなんすか。……お姉さんって、どんな人っすか」


「ん? 気になるのかね」


「それは気になるっすよ。だってそこまでして殺したいだなんて、普通じゃないっすよ?」


「……そうだね。どう言うか迷うよ。わたしに向けられてきた異常者という言葉を、使うべきなのかと」


「オッケーなら使うってことっすね。えーどんな人だろ……。こんど紹介してくださいよ」


「全くもって気軽だねぇキミは。恋人の斡旋をしてるんじゃないのだよこっちは。だが、良い考えかもしれないねそれは」


「……?」


 少しの運転で何本かのビルが風景の舞台袖へと消えていったとき、またニコが口を開く。


「一言でいえば、比類なき天才だ」


「比類なき……って、ニコさん以上? ってことっすか?」


 とても信じられないという顔だった。それもそうか。あまり自覚はないが、少なくともニコは理解を諦めた人間たちに『天才』というジャンルに振り分けられた存在だ。それが、さらに上の存在がいるのだと語っている。


「わたしはね、理論を作れるのだ。技術が追い付いていまいと、それが可能であると断言する理論――予言をね。だがクロウディアはレベルが違う。いいかね、彼女は文字通り、『全て』を作れる」


 彼女は「信じてないね?」と口角を上げた。


「あの爆弾騒ぎで作られた爆弾は、間違いなくクロウディアによるものだ。もっともその技術レベルは、千年単位で先のものだがね。クロウディア無しで彼女の技術が欲しければ、同じ天才を探すよりタイムマシンを作った方が早い」


「そんな無茶苦茶な……」


「科学が不可能と言えば、可能と言う科学をまるごと生み出す。人類がこんなに時間をかけて築きあげてきた叡知を、トイレついでのパズルみたいに超えてしまうのだぞ」


「うへぇ。……盛ってません?」


「残念ながら盛っていない」


「だってそこまでいったらもう……分かんないことないっすよね。お姉さんって」


「……それこそ」


 彼女はため息をつきつつ、ニヒルに笑ってみせた。


「他人の気持ち、さ」



――Kai――

「さ。準備はいいね」


「う、うす」


 緊張した面持ちのカイが、小さく呟く。


 ニコが繁華街と呼んだ『ノーシースト・モール』は、やはり広告まみれではあったが、むしろ落ち着いた雰囲気だった。


 あの時のビジネス街では、とにかく宣伝しようという暴力的なまでの広告の嵐だったが、この場所では広告も街のデザインの一種として溶け込んでいた。とはいえサイネージの数は、例えば東京駅周辺の比にならないほど多い。夜の渋谷よりも、どこもかしこも照されてカラフルに輝いている。


 目につくもので多いのは、ネオンサインだった。といっても現世でのネオンと電気によるものではなく、Ppの輝きを利用した看板で、様々な色がある。安上がりにしては洒落ているので採用しやすく、必然的に数は多くなる。


 そして、この街角においてはサイネージのデザインに暖色かつ白に近いものが選ばれがちなので、この世界の人からすれば白っぽいだけなこの大通りも、カイからすれば地球の昼のイメージがあった。あの地下道より、人の存在を感じられる昼だ。


「安心したまえ。盗聴機はキミの服に仕組んだ。危なければ……そうだな。『頭が痒い』と言え。それを合言葉にしよう」


「うっす。でも、どうやって助けるんすか?」


「通信で姉と話す。それで止められるだろう」


 本当に止まるのだろうか。かなり不安だったが、やると言った手前もう引き返せない。


「じゃあ、行ってきます」


 カイは車から出て大通りを行く。店や商業施設の看板。少しの広告。巨大なスクリーンは大事件ニコのばくろで持ち切りで、それを縁取るL字の額には気温の情報たち。


 気温……。そういえば、この世界に来てからまだ雨を見ていない。雨がないのだろうか。あるいは単純に、降りにくい土地なのか、たまたま降っていないのか。今日も明日もない白夜の世界に、夕立という言葉はないのだろうか。そう思って見ていると、ついに日付らしき記述を発見した。


 二千二十年、第十六キロ、第八ヘクト。


 年が共通してくれているお陰で、それが日付だと気付いたし、自殺したのと同じ年であるので『年』を現世と同じに合わせていることも分かったし、今はきっとまだ十月か、もうすぐ十一月なのだろうかということまで分かった。


 順番や、八ヘクトから先の天気を記しているあたり、キロがmonthでヘクトがdayに相当するのだろう。夜に一斉に寝る文化が無くとも、区切りはある。やはりここも現世と一緒なのだ。


 とはいえ、地獄でのカレンダーがキリストの誕生年を基準にするなんて。とめどなく想像は続き、カイは現実逃避に忙しかった。


 スクリーンの正面にある博物館のような建物の、広々とした階段に座った。どうやらここでニュースやコマーシャルを眺めるのはごくありふれた行為のようで、中年や、青年のカップル、老夫婦、その他の人たちも階段に座っていている。そうした人々を狙ってか、階段の上下には移動販売や屋台などが、ちらほらと散見された。


 一応、この辺にいれば見つけると言われたが……。できれば、このまま終わってほしいな。可愛い子が来るって期待させて誰も来ないってオチ。仕返しにそんな地味な嫌がらせをしたのだ、なんて、それで終わり。カイは地獄で神に祈る。


 ぼうっとスクリーンを眺め、歩く人たちを眺め、そしてカイの目が――ある人で釘付けになった。迷子のように、キョロキョロと周囲を見渡す子だが、明らかに雰囲気が違う。


 ピンクの髪はふくらはぎまで届くロングで、まるで卵のように膨らんだ滑らかな曲線を描いている。遠目には大きなヴェールにも見える。


 そして格好は……女子高生をファッションとして改造したようなものだった。裾が股下まで届くダボダボのスクールカーディガンの胸元で、巨大なリボンの蝶結びがふわりと揺れる。股下まですっかり隠すその裾から伸びるのは、太ももの三分のニをを隠す黒いプリーツスカート。それとその下端に届かない程度のハイソックスが低めの絶対領域を作り出していた。そして、大きくいかつめのブーツ風スニーカーを履いて踵を鳴らし、大きな首輪をふたつ二段重ねで首に巻いて、大きなタートルネックでするみたいに顎を埋めていた。


 ……え、えげつないくらい可愛い……。なんだあの子は。とカイはぼうっと、というより、ぽうっと見惚れて眺めていた。あの子だったらいいな、なんて願いまで出た。


 辺りを見回す目がカイのあたりを捉え、そしてまっすぐに走ってくる。嬉しそうな顔をしている。


 なんかこっち来んだけど。ホントに? いやでも、さすがにあの子じゃないよな。おれの背後の誰か……?


 そう思って背後を振り返るが、誰もいない。そんなことを思っているうちに、目の前まで来てしまった。思ったよりは背があり、自分より低く、ニコよりは高いくらいだった。


 もしキスをするなら、自分がちょっと屈むか、この子がちょっと背伸びをするくらいだ。そんな例えがふと浮かんで、かなり動揺した。


「……ど、どうも。何か? 用……ですか?」


 人違いの可能性も考えて、おどおどとした言葉を出す。近くで見るといっそう、いや無茶苦茶に可愛い。目元には煌めくラメの星が輝いていた。


 よく見れば、パッツンの前髪を下端にした大きなハート型の明るいメッシュが入っていて、右の角には下に大きなリングと上に小さなリングを角の径に合わせて指輪みたいにはめ、その二つを繋ぐ細いチェーンに小さなアクセサリーがきらめく。


 可愛い女の子が、大きくてキラキラした可愛い目を、可愛い角度の上目遣いにして、じっとおれを見つめている。立っているだけなのに、可愛いの大洪水に揉まれて死ぬ。


 そんな子を目前にすれば、気があれど無かれどド緊張してしまうのが、カイという人だった。


 可愛いの権化が何かを取り出す。ペンと紙だ。嬉しいような焦ったような指がさらさらと記し、ビッと破られたメモ用紙を目前に突き付けられた。


『みつけた。カイ』


 ああ、間違いないんだ。ということはこの子がテロリストの仲間なんだな。ヤバいなこの……複雑な気持ち。


「あの、そ、そうっすけど」


 そう言うと、またメモ帳に何かを書く。そして自分を指しながら、紙を破って見せ付け、目元ピースでウインクまでした。そこには『ミィ☆』と、星付きで書かれていた。


 ……あれ。星マークあるじゃん。そういえばラメも星だな。でも星なんて、この閉じられた世界に……。


 そう思って天を見上げると、遥か遠く、少し見上げる角度の空に星の輝きがあった。それを手前に辿っていくと、行き着くのは街だ。


 ああ、人のいるところが、この世界の星なんだ。星があるところに大勢の人がいるんだろうな。そうカイは、やっと得心がいった。


 不思議そうに見上げてきている星の子に「ごめんごめん」と謝って、改めてメモを読む。


「ミィ? ミィ……ちゃん?」


 ちゃんを付けたら、ミィは嬉しそうにコクリと頷いた。カイは問答無用で嬉しくなった。


「あ……。えぇっと、おれはカイです。よろしくっす。あ、知ってたか、あの……で、デートって、デートしたいってこと……っすよね……?」


 ミィは大きく、笑顔で頷いた。


「うぉ……ま、マジ? ですか……。あの……ええっとぉ……。おれで良ければっすけど……」


 そう言うとミィは、嬉しそうに爪先でピョコピョコと身体を揺らした。


 カイの心も揺れていた。絶対に裏切らないと言ったし、きっと裏切らないが――。


 ――物凄く、かき乱されていた。


 ミィは階段上を見て、指差す。その先には屋台があった。


「な、あ、なんか食べます? 行きましょ」


 一応は警戒しつつ、横並びで階段を上がる。カイには彼女が襲ってくると思えなかったが、これでもテロリスト側なのだ。恐らくはニコの姉、クロウディアに派遣された……。


 ……。


 …………この子がクロウディアの可能性ってあるのかな。


 もし盗聴されているのだと感づいているのであれば、この子は声を出せないのではなくて出さないのだとも言える。


 え? ボス? マジ? カイは情緒が破壊されそうになっていた。


 連れられたのはクレープの屋台だった。内容物こそ違うものの、焼いた生地でくるむところは一緒だ。甘い香りがするのできっと、タコスではない。


 それにしても……どれがどういう果実――植物なのかすら分からないが――なのだろう。ちょっとそれを考えている余裕はない。


「どれ、あの、スイーツ、どれがいい?」


 ガラスケースの見本のひとつを、ミィは迷わず指した。こういうのは同じのを選べば外れないだろうと、カイもそれに決めた。


 ふたつ注文して、出来上がりを待った。そわそわとしたような、わくわくとしたような、そんなミィの様子を見る。そして目が合った。見つめ合って、照れて吹き出してしまった。ダメだ可愛い。


 ってか、デートだ、これ……。


 急に自覚し、どうにも嬉しくなってしまう。それどころではないと分かっていてもだ。カイにしてみればこれは、初めてのデートなのだ。ラノベやアニメの中だけでの出来事なのだ。諦めながらも、憧れるのを止められなかったデートなのだ。それを、こんなに可愛い子で実体験するなんて夢にも思わなかった。


 もう分からん。いま、おれはどういう気持ちなんだ。可愛すぎて緊張しているのかクロウディアかもしれなくて緊張してるのか分からん。


 一目惚れされたのかな。おれも一目惚れしそうだよ。勘弁してくれ。リィラに殺される。今にも『はぁ!? キモいからほんと止めろバカ死ね!』と聞こえてくるようだ。


 少ししてクレープが出てきた。共通点は生地とクリームのようなものだけだ。あとは未知の色と質感の組み合わせをした果物(?)たち。


「はい、どうぞ」


 差し出すと、ミィは両手で受け取った。よく見れば、袖で親指の根くらいまで隠した萌え袖だ。


 たったそれだけでまた揺さぶられた。そこでカイ目を背けることに決めた。仕草を見なければいいのだ。


 できるだけ遠くを見つつスイーツを頬張る。甘くておいしかった。


 意識を逸らしているものの、やはりどうしても気になって、ちらりとだけ見る。


 ミィの右頬にクリームが付いていた。ちょうど目があったのでカイは、『ほっぺについているよ』という意味で自分の左頬を指差した。


 するとミィは左頬に指をぷにっと押し付け、頭に『?』を浮かべたまま顔を傾けた。


「んっふ……」


 カイは轟沈させられた。



――Lila――

 Ppの燃料化を促進できる添加物――触媒の存在を知らせるべく、誇らしげなロックを先頭に三人でニコの部屋へ直行した。仮にも敵のマジックのタネをひとつ明かしたという大ニュースだ。


 ノックをするのは、もちろんロックだ。


 しかし返事はない。


「ニコ博士~。ロックです。報告がありまして」


 されども返事はない。


「が、外出中じゃないかな……」


「ちぇ。しかたねぇ。また後でにするか」


 残念そうな二人を横目に、リィラは普通に扉を開けた。


「開いてるじゃん]


「お、子どものイタズラじゃあしょうがねえよな?」


「ふ、ふたりとも悪いね……」


 三人で広すぎるゴミ箱に入る。臭いの出るものだけはきっちり捨てていることだけが救いだった。


 ベッドの上に、ひとつのアタッシュケースがあった。その全体の色はPG社がシックモデルシリーズのイメージカラーにしている暗い紫色であり、『カワサキグリーン』のように『ガジェットパープル』と呼ばれる特有の黒く深い紫色だ。


 要人が重要書類を入れておくためのカバンにも見え、ガジェットの基盤の色とはまた違った紫がクールに映えていた。


「なにこれ? リボンまで……」


 リィラはアタッシュケースを持ち、その見た目に似合わない明るいピンクのリボンを、指で弾いて揺らした。


「おいおい。人へのプレゼントじゃねえか? 流石にそれを弄るのは……」


「……いや、これアタシのだわ」


 リィラがリボンで括られていた手紙を取る。そこには『リィラ君へ』と達筆なきたない字で記されていた。


「ベットにこんな置き方してたってことは、こうやって渡したってこと? なんで……あ」


 そこでリィラはやっと、カイもいないことに感づいた。


「アイツら! またアタシを置いていきやがったなっ! くっそー!」


 地団駄を踏むリィラを、ロックとマッドがなだめた。ちょっとして、不機嫌ながらも落ち着いた彼女はベッドに座り、手紙の包装を適当に破って放った。


 床にゴミが落ちたが、不思議とゴミが増えたように見えなかった。たぶんニコも気付かないであろう。


「えーっと……」


『やぁリィラ君。またまた置いていって済まないね。普通という退屈が苦痛だろうから、どうぞこのオモチャで遊んでくれたまえ――』


「はぁ?」


 そう言うからにはさぞ楽しませてくれるんだろうなぁ。とリィラは喧嘩腰でリボンをほどいて投げ捨て、アタッシュケースの両側のファスナー止め金具をパッチンと開き、顔の前で蓋を開いた。途端にビクッと動き、蓋を閉めた。


 顔は、ニッコニコだった。


「……いいのぉ? 貰っちゃってぇ。ウっソだぁ……。ホントぉ……?」


 一瞬にして上機嫌の最上級になってしまったリィラが信じられず、ロックとマッドは顔を合わせた。


 リィラは投げた手紙の続きを読む。


『――とある軍で採用されたニュースを受け、我々も、と取り寄せたものの、なんというかあまりに〝頭を使いすぎる〟必要があるガジェットでね。採用が見送られ、棄てようか迷っていたのだ。しかしキミなら上手く使うだろう。心配ない。カートリッジなら死ぬほど余っている。健全なオトナ、ニコより』


「な、なに貰ったの?」


 リィラは少女の顔で、開いたケースを見せた。


「じゃーん! カスタマイザーっ!」


 ケースの上側は大型ボトル――タンクが詰まっており、何かを入れる隙間はない。一方の下側も底が浅く、ケースの見た目だというのに薄い雑誌を一冊入れるのが限界の隙間しかなかった。本質は別にある。


 ケースの下側には、いくつものスロットが空いており、指三本を揃えて立てるのと同じサイズ感のカートリッジを入れられる構造になっている。そして、その面の左端にカートリッジ――C.モジュールがびっしりと、保管用のダミースロットに刺さっていた。このアタッシュケースこそ、ひとつのガジェットなのだ。


「か、カスタマイザーって、あの?」


「その!」


「どのだよ?」


 盛り上がる二人に対して、ロックは首を捻っていた。


「え~? 知らない? しょーがないなー」


 リィラはニヤニヤとアタッシュケースを自分へ向け、C.モジュールを取ろうとする。しかし固くて抜けなかった。もしかしてと押す。


 ……カチ……ピョンっ。とバネ式に半分だけ飛び出した。


 必要なモジュールを次々に押すと、ピョンピョンと半挿しになっていった。


「あ、きもち……」


 そうしてC.モジュールを一枚取って、スロットへ挿す。


 ……カ……チっ。


「うぉあ~……」


 モジュールを挿す感覚が一種の快楽になっていた。触覚のASMRとでも言うべきか。別のC.モジュールで、それをまた何度か繰り返す。


「えっと、それで……」


 ケース下部のスロット以外は、全てがスクリーンタッチパネルとなっていて、挿入済みスロットの周りで『発行増幅』や『励起凝固』など、ガジェットに不可欠な機能が示されていた。


「ほら。こうやってモジュールの機能が出んじゃん? でさ、後は正しい順番に……」


 スロットはそのままノードとしての役割を果たし、それを必要な順番で接続リンクすれば欲しい順番で機能を接続できる。


「えーっと、こうかな?」


 リィラはひとつのノードの枠に触れ、目的のノードへスワイプしていく。すると、サラサラのはずの画面で指先にドゥルドゥルと感触があり、なんとも言えない気持ちよさに襲われる。きちんとガジェットが反応し、正しく操作できていることを示すUIらしい。


「あ、あ~。あ~……ね。あ~ね」


 リィラは骨抜きだった。骨抜きだが、システムの構成に手抜かりなどなかった。ノードの設定で現象の強度や時間などが、リンクの設定によりタイミングや経路の径などが適宜設定されていく。訓練兵ではお茶を入れてから飲みきるまで時間がかかるセッティングを、リィラはお湯が沸く前に終えた。


 そうしてセッティングが終わり、準備完了レディ設定にしてケースを閉じた。そうしてパッチン錠をパチッ、パチッと閉める。


「んふふ……」


 もう何をしてても気持ちいい。リィラは一度、アタッシュケースをぎゅっと抱き締めた。


 よく見ると側面の下部に『For―L0001』とあった。興奮で気付かなかったが、そういえばこのカスタマイザーはどこの――PG社か軍事兵器開発企業かのごく限られた――メーカーでも知らない型だった。カートリッジは取り寄せた品のものを使っているようだが、ハードウェアであるケース本体はニコの手製のようだ。


 型番の意味は、『リィラのためのカスタマイザー、第一号』だ。


「……よし。じゃ、見てて」


 インプットシステムで実行ボタンとして設定された、持ち手の外側の角にあるスイッチを押す。すると、ケースの側面に光る球体が現れた。


「お。それフラッシュバンじゃねえか?」


「そゆこと。このケースだけじゃなんにもできないけど、C.モジュールをうまく入れ換えて回路を作れば、今あるガジェットは大体なんでも再現できると思う」


「へぇ~凄そうだ。でもよ、カートリッジの他にいちいち設定すんの面倒じゃねえか?」


「そ・こ・で・セーブ機能があんだなぁ」


 ケースを開き、タッチスクリーンの右側、スロットが無い代わりに本体の設定などができるウィンドウが常に開いているところをいじる。ほどなくして、設定のプリセットが『フラッシュバン』として記録された。


「あとはモジュールをこの挿し方で挿したら、自動でロードされるってわけ。同じ回路でも自由に経路を変えられるってのを、逆にセーブデータのアドレスに使ってんの」


「おー。なんか凄そうだな」


 ロックはなんか凄そう止まりだったが、リィラは大はしゃぎだった。


「んも~。しょーがねーなあのヘンタイ博士~。今回だけだかんな~? そうだちょっと撃ってみよっ」


 とリィラは不穏なことを言いつつ、アタッシュケース抱えて訓練所に向かった。


「あーあー。大丈夫かほっといて」


「…………」


「マッド?」


 こっちにもなにか不穏な空気が漂っていた。するとマッドが、なにかを決意して、ロックへ向いた。


「き、決めたよ」


「おう」


「ぼ、ぼくリィラちゃんのオタクになる……」


「…………おう?」


「ちょ、ちょっとグッズ作ろうかな。ぺ、ペンライトくらいまでならいいかな……? り、リィラちゃんって何色のイメージかな……」


「……なんか分からねえが」


「う、うん」


「カイと相談したらどうだ?」


「そ、そうだね」


「…………」


「…………」


 どちらとも言えず、なんとなく顎で部屋の外を指し、リィラの後を追った。

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