握る手

――Kai――

 言われた通り部屋へ勝手に入ろうと扉を開けると、目の前にものすごい光景が広がっており、悲鳴を上げた。しかしニコは堂々としたものだった。「入りたまえ」とまで言ったが、カイに届くことはなかった。


 慌てて走ってきたオークラーが見たのは、顔を手で覆い、しゃがみ込むカイだった。


「どうした。まさか……」


「ち、痴女が……この部屋に……」


 オークラーは扉を見て、ああと声を漏らした。


「やはり博士だな……。まあ、なんだ。気持ちは分かるが気を付けろ。あれは心を許されているからでも、想われているからでもないぞ。誘われても決して応えるな」


「え? な、なんの話っすか? なんか経験あるみたいな言い方っすけど」


「あっ……」


 赤肌のオークラーの頬が、文字通り明るいピンク色に染まっていく。


「や、止めないかっ! 詮索はするな。だ、誰だって間違いのひとつくらい、あるだろう……!」


「はぁ、すみません……」


 妙な空気感になってしまったところで、扉の向こうで博士が大声を出す。


「しょおがないなあ! 君たちはあ! やめてあげたからとっとと入ってきたまえっ!」


「……オークラーさんあの」


「なんだ?」


「中の様子見てもらえますか?」


 カイは嫌な予感がした。博士は下着も穿いていないんじゃないか。その予感はオークラーにも伝わった。深く頷き、任せろと先に入った。


「――――博士! パンツとズボンを穿いてください」


「良いじゃないかこのままでも。隊長も楽にしたくば脱げばいい。あとその言い方は古いぞぉ? ズボンがパンツ。いいね?」


「やかましいです!」


 扉の向こうで案の定の会話が繰り広げられる。しばらく悶着があり、カイはもんもんと待ち、やっと扉が開いた。


「良い判断だった」


 息を切らせた隊長がカイを招き入れ、肩を叩いた。


 ベッドでは乱暴に穿かされた博士が、不機嫌な猫のような表情でいた。


「どうしてこう、キミは性に厳しいのかね」


「あなたが緩すぎるんです。もっとしっかりしてください。もう良い大人なんですから」


「緩すぎると言うほどの実績はない。みんな警戒心が強くてねぇ。お陰さまで君としかしていないよ。アハハハ」


「~~~っ! 博士っ!」


 カイはとにかく、気まずい上に居心地が悪かった。やっぱりニコ博士は苦手だ。頭のネジが飛んでいる。


 おれはやっぱ、オークラーさん推しだな~。比較的常識人だし。照れていても麗しい……。


 顔が恥色に染まっているオークラーを見て、カイは口元が緩んでいた。


「ともあれご退室願おうか、隊長」


「お言葉ですが、私は留まります」


「なぁに。カイ君は味方だとも。そこまで警戒しないでもいいじゃないか」


博士から・・・・彼を守るためです」


 オークラーの言葉に、カイは思わず吹き出す。


「はぁ~……。全く」


 ニコ博士はうんざりしながら、何かの機械を取り出す。スマートフォンにも見えるあれも、ガジェットなのだろうか。


「構わないが、しばらく君には分からない言語で話す。この言葉では語彙が足りなくてね。カイ君はこの会話を秘匿すること。約束できるね?」


 ちらとオークラーと顔を合わせてからうなずいた。


「分かりました。でも、分からない言語って……?」


 そう言い終えるや否や、首の後ろの翻訳機に違和感があった。いままで自然にあったものが無くなったという違和感だった。


 それからニコ博士がにやりと笑って、スマホのような機械を布でくるんで首の後ろに固定した。


「もちろん。君の言語だよ」


 日本語だった。


「えっ! な、なんで……あれ?」


 カイの言葉も日本語になっている。


 翻訳機が切れたんだな。でも、博士はどうやって話しているんだろう。


 そんなカイの疑問を見破って、ニコはしたり顔になった。


「翻訳機は言語を変換する機能がある。その変換履歴に乗っ取って、逆変換を行った。キミの辞書をハッキングしたというわけだ」


「……え? 履歴? 何を言ったか記録に残るんすか?」


「残る。何を考え、どのような単語を持っているかも。表向きは存在しない機能だがね」


「それってなんか……気持ち悪いっすね。ずっと監視されているみたいで」


「みたい、は余計だ。アハハハハ」


 笑いごとじゃない。なんだこの世界。なんか、ヤバい。


 あいにく、カイにはディストピア系小説の趣味はなかったし、ビッグブラザーを知らない。それでも、強烈な違和感が彼を囲うのだった。


「さて、夜のない世界に来た感想はいかがかな」


「夜のある世界を知ってるんすか」


「当然だ。キミたちの魂をありがたく頂戴しているわけだからね。その世界はじっくりと観察したよ。……まぁ、その観測結果についてはあまり多くを一般に知らせていないのがね。だって飯が不味くなるだろう?」


 確かに、カイが異世界の住民であると知ったリィラは嘔吐しかけた。だが、知らなければいいというものでもないはずだ。


 そう言いたかったが、彼女の得体の知れなさに言葉が引っ込んでしまった。


「それで、だ。キミはどう思ったかな」


 色々あったはずの感想だが、いざ改めて聞かれると何も思い浮かばない。なので、マッドの言っていた事をうろ覚えで話すことにした。


「……なんか、同じ人間に進化してて凄いなって」


「というと?」


「言葉とか、動作? あ、言動っすかね。が、違う世界でも一緒だなぁ、なんて」


 ニコは「ああ」と微笑み、大きく息を吸って、ただ明瞭に言った。


「それは我々のご先祖さまが、『そうなるように、キミの世界を作った』からだ」


「…………え。あの……」


 平然と想像を越える発言に、カイの理解は追い付かなかった。ただ、頭が真っ白になった。


 困惑するカイを見て、ニコ博士は立ち、カイにぐいと顔を近付けた。


「うーん思った通りの反応をしてくれる。いい表情じゃないか。芸術的だ」


「…………どういう、ことっすか」


「そもそもっ!」


 急に大声を出され、カイはびくりとした。


「我々人類は食糧難に見舞われさてどうしようかと頭を悩ませていた。初めは人口削減で対応していたが、行き過ぎて危うく絶滅しかけた。まあ全員死んでも良かったかもしれないがね。アハハハハ!」


「食糧難……」


「Ppだけじゃあ当然、生きていけない。キミの世界でいうアミノ酸やビタミンに相当する栄養も必要だ」


「その中に魂も? でも、魂が栄養ってどういうことっすか?」


「まあ聞け。それで、食料問題を解決すべく着目したのが、当時話題になっていた凡ゴースト理論だ。これは異世界に関するものでね。これを発展させて異世界を観測するうち、キミたちの世界を見つけた。いやはや、これが大発見だったのだ」


 彼女は嬉しそうに語る。まるで自分も関わっていたような物言いだが、彼女が生まれるずっと前の話だった。


「なんと、ほとんど我々と同じような構造の生物がいた。筋肉、骨、内蔵の構成から配置までもだ。ひじょーーーうに近い。分かるかね? そう、サル・・だ。あれが持つ情報……もとい魂が、我々の世界にとっての重大な栄養を多量に含んでいた。即ち、異世界で完全食が服も着ずに歩いていたのだぁ!」


「…………」


「そこから更に理論は発展。猿の粗悪な魂をこの世界へ引き込む仕組みを作った。この国に『大工場』という、アップルの生産工場がある。知っているかね? あれは現存する最古の施設でもあるのだよ」


「じゃ、じゃあ、世界を作ったって?」


「厳密に言えば、人の文化を作った。あながち間違いでもないだろう。『世界』は人の言葉だからね。で、それは異世界転移の技術が発達してからの話になるのだが、端的に言えば猿に我々の文明を与えた。どうやら我々に近しいほど栄養の純度が上がるようだからね。キミたちもやっているだろう、品種改良と言うやつだ。定期的にゲノムを改良しては、文明を発展させ、また改良……と繰り返しだ。遺伝子なんてものを持っていたから、キミたちの改良は実に楽だったと記録にあるよ。アハハ」


 何も言えず、目の前が段々と暗くなっていくような感覚があった。信じたくない話なのに、彼女の話が進むほどにその信憑性が増していく。


「聞くに、人間を人間として進化させたのは神や宇宙人だと思っているらしいね。まさか地獄の悪魔だとは思わなかっただろう? おっと、仮にこの世界を地獄と呼ぶぞ。そんなことはないのだがね」


「それだと、天国は……」


「そんなものはない。地獄に行きかけたやつが広めたんだろう。地獄があるのだから天国もあるだろうって」


「おれがここに来たのは……自殺したからじゃなかったんすか。関係なかったんすか。死んだ人は――」


「全員が地獄に行く。そういうシステムだ」


 カイは力が抜けて、背後の壁にどんと寄り掛かった。うつ向いて、ゴミ山のどこも見ず、ただ浅い呼吸を繰り返している。


 じゃあ、おれの家族も? 良い人とか悪い人とか、関係なしなのか。みんな、アップルにされて食われちゃうのか。


「仕方あるまい。今でさえ、アップルの供給を止めれば世界的な飢餓が発生すると言われているのだ。そちらの人口が増えて豊作になったのに相関し、こちらの人口までぶり返して増え続けている。人は過ちを繰り返すとはよく言ったものだよ。……というかだ。この国の名前を聞いた時点でピンと来なかったのかね? 君の国ではダイレクトに地獄と言う意味だったろう」


「知らないっすよ。名前……」


「おーっと、そうだったか。なら改めて言うが、この国はナラクという。首都はアヴィ。奈落と阿鼻だ」


「……そうなんすね」


 もうどうでもよかった。そんなこと。


 誰一人、その運命から逃れられないのか。そう思った瞬間に、反例を思い出した。


「……あ。でも、そうじゃない人もいるんすよね? 地獄に落ちない人も。だって、おれの友だちも異世界転生したんです。全然、別の世界に」


 それは、カイがトラックへ飛び込んで自殺をするきっかけとなった人だった。再会して、『自分もきっと』と期待した結果がこれなのだ。


「何事にも例外はある。異世界は全ての可能性で、人智を越えるほどの数があるのだからね。全く理解不能な原理原則で成り立つ世界もあれば、お互いに干渉し合うお隣さんの世界もある。ま、それにしたってキミの友人はずいぶんとユニークな物語を生きているようだがね。興味深い」


 その言葉に、少しだけ救われた気がした。ほとんど焼け石に水だったが。


「その友人君と同じくらい謎な状態にあるのはキミだよ、カイ君。キミはどうなっているのだ? 異世界から魂を引き入れる際に、その経路が人体を通過する場合があるってことは理論的に考えられていた。だが人体に吸収された上に乗っ取るなんてことは前例がない。恐らくはジェイクの特異な状態と重なって起こった現象だろうが……さてここで本題だ! 今のキミに関するいくつかの質問がある」


 ニコニコとした顔の前で、カイは何も答えられなかった。


「んん? そーんなにショックかね。そもそも天国なんて人間のためのものがあるわけがないだろ。ここだって、地獄とは呼ぶが悪い人間の落ちる場所ではないのだ。世界は常に、キミたち人類にとっても、我々人類にとっても都合のいいものじゃあない」


 ニコ博士はしゃがんで、カイの顔を持ち上げた。


「人のために世界があるのではない。世界があって人がいる。それだけだよ」


「…………でも……じゃあアップルにしなくても……」


「しなければ、別の世界が犠牲になっていたさ。動物は力を得るなり、全てを食らう怪物になる。神の皿にさえ手を出すようになる。それが『動物』だ。それに、我々が文化を提供しなければキミたちの世界には違った文明があっただろうね。猿ではなく、別の種が支配する。キミたちの快適な生活の見返りだよ。ウィンウィンの関係でいることのなにが悪い?」


「…………」


「う~む深刻なダメージだな。そんなにしょぼくれるとは。……そうだ」


 ニコは怪しげな微笑みで、カイの頬をそっと撫でた。


「ねえねえカイ君。気持ちいいことでもして気をまぎらわ――ふにゅっ!?」


 カイにキスしようとした博士の顎を、オークラーが掴み上げて頬を握った。まさに鬼の形相だった。


「じゃわをしゅりゅな!」


「繧、繧上◆縺励□縺」縺ヲ、縺励▲縺ィ縺上i縺?☆繧九s縺?縺…………!」


 オークラーはニコをベッドへ投げる。ぼふんっと大きく跳ね、彼女は頬を擦りながら呻き、少し目を回したように身を起こした。


「うーん、隊長め。分かった分かった。ごめんよぉカイ君。そこまで傷付くなんて思ってなかったんだよ。ちょっとショックを受けた面を見せて終わるかと思った。ノーテンキなキミなんだから」


「……大丈夫っす」


「ともあれ前置き大失敗だ。こんなんじゃ正確な回答は期待できないな。またあとでにしよう。はい解散!」


 カイは無理に笑顔を作って引き返していった。




――Nico――

 部屋には、隊長と博士のふたり。博士は翻訳機を外し、ベッドの端に座って見上げている。


「……オークラー」


 古い呼び方に、隊長はどきりとした。


「……な、なにか? もう間違いは犯しませんよ」


「知っているか、科学とは現象の解釈だ。人が理解し、利用できるように結果から解釈していく。まずは現象から始まるのだ」


 ニコはただ、微笑んでいた。


「確かめられないことは仮定を立て、それが合っているらしいかどうか調べる。例えば、異世界では物質の最小単位を求めようとしているらしい。目に見えないほど小さな物はどんな物なのか。目隠しをしてボールを投げたら返ってきた。だがそれが壁に当たったからか、上り坂だったからか、向かい風だったからかも分からない。それくらい小さい物を見つけようとしている。だからこそあらゆる反論に耐えうる、仮の定義を堅実に固めていくのだ」


「ほう?」


「が、この仮定はとんでもない角度からの証拠で一気に瓦解することがある。今まで信じていたことが、間違いだったのか、なんてね。これは人とのコミュニケーションでも、見られる現象だ」


「言いたいことがおありならば、率直に申し上げてはどうでしょうか。博士?」


 あくまでも冷たく、突き放す態度だった。しかしニコは全く気にしていない。


「いいとも。『私だって、嫉妬くらいするんだぞ』」


 隊長はまた顔を染めた。これはニコを投げ飛ばすときに言った言葉だった。


「き、聞こえてたのか!?」


「母国語だぞ。聞き取れない訳があるか」


「く……」


 博士が立ち上がって、隊長の前に立つ。隊長は少し背が高く、博士は少し背が低い。その差は頭ひとつだった。


「ねえオークラー。わたしのワガママを真に受けるのに、どうしてキミはワガママを言わないのかな」


「それは……」


「ただ、自分とだけしてほしいと言えば、わたしはそうする。だからオークラー、また……ニコと呼んでくれるかな」


 博士はそっと、隊長の手を握った。


「ベッドでならキミとわたし、同じ目線の高さでいられるんだよ?」


 握り返されることはなく、手の中からそっと逃げていった。


「…………失礼します博士・・


 呼び方を強調し、ドスドスと地面を踏みつけながら部屋を出ていった。その背を見ながら、博士はベッドに座り直した。


「駆け引きでもないのに、面倒だねえ……」


 ひとつ溜め息をつくと、また扉が開いた。


 今度は、32部隊の隊員がひとり。


「……いつだね」


「戦闘データ。30メイラ後です」


「そうかね」


「それともうひとつ、ファイマン様から――」


「キミ」


 ニコが隊員を睨むと、彼の顔が酷く強ばった。


「名を出すもんじゃない。メッセージがあるときに人を寄越すのはそっちだと分かっている」


「す、すみません……その、伝言ですが……。『あれはお前の仕業か』と……」


「『どれのことだか分からない』、とでも返してくれたまえ。ご苦労」




――Lila――

「へぇ~、これが! 初めて見た。すっげぇ~」


 リィラが施設の屋上でしげしげと見ているのは、陽光によってPpを作り出すという真っ赤なパネルだ。


 これは彼女ら赤鬼が日の光でPpを生成できるという特性を利用し、生きた組織を最新技術で培養してパネル状にしたものだ。


 いわば生きたソーラーパネルだった。


「まだ特許通ってないから、全然情報出回ってないんだよな~。でも、もう実用化してんだ。……まー、そーだよな。受理期間長過ぎだよやっぱ」


「昔はもっと、気持ち悪いやつだったんだろう?」


 付き添いのクレイが言う。


「うん。死んだ人を使ったり、一番有名なのだと赤ん坊を栄養のチューブに繋いで、大量に並べてメガソーラー、とか」


「うっへぇ。よくそんなことが許されたね」


「いや、まあ、全然許されなかったから有名になったんだけどさ」


「あ、そりゃそうか。あはは……」


 リィラはソーラーの裏側までじっくりと舐め回すように見た。


「はぁ~。なるほどねぇ。パルス化でタイミング同期して逆流防止してるんだ。で、バッファタンクでパルスノイズと負荷側の変動に対応して平滑……か。へぇ~」


 クレイはリィラを微笑ましくも、切なげな目で眺めていた。彼女は息子が夢中になって遊んでいるときと、同じ表情だった。


 カイが正式に引き取られれば、大金を持って家に帰ることができる。そうすればきっと、家族は幸せに暮らせる。かなり早いが隠居生活になるだろう。


 だが、とクレイは引っ掛かっていた。引き取られたあと、カイはどうなるのか。それは教えてもらっていない。まさか、殺されなんてしないよな。


 クレイがそんなことを考えているとは露知らず、リィラはソーラーパネルに夢中になっていた。少しして、クレイの立ち上がる気配に顔を上げた。


「リィラちゃん」


「んぁ?」


「カイ君の用も終わる頃だろうし、中へ戻ろう」


「あ。もうそんな経った? じゃああとちょっとだけ」


「こらこら。戻りますよ」


「え~いいじゃんか~」


 駄々をこねるリィラに、参ったなと頭をかく。


 ふと何かの影に気付き、クレイがパネル横のタンクに身を隠した。その奇行にリィラは怪訝な顔をする。


「……? なにやってんの?」


「り、リィラちゃん。悪い。匿ってくれ」


 なんだこいつ。リィラはそんなことを思って顔を上げる。屋上の入り口でキョロキョロと見回している身体の大きな老人がいた。


 彼がリィラを見つけ、大股で歩いてきた。


「なんだ。隊員が居ないと思えば子どもだと? どうやって入った」


「カイと一緒に」


「な、なにぃ?」


 老人は顔を歪める。よく見れば制服には様々なバッジがついている。偉い人なのだろう。と、リィラは直感した。


 大佐が少し前進すれば見える位置にいるクレイは、テロリストと交戦している時以上に肝を冷やしていた。リィラのことは報告していたとはいえ、連れてくることまでは言っていない。


「見学が済んだならとっとと帰れ。ここは子どもの遊び場じゃないのだ」


「遊びに来たんじゃない。あのバカの世話係だ。カイの」


「屁理屈はいい! 大人を舐めるなよ貴様。口の聞き方から叩き直されたいようだな」


「遠慮しとく。隊員を探してるんでしょ? 隊長ならニコ博士んところいると思うよ。カイと一緒に」


「……ふん。そうか。情報提供には感謝しよう」


「ふふん」


 両手をパーカーのポケットに突っ込んだままリィラはニヤリと笑う。するとその生意気な胸ぐらを片手で掴まれた。


「わっ!」


「礼と言ってはなんだが、出口まで案内してやろう」


「はぁっ!? やめろ、おい離せよ……!」


 リィラが暴れて脱走しようとするのを無視して引っ張られ続ける。


「い、いいのかこの……! タッチレスチャージャーのこと知ってるんだぞ!」


 苦し紛れの言葉に、大佐がリィラの顔を見た。止めようと飛び出しかけたクレイも引っ込む。


「なんだと……!? なぜ貴様が知っている」


「それはまぁ……アタシが天才だから……?」


 大佐は眉間に深くシワを刻み込み、ふぅと力を抜いて、胸ぐらから手を放した。


「真面目に答えろ」


「カイのガジェットリストを見たらあったからだよ。他にそういう機能のあるガジェットが無いんだから、ペアリングの片割れがあるってことぐらい分かるでしょ」


「……ふぅむ」


 大佐は考え込む。いけそうだとリィラは踏み、だめ押しをする。


「それに、テロリストのボスがファイマンって男なのを知れたのはアタシのお陰。これでもう立派な関係者ってヤツでしょ?」


「……な、なんだと。もう一度言ってみろ」


「え……いや……」


 大佐の様子が豹変し、リィラは思わず少し距離をとった。


「だ、だから、テロリストのボスはファイマンなんだって。まだ報告とかされてなかったの?」


「ファイマンだと……。おのれ、謀ったな老いぼれどもめ……!」


 尋常ではない気迫だった。だがリィラは少しほっとしていた。自分のことで怒っているようではないらしい。


「……どうしたの?」


「お前の言う通り、お前は関係者だ。帰すわけにはいかなくなった。下のロビーに集合しろ」


「集合? 他の人も集めてるの?」


「あることで国際問題になった。その事情聴取をする。必ずロビーにいるんだぞ。これはT.A.S.の存亡に関わる重要事項だ!」


「なんですって!?」


 クレイが驚きのあまりに立ち上がる。それを狙撃するがごとく、即座に大佐の怒号が飛んだ。


「貴様ッ! 隠れていたのか!」


「やっべ! わ、私は先にロビーへ行くでありまぁす!」


 クレイが逃げるようにしてもう一つの出口から逃走した。


 よっぽどこの爺さんが怖いんだな。そんなことを思う。


「……他のメンバーを見かけたら呼んどく」


「知っているのか」


「うん。アタシとカイと、隊長、クレイ、ロック、マッド。あとは死んじゃった」


「うむ。感謝する」


 大佐は会釈し、出口へ向かった。


 なんだ。ちゃんとしてりゃ普通の爺さんじゃん。なんでわざわざずっと怒ってるんだこいつ。


 リィラも追って、階段を下りていく。するとマッドがいた。


「ねえあんた」


「ひっ!? な、なぁんだリィラちゃんだね」


「なにビビってるの? そんなにあの爺さんが怖い?」


「ま、まあねだって乱暴だし怖いし理不尽だし……」


 マッドは両手で互いの指を揉みながら、泣きそうな声を出した。


「ふーん。ロビーに集合だって、なんか国際問題? が起こったって」


「こ、国際問題が? や、やっぱりニコ博士のあれは絶対ヤバかったんだね」


「あ~。一応PG社員だもんね。で、国際問題か」


「と、取りあえず行くね。お、教えてくれてありがとうね」


 マッドが階段を更に降りていった。


 それからリィラも後を追うと、売店にコソコソとしたロックがいた。


「嘘でしょ。アンタも隠れてんの?」


「あのジジイは話が長くて面倒なんだ」


「あ~分かる。でも、そんなに長くなかったよ?」


 リィラの言葉に、ロックが思わず見た。身長差がありすぎて、お互いに首が痛くなる。


「お前、大丈夫だったのか?」


「まあね。ロビーに集合だって。国際問題。PG社員殺しはヤバかったっぽいね」


「ほお。あの博士が痛い目に遭うところを拝めるのか。そりゃ行かなきゃな」


 ロックもロビーへと向かう。


 リィラもそれに着いていき、到着した。カイとオークラーはいなかった。


「やあやあお集まりだね。何かあるのかな?」


「今に分かるよ。ヒントは国際問題」


 微笑みを抑えながら言った。


 カイとオークラーは外から来た。何かがあったのか、カイは息を切らせたオークラーに腕を引っ張られてきた。


「――――博士、あなたという人は!」


「おやおや? 何かやらかしてしまったかな?」


「カイの翻訳機を弄ったなら元に戻してください! 部屋は散らかしっぱなしで物はいじりっぱなし。全く……」


「アハハハハハ! すまないねぇ」


 ニコは大笑いをし、カイの翻訳機を操作したリモコンで設定を戻した。


 その様子に、リィラが目を見開く。


 え? 今あの博士、何した? 遠隔で翻訳機をコントロールしたみたいだけど、そんな機能知らないぞ。対応している言語は一つなんだから他の言葉にするわけじゃないだろうし、だったら使った履歴とか知れたりするのかな。何を言ったか、とか。ってことはもしかして――。


 リィラは一瞬で想像を膨らませ、真相に一気に到達する。


 ――そうやって辞書の登録をしてるんだ。言えない単語に対応できるように何が言えなかったかをログに残して。でもきっと、ちょっと問題になるからその機能は伏せてたんだな~。


 勢い余って真相を通り越してしまった。この世界のビッグブラザーに名前は付かなかった。


「カイ君。悪く思うなよ。縺斐a繧薙?ごめんねっ!」


「……ん? あっ、分かるようになったっす。あー、よかった」


 ほっとするカイに、オークラーが少し意外そうな顔をした。


「もう、大丈夫なのか?」


「はいっ。笑い事じゃないっすけど、ちょっと楽しかったっす。助けてくれてありがとうございました」


「そうか……。それなら何よりだ」


 ポンと肩を叩く。


 リィラがカイの前まで来て、両ポケットに手を突っ込んだまま見上げた。


「なんかあったの? そこのヘンタイに襲われた?」


 リィラが言うと、今度はオークラーが吹き出した。


「なにおう! 変態ではなく健全な大人だっ!」


「うっさい! このヘンタイ! ヘンタイ博士!!」


さえずるな貴様らッ!」


 怒号一発が場を沈めた。大佐の登場に、隊員たちが目にも止まらぬ早さで一列になり背筋を伸ばした。


 リィラはカイと顔を合わせ、その列にそろって並んだ。ニコはぶらぶらしていたが、特に咎められなかった。


「集まってもらったのは他でもない。先ほど発生したテロリストとの交戦について、状況確認をするための聴取だ。隊長」


「はい。2台のホバーでカイを迎え入れ、A車は運転手ディアス、私オークラーと、クレイ、カイ、そして彼女リィラの四名を。B車は運転手エリンケス。ロックとマッド、タリカ、ディック、アンフォでありました。テロリストの襲撃はB車から行われ、道中でA車から離脱したB車にカイが向かいました」


「A車を放っておいてか」


「死地にある隊員の救助には、単身で戦い続けられるカイ以上の適材はいません」


「護衛の対象をその死地とやらに送ってどうする!」


「お、おれの自己判断です」


 カイが口を挟むと、大佐がわざわざその目の前に歩いていって、真正面に立つ。


「お前は自分の立場を分かってないようだな。何のためにお前のような頭の足りん男を護衛させたと思っているッ」


「そ、それでも、放っておけなくて――」


「――口答えをするな! 結果論で言い訳がまかり通ると思っているのか。先を見越した判断ができんならガキのように甘ったれて生きていろッ!」


 カイは、何も答えなかった。


 なんでだよ。どうして言い返さないんだよ。隣のリィラが悔しさばかりを腹に積もらせた。


 ――もういい。


「黙ってれば好き勝手言いやがって、恥ずかしくないの?」


「なんだとっ!?」


 隣のリィラの前に来て、ぐっと顎を引いて見下した。


「そうやって怒鳴ってたら、誰も本当のこと言わなくなるよ」


「お前に何が分かる若造。ガジェットに少し詳しいだけで大物気取りか」


「小物でも分かることが、どうしてあんんたに分からないんだよ」


 空気が凍っていく。このままじゃまずい。誰もがそう思っていた。それでも、誰も動けないでいた。ただひとり、オークラーだけが列を乱した。


「リィラ。今は、よせ。カイも静かに。報告の妨害だぞ」


「うっさい! 静かに人の話も聞けないのはアタシじゃないだろ!?」


「ほぉ。聞いたかお前ら」


 大佐は後ろ手に組み、わざとらしく驚いて見せた。


「このおっぱいもまともに育てられない栄養失調児のありがたいお言葉だ。またあのにやけ面になったらどうだ天才」


 ――こいつ、今なんて言った。


 最低のクソ野郎が。アタシが女で子どもだからって好き勝手に言いやがって。


「どうした! 笑え!」


「バカかお前。舐められっぱなしでヘラヘラするわけねえじゃん。話進める気があんなら黙って聞いてろよ」


「貴様ぁ……! もう我慢ならん。根性を叩き直してやる。歯を食い縛れェ!」


 左手一本でリィラの胸ぐらを掴み上げ、右手に拳を作った。


 だが、その拳がリィラの顔に叩きつけられることはなかった。


 大佐の首もとに、Ppで形作られたアンカーブレードの輝きがあった。


「……なんの……つもりだ」


 リィラが横を見ると、カイはただ、見たこともないほど鋭い目で大男を睨み付けていた。


「リィラに手を出すなら、おれも手を出します」


「お前に殺せるか」


「……試したくは……ないです」


 大佐は、カイの目をじっと見返す。


「その目を、知っているぞ。ルーキー」


「……」


「怯えた目。初めて人を殺す奴の強がった目だ。だが、殺せん。誰かを傷つけるだけで首をくくるような臆病さだ」


 リィラをおろす。やっと一息付けた。


「――――貴様ら、見ろ。これが我々の最終兵器だ。誰も殺せない、殺戮マシンだ」


 そういいながら、大佐は元の位置に戻っていった。


 なんだよ。……できるじゃん。カイを少し見直し、隣に立ち直すと、彼はやたらとリィラに寄った。身体がくっついていた。


 どうしたんだろう。そう思っていると、カイがそっと手を握ってきた。驚いて固まったリィラだったが、その手が異常なまでに震えていることに気付いて、ぎゅっと握り返した。


 しょうがないなぁ。助けてくれたから特別だぞ。


「いやぁ首がすっ飛ぶかと思ってびっくりしたね。アハハハハ」


「……口を挟まないでいただけますかな。ニコ博士」


 大佐の言葉に、リィラは目を見張った。嘘だろ。このジジイに敬語使わせるって、どんだけ偉いのこの博士。


「ところで話が見えてこないんだけど、国際問題ってのはなんだい? まずは問題を明確にして、どうしてそこに繋がったかと考える方が賢明だと思うよ」


「うむ。固定砲台から発射されたと見られる弾丸が、他国の領空内に侵入したのですよ」


 え? ヘンタイ博士がPG社員殺したからじゃないの?


 頭に疑問符を浮かべたリィラをよそに、ニコは手を打った。


「へぇ~っ! いや流石はグレートライフル。理論に肉薄する飛距離を出せるとは素晴らしいじゃないか」


「ぐ、グレートライフルですと? あの、中止したはずのアーマリング計画が再始動したということですか」


「いいや。単なる流用だろう。ファイマンとはいえ、人間が扱えるレベルまで小型化しているのだ。それに、あんな現実的じゃないコストをケチなお国が払えるとは思えないしねぇ」


「ふむぅ。どこまでも不可解な……」


 大佐が顎に手を当てた。


 またアタシたちに言えない情報ってやつ? 勘弁してよ。


「で、どの一発が該当したんだい?」


「警察署の上部を貫通したものです。目撃情報によれば最後の一発らしいですが……」


 あれ。それアタシが蹴って逸らしたやつじゃん。


 え、じゃあこの国際問題って……。


 …………アタシのせいってこと?


 握り返したリィラの手が、カイに負けないほど震え出すのだった。

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