人を食ったような

黒川富矢

思っていたより綺麗なんだね、取調室ってのは。もっと小汚いところを想像してたよ。ほら、ケーブルテレビで昔のサスペンスドラマの再放送をやってるだろ?俺はあれが結構好きで暇なときに観てるんだけどさ、ドラマの中の取調室はもっと狭くて殺風景じゃない?おまけに刑事も暴力的でさ、いきなり髪を鷲掴みにして「お前がやったんだろ!」なんて怒鳴ったりする。でも刑事からそういう目に遭った奴って、大概は犯人じゃなかったりするんだよな。結局、真犯人は刑事でも何でもない主人公が捕まえるんだよ。それが探偵や新聞記者ならまだわかるけど、旅館の女将とか家政婦とか葬儀屋が事件を解決しちゃったりしてね。ああいうのってちっともリアルじゃないけどさ、でも観てると意外と面白いんだよね。とか言いながら、いつも話の途中で寝ちゃうんだけどさ、ははは。

そうだ、昼メシはカツ丼がいいな。取調室と言えばカツ丼だろ?あれって刑事さんが奢ってくれるものじゃないの?・・・・・・なんだよ、ケチだな。じゃあ金は自分で出すから頼んでくれよ。え?なんだよ、ここじゃ食べれないの?ふうん、そりゃ残念だ、楽しみにしてたのにな。俺はグルメっていうか、食に対するこだわりが強いんだけどさ、食事の美味い不味いってのは、料理そのものの味だけじゃなくて、食べたそのときのシチュエーションが大きく影響するんだよね。ほら、海の家のラーメンって美味く感じるだろう?あんなの殆どがそこら辺のスーパーで売ってる安物で、もし他の場所で同じ物を出されたら食えたものじゃないよ。海の家だからいいんだ。それと同じでさ、取調室で食うカツ丼って最高に美味そうじゃないか。たとえそれが政治家の演説みたいに薄っぺらで中身のないカツだったとしてもね――うーん、こんな話をしていたら腹が減ってきたよ。まだこんな時間なのか、昼まで長いなあ。俺、何時までここにいなきゃならないの?ふーん、じゃあ俺が黙っていれば永遠にここから出られないってことね・・・・・・いやいや、そう言ってるのと同じだよ。その間はずっとあんたみたいなおっかない顔した刑事さんに睨まれてなきゃいけないの?それは嫌だなあ。できれば可愛い婦警さんが良いんだけど。チェンジとかないの?ははは。俺さ、婦警さんの制服って好きなんだよね。制服フェチというわけじゃないんだけど、婦警のはなんだかそそるんだ。あと、手錠を掛けられてプレイしてみたいって願望がある。別にMっ気があるわけじゃないんだけどさ、ははは。でも婦警モノのAVって少ないんだよな。そういえば、あんたら警察のOBがビデ倫にいるから婦警モノAVは審査が通らないって話を聞いたことがあるけど、それって本当なの?知らない?ふうん、そう。まあいいや、とりあえず婦警さんに変わってくれない?洗いざらい何でも話すんだけどな、あることないこと。ないことはダメか、ははは、悪かったよ、そんな怖い顔するなって。ただでさえ怖い顔してるのに。ははは、わかってるって、話すって。あんたらが聞きたいのはこんな話じゃなくて、あの女の話だよな。

でもさ、俺は彼女のことは何もわからないんだよ。どこに住んでいたとか、何の仕事をしているとか、そんなことを訊かれても一つも答えられないんだ。身分証の類も持っていなかったからさ。もちろん名前は本人から聞いたはずだけど、どうしても思い出せない。多分思い出せないくらいにありきたりな名前だったんだと思う。まあ仮に聞いていても、それが本名かどうかもわからないしね。歳は、ううん、二十歳ちょっとに見えたけれど、本人から聞いたわけでもないから実際のところは定かじゃないんだよね。女って化粧するからさ、年齢がよくわからないだろ?もしかしたら俺とそんなに変わらないかもしれないし、高校生くらいだったかもしれないし。まあ少なくともあんたよりはだいぶ下だよ、ははは。ところであんた幾つ?……え?思ったより若いんだな。いや年の割に落ち着いて見えるってことだよ、悪い意味じゃない。怒るなよ。怒ってない?ははは。俺はよく余計なことを言って人を怒らせるんだ。まあ俺の喋ることなんて大体は余計なことなんだけどさ、ははは。

まあそういうわけでね、彼女のことは殆ど何にも知らないんだよ。俺が知っているのは、彼女がとんでもなくいい女だったってことだけさ。

自分で言うのもなんだけど、俺はそこそこモテるからさ――そこそこね、ははは――それなりに色んな女と遊んできたけど、彼女ほどいい女に出会ったことはなかった。顔も身体も最高だった。思い出すだけで生唾を飲み込んじゃうくらいにね。でもさ、凄い美人だったかと訊かれるとそれはまた違う気がするんだよな。鼻が高いわけでもないし、目も気持ち離れ過ぎのように感じる。背だって高くないし、手足がすらっと長いわけでもない。いわゆるモデルみたいなタイプでは全くないんだよね。でも、とにかくいい女なんだよ。“男好きする”っていうの?少し幼い顔立ちで、それでいて胸もケツもデカくて、やたらとエロい身体つきをしていた。グラビアアイドルにちょっと似てるコがいるんだけど、なんて言ったっけな?まあいいや、そういう感じの女だったんだ。

彼女と出会ったのは、えーと、今日は何日だっけ?どうも曜日感覚がなくてさ・・・・・・えーと、そうすると、二週間前だな。二週間前の金曜日の夜だよ。もうそんなに経つんだな、ははは。

俺は週末になるといつもふらふら飲み歩いていてさ、その日も飲み友とバーを何軒か回っていい気分になっていた。それさ・・・・・・え、そいつ?Kってやつだよ。ふざけた名前だろ、ははは・・・・・・勿論あだ名だよ。Twitterの名前。本名なんて知らないよ、酒の席の友達なんてそういうものだろ。そういうものなんだよ・・・・・・ああうん、まあちょっと待てって。質問には後でゆっくり答えるからさ、とりあえず俺の話をひと通り聞いてくれよ。俺は人より記憶力が悪いからさ、何をどこまで話したかわからなくなっちまうよ。にわとり並みなんだ、三歩歩くと忘れちまう。仕事でもよく失敗する。物もよく無くす。それも鍵やら財布やらスマホやら、大事な物に限って無くすんだよな。でも大体はベッドと壁のあいだの隙間とかカバンのポケットの奥とかにあるんだけどさ。で、何の話をしていたっけ?なんてね、ははは、冗談だよ。

その日、俺はKと夕方から近所で飲んでいたんだ。最初はゴールデン街の店を二、三軒回った後にさくら通りの行きつけのバーに行って・・・・・・だからさっき言ったろ、とりあえず最後まで話を聞けって、な?聞かないんだったら喋るの辞めちゃうからね?うん。で、店のコを交えてお喋りしながら楽しく飲んでいたんだけど、女の話で盛り上がっているうちに俺も友達もエロのスイッチが入っちゃってね。ヤりてえなヤりてえなって騒いでたら店員にちょっと怒られたんだけどさ、ははは、隣に座っていた顔馴染みのお兄ちゃんがおすすめのハプバーを教えてくれてさ。花道通りの向こうのホスクラが入ったビルの地下だったんだけど、そこに行ったんだ。あんたハプバーはわかるよな?そうそう、ハプニングバー。俺もKも行ったことなかったから、男も女もみんなテンション高くて至るところで素っ裸になって至るところでヤりまくってるような、そんなブっ飛んだ夢のような空間を想像してたんだけど、でも実際に行ってみると意外と普通でさ、酒飲んで喋って盛り上がっているだけで、パッと見、やってること自体はその辺のバーと変わらないのよ。ただみんな下着姿だったりテレビにAVがずっと流れてたりして、なんだか不思議な感じだった。奥にはヤるための部屋があってさ、セックスしたいやつらはそこに入っていくんだって。でも常連っぽいやつらはコミュニティがすっかり出来上がっているから、俺らはその輪の中に入っていけなくて、ちょっと離れたボックス席に座って静かに飲んでいた。そんな俺らを見兼ねたんだろう、女の子が俺らの席に声を掛けてきた。人当たりは良いけどあんまりぱっとしない女の子だったよ、あれとヤるくらいだったらAVで抜いた方がいいと思ったね俺は、ははは。で、その子が店のこととかその界隈のルールとかを色々と教えてくれてさ、だんだん常連の人たちも絡んでくれて、まあまあそれなりに楽しく飲んでたんだけど――俺、途中で思いっきり爆睡しちまってさ、ははは。酔っ払っているとすぐ寝ちゃうんだよね。で、目が覚めたら、Kもその女の子もいないんだ。さっき喋っていた常連のおっさんに訊いたら、Kはちょっと前に帰っていった、女の子はルームに入ってったって。俺はそのときさ、置いて帰っちまった友達に対してどうのこうのって感情より、あんなブスでも需要があるんだなあっていう気持ちの方が強くてさ、なんかちょっと複雑な気分になったよ。ははは。

まあそんなわけで一人になっちまってさ、改めて常連の輪に加わろうとするのも面倒だったし、つまらなくなって俺も店を出て、飲み直しにもう一軒だけバーに寄ることにした。いや、本当はフーゾクに行きたかったけどね、金がないからさ。飲み歩いているとすぐ諭吉が飛んでいっちゃうんだよな、ははは。で、どこで飲もうかなあって考えながらふらふら歩いていたら、あずま通りの路面店のバーに若いギャルのグループが入っていくところを見かけた。だから俺もその店に決めたんだ。女がいるところに集まるのは男の習性みたいなもんだ、花の蜜に群がる虫と同じさ。男ってバカだよな――“一緒にするな”って顔してるぜ、そんなことないって?ははは。

で、俺もその店に入った。初めて行ったんだけどさ、どこにでもありそうな、ごく普通のカジュアルバーだったよ。店構えもメニューも店員も絵に書いたように普通で、悪くはないけど惹かれもしない店だった。でも店の中は広いのにかなり混雑していたよ。カウンター席も幾つかあるテーブル席も殆ど埋まっていて、入ってすぐのカウンター席が二つ空いているだけだった。きっと人ってのはどこにでもありそうな場所が一番落ち着くんだろうな。俺はカウンターの端に座りハイボールを頼んで、それをちびちび飲みながら煙草をふかしていた。俺は酒を飲むと煙草が増えるんだ。口唇欲求が強いんだろうね。いい女がいればキスもしたくなるし、むしゃぶりつきたくもなる。いやそれは別の話か、ははは。

先に入った女のグループは、店の奥のテーブル席に座って飲んでいた。三人とも若くてそこそこ可愛くて、それでいていかにも軽そうな雰囲気でさ。一人なんか椅子の上で片膝を立てて座ってるもんだから、ミニスカの隙間からパンツが丸見えなんだよ。派手で下品なパンツだった、ははは。まあそんな感じだったから、先にいた客、後から来た客、色んな男が彼女たちを見ていたし、そのうちの何人かには声も掛けられていた。知らない男に声を掛けられても彼女たちは慣れた様子で愛想良くノリ良く受け答えして、上手いこと酒を奢らせていた。俺も最初はタイミングを見計らって突撃しようかと思っていたんだけど、なんかその様子を見ていたらバカバカしくなってさ、ははは。仮に仲良くなったとしても、三対一じゃその後に展開のしようがないじゃない?三人ともホテル連れ込んで4Pなんていう夢の展開はなかなか有り得ないしさ。ああでもむかーし横浜で女二人を連れ込んで3Pしたことはあるな、二人とも農協の女だった。ははは。

まあでもそんなことは人生なかなかないわけで、俺はさっさと諦めて、モヤモヤした、いやムラムラか、ははは、そんな気分で一人酒を飲んでいた。ああヤりてえな、いい女入ってこねえかな、いやこの際ブスでもいいからヤれる女いねえかなってさ、ははは、頭の中はそんな欲求でいっぱいだったよ。ハプバーで会ったあの女でもいいからヤりたいと思うくらい、俺の性欲は暴発寸前だったんだ。

丁度そんなときに――あの女が店に入ってきた。

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