4、満月と流星群

 

「誰だ?」


 怪訝な声を出すジャンと対照的に、アンナベッラは軽やかに立ち上がった。


「心配しないで、ジャン。私のお客さんだから。このために今まで生きてきた」


 だからどういう意味だと聞く前に、アンナベッラは扉を開けた。


「アンナベッラ様!」


 扉の向こうには、貴族としか思えない格好をした中年の男が立っている。

 男はアンナベッラを見るとすぐ頭を下げた。


「お久しぶりです。ザビーノです」

 

 目を丸くするジャンを見向きもせず、アンナベッラは親しげに声をかける。


「ザビーノ! 久しぶり! あなたもずいぶん年を取ったわ」


 ザビーノと呼ばれた男は、照れたように答えた。まるで昔からの友人みたいに。


「お恥ずかしい。アンナベッラ様はお変わりなく」

「見た目はね。でも私にだって同じように時は流れてる」

「主も同じです……結婚もせず今までお過ごしでした。お二人にとってさぞかし長い三十年だったでしょう」

「忌々しいあのドラーゴのせいよ」

「まったくです」


 アンナベッラは小声で聞いた。


「……それであの人の具合は?」

「ずっと臥せっております」


 アンナベッラは大きく息を吐く。ザビーノが慰めるように言った。

 

「アンナベッラ様が居場所を広めてくださったので、私が代わりに迎えに来ることができました」

「すぐに行くわ。案内して」

「はい」


 アンナベッラが振り向きもせず出ていこうとするので、ジャンは思わず引き止めた。


「ま、待てよ。アンナベッラ、どこへ行くんだ?」


 アンナベッラは残酷なほどあっさりと別れを告げる。


「ジャン、今までありがとう」

「お礼なんていい。どこ行くんだ? いつ戻る?」

「戻らない」


 その一言が、ジャンの胸をどれほどえぐるか考えもせず、アンナベッラは微笑む。


「元々、迎えが来るまでの間ここにいるだけだったの」

「僕は……僕はなんにも聞いてない」


 なにも知らないのは自分だけだったのか? そんな疑問を口にする暇も与えず、アンナベッラは早口で言った。


「ごめんね、ジャン。時間がないの。ロレッタさんに優しくしてあげてね。あの人、いつでもジャンのことを心配していたわよ」 

「今そんなこと関係ないだろ!」

「じゃあね」


 何もかもあっという間だった。

 待って、とジャンが手を伸ばす前にアンナベッラは扉の向こうに出ていった。慌てて外に飛び出したけど、アンナベッラの姿はどこにもなくて、豪華な馬車が遠ざかっていくのが見えただけだ。

 あの紋章は、もしかして。

 まさか。

 でも、どうして?  

 黒将軍の馬車に乗って消えたアンナベッラは、二度とジャンの前に姿を現さなかった。


          ‡


「リエト!」

「アンナベッラ……本当にアンナベッラだ。君は変わらないな」


 ザビーノはアンナベッラを大きなお屋敷に連れていった。通された部屋にはひとりの男が横になっていた。


「あなたも変わらないわ」


 アンナベッラは行儀悪く寝台の縁に腰かけて笑う。


「そんなことないだろう」

「いいえ。三十年前、ドラーゴ退治で瀕死になってあの森で倒れたときのまま」

「もう少し元気なときを思い出してくれ」

「そうね」


 あのときなかった頬の傷や、病のために痩せた体など、アンナベッラには関係なかった。ここにいるのはあの人だ。ずっと会いたかったあの人だ。

 アンナベッラから目を離さずリエトが言う。


「ひねくれ魔女が王都で店を開いていると聞いて、すぐにザビーノを遣いを出した」

「遅いくらいよ。ずっと待ってたんだから」

「情けないことにずっと熱が続いてね。しばらく意識がなかったんだ」

「それなら仕方ないわね。許してあげる」


 リエトはかすれた声で言った。


「お前が来たということはそろそろだろ?」

「そうね」


 聞くまでもなく、こうやって顔を合わせることができたのがその答えだった。

 アンナベッラとリエトに退治されたドラーゴは、長生きして人の姿になっていた。

 自分を倒す二人の絆に嫉妬したドラーゴは、二人に「死ぬ直前まで会えない呪い」をかけた。

 周りに害をなす種類の呪いだったため、二人はお互い離れることを選んだ。

 だけどようやくそれが終わるのだ。


「次の満月だと思う」

「……そんなものか」

「ドラーゴは嫌がらせのつもりだったかもしれないけど」


 アンナベッラは、若い頃と違って、瞳の奥にほの暗さを見せるようになった恋人を見つめながら言う。


「死ぬ時期が同じでよかったわ」

「ああ、それはそうだな」

 

 お互いの死期が重なっているなら、むしろ会いたくないと思う人もいるだろう。

 だけど二人にとってはそれは祝福だった。


「一人では逝かせない。一緒に爆ぜる」

「爆ぜる?」

「魔女の寿命が終わるとき、魔女は空中で爆ぜて星になるの」

「それはまた……派手だな」

「綺麗よ」


 リエトは手を伸ばして、アンナベッラの頬に触れた。


「呪いを解く方法がないとわかったときはドラーゴをひたすら憎んだが」


 弱々しく笑う。


「そのおかげで死ぬのが怖くなかった」


 そして言った。


「会いたかった」


 リエトのその手をアンナベッラは握り返した。


「私もよ……ずっとずっと、会いたかった」


 アンナベッラは目を閉じて呟く。


「全然怖くない。幸せが大きすぎて」


          ‡

 

 それからしばらくして。

 不思議なことに、満月なのに流星群が綺麗にはっきりと見える夜があった。

 偶然目にすることができたものは、綺麗だ、奇跡だと誉め称えていたが、ジャンだけが一人で泣いた。

 黒将軍が病で亡くなったと人々に知らされたのは、その数日後だ。


          ‡


 その後、大人になったジャンは無事にストルキオ商会を継いだ。

 妹のルーナはすくすく成長し、ピエトロはロレッタと隠居した。

 代替わりして数年後、ジャンはパン屋のイルマと結婚した。


 いつの間にかいなくなったひねくれ魔女の話は、おとぎ話のように人々に語り継がれた。

 満月と流星群が重なることは二度となかった。

 




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ひねくれ魔女のアンナベッラ、気まぐれで王都で店を開くが絶対にお礼を受け取らない。 糸加 @mimasaka

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