卒業生より愛を込めて

時任時雨

第1話

「手伝って欲しいことがあるんだけど、もちろん協力してくれるわよね?」

 白木塔矢くん、と続けた沢渡鈴に対して僕は「もちろん」と返した。

 僕は彼女のことが好きだからだ。


「具体的に何を手伝えばいいんだ?」

 帰り道、先行する背中に向けて尋ねると振り返りもせず彼女は言う。

「私たちが通っていた小学校。あそこを木っ端微塵にするの」

「ああ、なるほど」

 納得の行く答えだ。それなら確かに男手も必要だろう。何をどうするかはわからないけれど、男手がいらないということはないはずだ。

「断ってもいいんだけど?」

「まさか。僕が君の頼みを断るはずがないだろう」

 そうねと笑って沢渡は正面に向き直る。二人ともそれ以降何か言葉を発することもなく、無言で小学校まで向かっていく。

 十分ほど経ったあたりで、一度「なあ」と声を掛けてみる。彼女は振り返り「何?」とだけ尋ねてくる。話を聞く気はあるようだった。

「学校を木っ端微塵にするって、どうやるんだ? 解体業者でも呼ぶのか?」

「そんなことするわけないじゃない。バカなの?」

 バカなのと言われても、現実的に実現可能なのはその程度のものだろう。そう思っていても口にはせず「じゃあどうするんだ?」ともう一度聞き返す。

「簡単よ。白木くんは爆破解体って知ってるかしら?」

「そりゃあ、言葉くらいは」

「それをやればいいの。あなたはただ私の指示通りに物を作ったり壊したりするだけ。簡単なお仕事で結構なことね」

「言うほど簡単なのか、それって」

 少なくとも爆破解体は素人が一朝一夕で習得できるような技術ではないはずだ。

「考えるのは私、実行するのがあなた。意味は伝わるでしょう」

 話は終わり、と言わんばかりにズカズカと歩みを進めるので慌てて着いていく。

 彼女とわかりあうのは、骨が折れるどころの話ではなかった。


 二年ほど前に廃校となって以来、放置されている校舎。草は伸び放題で黒いシミが壁に滴っており、不気味な雰囲気が漂っている。一時期は肝試しなんかで使われることもあったようだが、今となってはそれすらされないほどに存在を忘れられている。「警報システムは切られているみたいだから」と言う沢渡の言葉を信じて窓から侵入する。ほこりっぽい臭いが鼻をつく。ご丁寧なことに彼女は靴まで履き替えていた。僕は当然そんな用意をしていないのでそのままである。

 沢渡は背負っていたリュックから紙を取り出して指でここと、ここと指し示していく。

「これ、この学校の図面。バツを付けてあるところが今日から仕込みをしていくところ」

「仕込みって?」

「これ」

 ガタンと大きな音を立てて取り出されたのは、チェーンソーだった。

「ちゃんと金属も切れるようにしてあるから、これでバツ付けたところの鉄骨を切っていくの」

 ようやく僕がここにいる二つ目の意味を理解した。

「確かにこれは女子一人じゃあ厳しい作業だ。僕がやるよ」

「最初からそのつもりだったけれどね。あなたがサボらないかどうか、ここで見ているから」

「サボるわけないだろ」

「どうかしらね」

 チェーンソーなんて使ったことがない。ブゥンと駆動音を立てるそれを持って、彼女に言われた通りに柱を壊していくのにも慣れが必要そうだ。


「ふぅ……」

 思わず疲れから息が漏れる。一つの柱への作業が終わるまで、約二時間はかかっただろうか。この調子で進めていくなら一か月はかかるかもしれない。そもそも高校生が二人で学校を解体しようというのが荒唐無稽な話なのだ。それくらいの時間はかかって然るべきだろう。

 僕の作業が一段落したのを察してか、彼女はカリカリと何かを書き進めていた手を止め、こちらに目を向ける。それなりの音量が鳴り響いている上に非常に暗いのだが、よくその中で書き物が出来るものだ。

 特にねぎらいの言葉もなく、作業の出来栄えを確認し「及第点といったところね」と一応の合格を伝えてくる。もう一度、なんて言われたらさすがに厳しいかもしれない。もちろんやる気はあるのだが、精神力はもっても体の疲れは隠しようがなかった。

「今日はお開きにしましょうか。もう遅いことだし」

 それを知ってか知らずか、彼女は解散を告げる。

「だな」

「それじゃあまた明日、放課後に」

 こちらの返事も待たずにさっさと窓から出て行ってしまう。せめて安全のために家までは遅らせて欲しかったのだが、ままならないものだ。

「あの」

「おおっ、何?」

 窓からひょっこりと顔を出す形で沢渡はため息を吐く。

「驚きすぎでしょう。幽霊でも見たような顔して」

「別にいいだろ」

「まあいいわ。明日から別々にここには集合するようにしましょう。そっちの方がバレにくいだろうし」

 言われて考えてみる。確かに、今まで行動を共にしていなかった男女が急に一緒に動くようになって、それがしかも廃校付近で見かけられるという事態は避けた方がいい。不審に思われる行動から足が付き、一連の計画がバレてしまうのが最も恐れるべきことだ。

「わかった。そうしよう」

「あなたに拒否権なんてないけれどね」

 じゃあまたと言い残して今度こそ彼女の足音は遠ざかっていく。その足音を聞きながら、そりゃそうだよなぁ、なんて当たり前のことを思った。僕は彼女のことが好きなのだから。


 〇


 どうも様子がおかしい男女がいる、と安田花火は当たりをつけてみた。

 学年は一つ上の高校二年、クラスは三組。男の名前は白木塔矢、女の名前は沢渡鈴というらしい。この二人が共に下校して人気のない場所へと向かっていた、なんて噂が立っているのだ。問題行動を起こしそうな生徒だけをマークしていたから目から鱗、棚から牡丹餅だった。

 そう、安田花火は探偵志望である。

 不良だったり不登校の生徒だったり不真面目な人だったり、とにかく『何か』に繋がりそうな人は徹底的にマークしていたのだ。けれど、いや、だからと言うべきだろう。一見普通に見える生徒が何かを引き起こす可能性について、すっかり頭の中から抜け落ちていた。先入観に囚われていた自分に気付き、これでは探偵にはほど遠いと反省する。

「今まで目立った行動をしていない人たちが、急に人気のない場所に二人で向かう……そんなことあるかな?」

 噂は噂、確証はない。ただ火のない所に煙は立たないとも言う。枝葉末節には必ず根幹が生えているものだ。

「調べてみるのも悪くないかもね」

『何か』が起こりそうな気配に、不謹慎ながらも胸が高鳴ってしまう。探偵とは事件がなければ探偵足り得ないのだ。


 〇


「これでどう?」

「ん、だいぶ慣れてきたみたいね」

「二週間もすれば誰だって慣れる。それに他ならぬ沢渡の頼みだし」

「ふーん」

 それっぽいことを言ってさらっと流されるのも当たり前になりつつある。僕と沢渡は順調に母校解体の準備を進めていた。

 作業を進めている過程の間を埋めるように質問をする。

「何で学校を壊そうと思ったかって、聞いてもいいか?」

「知ってる癖に。案外サディストなのね、白木くん」

 案外じゃなかったか、と付け足して彼女は言う。

「私にとっていじめの象徴だから」

 もちろん知っている。小学校の頃から彼女を好きだった僕にとっても、あれはつらい出来事だった。被害者ぶるつもりは毛頭ない。ただ何も出来ずに手をこまねいていただけの自分は、その件に関して何かを言う資格はない。

「ね、知っていたでしょう?」

「ああ。改めて聞けてよかった」

 それならば喜んで協力することが出来る。さすがに反社会的な目的があったり、ただの破壊衝動だったりしたら止めたかもしれないけれど、そうでない上に僕も関わっている事情なら止めるわけにはいかない。

「でも爆破しようなんてよく考え着いたね」

「どうせ解体されるんだから誰かがしようが同じことでしょう。なら復讐がてら、うっぷん晴らしに使ってもよさそうじゃない?」

「いいな、その考え方」

 いろいろと言いたいことはあったが、最終的にはその一言に落ち着いた。


「白木くんは昔の曲は聴く方?」

 珍しく沢渡の方から話しかけてきて少し面食らう。返答に時間はかからない質問だったのが幸いだ。戸惑いを気取られずに済む。

「いや、言うほど聞かないな。さすがに有名なものはいくつか知っているけど」

「そう。なら別にいいわ」

 それだけか、と肩を落とす。既に彼女の目線は手元の紙資料へと向けられている。これ以上話す気はないようだった。

 作業を再開すると、チェーンソーの駆動音に紛れて彼女の鼻唄らしき声が聞こえる。それを知っているかどうかを聞きたかっただろうか。本人に聞かないことにはわからないが、聞いたところで答えてくれるとも思えない。聞き覚えのないリズムだし、教えて貰ったところで気まずい空気になるだけだろうから。

 鉄が擦れ合う嫌な音が響き渡る。音が止むと、今度はドリルを手渡される。爆破解体というのは直接爆弾を置くのではなく、穴を開けてその中に仕込むものらしい。だからその穴を開けるのも僕の仕事というわけだ。

 そのドリルを駆動させる直前、聞き覚えのある音を耳が拾う。かすかだが、ジャリという音が聞こえた。校庭にある砂が立てる音。いつも先に帰る沢渡が立てている音だ。

 作業の手を突然止めた僕を彼女は不審そうな目で見るが、それどころではない。この爆破計画は誰かにバレた時点で終わりなのだ。警察のお世話になることは約束されている。それくらいのことをやっている。誰かがいるかもしれないということは、つまり。

 荷物を持って沢渡の手を引く。声を出そうとするのを制止して外に人の気配がすることを伝える。その瞬間、彼女は用意していた目立たない裏口の方へと一目散に駆け出した。行動が速くて何よりだが、その切り替えには着いていけない。慌てて僕も彼女の後を追った。


 〇


 安田花火は廃校となった小学校を訪れていた。正直怖さはかなりあるが、それを押し殺して近辺を調査する。校門を乗り越えたときにわかっていたことだが、警備システムは切られているみたいだった。いくつかそれらしきものは見つけられたものの、全部その機能を停止していた。

「単純に必要がないから切ったのか、それとも誰かが意図的に壊したのか……」

 考え事を整理しながら懐中電灯を片手に歩く。

 さすがの花火も理由なくこんな場所に来るはずはない。ここに来たのは一重に例の二人がこの近辺で見かけられたからというだけの話だ。しかし一緒に、ではない。全く別の時間帯、別の日にである。調べたところ二人は出身小学校がこの廃校らしい。ということはこの近くに住んでいるということで、ここらへんで見かけられること自体はなんらおかしくはない、はずなのだが。

「どうも何かが引っかかるんだよね」

 ボソボソと独り言を呟いていてはこちらが不審者扱いされてしまう。警察とあまり関係がよくない探偵、という構図にも憧れないことはないが、現実では警察を味方に着けた方がいいに決まっている。必ずしも憧れと現実は一致しないものだ。

「ん……?」

 そこでふと気づく。微妙に開いている窓が一つだけあるのだ。一応警戒しながらそこに向かって歩いていく。壁に隠れてから中を覗き込んでも誰もいない。死角になる場所に隠れている可能性はあるだろうか。一本道の廊下、校舎の角、教室が近くにあるが、扉の鍵は閉まっている。入ってすぐに誰かに見つかるということはなさそうだ。

 意を決して窓から校舎に侵入する。

「変な臭いがする」

 まず最初は異臭、次いで目に映ったのは、柱。

「なんだこれ?」

 壁に穴、柱に傷があった。経年劣化などではなく、明らかに人為的に付けられたものである。

「思った以上に……ヤバいかもしれないな」

 冷や汗が背中を伝うのを感じながら、彼女は調査を進めていった。


 〇


「飛行機雲に三回願いを唱えると現実になるらしいわ。試してみてもらってもいいかしら」

「何かいろいろとごっちゃになってない?」

「口答えしないで、手を動かして」

「わかってるって」

 最初の頃よりも会話らしい会話は増えたように思う。それもそのはずで、今日がいよいよ爆破の決行日だからだ。心なしか彼女の声も普段より上ずっているような気がする。僕がそう思いたいだけというのもあるだろう。

 鉄骨への作業も爆弾の設置も終わり、あとはここを離れて起爆するだけ。ここまで特に誰かに見つかることもなく、作業を進めてこられたのは奇跡のように思う。

「それじゃあ点検も終わったことだし……」

「あなたたち」

 沢渡の言葉は高い女の声で遮られた。声の方を見ると、僕たちと同じ高校の制服を着た女子生徒が仁王立ちで廊下に立っている。しかもちょうど出口を防ぐように。

「どなたですか? もしかして、この学校の噂の幽霊……?」

 声を震わせて全力で誤魔化しにかかる沢渡に動揺するが、ここは乗っかっておいた方がいいかと判断する。

「その、僕たち肝試しに来てて」

「肝試し、ね」

 目の前の彼女は封筒をこちらに放ってくる。床に落ちたそれを拾い上げ開くと、そこにはこの学校の中にいる僕と沢渡の写真があった。何枚も何枚も、中には作業中の決定的な瞬間まで抑えられたものもある。

「ならこの写真について、説明してもらってもいい?」

 真っすぐにこちらを見据える視線。それから目を逸らすことはせず、唾を飲む。静かに深く、息をする。

 ここは、失敗が許されない場面だ。

「合成なんじゃない? そうでなければ人違いとか」

「あなたはともかく、彼女はウルフカットで眼鏡の女子生徒、そして顔立ちまではっきり写っているのにそれは厳しいんじゃないの?」

「だから合成だよ。最近の技術はすごいからな。スマホアプリでも簡単に合成画像なんて作れてしまうし。ニュースでも話題になってたよ、ディープフェイクって」

「あなたたちと関りのないわたしがそんなことをする理由がある?」

「じゃあもし僕たちがそれをやったんだとしたら……好奇心なんじゃない? 仮定の話だけど」

「好奇心だけでするには行き過ぎているように思える。肝試しで何日もここに入り浸るものなの? 白木塔矢さん、そして後ろの沢渡鈴さんは何のためにここにいるの?」

「名前を一方的に知られているっていうのは気分が悪いな」

「自己紹介が必要? わたしは一年の安田花火。探偵よ」

 以後お見知りおきを、と言ってドヤ顔をする。言ってみただけなのか、本当にそうなのか。僕には判断が付かない。はったりの可能性もある。が、証拠を現に抑えられている。

「あなたたちのやろうとしていることに察しは付いているけど、出来れば自分たちの口で説明してほしいなとわたしは思う」

「そんなこと言われてもな。肝試ししていました、以外の答えは持ってないよ。その写真についても知らないとしか答えようがないし」

「ならこれから警察に行っても文句はないということでいい?」

「いや、さすがにそれは困るな。警察も暇じゃないんだし、高校生の妄想に付き合わされるのも大変だろう?」

「あくまで白を切るわけね」

 言いたいことは言った。あとは安田という女子の出方次第でどう動くか決めよう。

「探偵って種明かししてくれるものじゃないのかしら」

 今まで黙っていた沢渡が唐突に口を開く。驚いたのは僕だけではないようで、安田も沢渡をじっと見ている。

「あなたはどう考えているの? それについて聞かないと誤解だの勘違いだのという話は不毛でしかないわ。証拠らしき写真がある以上、それなりの考えがあるのでしょう?」

「それは、もちろんあるわ」

 沢渡の圧に安田は少しだけひるんだが、すぐに話し始める。

「単刀直入に言うと、あなたたちはこの学校に爆弾を仕掛けているわ。立派な犯罪行為」

「爆弾ですって、まあ怖い。幽霊なんかよりも命の危険が近いものね」

「茶化さないで。わたしは本気で言っているし、この学校の鉄骨、壁が何よりの証拠よ。それにあの写真を組み合わせれば、浮かんでくる事実は一つ」

「あなたが何と言おうと、私としては違うと言う他ないわ。だって私は彼に脅されてここに居ただけだもの」

「……何ですって?」

 安田の目つきが明らかに変わる。そのままこちらにスタスタと詰め寄ってきて、あ、まずいなと思うと同時に頬を殴られた。

「この、クズ男!」

 言う前に殴るとはだいぶ喧嘩っ早い子だ。しかもかなり喧嘩慣れしてそうな拳だった。不意打ちとはいえ、自分より背の低い女子に尻もちを付かされるというのは想像していなかった。

「……事実確認しないまま、感情に任せて殴るのは探偵としてどうなの?」

「うるさい! わたしはね、あんたみたいな男が一番嫌いなの! 何でもできる癖に、全部女に押し付けて平気で知らん顔! あ~、イライラする!」

 頭を掻きむしってこちらを睨んでくる。

 正直邪魔だなと思う。あと少しで僕の願いは叶うというのに、こんな自称探偵のよくわからない女子に殴られている。殴り返したっていい。けれどそれをしてしまってはダメだと僕は心の底から理解してしまっている。

 だから無抵抗に殴られるしかない。

 しばらく殴られたあと、安田の手を沢渡が止める。

「……クズというのには同意するけれど、そのあたりにした方が身のためじゃないかしら? あなたの生殺与奪の権利は私が持っているのよ」

 すっと取り出したのはスマートフォン。簡素なアプリ画面に、ボタンが一つだけ表示されている。最低限の機能さえ持たせればいいという考えが透けて見えるようだ。

 その画面を見て安田は察したのか、僕を殴る手を止める。

「ロックもかけないなんて浅はかね、白木くん」

 あくまでも主犯は僕ということで通すらしい。そのためにここに来て実作業は僕がやっていたわけなのだけれど、実際に堂々と罪をなすりつけられるのは中々堪えるものがある。

 ただ静かで、どこかおかしな彼女の目。それを見て、何かがおかしいと気付く。気付くのが遅い。遅かった。最初からわかっていたはずだ。誘われたその日からわかっていたはずだ。ただ考えないようにしていただけで。

「まあ別に、私も彼もここで死ぬつもりだから」


 じゃあね、初めて会った探偵さん。


 アプリのボタンが押される。

 各所に仕掛けて回った爆弾、その電気雷管が作動する。


 咄嗟に体が動く。


 轟音と衝撃、悲鳴。


 僕たちの母校は、文字通り崩れ去った。


 〇


 意識が戻る、というほど贅沢なものではなかった。夢なのか現実なのか、よくわからない状態で立ち上がる。立ち上がろうとするが、左腕が使い物にならないほど痛む。血が出ているわけではないから骨折だろうか。腹からは温かい液体が流れているから、たぶん切れているか何かしているのだろうと思える。

「沢渡……」

 少し歩いた先に沢渡はいた。しゃがみ込んで一点を見つめている。その視線の先には腕があった。腕の先は、瓦礫の下敷きになっている。そこから赤いものが広がっている。

「関係のない人を殺してしまったわ」

 いつもと同じ、変わらない調子で言う。

 額から血を流し、今にも倒れ込みそうなのに、そんな素振りは全く見せない。まるで痛みなんてないかのように振舞っている。


 彼女は、とっくの昔に壊れてしまっているのだ。


 他でもない、僕自身の手によって。


 彼女をいじめ始めたのは僕だ。好きだったから、どうしていいかわからずにからかっていた。そしたら周りの人たちもからかい始めて、僕がそれをやめても周りはそれを続けていて、やがて彼女は学校に来なくなった。

 僕が原因なんだと早くに気づけばよかったのに、僕は現実逃避が無駄に上手かった。気付いた頃にはもう関係性は終わりを迎えていた。今でも現実逃避の癖は変わらない。目の前の物事だけを見て、本質からは目を逸らしてしまう。

 中学校になって、彼女は登校を再開した。僕は真っ先に彼女に謝った。謝っても許されることはないとわかっている。だから、僕はこう言った。

「これから沢渡の言うことは何でも聞く。許されるとは思わないけど、それで償わせて欲しい」

 彼女はこれを承諾した。


 彼女からのお願いは多岐に渡った。金を渡すから本を買ってきて欲しいというものもあれば、しばらく話し相手になれというものもあれば、犬の真似をしろというものもあった。脈絡はなく、唐突にそのお願いは発せられる。

「よくわからないのよ。自分のやりたいことが」

 どうしてお願いごとに一貫性がないのかを尋ねると、彼女は表情を変えることなくそう答えた。

「やりたいことというか、自分が何に対してどう思っているのかがわからない、と言った方が正しいかしら。自分の考えていることがわからない。引きこもった日あたりからずっとそう。周りからずっと何かをされるのが嫌だったから、それだけはわかる。それ以外はわからない。どういう病名が着くのかしらね、これって」

 彼女はクスクスと笑うが、今は笑う場面ではないと思う。それを口に出すことはなかった。彼女をそうした自分に何かを言う資格はないと思ったからだ。


 月日は流れ、彼女は彼女なりの生き方を理解したようだった。

「私ってかわいそうなのね。ならそれらしく動いてみようかしら。かわいそうな人は、そうなった原因に復讐するものよね」

 彼女が爆破に走った原因は僕だし、僕を巻き込んだのも「そうした方が復讐らしいから」以外の理由はない。ないはずなのに。


『私も彼も、ここで死ぬつもりだから』


 どうして見抜かれていたのだ。


「こういうときってどうすべきかしら」

 警察? それとも救急車? なんて首を傾げながら悩む彼女の頭からは止めどなく血が流れている。落ちてきた瓦礫で頭を打ったのだろう。この状況で意識がはっきりしているのは不幸中の幸いなのかどうかわからない。

「どうして僕が死のうとしているってわかったんだ?」

「だって償いは最後に罪を背負って死ぬものでしょう」

 そう答えさせてしまっているのは過去の僕だ。好意を言い訳になんて、出来ようはずもない。

「私が歌っていた歌、償いっていう曲よ。私とあなたの状況に似ているなと思って」

 昔の曲だし、わからないわよね。彼女がそう言う通り、曲名を聞いてもやはりわからない。

「そう、償いね。なら私も死のうかしら。人を殺したんだから、死ぬのが当たり前よね」

「……それは違うよ」

 死ぬのが当たり前だなんて、人を殺したからだなんて、そんな理由で。けれど僕もまたそうしようとしていて。痛みと疲労と思考で頭がぐちゃぐちゃだ。このままだとどうにかなってしまいそうだ。

「どうして?」

「沢渡がそうなったのは、僕のせいだからだ」

「白木くんが私の代わりに死んでくれるの?」

「君が望むならね。それだけのことを僕はしたから」

「そう。なら二人で」

 そう言って彼女は立ち上がる。その途中でふらついて不思議そうにする。自分の手を見て、頭を触って、ようやく状況を理解したみたいだった。

「あと一つだけ、爆弾が残ってるの」

 信管が上手く作動しなかったみたい、と言って彼女が手のひらに乗せているのは宣言通りのものだ。

「これで一緒に」

 言葉の意味することはわかっていた。わかっていて、僕はそれを受け入れた。

 二人で抱き合うような形で床に寝る。首元には冷たい感触。

「あとは信管を作動させるだけ。手動でもできるようにしておいてよかったわ」

 こんな状況でも変わらない、変われない様子の彼女。

 爆弾に手をかける彼女の手をそっと握る。

 彼女は驚いたような表情をしたけれど、すぐに元の無表情に戻って手を動かす。

「準備、終わったわ」

「そうなんだ」

「他人事ね」

「現実感がないんだ。夢を見ているみたいで」

「夢じゃないわ、現実。あなたが私を好きなことも、私のことをいじめたことも、私があなたをここに連れてきたことも、ここを壊したことも、みんな現実」

「やっぱり、そうだよな」

 静寂とはほど遠かった。崩れた校舎の軋む音、騒ぎを聞きつけてこちらに向かっているであろうサイレンの音、頭の奥から響く変な音。音の洪水で意識が飛びかけている。

 せめて最後くらいは彼女の顔を真正面から見たかった。

 目を合わせる。

 彼女はうっすらと笑っていた。そして口を開く。

「私ね、白木くん。あなたのこと、とっくの昔に許していたと思う」

 それが最期の言葉。

 直後、衝撃と爆音があたりに響き渡った。

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卒業生より愛を込めて 時任時雨 @shigurenyawa

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