箱ちゃんは穏やかに暮らしたい

 今年の夏は酷暑だそうで。

 照りつける太陽とけたたましいセミの鳴き声にうんざりしながら、箱は木陰に避難していた。いつもならば滑り台の近くやブランコの隣に陣取る箱だったが、こうも暑くてはかなわない。人間がうだるような暑さに辟易へきえきとしているように、箱だってぐったりとするのである。

 箱。見た目はボール紙でできたような、白い真四角の箱である。丁度小粋なお帽子がひとつ入るくらいの大きさの箱が、公園の大きな木の下にちょこんとたたずんでいる。時折ひらひらと飛んできた蝶を食べる。その際にも蓋が空く様子はない。


 ――箱を開けてはいけないよ。


 それは子供達の間では周知の事実だった。箱はいつも公園にいたが、子供達は誰もがしっかりとこの決まりを守っていた。お互いがお互いのルールを尊重する。その上で共存する。箱にとってはなかなか居心地がよい話であった。時折「箱ちゃん」などと話しかけられることもあったが、生憎あいにく箱は喋れなかった。箱なので当然である。うっすらと桃色や黄色に染まることで返事の代わりとした。子供達は手を叩いて喜んでいた。これには箱もまんざらではなかった。


 さて、そんな暑い日々にうんざりしていたある夜のことである。箱はぼんやりとベンチに座っていた。もうじき日が変わるというのに、外気はじっとりと蒸し暑い。街灯の光にやられた虫が箱に向かって落ちてくるのを経験則でうまくかわしていると、一人の男がこちらへと近づいてくる。片手にはコンビニの袋を持っているが、どうも内側がピンク色だ。荒んだ目をしていた。いや、荒みすぎてもはや感情が消失した目と言った方が正しい。その男が箱の前に立つ。袋からぷぅんと血の匂いがした。

 男は箱の蓋を開ける。そして、手に持っていたコンビニの袋を箱の中に入れた。袋の中身が確かな重みを持ち、ぼとっと箱の中に収まった。死んだ眼差しの男はそれを確認し、元通りに蓋を閉める。


 箱はおかんむりだ。遺憾の意だ。


 ――箱を開けてはいけないよ。

 箱に食べられてしまうから。


 箱の中から沢山の手があふれ出た。大人の手、子供の手、男の手、女の手。白い手が男の四肢をめちゃくちゃに掴む。男が悲鳴を上げる間もなく、手は男を引きずり倒し、箱の中へと押しこんだ。


 ごきん。めきゃめきゃめきゃぐちゃぐちゃぐちゃ。


 ごくん。


 小粋なお帽子が入る程度の大きさしかない箱の中に、大の大人が丸ごと消えた。

 たまにこうして、ルールを破る人間がいるから困る。こちとらゴミ箱ではないのだ。要らないものを捨てないで欲しい。興味本位で蓋を取る人間も稀にいるが、プライバシーの侵害である。箱にだって見られたくない部分はあるのだ。


 箱はしばらく憤慨ふんがいしていたが、やがて怒りを収めると暗がりへと移動した。

 今日は災難だったなあ。明日は平和で暑さも少し和らぐといいなあ。そんなことを思いつつ、うとうとと船を漕ぐ。

 そう、箱は穏やかに暮らしたいだけなのである。

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