Ⅳの薔薇

沙羅双龍

第一楽章 ノドゥス・セクンドゥス

 毛先だけが紅く、シャンパンを想起させるような淡い金色の髪を二つ結びの縦ロールにした踵まで長い髪を揺らし、透き通った白い肌の十二か十三歳頃のように見える少女が薄暗い路地を歩いていた。

 幾重いくえにもフリルとレースが重ねられた紫色のドレスを纏うその姿は貴族の令嬢のようで、少女の薄い微笑みが儚さを引き立てている。

 少女の名はウィータエ・アエテルナエ、齢千百八十九の吸血鬼だ。

 そう、少女のような容姿ではあるが少女ではない。単純に背が小さく顔が幼いだけなのである。

「しかし陰気臭いのぅ……」

 ウィータエは溜息を交えながら呟く。

 ちろちろと薄汚い鼠の走る路地を進んでいると、鼻を擽る甘い芳香が漂ってきた。

 ニンマリと微笑んで、ウィータエは頬に手を当てる。

 靴音を鳴らして辿り着いた先には三毛猫が毛繕いをしていた。

「嗚呼、お前美味うまそうだのぅ」

 ピャッと毛を逆立てて逃げ出そうとする三毛猫の首根っこを摘み、持ち上げるとその顔を覗き込んだ。

 暗闇でも目が見える性質のお陰でその美しい瞳の色がよく見える。

 右の目は緑、左の目は金と銀が半分ずつのダイクロックアイというものだった。とてつもなく珍しく、売れば高値で取引されるだろう。

「ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛」

 甘い香りの放つ三毛猫のその美しい瞳を覗き込んでいると、ジタバタと暴れて引っ掻こうと威嚇される。

「ふむ、元気じゃな」

 強い光を放つ生き生きとしたその瞳は何処か懐かしい暖かさがあった。

「わしはウィータエ、好きに呼ぶといい」

「フゥー」

「お主、言葉を理解しているじゃろう、表情で解る。言葉くらい話せるようになってるはずじゃ。恐るるな、話せ」

 けれども三毛猫は威嚇し続ける。それも仕方ないのかもしれない。

 ウィータエはからからと笑いながら、三毛猫の口元に指を近付けた。

ガブリ

 細い人差し指に深く牙が刺さり、三毛猫が口を閉じた為にその血が口の中へと溢れていく。

 それでもそれを気にせずウィータエは三毛猫の首に大きな紫色の石が付いた首輪を嵌める。

キィィィィン

 甲高い音が響いて、黒い蝶が三毛猫の姿を覆いそこから青年が現れた。

——うむ、半信半疑ではあったがやはり彼奴あやつの魔道具が一番じゃのう。

 蒸気による産業革命が起きてから魔力を持つ者、人ならざるものは陰で暮らすようになった。しかしそれのお陰か、魔道具という魔力がないものでも魔法の真似事が出来る魔力を帯びる道具が発明された。

 そう、ウィータエも魔道具を使い魔法の真似事を出来るようになった一人なのだ。とある友人から奪い取った首輪型の魔道具によって、三毛猫を人へと変じさせたのである。

 ある目的の為に……。

「しかし……これはなかなか良い美丈夫びじょうふだのう」

 癖のある黒い蓬髪と、猫の時と変わらぬ瞳がその美貌と屈強さを引き立てる。

 どうやらかなり猫の時に鍛えていたらしい。筋肉もしっかり付いていた。

 ウィータエは上から下までじっくりと三毛猫——否、元三毛猫の人間を吟味して舌舐めずりする。

「にぎゃあああああ!」

 猫の威嚇声のような悲鳴が路地に響き渡った。

 困惑で絶叫する元三毛猫を見下ろし、ウィータエは溜息をく。

「かしまし、落ち着いたらどうじゃ」

「これが落ち着いていられると思いますか!? 人になったんですよ、私が。こんな重たい体を持ち、不便な生き方を強要する人なんかなりたくないです!」

「ふむ、それもそうじゃな」

 頷いて手を顎に当てたウィータエに、元三毛猫は掴みかかろうとして体の変化に追い付けなかったのか無様ぶざまに床に倒れ伏せた。

「では何故こんな酷いことを……」

 悲しげに床に倒れ込む姿を見つめて、ウィータエはゆっくりと右手を胸に当てて左手でドレスの裾を持ち上げて頭を下げた。

「わしはウィータエ・アエテルナエ。吸血鬼じゃ。故あって従者を探している。人の姿にしたのはその為じゃ。猫の姿になりたいなら望め。さすれば変化出来る」

 首を傾げて元三毛猫は手を合わせる。すると、また三毛猫の姿へと戻った。

「わっ、これは……なかなか……奇妙ですね」

 体をくねらせ伸びをすると三毛猫はゴロゴロと床に転がっては、両手足を見つめる。

 それがどうにも可笑おかしくてウィータエは喉を鳴らして笑った。

「そうであろう、彼奴あやつは本当に奇妙なものを作る。さて……名前を——」

「有ります。ですが教えません。貴方は私を従者にして何を望むのですか? 私に利益は有るのですか?」

 じっとウィータエの瞳を覗き込むその姿に、ウィータエは瞳を緩ませて指先を三毛猫の鼻に近付けた。

「わしは昔、大きな罪を犯した。その罪を今迄償おうともせず放置した結果、罪と罰を増やされた。じゃからそれを終わらせる旅をしようと思ってな。ひとりではつまらぬであろう」

 瞳を伏せて、ウィータエは脳裏に懐かしい声を浮かべる。

『ひとりよりふたりのほうが痛くないから。そうでしょう、おねぇちゃん』

 今でも鮮明に思い起こせるその声を胸に閉じ込めて、ウィータエは三毛猫を抱き抱える。

「お前に安住の地を与えよう、勿論わしが死んだとしてもお前が生き続ける限りそれを与えられるように仕掛けておく。お前が死ぬ迄苦労せぬ生活と衣食住を、野良猫は生活が大変なのじゃろう? それにお前の瞳はとても珍しい。邪な人間から逃げる生活は疲れるのではないかえ?」

 三毛猫は目を瞬かせて、苦々しい顔をする。それがどうにも愛らしくてウィータエは三毛猫の頭を撫でようとして、引っ掻かれた。

「わかりました。一週間です。その一週間で判断させてください」

「ああ、それで良い。さて、名は?」

「カルペディエムです」

「良き名だな」

「ええ、自慢の名です」

 コツリと靴音を響かせて、ウィータエはドレスの背中に合った紐をほどいた。

 バサリ、とドレスの背中の部分がまるでマントのようになる。

「さて、行こうか。カルペディエム」

 すぅと深呼吸するとウィータエは地面を蹴り上げた。そして巨大な翼を広げて空へと飛び立つ。

 まるで紫煙のように夜闇へと溶け込み、ウィータエは夜空を走る。

「うわぁ……」

「美しいだろう。これが霧の街の夜の姿だ」

 満足気に微笑みながらウィータエはカルペディエムを優しく抱きしめた。


*<=>*<=>*


バン

 薄気味悪い外装の人形屋の扉をウィータエは荒々しく開いた。

 店内は暗く、人形の瞳がぎょろぎょろと此方を凝視しているのが不気味である。

「ウィータエ……ノックか、魔力持ちしか見えないベルを鳴らすっていう礼儀はないのかい?」

 店の奥の扉から、腰の曲がった少年が姿を現す。

 真っ白くバサバサな髪を引きずって歩く姿は随分とおぞましい。ウィータエは慣れているが、腕の中で丸くなっていたカルペディエムの毛は逆立っていた。

「わしに礼儀を語らせるならお前もその若造りの容姿をどうにかするんじゃな」

「嫌だよ。この姿だと綺麗な女の子が優しくしてくれるんだ」

「ああ、そうか」

「それで用件は?」

 ウィータエは腕の中のカルペディエムと首輪を指差し、ニンマリと微笑んだ。

「やはり信用は出来ぬが良い道具を作るな」

「そりゃどうも。てことはその子の為の着替え魔法が入った道具が欲しいんだね。良いよ、その代わり深夜割り増しするからね」

「構わん。金ならいくらでも湧いて出る」

「はぁ……君って本当に頭の螺子ねじが外れているよ」

 ウィータエがドレスに隠していた鞄を漁ろうとして、カルペディエムに手首を舐められた。

「なんじゃ?」

「あの……此処は? それとあの人は?」

 ボソボソと小さな声で耳打ちするカルペディエムの頭を撫で、ウィータエは微笑んだ。

「表向きは人形屋。じゃが実際は魔道具を裏で販売してくれる胡散臭い店じゃ。しかも店主はああ見えて百は超えた魔法使いじゃぞ。胡散臭さに拍車をかけておる。じゃが……腕は確かだ」

「全部聞こえてるよ、ウィータエ。ボクは機械仕掛けの細雪マキナと呼ばれる魔法使いさ。おいで、選ばれた三毛猫君。君に合うものを作ってあげる」

 店の裏へと手招くマキナについていき、小さな長椅子ソファだけがポツンと置かれた部屋の長椅子ソファにウィータエはゆったりと座った。

「ほれ、カルペディエム。一人でおゆき。男同士、拘りたいものも頼んでくると良い」

「早く来ないとボクの気が変わっちゃうよ。ボクみたいのは気分屋なんだ」

 その一言でウィータエの腕の中で苦い顔をしていたカルペディエムは急いで地面に飛び降りた。足音を立てずにマキナについて行けば壁が透けて、大きな廊下が現れる。

 二度、三度、とウィータエを振り返るカルペディエムを見つめて、喉を鳴らして笑う。

「おゆき、楽しんでくると良いさ」

 透けた壁の向こうへとマキナとカルペディエムが消えた頃、ウィータエはゴロリと長椅子ソファに横になる。

「ああ、ダメだなこの体は。もう……これ以上は……神に赦されぬか……」

 突如ブツリ、とウィータエの意識が途切れた。

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