宿り木

第2話 終わらない悪夢

こちらの作品は、ノベルアップ+の個人企画「地獄の書き出し企画」に参加した時の作品です。

https://novelup.plus/story/582631104


◇◇◇


 深夜にうなされて目が覚める。


 とても怖い夢を見た。


 首筋にまとわりつく汗を手でぬぐう。

 恐ろしい夢だったのだが、目が覚めてみるとその内容を思い出せなかった。


 私はベッドから身を起こすと、暗い部屋を出てキッチンに向かう。そうしてグラスを手にして水道の蛇口をひねる――まだ体には冷たい水が、乾いた喉を潤してくれた。


 春先は、冷え込んだり暖かくなったり、身体を壊しやすい。気を付けなきゃ、とは溜息を零した私の足に土がこびり付いているのが見えた。


「……?」


 怪訝な思いを抱きながら、私はコップを持たない手でその土を払った。土はサラサラと砂の様に、私の足から離れた。



 会社に行くと、遠藤部長が行方不明の話でもちきりだった。私は三日前の歓迎送別会で遠藤部長にセクハラまがいの事をされた事を思い出し、少し複雑な思いになった。その会が終わった後、部長が私のマンションまで追いかけてきたのも、今思えば怖かった。あまりに慌てて走ったので、ヒールが折れて転んだのだ。それからすぐに立ち上がって部屋に入りドアを閉めて、管理人さんに「不審者がいる」と電話をして私はお風呂に入ってすぐに寝た。その後に、部長は行方不明に?


「おはよう、駒井先輩。顔色が悪いけど、大丈夫?」

 後輩の小池君が、温かい珈琲を「どうぞ」と渡してくれた。

「有難う――大丈夫、何だか昨日嫌な夢を見ただけよ。それより、遠藤部長行方不明なの?」

「なんか、歓送迎会の日から行方不明らしいですよ。奥さんが、警察と会社に相談したそうです」

 小池君は、あまり興味がない様子だった。小池君に限らず、営業二課の人間は部長を良く思っていない人が多い。パワハラ、セクハラ、仕事もろくにしない。そんな人間に、興味はないだろう。


 だけど何だか、こんな光景を見た気がする。突然誰かが行方不明になる――それは昨夜の夢のように、詳細が思い出せない。

 それよりも、溜まっている仕事を片付けなければならない。私は、まだ噂話をしている人たちに背を向けて、デスクに腰を落とした。



 今日は、散々だった。

 ハンコを押す部長はいない、皆は噂話ばかりで仕事をしない。片付かない仕事は溜まる一方。小池君を好きらしい女の子に、お茶を掛けられる。行きたかったランチのお店はお休み。そして今日も、終電ギリギリまでの残業――私は、転職をしようかと最近ようやく思い始めていた。


 そんな時だ。暗い道を歩いていると、後ろから誰かが付いてくる。歩調を変えてみると、その謎の足跡も私に合わせる様に音が変わった。

 変質者かもしれない。私はマンションに向かって歩調を早めた。大きな桜の木があるマンションの前は、街灯があり明るい――あと少しだ。急ぐ私の肩を、急に誰かが掴んだ。

「きゃあ!」

 思わず、悲鳴を上げてしまった。

「待って、待って」

 そう慌てて声をかけてきたのは、隣の住人の清水さんだ。

「――ああ、清水さん。ごめんなさい……でも、どうしたんですか? こんな夜遅くに」

「僕は、日課のマラソンをしてただけだよ。いつもこんな時間に帰るのかい? 物騒だなぁ」

 私が謝ると、清水さんは安心したようだった。並んで二人でマンションに向かう。

「ええ、ブラックなんです。転職しようかと、最近考えてまして……」

「そうした方がいいよ、女の子をこんな時間まで働かせるなんて、良くないよ」

「清水さん!」

 二人でそう話していて管理人室の前を通ると、かけられた声に私達二人足が止まった。

「管理人さん、どうかしました?」

「いやぁ、丁度いい所に。上の階で電球が切れたんですが、こんな時間に私一人で脚立に乗るのが怖くて……よかったら、手伝って貰えないでしょうか?」

 管理人さんは、もう六十を少し過ぎた年に見える。確かに夜遅くに一人で脚立に乗るのは、危険に思えた。

「いいですよ、それぐらい。じゃあ、駒井さんは早く帰ってね」

 私も手伝いましょうか、と声をかけようとしたが多分気を遣ってくれた清水さんがそう言ってくれた。

「はい。管理人さんも、清水さんもおやすみなさい」

「おやすみ、晴美ちゃん」

 管理人さんの言葉を背後に、私は素直に自分の部屋に向かった。そうして、さっさとお風呂に入ってお湯を溜める――そうして風呂場からでると部屋のカーテンを開けっぱなしにしていたのに気が付いて、慌てて小走りで窓際に向かった。


「! ぁ、ああ! 清水さん!」

 私が閉めようとしたカーテンの向こう側。真っ暗な空の下、さっきまで一緒だった清水さんが頭から下に落ちていくのが見えた。恐怖に引きつった顔と、目が合った。


 私は、そこで意識を失った。意識の遠く向こうで、お湯の流れる音を聞いていた。




 深夜にうなされて目が覚める。


 とても怖い夢を見た。


 首筋にまとわりつく汗を手でぬぐう。

 恐ろしい夢だったのだが、目が覚めてみるとその内容を思い出せなかった。


 首筋の汗に、自分の髪がまとわりつくのも気持ちが悪い。お風呂に入った筈なのに、何だか気持ちが悪い。私はそのまま立ち上がって、キッチンに向かう。シンクには、空のグラスが一個転がっていた。寝る前に水を飲んだままだったかな、と思い私はそのグラスを軽く水でゆすいで水をグラスに注いで喉に流した。

 怖い夢を、最近も見た気がする。疲れているんだな、と私はもう一度ベッドに潜り込んだ。ほんのりと、桜の香りがした気がした。



「お前さん」

 疲れが溜まっていたので、私は半休を貰い家に帰ろうとしていた。横断歩道の信号待ちで、隣に立っていたおばあさんが私に声をかけてきた。

「どうかされました?」

「お前さんは……宿り木だね」

 おばあさんは、よく分からない言葉を口にした。私は、意味が分からないと首を傾げた。

「お前さんには、悪い者が引き寄せられる――まるで、蜜のようにね。気を付けなさい、あんたに寄ってくるのは、悪魔ばかりだよ」

 唖然とする私の頭上の信号が、青に変わった。おばあさんは、そのまま向こうに渡って行った。私は声をかけるのを忘れて、その後ろ姿を見送った。


 私は重い気分のまま、マンションに帰って来た。管理人室の前を通ると、珍しく管理人さんが何かの雑誌を見ていた。それは、どこか古めかしい。

「やあ、今日はどうしたんだい? 晴美ちゃん」

 老眼鏡をずらして、管理人さんは私に笑いかけた。

「今日は、お昼から休みを貰ったんです。それ――何の雑誌ですか?」

「晴美ちゃんは知っているかな? 井口美穂ってアイドル」

 井口美穂――私の記憶にはなく、首を横に振った。

「そうだよね、晴美ちゃんが産まれた日に十七歳で自殺した子だから」

 その言葉に、ゾッとした。

「あ、ほら。マンションの契約書に身分証明を書いただろ? その時に誕生日を見て、分かったんだよ」

 管理人さんが、慌ててそう言った。

「当時人気があってね――勿論、私も大好きだったよ。プロマイドや写真集も、頑張って集めたんだよ。でもねぇ、何人もの大物有名人が彼女を奪い合ってね――誰か分からない子を身籠ったまま、飛び降り自殺したよ。笑顔が可愛い子だった」

 そう言うと、管理人さんは雑誌を見せてくれた。『井口美穂、初めての写真集』とその雑誌の帯に書かれていた――口元に、私と同じ位置に黒子があった。

「そうなんですね、――すみません、私少し疲れているので部屋に戻ります」

「はいはい、ゆっくり休むんだよ。怖い夢を見ないようにね」

 何故かざわざわとした不安に襲われる私が口ごもりながら管理人室の前を立ち去ると、後ろから管理人さんの声がした。その内容に、びくりと体が震えた。


 コワイユメヲミナイヨウニ


 エレベーターのボタンを、何度も何度も押す。怖くて仕方なかった。



 玄関ホールの集合ポスト。そこの私の隣のポストが山盛りになっていた。隣の部屋の清水さんの新聞が、山を作っていたのだ。私はそうゆっくりできる時間ではなかったが、出社前に管理人さんに声をかけた。

「清水さんなら、引っ越ししたよ? 新聞止めるように連絡しなかったのかなぁ」

 管理人さんの不思議そうな声に、私は思わず息を飲んだ。そして、脳裏に誰かの恐怖に引きつった面影――それが誰かを思い出そうと考えていると、管理人さんが再び声をかけてきた。

「晴美ちゃん、仕事遅刻するよ?」

「あ! ごめんなさい、いってきます!」

「行ってらっしゃい、気を付けてね」


 私はパソコンの画面の前で、しばらくキーボードを打てず悩んでいた。私の周りで、何かが起こっている。何かがおかしい。だけど、私には何も思い当たる事が無かった。

「どうしたんですか? 悩み事ですか?」

 そこに声をかけて来てくれたのは、小池君だった。私には親身に相談を聞いてくれる友人もおらず両親も他界していたので、その言葉に少し救われた気がした。

 私は「証拠もなくて、何かも分からないんだけど」と、私の周りが最近おかしい話をランチの時に彼に話した。彼は笑いもせず、じっと真剣に聞いてくれた。

「その管理人さん、なんかおかしいですね。俺、ちょっと行ってきますよ」

「危ないわよ、小池君。私は、大丈夫だから」

 食後の珈琲を飲み干した彼は、伝票を持ってにっこりと笑った。

「心配してくれて嬉しいです。でも、駒井先輩に何かあってからじゃ遅いんで、俺昼から休み貰ってちょっと行ってきます」

 彼は私の分の会計も一緒に済ますと、食堂を出て行った。



「先輩」

 小池君から電話が鳴ったのは、珍しく定時で上がれそうな時間だった。春物のコートとバックを持った私は、彼の電話を出た。

「先輩、あいつおかしいですよ。部屋に、井口美穂の写真と先輩の写真が一杯で……!」


 井口美穂。今日は春めいて温かだったのに、その言葉で背中に冷たい汗が伝い流れた。


「危ないから、帰って来ない方がいいですよ!けいさ……わぁ! くそ!」

 電話口で、怒鳴り合う声が聞こえた。そして、通話が切れた。私はスマホを握り締めたまま、慌てて電車に飛び乗った。



 あれ? 小池君、どうして私の住所知ってるんだろ? それに、私が知らない井口美穂を知っているの……?


 彼は人事でもなく、また私は自分の住所を誰かに言った事もない。井口美穂は、私が産まれた時に死んでいる。どうしてまだ産まれていない彼が知っているのだろう。疑問に思ったのは一瞬で、いつも通りに走る電車の中気ばかりが急いていた。



「……先輩」

 私がマンションに帰ると、大きな桜の木の下の影になって人目に付かない所で、小池君はシャベルで穴を掘っていた。彼の足元には、管理人さんが横たわっていた。その光景にも驚いたが、私はその穴を見て更に驚いた。行方不明の筈の遠藤部長によく似た塊と、引っ越ししたはずの清水さん――


「先輩、大丈夫です。水、飲んで下さい。落ち着きますから」

 倒れそうになる私に、小池君は慌てて駆け寄ると、清涼飲料水の様な少し濁った水のボトルを渡した。意識が混乱している私は、言われるまま彼の言う通りその水を飲んだ。


 すると、余計にぐらりと揺らめく視界――少し笑っているような、小池君の顔……




 深夜にうなされて目が覚める。


 とても怖い夢を見た。


 首筋にまとわりつく汗を手でぬぐう。

 恐ろしい夢だったのだが、目が覚めてみるとその内容を思い出せなかった。



 私は起き上がると、キッチンでグラス一杯の水を飲んだ。今日は、管理人さんが桜の木で首を括っていて大騒ぎだった。明日には新しい管理人さんが来るそうなので、安心だ。

 それに管理人さんの事を知る前、小池君と夕食を食べて楽しかった。



 夢は、多分管理人さんの自殺の夢だろう。自分で見たかのように、彼が首を括ってぶら下がっていたのを見たような気がした。



 だが、私には分かっていた。この内容を覚えていない夢は、これからも見続けるだろうことを――

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ゲームの花嫁 七海美桜 @miou_nanami

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