第31話

 昼の駅前は人が多い。

 手に持ったクレープを食みながら、近くの店に目を転じた。

 肉肉しいメニューの写真に心惹かれる。


「クレープ美味しいね」

「……まあ、そうだな」


 生クリームやフルーツ、アイスクリームがてんこ盛りになった、迫力のあるクレープを食べている葵はご満悦の表情だ。

 見ているだけで胸焼けしそうで、智輝は目を逸らして自分のチキン入りの軽食系クレープを食べきった。


「速水って人、いつ来るの?」

「もうちょっとだと思うが……時間にルーズらしいから、遅れるかもしれない」

「ふーん」


 相談した翌日、葵が智輝を連れてきたのは、偶然にも相談者である速水の生活圏だった。といっても、住んでいる場所は離れていて、この近くの大学に通っているというだけだが。

 ちょうどいいと連絡を取れば、ここで落ち合えると返事があったのだ。そのため、智輝たちは昼食がてら、速水の到着を待っていた。


「――ねぇ、あの人イケメンじゃない?」

「あ、ほんとだ。俳優とかモデルかな? 声掛けちゃう?」


 女性の声が雑踏をすり抜けるように届き、横目で葵の様子を窺う。

 周囲の声をまるで気にした様子のない葵は、クレープに真剣に取り組んでいた。こうした声に慣れているのだろう。

 その横に立っている智輝にも、当然視線が向けられるのだが、スーツを着ているのでマネージャーだと思われている気配がする。それに不満はないが、注目を浴びるのは少し嫌だ。


 早く速水が来ないものかと腕時計を眺めていると、葵に袖を引かれた。


「……彼じゃない?」

「ああ、そうだな」


 葵が指さしたのは速水だった。訝しげな表情で葵に視線を向けながら近づいてくる。

 調査のための協力者も連れてくるとは伝えておいたのだが、それが葵のような人物だと思っていなかったのだろう。


「俺、葵さんに速水の特徴を伝えていたか?」

「ううん。……でも、まあ、見れば分かるよ」


 クレープの最後の一欠片を口に放り込んだ葵が、目を眇めて速水を眺めていた。なにか感じ取れるものがあったらしい。


「……そっちが、霊能者?」

「ええ、協力者です。今日はご足労ありがとうございます」


 立ち止まった速水が、挨拶もなしに葵をジロジロと眺めるのに思うところはあるが、それを表情に出さずに対応する。

 この速水という男、警察に対しても物怖じなく、上から発言するタイプなのだ。敬語さえ放棄しているところも少々癪に障るが、智輝の方がそれを怒るわけにはいかない。公務員にそれは許されていないから。


「……ふーん、ま、早くどうにかしてくれよ、別嬪さん?」

「ふっ……呪いが怖いって、警察に駆け込んだ人の態度とは思えないね」

「ちょ、葵さ――」

「なんだっお前! 偉そうな口ききやがって!」

「速水さん、落ち着いてください!」


 軽く笑って目を逸らした葵に、激昂した速水が掴みかかろうとする。慌てずその手を押さえながら、葵の真意を図ろうと視線を向けた。

 葵が嫌そうに顔を顰めている。

 このように喧嘩腰の対応をするのはあまり見たことがない。捜査一課の原西にも、同じような態度はとっていたが、その裏にはなにやら因縁がある様子だった。だが、速水と葵は初対面のはずだ。


「――注目を浴びていますから、場所を移しましょう」


 怒鳴り続ける速水に静かに話し掛ける。元々葵は好意的な意味で注目の的になっていたから、現れた途端暴力を振るおうとした速水には、冷たい目が向けられていた。

 スマホを構えている者もいるのを見て、舌打ちした速水が智輝の手を振り払う。暴れる気配がないのを見て、智輝も身を引きながら、近くの喫茶店に目を向けた。


「あの喫茶店でいいですか」

「しけてんな」


 ぼやきながらもついてくる速水を内心で罵倒しながら、葵に目を向ける。

 葵は智輝を盾にするように、離れた位置から速水を見ていた。その目に浮かぶ嫌悪感は薄れることなく、それほどに感情を逆撫でされている理由が智輝には分からなかった。速水の態度が悪いのに苛立っているというなら、智輝も完全に同意するところだが。


 喫茶店に入って注文を終えたところで、早速話に入る。葵も速水も機嫌が悪いし、長々とこんな嫌な空気を吸っていたくはない。智輝だって仕事だから速水に丁寧に対応しているだけで、正直相談を投げたくなっている。


「――葵さん、なにか分かったのか?」

「……まあね」

「ふん、どうなんだか! 所詮詐欺師だろ? 警察は詐欺師と組んでんの?」


 せせら笑う速水を思わず睨む。あまりにも相談をする側の態度とは思えなかった。

 智輝たちが調査をやめれば速水の方が困るだろうに、優位に立っていると言いたげな態度は何故なのか。調査をやめると考えられないくらい馬鹿なのか。

 そう考える一方で、おそらくこれだろうという答えも持っているので、智輝はため息をつきたくなった。


「発言の撤回を願います。詐欺師とはあまりに失礼ですよ」

「ぁあ? 俺の親父が誰か知ってんの? 国会議員だぜ? お前、首にしてやろうか?」

「速水議員に警察官の免職に関する権限はありませんよ」


 智輝が軽くいなすと、速水が言葉を失い睨み付けてきた。考えなしの発言だったようだ。

 智輝が考えていた通り、速水の横柄な態度の理由は、父親の権力だった。

 身元の調査の段階で智輝はそれを把握して頭を抱えてしまっていた。だが、どうにでもなれの精神で、速水に対応することにしたのだ。警察官が政治家の身内に忖度せねばならないという法はない。

 速水は何度か逮捕歴があり、どれも不起訴になっているが、その陰に父親の圧力がある可能性に智輝は気づいていた。だが、今回の調査をしている間は、一切接触がないのでなんとも評価しにくい。


「……さっさと呪いをなんとかしろっ」


 顔を背けて要求する速水から葵に視線を移す。

 この場で解決できないにしろ、葵からなにか意見をもらえればいいと思った。だが、葵はどこまでも冷えきった眼差しを速水に向けていて、それを見てしまうと、智輝も言葉を失ってしまう。

 速水が顔を背けたのも、おそらくその眼差しに負けたからなのだろう。葵は美人なだけあって、冷たい表情に圧力を感じる。


「――君の呪いだけどさ」


 不自然な沈黙を破ったのは葵だった。お冷やに手を伸ばし、グラス表面の水滴をなぞりながら言葉を続ける。

 速水が大きく喉を動かした。緊張しているらしい。今までの態度は虚栄心の表れで、呪いに対して恐怖心を抱いているのは間違いないようだ。


「そのまま帰ったら、また見るよ? ――薄汚れた靴」

「っ!」

「薄汚れた靴……?」


 にんまりと笑った葵の言葉に、速水が過剰なほど体を揺らした。信じられない者を見るように、見開いた目で葵を凝視する。

 智輝は二人の様子を注意深く観察しながら、意図の読めない言葉を反復した。


「そう。君、見たんでしょう? 階段から落ちたときかな? ――うん、そうみたいだね。普通の感覚の人でも、向こうに見せる意思があって、それに足るエネルギーがあれば、見えることがあるからね」

「……なるほど、なにかこの世のものではないものを目撃したということか」


 テーブルに載せられていた速水の手が大きく震えていた。

 それを視界に捉えながら、智輝は内心で首を捻る。

 速水が呪いに怯えているのは確かだろうが、あまりにも葵が発した言葉に動揺し過ぎているように見えた。


「君、呪いの手紙自体はあまり気にしてないね? 気にしているのは……霊からの直接的な復讐だ。それを呪いという言葉で飾っているに過ぎない」

「霊からの復讐?」

「っ……なに、言って……!」


 葵と話していた通り、呪いの手紙はあまり意味がなかったらしい。だが、速水が霊に憑かれているのは確実のようだ。


「復讐される心当たりがあるんだもんね? 薄汚れた靴とチェックのスラックス。ブレザーの制服かな。ああ、君の高校の制服だ。……なるほど、彼は君が死に追いやった子なんだね」

「っ、ち、ちがっ、あいつが、勝手に死んだだけだっ!」


 動揺に乱れた言葉にはなんの信憑性もなかった。忙しなく周囲に視線を動かしているのは、近くにいるかもしれない霊を警戒しているからか。


「――いじめか」

「うん、これが主犯格」

「違うっ!」


 速水をこれと呼んだ葵を咎める気は起きなかった。


「傷害や強要など、いじめは刑事罰も科されうる所業だ」

「もっと警察が介入するようになったらいいのにねぇ」


 動揺して「違うっ違うんだっ、俺は悪くない!」と言い続ける速水を見て、智輝は元々低下していたやる気がさらに下がるのを感じて、深いため息をついた。

 こういう話は、本当にやりきれない。

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