第26話 守護たる君
琥珀とはなにかと問われたなら、一般的には樹脂の化石あるいは宝石と答えるのが正しいだろう。
だが、葵のように神の世も覗きうる者からしたら全く別の意味を持つ。
琥珀の珀という漢字に『
他のパワーストーンと呼ばれるものでも同様の効果が見られることもあるが、琥珀は効果という点において一級品だろう。
また、琥珀は古くは『
名は体を表すと言われる通り、琥珀は虎の形をした魂を内包しうる石なのだと葵は認識している。
浄化の力で持ち主に纏わりつく悪い思念を浄化し、大切に扱われることで良い思念を元にした魂――
そうして力を蓄えていった琥珀を、葵は『守護石』と呼んでいた。
「――付喪神が、これほどまでにはっきりとした形をとれるようになった守護石は珍しいけど」
『これまでの持ち主には大事にしてもらったからな』
葵は、購入したネクタイピンを手の平に置き、じっくりと眺めながら呟く。
手の平では、その呟きに答えるように、付喪神である小虎が頷いていた。
その様子を見ながら、葵はテーブルに頬杖をつく。
場所はフードコートからさほど離れていない休憩スペース。点在したテーブルセットでは、家族連れやカップル、友達グループなど様々な人が寛いでいた。
そのテーブルセットのひとつを占拠した葵には、珍しく視線が向けられない。葵が小虎にそうするよう頼んだのだ。小虎は周囲から向けられる思念を遮断することくらい、容易にできる存在だった。
「琥珀は数多の悪しき思念に晒される者にとっては救いであり、守りだ。だからこそ、ある種の信仰を向けられる。その信仰は時に、君たち付喪神を育む」
『
「さて、どうだろう。付喪神の力を借りるほど、困ってはいないけど」
『確かにそのように見えるなぁ。……では、何故私を知りながら、これを買ったのだ? 決して安いものではあるまい』
小虎がネクタイピンにはめられた琥珀をつついた。自身が宿るものでありながら、些かぞんざいな扱いに見える。
葵は軽く眉を顰めて、
小虎が僅かに驚いた表情をした後、照れたように頬を掻く。
『……いやはや、かように丁寧に扱われるのも久しぶりである』
「あの店番の子は、アンティークの扱いを熟知していたようだけど」
『確かにその通り。だが、あの人間は私という存在を感じえない。それゆえ、他のものよりも下げた扱いであった。それに、店主の妻は夫の骨董品集めが気に食わなかったと見える。店主が亡くなってからは、我らは捨て置かれていたようなものだ』
葵は小虎の言葉を聞きながら、店番の青年の様子を思い出した。
彼は他の琥珀の方が価値的に優れているのを知っていて、価値相応の扱いしかこのネクタイピンに行わなかったのだろう。葵のように付喪神の存在を見ることができないならば、仕方ないことだ。
店主の妻については苦笑するしかない。あえていうなら、亡くなった後にまで禍根を残すような関係を築いていた、店主夫妻のありようが駄目だったのだ。
「――だから、寂しげだったんだね?」
『寂しげ? 私が、か……?』
葵が微笑みながら放った言葉に、小虎がポカンと口を開けた。
付喪神に出会う度に思うのだが、彼らはあまりに人間染みた仕草をする。それは彼らが『人の思い』から生まれる存在だからなのだろう。
『……そうか。私は、寂しそうに見えたか。確かに存在が
「このままいけば、消えるのだろうと思ったよ」
『……そうだなぁ。その可能性は十分にあった。……それで、私を知った上でこれを買ったのか? そなたが大事にしてくれると言うのか?』
小虎が僅かな期待を籠めた視線で見上げてきた。
店主が亡くなり、扱いが悪くなったことで厭世的な気分になっていたようだが、葵の態度で少し自信を取り戻したようである。見て話せる相手ができたというのも、雰囲気が明るくなった理由のひとつだろう。
長い年月を経た者らしからぬ、子どものような様子に微笑みながら、葵は頭を悩ませた。
「……さっき言った通り、僕はあまり君の力を必要としていないんだよね。むしろ、僕に掛けられている守護のことを考えると、付喪神が長きに渡り傍にいるのには、適さない環境だと思う」
『ああ……その身に纏っているのは、
小虎が気落ちして呟き、ストンと腰を下ろす。そして、葵の手の平に『の』の字を書き始めた。まるでマンガの一場面のように、分かりやすい落ち込み方だ。
付喪神はもしかしてサブカルチャーを嗜むのだろうかと、葵は首を傾げてしまった。
だが、落ち込む姿を黙って眺めるのは性格が悪い。ちょうど人混みの向こうに智輝の気配が感じられたことだし、葵は小虎にこれからのことを説明することにした。
「――実は君に守ってほしい人がいる」
『私に? そなたよりも私は力がないのだぞ? そなたが手に負えんものを、私がどうにかできるとは思えんが……』
渋るような口調とは裏腹に、小虎は瞳に輝きを取り戻して、葵を見上げてきた。
付喪神は『人の思い』から生まれたという性質から、『人の役に立ちたい』あるいは『人を守護したい』という思いが強いのだ。
厭世的だった小虎も、その根本たる性質は変わっていなかったようで、葵の言葉に意欲を燃やしているのが、手に取るように分かった。
「君だからこそ良いんだよ。察しているだろうけど、僕に掛けられた守護を人の世で発揮するのは、些か不都合がある。あまりに強すぎるから、制御が難しいんだ。だから、僕はあまりこの守護が発揮されないようにしている」
『うむ。漏れた気配だけで、か弱き魂は消し飛んでしまいそうだからな』
深く頷いて納得を示す小虎に、葵は密かに苦い思いを噛み締めながら、琥珀を指さす。
「……君の力は元々『人のためにあるもの』だ。そう定義づけられて存在している。それゆえに、人の世にあってもなんら不都合は生じない。君ほど、人を守るに相応しい者はいないんだよ」
『ふむふむ……言われてみればその通り。強すぎるものは他者を傷つけうるが、そもそも私は守るためにあるもの。この力はどうあっても人を傷つけることはない。そなたが言う通り、私ほど人を守護するに相応しい者はない……!』
完全に自信を取り戻した様子で、小虎が尻尾を揺らしながら頷いた。葵はそれを見て苦笑する。
思いで成り立つ付喪神は、その意気が力にも影響する。誰かを守ろうと思うことが、彼らの力を大きくさせるのだ。
それが分かっていて、葵は小虎のやる気を高めようと言葉に力を籠めたのだが、想像以上に小虎は単純だった。
葵の力を余さず受け取り、視覚的にも力の高まりが見えるようになった小虎に、葵は目を細める。
「――葵さん、ここにいたのか」
横合いから声が掛かった。小虎が目を見開いて、声の主である智輝を見上げる。
小虎が展開していた人避けのまじないを、智輝が当たり前のように突破したのだから、その驚きは当然だろう。
だが、葵からしてみれば、これは必然だった。そうなるように、葵が仕組んでいたのだから。
「うん、ちょっと休憩をしていたんだよ。智輝はお腹いっぱい食べて来た?」
「ああ。……葵さんはあまり腹が減っていないみたいだが、こういうのは食うだろう?」
葵の前の椅子に腰掛けながら、智輝がテーブルに紙袋を置く。
ネクタイピンを箱にしまった葵は、紙袋から漂ってくる匂いに、頬を緩めた。
「甘い匂いがする!」
「メニューにワッフルって書いてあった」
「智輝、最高!」
腹を満たすだけでなく、お土産まで用意してきた智輝を、葵はグッと親指を立てて称賛した。
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