第9話 霊とはなにか

「――思考が強まり思念になったとき、それはエネルギーを内包する。このエネルギーがどこから生じるかというのもまた定義が難しいんだけど……曖昧な言葉だけど分かりやすく魂ということにしておこう」

「魂、ね。まあ、分からないではない」

「魂から生じたエネルギーを内包した思念は、実は体から離れてあらゆるところに残留する」

「……ああ」

「もちろん、時と共に風化するものがほとんどだし、むしろほんの一瞬しか留まらないのが普通だ」

「いや、待て……待ってくれ。……そんなに、思念というものは、今この瞬間もあるのか?」


 問い返しながら周囲を見渡す。そこには当然今まで通りのリビングがあるだけで、特別変わったものが見えるわけではない。だが、葵の言葉を聞いていると、そこに何かがこびりついているように感じられて、思わず眉を顰めた。


「この部屋は定期的に掃除をしているから、思念の残留はほとんどないよ。というか、僕以外の人が立ち入ることもあまりないし」

「……そうか。今更だが、俺が入って良かったのか?」


 掃除という言葉に、智輝が知る以上の意味が含まれているように感じられた。そうして管理している場所に、智輝はなにも考えずに入り込んでいるのだが、葵が実は迷惑に感じているのではないかと不安になる。

 だが、智輝のそんな思いを一掃するように、葵がからりとした笑みを浮かべた。


「問題ないよ。智輝って、普通の人より思念が外に漏れないんだよね。たぶん、理性がすべてを制御しているのかな。凄く特殊」

「……それは、どうも。褒められているのか分からないが」


 特殊な能力者に特殊と評価されても、どう受け止めればいいのか分からない。葵が言っていることを十全に理解できているとも思えなかった。


「ふふ。分からないって顔している。そんな時でも、智輝は強い思念を放たない。まあ、感情面が淡泊とも言えるかもね」

「……自慢じゃないが、わりと映画を観て泣く方だぞ?」

「あ、そうなの? じゃあ、今度一緒に観ようよ。おすすめの映画があってね――」

「その話は今いい」


 目を輝かせた葵の提案を断ち切ると、分かりやすく不満を示すように頬を膨らませた。二十代の男がする顔だろうか。……変だと思えない葵の顔面力に戦慄する。


「……話を戻してくれ。最初、葵さんは霊とは残留した思念だと言っていたが」


 返答まで間があった。ジトリと見据える目が諦めに変わったころ、ようやく口が開かれる。


「正確に言うと、魂を内包した残留思念だと思う。魂からエネルギーが補給され続けるから、この残留思念は根強く残る。死ぬ前の悲しみ、怒り、憎しみ、願い。あらゆる強い残留思念に、その人自身の魂が囚われてしまうんだ。――これが、霊」

「……なるほど。それは俺が思う霊の形に一致する」


 思い遺すものがなにもない者が霊になるイメージはない。恨みだったり、悲しみだったり、遺す人への思いだったり、そうした強い思いと合わせて、霊の存在が語られているように感じられた。


「じゃあ、智輝の最初の問い。霊は物音を立てるかだけど」

「ああ、それが知りたかったんだ」


 僅かに身を乗り出して葵を見つめた。一般化された話より、今の問題に即した具体的な話の方が、イメージが湧きやすく理解できるだろうと思う。


「霊はエネルギーを内包している。魂から生じるエネルギーというのは、普通は肉体という実体により外部への放出が限定されるものだけど、霊に肉体はない。言うなれば霊そのものが露出されたエネルギーの塊になっている。……目に見えない風が風車を動かすように、そのエネルギーは目に見えずとも物体に作用する。それに大小の差はあってもね」

「風か……。うん、まあ、そんな感じという、イメージを摑めたらいいということだな?」

「うん。厳密に表現するには、僕は言葉が不自由だ」

「葵さんにそう言われたら、俺はどうなんだって話だが」


 小説家にこれ以上の分かりやすい説明はできないと言われたら、智輝は頷くしかない。だいぶ分かりやすく話してくれたとも思うし。


「幸恵さんは、霊となって、そのエネルギーで周りに影響を齎したということでいいか?」

「彼女自身はそれを意図していなかっただろうけどね。彼女が遺し囚われた思念は、大家さんを思うものだけで、誰かに害を為そうという意思は微塵もなかったから。あれだよ。風力発電をしたいからと、風の強いところに風力発電機を建てたら、その柱が折れちゃったみたいな」

「すまん。その例えは分からない」


 素直に謝ると、葵も「ズレた例えだったかも?」と首を傾げる。


「……露出されたエネルギーは一定の方だけに作用するのではなく、あらゆる方向に放たれて作用するんだってこと。幸恵さんの場合は、エネルギーがアパートの建物にまで作用し、騒音を立てた」

「なるほど」


 今度は納得すると、満足げに頷かれた。紅茶に手を伸ばし、ズズッと行儀悪く飲む。その姿を見ながら、智輝は思考に沈んだ。

 幸恵の霊が、騒音の原因の一部であったことは分かった。ならば、他にも木村が聞いたという音はなんなのか。


「……やはり建物の劣化か? というか、報告書、どう書こう……」


 原因は霊でした。なんて一言で済ませられるわけもなく、智輝は頭を抱えて悩む。

 ここは先人に習うべきかと、木宮へ相談しようと決めたところで、葵が「あっ」と声を漏らした。


「どうした?」

「そういえば、幸恵さんが言っていたんだけどさ。霊って、基本的に残留思念に沿った思考しか継続できないんだけど、幸恵さんはアパートを含めて、大家さんのことを心配していたらしくて、ちょっと気になることを言っていたんだよね」

「気になること?」

「うん。……二階の男はさもしいし、女は恐ろしいって」

「二階……半田という男と、木村のことか」


 まさか親しかった佐々木のことをさもしいとは表現しないだろうと判断した。葵もそれに軽く頷く。


「さもしいって、浅ましいとか心が汚いってことだよね」

「そうだな。幸恵さんは、なぜそんなふうに言ったんだ……?」

「そこまでは聞けなかったけど。霊から話を聞きとるの、結構難しいことなんだよ?」

「すまない、葵さんを責めるつもりで言った訳じゃないから」


 智輝の独り言に不満そうに返してきた葵に謝りながら、思考を巡らせた。

 半田とはまだ一度も話をできていない。木村についても、その態度に疑問が残っている。彼女はなにかを隠していた。なにか不都合のある真実を。


「――まずは半田の話を聞こう」


 時計は二十時を指そうとしていた。半田はこのくらいの時間に帰宅すると木村が言っていたはずだ。


「今から行くんだよね?」

「葵さんは来なくていいから」

「なんでっ⁉」


 上着を取りに行こうとしたのか、ソファから立ち上がった葵が動きを止めた。驚愕の表情で見下ろす姿を、目を眇めて見つめる。

 ローテーブルに放置されていたスマホが、しきりに通知を伝えていることに、智輝はずっと前から気づいていた。画面に『へんしゅうくん』と電話マークが出る度に、葵が素知らぬ顔で拒否しているのも。

 いい加減、見過ごすのも限界である。


「霊の存在は、もうあのアパートにないんだろう? それなら、葵さんの意見は必要ないし、俺の方で事情を聞くだけでいい」

「でも、ここまで関わったんだし――」

「葵さん。……あなたは今、それよりもするべきことがあるのではないですか?」


 わざと丁寧な口調で話しかけた。途端に、不服そうに唇を尖らす葵は、初対面で抱いた印象よりだいぶ子どもっぽい。


「自分がやるべきことをやらないのは駄目だと思う」

「……分かった。事情聴取は智輝の仕事だもんね。僕はこっちが本来の仕事」


 ため息をついて受け入れた葵が、スマホを手に取りながらソファに座り直す。それを見て、今度は智輝が立ち上がった。

 訪問するのはあまり遅くなりすぎても失礼だろう。だが、職場に押しかけないだけ良しとしてもらいたい。


「智輝」

「なんだ」

「ここは我慢するから、ちゃんと分かったことは教えてね。困ったことがあったら連絡すること。……智輝と僕は、相棒みたいなものなんだから」


 真剣な表情で念を押す葵に頷く。ここまで関わらせたのだから、当然葵にも報告するつもりだった。もちろん、警察官と協力者という範囲を逸脱しない程度に、だが。


「……会ってまだ二日だけどな」

「濃い二日だね!」


 身を翻しながら告げた言葉に、笑いを含んだ声が返ってきて、智輝も吹きだして笑ってしまう。

 まるで昔からの知り合いだったように息が合うから、言った本人である智輝も、出会って二日だというのが信じられないくらいだった。

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