第13話 纏うは礼服 惑うは心 その10

 何もかもが突然だった。

「ひっ」というしも久良くらさんの小さな悲鳴が聞こえる。

 けれども自分の視界は覆われ、何が起こっているのか私には全く分からない。

 混乱して思わずまばたきを繰り返す私の耳に、くすくすとした笑いと共に声が届く。


「うふふ、くすぐったいなぁ。せんど、……おっと美里みさとさん。ちょっと大人しくしていてくださいね」


 この声は間違いなく観測かんそくしゃだ。

 けれどもどうやってこの人は、ここにたどり着いたのだろう。

 そんな私の考えも知らず、頭上からはのんきな声で「あ、そうだ」という声が聞こえてくる。

 ごそごそと動く気配がして、頭の下にある枕が突然に引き抜かれた。

「よいしょ」という声の後に、私の顔にその枕がかぶせられ、たまらず声を上げてしまう。


「ちょっと! 観測し……」


 名前を呼ぼうとして私は思いとどまる。

 今、下久良さんがこの部屋にいるのに彼の名前を呼ぶのはよくない。

 その行動は正しかったようだ。

 枕ごしに軽くぽんぽんと叩かれる感触の後に、私の手の拘束が外される。


「いい子ですね。今は手は動かせるはずです。これから先はあなたに見せたくない。ですのでどうか、そのまま動かずにいてくださいね」


 私はうなずきながら、枕を抱きかかえるように自分の顔に押さえつけた。

 その行動をいたわるかのように、私の手にそっと観測者の手が添えられる。


「何なのよあなた、どうやってここまでっ!」

「こんばんは、あなたが主催者ですか? 随分と探しましたよ。まさかスタッフに紛れていたなんて。ちょっと想定外でしたね。うん、これはなかなかに面白い」

「何を訳の分からないことを! それにどうして突然そこに現れるのよ! こんなことありえない!」


 混乱のあまり叫び続ける下久良さんに、観測者は冷たい声で告げる。


「……あなた、ちょっとうるさいですね。私がここに来たのはある依頼のためです。あなたが持っている、今までのパーティー参加者の画像データを頂きに参りました。素直に渡していただけたら、私はこのまま帰りますよ。どうされますか?」

「はぁ? 冗談じゃないわ。そんなもの持っていない。そもそも持っていても、あなたなんかに渡すわけないでしょう」

「ならば交渉は決裂ですね。わかりました、でしたら自分で探すことにしましょう」


 私の手を離し、観測者が立ち上がる気配がする。

 

「あぁ、そうだ。あなたが主催者だと気づいた時に、それなりの刺激をいただきました。ですので私からのお礼としてあなたの知らないことをお伝えしておきますね」

「え、あなた何を言って……」


 観測者の声が、戸惑っている様子の下久良さんの方へと近づいていく。


「本日をもってあなたの主催するパーティーは今後、行われることはありません。今いらっしゃるお客様方ですが、必死にお帰りの準備を進めている最中です。私共が流した『もうじきここに警察が家宅捜索にくる』という偽の情報に皆さん大慌てですよ」

「なっ、なんてことを! あなたそんなことをして……」

「まぁ、これにより今後はこの会社に投資をしようという人達はいなくなるでしょうね。でもどうかご心配なく」

「ふざけないで! 何であなたなんかにこんなこ、……ぐぅっ!」


 下久良さんの声が途切れ、苦しそうなうめき声が聞こえてくる。


「何を言っているのですか? あなただって今までそうしていたではないですか。自分よりも劣った存在に対し、いかに愚かな行為をしたのかをじっくりと理解させる。自分に手を出そうとした相手に、たやすく触れていいものではないと知らしめてやる。だからね、私も今からそうするのですよ」

「うるっ、……さいっ! なんなの! 何で私の邪魔をするのよ! 何者なのよ、あんたはっ!」

「私ですか? あぁ、遅ればせながらご挨拶を。あそこに居る彼女の代わりに、あなたを殺すものです」


 抑揚のない観測者の声は、いつもとは全く違うもの。

 助けに来てくれたにもかかわらず、彼に怯えという感情が芽生えてきてしまう。

 持っていた枕を強く握りしめる、私の動きに気付いたようだ。 


「美里さん。あなたは今から目を閉じて耳を塞いでいてください。これは、……私からのお願いです」


 彼からの声は、淡々したものだ。

 でもなぜだろうか。

 その言葉に、ほんの少し表れた感情は……。


 いや、それを考えるのは後でいい。

 私は彼に言われた通り、目をぎゅっと閉じ耳を塞いだ。

 それでも、くぐもった悲鳴と共に何かがぶつかり落ちる音が、遮断しようとする私の耳にも届いてきてしまう。 

 私は体を丸め、ただ時間が過ぎていくのを待つことしか出来なかった。



◇◇◇◇◇◇



 誰かが私の名を呼んでいる。

 あんな状況にもかかわらず、私は眠ってしまっていたようだ。


「……い、千堂せんどう。聞こえるか? 千堂」


 この声はむろだ。

 どうやら体の上にシーツを掛けられているようで、声は聞こえるが彼の姿を見ることは出来ない。 

 

「……あ、室なの? わたし、私はっ!」


 起き上がろうとした私を、シーツの上からそっと室は触れてくる。


「目が覚めたな、そのまま聞け。まずお前はこのシーツから出るな。これが理解できるか」

「え? えぇ、分かったわ」

「よし、では次だ。今の体の状態は?」


 シーツの下で思い切り体を伸ばしてみる。

 

「大丈夫。もう動けるようになっているみたい」

「ならばすぐに俺の体に戻れ。俺達は撤退だ。……ただし」


 シーツが外され、室と目が合ったと思った瞬間に、私の目を覆うように室の手がかぶせられていく。


「何も見るな。……俺もお前を見ない」


 その言葉にようやく、自分の今の姿を思い出す。


「みっ、みみっ、見たの? あんた勝手に私の姿を見たんでしょ!」

「一瞬だけだ。今は見ていない」

「なによ! 今は目隠ししているからわからないじゃない!」

「……やはりお前はうるさい。早く戻れ。俺は煙草が吸いたい」 


 この男に言いたいことは山ほどあるのだ。

 ――勝手な行動をしたことを謝るのも、もちろんその中に含まれている。

 けれども私の体はかなり限界に近いらしい。

 室の姿を見たことで安心をしたこともあり、彼の中に戻った途端に私の意識は遠のいていく。


『ごめん、少し眠るわ。後できちんと、謝るから今は……』

「うるさいよりはいい。とっとと寝ろ」

『ちょっと! それって、あ、あんまりじゃな、……い』


 最後の言葉は室に届いたのだろうか?

 それを確認することなく、私は意識を手放した。

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