第22話 データ・マイニング

 


 2040年11月29日の正午。アラバマ・ハイウェイ49号を南に向かっていたハーヴェイ・ウッドワードのレンタカーは、左折する道路に方向を変えた。


 やがて前方にホースシューベンド・ナショナル・ミリタリーパークのヴィジターセンターが見え、駐車場の手前で車が止まり、ハンドル操作は自動から手動に切り替わった。


 風がほとんどない、陽光の暖かな日だった。

 博士の要望に従ってエニグマの電源を切り、筆記用具と録音機、カメラ、そしてハーフコートを持っていくことにした。


 1814年、この土地でアンドリュー・ジャクソン司令官率いる数千の軍勢は、アッパークリーク族やレッドスティック族らの要塞を攻撃した。その要塞は、公園内を流れるタラポッサ川の湾曲した川に沿って建てられていたという。この壮絶な戦いを勝利に導いたアンドリュー・ジャクソンは、1828年、第7代アメリカ合衆国大統領に選ばれている。そうした歴史を物語る品々を展示した小さな博物館の前を通り、自然歩道に通じる道へ急いだ。



 色づいた木々を見ながらゆるやかな斜面を登っていくと、キャノン砲が置かれた林に出た。林の中央には、木製の大きなテーブルと椅子が何脚か置かれ、そこでランチを楽しんでいたのは6人ほどの、たぶん家族連れだろう。


 その向こうには、ふたてに分かれた自然歩道が見えたがいままでの道の延長である右手を選び、さらにいくつかの林を抜けるとしばらくは開けた平坦な道になった。やがて、川の流れる音が聞こえるようになった。さきほどの家族連れ以外、まだ誰とも出くわしていない。聞こえるのは川の音と鳥のさえずりだけだ。


 地図にあった「タラポッサ・ヴィレッジ・サイト」にようやくたどり着いたようだ。ボートを探しに川辺に近づいていった。


 すると、大きな木の根もと近くに1艘のボートがあり、その向こうで釣りをしている帽子をかぶった男が見えた。 なおも近づいていくが、男が気づくようすはない。


 周囲に全く人がいないことを確認し、その男に話しかけた。


「ウッドワードです」


 男はボートに乗るよう指さした。

 中州になっている小さな島にわたると、ボートを引き上げた。島の中央部には木々が取り払われた小さな広場があり、周囲からは全く見えない空間になっていた。 何本かの大きな木の切り株があり、そこにハーヴェイと男は腰掛けると、男はようやく口を開いた。


「不便をおかけしてすみません。通信装置の類はお持ちでないですね」


 ハーヴェイは手首の表示を見せた。


「指示どおり、エニグマは切ってあります。まず録音を開始し、写真を撮りたいのですがかまいませんか」


 男はうなづいて帽子をとり、握手の腕をさしだした。


「マイケル・チャンです」


 その新進気鋭の数学者はたしか26歳のはずだが、髭も伸びていたせいかひどくやつれて見えた。ハーヴェイがペンとノートをコートのポケットから取り出すと、博士はことばを選びながら話始めた。ときにしばらく考え込むようにして。


 台北で生まれた彼の一家は、彼が小学校に入る頃には両親の仕事の関係でカナダに移住していた。


 高校生のときにフランス語の勉強をかねて、1998年のダランベール賞をとった名著だという "Le fascinant nombre π" (魅惑の数『π』)を読んで以来、円周率 π のとりこになってしまった。自分の部屋に貼るほど彼が気に入っていたのは「ライプニッツの公式」だった。奇数とπとの間の、この「単純に見える」関係は、宇宙の創造者が人類の知性に投げかけたパズルのように見えたのだ。 その正体がわかれば宇宙の神秘が見えてくるような。


 ウェスタン・オンタリオ大学の数学科で学ぶようになったマイクは、πが当時64兆桁まで計算されていたことを知るが、国際的なπ計算競争も「πの数列になんらかの法則性があるはず」という信念とそれを見いだそうとする努力の現れであった。 64兆桁の計算記録をうち立てたコロンビア大学のハロルド・ノーマンは「(πに法則性を探すことより)ギリシャ語記載のないロゼッタストーンを解読するほうがずっとマシだろう。 我々の努力は結局は実を結ばないかもしれない」と述べている。


 マイクの最初の学位論文は「πの画像変換」というものだった。π数列を2進数で表示することによってπのn番目の数字を計算する公式が1995年に考案されたが、底を「2に固定」ではなく可変にすることでπの表示をより単純化することも知られていた。


 試行錯誤の結果、πを11進法表記した数字の列を、HLS カラーモデルに変換し、さまざまな素数の組み合わせで並び替えていくと、やがて微かな「パターンらしきもの」が見えてきたのである。しかも美的な印象を与えるいくつかの「作品」が得られたおかげで、複数の地方メディアにもこの研究成果が取り上げられた。


 πについてはすでに興味深いいくつかの兆候が見いだされていた。それは全くの「偶然」として片づけるにはあまりにも不自然だった。


例えば、

3682億9989万8266桁目から 777777777777 という数列、

8978億3131万6556桁目から 999999999999 という数列、

1 兆410億3260万9981桁目から 111111111111 という数列、

1 兆1413億8590万5180桁目から 888888888888 という数列、

1 兆2215億8771万5177桁目から 666666666666 という数列が現れていた。


 そうした規則性(見かけだけかもしれなかったが)が画像上のパターンとして見えていた のだ。


 マイクが注目したのは、1 兆1429億531万8634桁目から 314159265358 という数列が現れていたことだった。さらにπの桁数を多く求めていけば、その中にπの部分数列が再現する傾向が強まるかもしれない。そのような仮定のもと、ブリティッシュ・コロンビア大学の大学院に進んだマイクは、πの計算桁数を90兆にのばし、改良を重ねた画像変換プログラムでもっと明白なパターンの出現を探ろうとした。


 同大学の地球防災センターに置かれた、通称「モンスター」とよばれたスーパーコンピューターを使うことができた彼は、6週間にわたる計算の結果、


7兆6428億3641万24桁目からは

31415926535 89793238 というπ数列が、


27兆9527億41万2594桁目からは

31415926535 8979323846 26433832 というπ数列が、

そして

87兆8429億391万4624桁目からは

31415926535 8979323846 2643383279 5028841971 というπ数列を確認するに到ったのである。


 しかしながら、π数列の出現頻度が高まっているのか、低くなっていくのかはまだ不明だった。


 この成果を American Journal of Mathematics 電子版 2039年3月号に発表したが、マイクは同じ号に出ていた別の論文に見て驚愕した。


 イギリス、アストン大学のルイス・アビットと岡山大学資源生物科学研究所の守谷雅也らのチームは、アナナスショウジョウバエの第2染色体の特定部位から始まるヌクレオチドの塩基、アデニン、グアニン、シトシン、チミンにそれぞれ0,1,2,3を対応させてみた。 その結果得られた数列が、なんとπの4進小数に展開したものの、小数点以下121位と合致したというのである。これは偶然ではほとんどあり得ないことであり、さらに同チームは もっと高度な生物の染色体で同様の試みを開始しているという。


 "Butterfly Landscape" という作品などにDNA二重螺旋を描いたサルバドール・ダリ(超現実主義の画家 1904-1989)は、科学に対し強い関心を抱いていたという。1940年代にはマックス・プランクの量子論に魅了され、1956年から1976年にかけての少なくとも9作品にはDNA構造が描かれている。 1953年4月25日号のネイチャー誌にワトソンとクリックによる論文"Molecular Structure of Nucleic Acids"が掲載されたとき、ダリは「神の存在を真に証明するものだ」と語ったというが、アビット・守谷論文を読んだとき、マイクはダリのその言葉を思い出していた。


 "Galacidalacidesoxyribonucleicacid" という、決して言葉に出して読まれることがないような1963年の作品には、「ワトソンとクリックへのオマージュ」という副題が付けられていた。高校生のときにオンタリオ・アート・ギャラリーで初めてこの作品に出会って以来、彼はダリのファンになっていた。


 多用な生物界の巧みな機構や形態を見るに付け、「何らかの設計者の存在なしには人間をはじめとする生物界はありえない」と感じる科学者が、21世紀に入り増えていたが、数学者においても顕著だった。


 「自然界を科学的に理解していけばいくほど、その背後のなんらかの存在を感じざるをえない」と語ったのは、ワシントン大学ケント・キューラーだったが、聖職者から科学者へ転身するというケースもこの時代には珍しくなかった。


 イスラム圏においても同様で、パンルベ方程式と代数幾何との新たな関係を見いだしたイラン、シャリフ工科大学のラフィー・マルヤンや、格子ゲージ理論の進展に貢献したイラク、ムスタンシリア大学のアブデルサラム・カザールはいずれも聖職者出身である。


 American Journal of Mathematics上での論文発表から間もない2039年5月、マイクはアメリカ、ジョージア州立大学の准教授の職を得、家族と離れて単身アトランタに移った。


 3万人近い学生と教職員を擁する州第2の規模の大学であり、国内だけでなく世界145カ国からの学生が集まっていた。6つの学部はアトランタ市中心部に位置し、数学・統計学部の建物はキャンパスの南端にあった。建物からは南にジョージア鉄道が見えていた。


 オフィスマネジャーのサンドラ・ジョーンズや、上司のヴァレリー・ミラー教授、研究の手助けをしてくれる大学院生のローラ・ピーターソンなど、良好な人的環境に恵まれた彼は、円周率の高速計算アルゴリズムに着手した。πの計算桁数を飛躍的に高めない限り、πの中にπが現れる傾向が見かけのものかどうか判断が難しかった。


 思うような進展が生み出せず2ヶ月も暗礁に乗り上げていた2039年7月始め頃、ルイス・アビットらがデータマイニングの手法を使っていたことを思い出した。突破口が開けるかもしれないと思いデータマイニングについて調べていたマイクは、その分野を扱うネット・フォーラムで知り合ったクラウディア・コーニックという学生からメールを受け取った。興味深いプログラムをコレクションしているという。


 「問題のプログラム群」を、あるコンピューター上に一時的に置いておくので、これから郵送する手紙に書かれた名前とパスワードでダウンロードしてほしい、プログラムのことは誰にも伏せておいてほしい、と書かれてあった。


 彼女へメールしても何の音沙汰もなかったが、2日後に書留で手紙が届いた。消印はアトランタのものだった。書かれていたコンピューターのアドレスに、指定の名前とパスワードでダウンロードを試みた。何の問題もなく数秒でダウンロードが完了した。再度アクセスをしてみても、もうコンピューターには接続できなかった。


 さっそくダウンロードしたプログラムの内容を見て驚いた。


 プログラムの注釈行にはチャド・ベイリーという名前があったのだ。前年に行方不明になったあのチャド・ベイリーか? 


 インターネットで当時の報道記事を調べてみた。思い出した。彼は、数列内の何らかの秩序を発見するプログラムを開発しつつあった。その研究が暗号解読に役立つと判断した政府がベイリーをロスアラモスへ移そうとした矢先に、ベイリーの助手とともに行方がわからなくなってしまったのだ。


 3週間かけてプログラムを読み解いていったマイクは、そのプログラムが、未完成ながらも「数列の秩序を発見する」という驚くべきものであることを確信するに到った。 クラウディアはどこからこんなものを入手したのだろう。


 ここまで話したマイクは、リュックから二人分のサンドイッチを取り出し、携帯ポットから熱いコーヒーを注いだ。


「その後の話をするまえに、一息いれましょう。昼食はお済みですか?」


「いえ」


 マイクの平穏な生活が崩れていくのは、そのあと、チャド・ベイリーの研究を再開してからのことだった。






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