第15話 ワウ・シグナル



 2018年5月7日にカザフスタン共和国内、バイコヌール宇宙基地からプロトンロケットで打ち上げられた ヨーロッパ宇宙機関の「エクソマーズ2018」は、順調に飛行を続け、2019年1月15日に火星に到着した。


 12億ユーロの予算をかけ、過去、そして現在の火星に生命(あるいはその痕跡)を発見することを目的とした計画だった。オクシア平原に着陸したプラットフォームから離れ、火星に降り立った探査車(ローバー)によって、火星における微化石の発見に成功したヨーロッパ宇宙機関は、地球外文明探査についても野心的なプロジェクトを推進した。


 2020年、地球から反太陽方向に約150万km離れた第2ラグランジュ・ポイントに 「ダーウィン無人ステーション」を設置し始めたのである。


 直径1.5mの鏡をもつ望遠鏡6台を用い、同一天体からの赤外線を中央ステーションに集め、光波合成を行うシステムである。直径100mの鏡を使ったときと同じ分解能で天体を観測できる利点を活かし、 地球から50光年以内にあるF型~M型の主系列星300個について、地球型惑星の捜索が行われた。


 4年間の第1次観測期間で7個の有力候補が見つかり、2035年の計画終了時までには22個の地球型惑星が見つかった。さらにスペクトル観測からは、9個から(植物起源と推定される) 大気中の酸素が確認されていた。大いに期待を集めたこれらの天体を含め、 地球外文明からの電波信号をとらえる努力が80年近くも続けられてきたが、残念ながら未だ成功を見ないでいた。


 2040年11月13日、クラブアップル並木の見事な紅葉に包まれたカリフォルニア大学バークレー校。その中央図書館に隣接するホイーラーホールでは、10 年ぶりに開催された地球外知性体探査シンポジウムの2日目がすでに始まっていた。


 オランダ、ライデン大学のジム・ロビンソンは「我々は、可能なケースの10兆分の1を調べたにすぎず、 コンピューター処理能力の急速な進歩を考えれば、20年以内に何らかの成果が期待できる」と楽観論を述べていたが、観測装置の感度に飛躍的な改善がはかられないかぎり、今後数百年にわたる努力が必要になるという悲観論がこのシンポジウムでは、むしろ支配的であった。


 ワシントン大学のケント・キューラーも今世紀中は無理かも知れないと前置きをし、太陽近傍の9000個近い恒星系について、我々のテレビ放送のような間断のない電波信号を常時送り続けている文明は存在しないと結論した。もし存在すれば、9年間の「フェニックス第2計画」でとっくに受信されているはずだという。


 カリフォルニア州SETI研究所のセス・ショスタクは、地球が太陽の手前を横切る現象(地球による日食)が観測される、 黄道を中心とした幅約0.5度の範囲を集中探査すべきてあると主張した。1年に1度、定期的に最大13時間、太陽光度が1万分の1だけ減光する現象を「彼ら」は検出し、地球の存在に気づき、さらに分光観測から地球大気の成分を確認するだろう。


 地球との交信を試みるならば、「彼ら」は検出されやすいよう送信信号が地球に届く瞬間に、地球による太陽面通過が起こっているように送信時刻を設定するだろう。したがって、我々は「ラッキーストライプ・ゾーン」(黄道を中心とした幅約0.5度の範囲をセスはそう呼んだ)のうち、太陽と反対の方向を常時観測すべし、という内容だった。 早くも場内の数名から、協力を申し出る声があがっていた。


「ラッキーストライプ・ゾーン」への信号送出について意見が出そうになると、関連した発表を先に、ということでカリフォルニア工科大学のタニア・マンデルが演壇にあがった。


 タニア・マンデルは、銀河系内での超新星爆発、連星中性子星の合体など、顕著な高エネルギー現象が観測された場合に、天球上の180度反対の方向に向けて「呼びかけ信号」を送信することを提案していた。 地球外知性体がそうした天文現象を観測するため、現象の方向からやってくるさまざまな電磁波をとらえる努力を行っていると推定される。 つまり、注目すべき天文現象が起こっている方向に、他の星の文明も望遠鏡を向けているはずで、 彼らの望遠鏡の筒先に向けて信号を送り続ければ受信される可能性は極めて高いというのである。


 彼女は具体的に、10年~2万年以内に超新星爆発を起こすと見られている「りゅうこつ座エータ星」を挙げ、その反対方向であるケフェウス座の一角に向け、電波、あるいはレーザーを使ったメッセージを送信するアイデアを提示した。


 太陽の100倍もの質量を持ち、500万倍の放射を放つというまさに「南天の怪物」(マンデルはそう呼んでいた)、 「りゅうこつ座エータ星」は星の進化の最終段階に差しかかっており、極めて不安定な状態にあった。 星全体が吹き飛ばされる超新星爆発が起こる以前に、比較的小規模な爆発も起きている。1843年に起こったそうした爆発によって星周囲の様相が一変してしまったことは撮像観測からも明らかになっていた。


 1843年当時の明るさは7500光年も離れているにもかかわらず、おおいぬ座のシリウスに次ぐ明るさに達していた。こうした爆発も近い将来に再現されると見られ、地球外知性体にとっても注目に値する天体のはずである。したがって、今から送信を開始しても受信される可能性が十分あるというということもマンデルは強調していた。


 場内にちょっとしたどよめきが起こるほど説得力のある提案だったが、大きな問題があった。 それは科学的というよりもむしろ政治的な問題だった。


 法的な強制力はないものの、地球外知性体探査(SETI)を行っているおそらく全ての研究者が遵守しているルールがある。 1996年、国際宇宙航行学会(IAA)のSETI委員会によって提案された「地球外知性体からの信号受信後に取られるべき手順」 (The Post-Detection SETI Protocol)に基づき、国連総会で2度の改訂を経た国連版SETIプロトコル(2018年)である。


 それによれば、地球外知性体に向け意図的に送信する信号については、送信実施の可否、送信の方法、そして送信内容を、国連の宇宙空間平和利用委員会からの提案、そしてそれを総会に諮ることが求められていた。


 いずれにせよ、最後にマンデルが付け加えていたように、実際に「りゅうこつ座エータ星」が超新星爆発を起こすまで送信を待つことは懸命ではないかもしれない。


 なぜなら、超新星爆発による強烈なガンマ線放射が地球や月を含む太陽系空間を襲う可能性がわずかながらあるからだ。 ガンマ線は「りゅうこつ座エータ星」の自転軸方向にビーム状に放射されるため、太陽系方向にビームが向く確率は少ない。 「りゅうこつ座エータ星」の最新の観測では「りゅうこつ座エータ星」の自転軸の向きと太陽系は57±10度も離れているという。


 しかし、周囲をまわる伴星による潮汐力で自転軸の向きに変動が起こり、ビームが太陽系に向いた場合には、 地球大気上空が受けるガンマ線エネルギーは、1平方km当たり1キロトンの核爆発を同時に起こすのに等しい。オゾン層破壊ではとどまらない被害をもたらすだろう。



 オレゴン大学のカール・アンダーソンらのチームは、干渉法を利用した「ウイルソン」「ペンジャス」両衛星による宇宙マイクロ波背景放射の超高精度観測から、規則性のある人工的な信号を検出しようとしていた。




 ビッグバンの名残りである背景放射は、どの方向においても極めて一様な強さで観測されるが、1992年には「COBE衛星」が10万分の1レベルの温度ゆらぎを検出した。その後、背景放射の温度ゆらぎ分布の観測は、一層精密度を増していった。


 一方、1999年のサイエンス誌は「今年の科学ニュース」第1位として「超新星を用いた宇宙定数の存在の発見」を選んだ。驚くべきことに、宇宙定数は説明しがたい「不自然な値」であることが明らかになってきた。


 21世紀に入ると、「WMAP衛星」が打ち上げられ、背景放射の強度分布の分析が進められていくと、誰も予想していなかった奇妙な事実が浮上してきた。背景放射強度を球面調和関数であらわしたときの、4重極モーメントと8重極モーメントの「向き」が異常なほど揃っていたのである。しかもこの方向は地球軌道面上の春分点方向や、背景放射に対する我々の進行方向にも驚くほど一致しており、このようなことは統計的にありえないことだった。(偶然にそのようになる確率は0.1%未満であった)


 この奇妙な一致は、いまもって誰もが納得できるあらゆる説明を拒絶していた。 「しし座」の「おとめ座」寄りにあたる銀経260度、銀緯+60度のその方向は、ロンドン、エンペリアルカレッジのケイト・ランドとジョワウ・マグエイジオの命名により、「悪の枢軸(axis of evil)」と呼ばれるようになった。




 アンダーソンらが4年がかりで行った計算は否定的な結果であったが、今後は完成度の高い新たなパターン検査法を採用するという。この研究が記者団の注目を集めていたのは明白な理由があった。もしも背景放射に人工的な信号が見つかれば、それは宇宙全域の知性へのメッセージであるという解釈が成り立ち、そうしたメッセージを背景放射に記すことが可能なのは、論理的帰結として、この宇宙に生まれた知性ではなかったからだ。


 今年で35歳を迎えるバークレー校のシーマ・シャハクは、イスラエルのテクニオン工科大学の出身者である。


 心理学と精神医学で博士号を取得後、ベルリン心理学研究所で、宇宙船など閉鎖空間における心理過程を研究。その業績は国際心理学会や宇宙航空学会からも評価され、2033年度のアクシュータ賞(心理学部門)を受賞した。


 (初期の月面長期滞在者に強く求められたことに端を発している「複数の専門性をもつ」というキャリアパターンは、この時代にはすでに珍しくないことだが)心理学分野において業績をあげた彼女が次なる挑戦分野として選んだのが電波天文学であった。それは2年間の月面滞在経験の影響かもしれない。バークレーで電波天文学を学んでいる彼女は、20世紀から21世紀初頭に行われた地球外文明探査計画に強い関心を持っていた。最新の解析技術を用いて過去のデータを再調査するのが最近の日課だった。


 今回彼女が発表するのは、これまで未解決とされていた1977年の「WOW Signal」に関する新事実だった。


 1998年に取り壊されるまでの約40年間、オハイオ州立大学の電波天文台の巨大アンテナは、常に宇宙からの新たな電波源を探っていた。コロンバスの北50kmほどにあるその装置の面積はフットボール競技場の3倍もあり、「ビッグ・イヤー」と呼ばれていた。


 この施設では、1973年から22年間の長きにわたり地球外文明探査が行われたことでも有名である。 長期にわたる地球外文明探査を行ったことで今もギネスブックに掲載されている。 特定予算もなく、ボランティア・ベースで支えられていた「ビッグ・イヤー」による地球外文明探査...


 彼らの善意と苦労が実る日がやってくる。


 それは1977年8月15日のことだった。


 宇宙で最も豊富な元素は「水素」であり、その原子が出す周波数 1420 MHz (波長 21 cm)の電波は、宇宙雑音の少ない周波数領域にある。宇宙の文明間交信では、この1420 MHz の電波を使う可能性が高いとされている。「ビッグ・イヤー」がとらえた電波もまさに1420 MHzの電波であり、地上での使用が禁止されていた電波であった。職員や学生たちも60ジャンスキーという強い信号の記録を見るのは初めてだった。しかもその信号は72秒間しか持続しなかった。10 kHz 幅のチャンネル2のプリンター出力を見た職員のひとりが、"6EQUJ5" という信号強度符号をマルでかこみ、その横に WOW!と記入したのである。


 100倍も感度の高いニューメキシコ州のVLAアンテナ群(直径25mアンテナ27基からなる)でも、"Wow" が観測された1420.356 MHz前後の周波数で、同じ「いて座」方向付近(赤経19時25分05秒 赤緯マイナス27度03分.1950年分点赤道座標)を探ったが、結局なんら手がかりが得られなかった。


 シーマにとって、バークレーに来て初めての公式の場での発表である。 大型スクリーンに映写する画像ファイルは、演台のコンピューターにすでに登録済みだった。めったに着ることのない藍色のスーツ(だいぶ前に姉から送られたものだ)と、気持ちを引き締める効果のある「エクストリーム」の香りをまとった。


 昨日と同じく、自分の研究室から自転車で駆けつけた彼女は、暖房の効いた広い会場に足を踏み入れた。 昨日とは雰囲気が違い、多数の参加者にまじって少なからぬ報道陣の姿が目についた。 小さなツタのブローチを胸に、長い黒髪を後ろに束ねたシーマは前方の席で発表の順番を待った。


 やがて司会がシーマを紹介すると、彼女は落ち着いて演壇に登った。スクリーン映写に備え、場内の照明が控えめになっていたが、スクリーンからの反射光が彼女の姿を逆行気味に照らした。 お陰で彼女からは聴衆がよく見え、アクシュータ賞受賞者が異分野でどんな発表をするのか、興味津々といった大勢の表情が見てとれた。


 「2037年9月からは、ここバークレーで心理学を教えるいっぽう、天文学部で新たな研究テーマをさがしていました」


 シーマ・シャハクは落ち着いた低い声でかんたんに自己紹介すると、これまでの地球外文明探査の経緯をざっと概観したのち、本題にかかわる「ビッグ・イヤー」の紹介に入っていった。


「当時の軍事関係資料で、現在は公開扱いになっているものを調べた結果、WOW Signal 観測時、 いて座方向にはマイラー・バルーンという人工衛星が通過していたことが判明しました。ところが、この衛星も発信源ではなかったのです。

なぜならば、この衛星は、人工衛星への大気抵抗の影響を調査する目的で空軍が打ち上げた風船衛星で、自ら電波を発信する機能のない衛星だったからです。

しかしながら、この衛星と観測地点、そして月の位置関係を見ていただくと...」


 チャートが現れると、会場がざわついた。


「ごらんのように、衛星に反射した電波が WOW Signal だったと仮定しますと、その発信源は月、ということになります。しかも68%の確率で、嵐の大洋か雨の海付近から電波が来たことになります。

質問が出そうなので先に説明させていただきますが、もし地球上から発せられた電波が月面のその地域に当たっても、ほどんどの反射波は地球を大きくそれてしまいマイラー・バルーンへ到達できません。

衛星に反射した電波が WOW Signal だったとの仮定を設ければ、論理的にWOW Signal の発信源は月であった、ということになるのです」


 場内から苦笑がもれた。


 すぐさま、あなたはその結論に納得しているのですか、という意地の悪い質問が出たが、シーマは「今回の結論は、本当に納得できる結論への手がかりだと考えています」とだけ応じた。


 翌日のメディアはどこもシーマの発表を取り上げてはいなかった。







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