第3話

 すぐに僕と彼女は、実験の責任者の元へと案内された。研究棟のエレベーターを使い、幾つものセキュリティの扉をくぐり抜ける。五重のドアと監視カメラを通り、さらに奥にある顔認証のセキュリティのエレベーターに乗り込んだ。

「スゴイ警備システムですね」

 僕は、映画やドラマでしか観たことのない警備システムに度肝を抜かれる。これほどまでの監視体制の厳しさは、軍事に相当するものなのではないか、と呆気にとられた。

「もちろんよ。国家の監視下で運用されているプロジェクトなの。だから、軍からの支援もあるほどよ」

 知奈美さんが、僕を驚かそうとしているのか、自慢げに笑顔でいった。

「私もここの一員になって驚いたわ。職員や研究関係者以外では、龍美くんが初めてよ」

「高橋さん、聞いて。さっきの話だけど……」

 橘花さんは、覚悟のみえる真剣な顔つきになる。エレベーターという密閉空間で、僕は耳をふさぐことも忘れ、彼女の興奮に満ちあふれた声を聞いた。

「貴女のお姉さんと、もしかするとコンタクトが、を改良することによってできるかもしれないの」

「ええっ!?」

 知奈美さんは、信じられない、という顔つきで喜んでいる様子だった。


 エレベーターを降りた僕たちは、椅子と団らんができるほどのテーブルの置かれた休憩スペースへと入る。

 僕はそこで橘花さんから信じられない言葉を耳にする。まさか、と思った。

「じゃあ、知奈美さんのお姉さんは、過去の世界にいるわけなんですか?」

「ええ、あの東京オリンピックが行われた年。2020年に彼女は存在している」

「待ってくださいよ。だって、あのウィルスの蔓延で、1年延期されたはずだし、そもそも、20年以上も……」

「そうだ、きみの言うように、20年以上の歳月が流れた……」

 僕の大声に反応したのか、今まで静かに真向かいで座っていた太い声の男性が、細縁のメガネを外し、僕に振り向いた。ふと立ち上がり、マントのように舞う白衣がわずかな風を巻きおこす。続けざまに語りだした。

「だが、偶然にも僕は見つけてしまったんだ。偉大なニュートンや科学界の天才物理学者と言われたアインシュタインも……」

「博士、博士!」

「……成し遂げることもなかった物理界、いや、科学界の頂点とも言うべきものに、僕は、何度もくじく……ことがあり……」

 もはや、博士は自分の言葉に酔いしれて、暴走しているようだ。

「はかせ、モトフジ博士!」

「……テスラやエジソンも惜しむほどの前人未踏でさえある……」

「こらっ! シライッ!」

 博士の髪の毛がポヨンと弾んでいたかと思うと、体の震えで激しく急降下する。橘花さんの叱責ゲキが彼を刺激した。

 知奈美さんも、しばらく聞いて黙っていたが、演者のようにしゃべり続ける男をみて、呆れかえってクスクスと笑っている。

 シライと呼ばれた男性は、髪が、科学者によくあるモジャモジャの天然パーマで中年風のオッサンだ。でも、この人、僕が、高校時代に見た科学雑誌でインタビューを受けていた。見た目はクールな二枚目と評されて一時期話題にはなっていたけど、いつの間にか世間から遠ざかったことを耳にしていた。

「驚いたでしょ? 若い頃は、寡黙だったらしくて、普段はあんなオペラ歌手みたいに大声を出す感じではないんだけど、突発的にって、自分で言ってるくらいなの」

 知奈美さんが僕に小声でいった。

 橘花さんは、二言、三言語りかけ、博士を宥めている。

「すまない。久しぶりに暴走が起きたようだ」

 テーブルに置いていた眼鏡をかけたシライ博士は、ようやく落ち着いたらしく、僕の方に目を向けてきた。近眼なのかわからないが、10センチも満たないところまで近づいてくる。

「ほぉ、今回の被験者は若いな。きみが高橋くんのお姉さんに……」

「紹介するわ! シライモトフジ博士よ!」

 橘花さんが手を僕に向け、

「そして、今回選抜された戸岐原龍美ときはらたつみさんです」

 と、天然パーマの科学者に語りかけた。

 眼鏡を外した時とかけた時とで眼の輝きが違うことに僕は気づいた。

「よろしくお願いします」

 ひと言、うむ、というと顎に手を当て僕の周りを一周する。その間、顔や上半身、下半身をまるで舐めまわすように、じっくりと観察した。

「あの?」

 橘花さんも知奈美さんも、動いちゃダメ、というジェスチャーをサインで送ってきた。

「橘花くん!」

 科学者は、彼女を呼び寄せると小声で何かを呟いていた。

 もう一度、僕に振り向くと、

「しっかり、頼むよ! きみには期待している。実験室で待っているよ」

「はい!」

 僕ははっきりと答え、博士はそれに応えて笑顔をみせた。後ろで手を組んでいた彼は、自動ドアから廊下へと行ってしまった。


「博士に気に入られたようね、羨ましいわ」

 小言のように知奈美さんがつぶやいた。

「すこし変わった人ですね」

「科学者はたいてい変わり者が多いわ!」

「高橋さん、準備ができるまで待機してて。あの装置だけど……」

 すこし間を置き、チラリと僕をみる。

「できるだけ細かく戸岐原さんに説明しておいて」

 そういうと、早足で橘花さんはレストルームから出ていってしまう。


 知奈美さんとふたり残された僕は、すこし緊張していた。レストルームには他に人はいたが、初めての場所だったためか、妙にそわそわした。

「そんなに緊張しないで、もう、龍美さんはここの職員のひとりなんだし……」

「知奈美さん、緊張をほぐすつもりで、話してもらえますか?」

 僕は緊張していたせいもあって彼女に敬語で質問した。彼女は、僕の気持ちをわかってもらえていたようであえて、言葉加減には触れなかった。

 僕は知奈美さんの姉のこと、一緒に育ったこと、そして、姉がこの研究所で臨床試験の第一号に抜擢ばってきされたこと。姉がなんらかの形で、自分が生きていることをこの研究所に伝えてきたと言うのだった。

「へぇ、スマホを改良してね。研究所の助手か、関係者から受け取ったんだね」

 あの天然パーマの博士が、スマホを改良して過去の研究所とコンタクトができるようにしたということに、僕は驚かされた。

「その伝えてきた場所というのが、2020年だとわかったの?」

「それで、姉の話では、なんとかしてシライ博士のいる研究所に向かっている、ということまでは聞いたんだけど……」

「連絡が途絶えた?」

 知奈美さんは、ゆっくりと頷きをみせる。深刻なほどうつむいた。

「多分、スマホをなんらかの形で失くしたか、事件か何かに……」

「ありえなくもない話だね。あるいは病に……」

「病? あのウィルス?」

 今度は僕が頷いた。彼女が僕より少し年上である一方で彼女のお姉さんは、彼女よりも、もっと年上にあたる。20年以上前となると、当時のお姉さんの年齢は、中学生かそれ以上と推測できる。

 彼女をこれ以上不安にさせないように僕は、優しい言葉をかけた。

「大丈夫だよ。ポジティブに考えよう! 君のお姉さんはきっと無事さ!」

「うん……、ありがとう」

 もし、2020年の当時のウィルスにかかっているなら、ワクチンを打っていれば重症になるリスクは回避できるレベルだ。だが、場合によっては……。

 僕は知奈美さんにお姉さんの年齢を訊くのは、あえて控えた。

 知奈美さんは、すこし黙って心当たりがある、なんらかのゆがみのある表情になった。彼女も病には苦しめられたようだった。


 ドアから橘花さんが慌てた様子で入ってくる。僕らを見つけ呼びかけた。

「高橋さん! 龍美さんも来て!」

「どうしたんですか?」

「とにかく一緒に来て! あなたのお姉さんがいる2020年の世界から通信が入ったの!」

 僕たちは急いで第一研究室へと向かった。


つづく


 

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