幻想の世界へ

千春

第1話

深夜2時過ぎの公園のベンチに頭を抱えた状態で座り込んでいた。夜は寒くだんだん冷えていく体にこのまま凍え死ぬかもしれないと思いながらただぼーっとしていた。すると誰かの声が聞こえた。

「ねえ、お兄さん。ベンチに座ってるおにぃーさん!起きてる?」

そう声を掛けられ、3秒ほど時間が経ってから理解できた俺は顔を上げた。

「あ!顔上げてくれた。今お兄さんに声掛けないと人生終わっちゃうと思って声掛けたんだけど話せる?」

大袈裟なナンパを仕掛けられて少し気が緩んだ。声を出そうと思ったが寒さで顔が上手く動かせず声が出ないことに気付いた彼は俺に羽織っていたコートを掛けた。

「…んで、なんでお前がいんの」

少し暖まってくると相手の顔をちゃんと見た俺は彼が普段と違う髪色や服装をしていたが知っている人物だったことに気付いた。

「コンビニ帰りに伊織に似た奴がいたから来てみたんだよ。そしたら伊織だった」

よく分かるな、なんて関心しながら俺は彼の顔を見て仕事以外じゃポーカーフェイスが保たれていないんだと思った。

「誰もが羨むほど愛されてるって言われてる伊織が急に仕事休むし、久々に会ったら元気ないしでびっくりした」

確かに誰もが羨むほど愛されていた。けれど、それは偽りに囲まれた存在に対してのもの。だから嬉しいけど喜ぶことが出来なくて裏を返せば何も残らない。暖かくて愛しいけれど色の無い空っぽの愛だから、俺は素直にそれを受け取り喜ぶことが出来ない、なんてことを考えながらパッと出てきた言葉を彼に返した。

「千紘なら分かるかもしれないから話すけど、それは偽りに囲まれた存在に対しての愛であって俺に対してのじゃないんだから愛もクソも無いだろ」

だって俺もお前も全てが偽りの存在で、名前も言動も容姿も全てが嘘であって知ってる人間は指で数えるくらいだもんな、と思っていると彼は少し震え始めた。震えの理由が寒いのにコート借りたせいか、と焦っていると顔を上げた彼の目には涙がたくさん溢れてきていた。

「…か…た。俺、独りじゃなかった。よかった」

彼はドクターストップが掛かっているようで仕事は休止していた。彼は偽りの自分は愛されていたのに今の自分には何も無いと。彼を望んでいる人は居ても偽りの自分を望んでいる人の方が多いと。今は偽りの自分では無いのに本人だから似てしまう部分をどうにも出来ず、その面影に偽りの自分を思い出され恋しいと言われると。いま愛されている存在を殺した自身は全てを背負いその重荷に耐えるしか無いと、彼は休んで気が楽になる所か休むことで重荷に押し潰される毎日を送っているのだと分かった。暫くすると溢れた涙は止まったみたいで少しスッキリしたような顔になっていた。

「で、なんだ」

そして彼がずっと何か聞きたそうにしているのに気付いていた俺は問い掛けた。

「伊織…どうしたんだよ。体は細いし、目の隈酷いし、首の跡も、腕の傷も。お前らしくない」

俺らしいって何?俺はもう俺じゃない。自分でもよく分からない。なんでこんなことしてるのか。痛いのも苦しいのも嫌い。生きていると実感したいのか?自分が分からない。もう誰でもいい。

「助けてくれ。もう分からないんだ…」

俺はここに来て初めて助けを求めた。怖くなった俺は下を向きながら泣くのを耐えていた。

「そっか。とりあえず俺ん家来いよ」

手を引かれて俺は彼の家に行くことになった。彼の家に招かれた俺は案内されたソファーに座った。俺の隣に彼が座ると「話してみてよ」そう声を掛けられ俺は彼になら話してみようと思い語り始めた。

俺は夢を叶えたかった。だから夢の為に親の反対を押し切って夢を現実にする為に行動した。実際にそれは成功した。それなのに親との約束を果たした俺が家に帰ると、僕の居場所は無かった。家にはまだ小さい子供がいて名前は漢字も読み方も僕と同じだった。その時、僕の代わりができたから僕は必要ないことを悟った。親との約束の為に頑張っていた夢は今の仕事となっていたが仕事に熱中するほどストレスになった。家族との思い出がフラッシュバックすることや、時々僕が僕じゃないと思い知らされることがあった。僕は周りから自身に勿体無いくらいの愛を貰っていた自覚はあった。それが更に倍になってその暖かさに毎日のように救われていたが本当の僕が分からなくなってきていた。それでも僕で居たいから今度は色を奪われ捨てられてしまう全ての愛に何度も何度も謝った。何方も受け取ることが出来なくて、こんな苦しい思いは誰にも知られないままで居てほしいと思っていた。けれどお前だけは少し頼りたくなった。だってお前は俺の知られたくない一部を知ってるから。

そんなこんなで仕事を休止することにした僕は、僕は僕じゃないからと僕がしないような言動をするようになった。そして自暴自棄になった俺は本の世界に逃げ込み、睡眠を取らず食事を抜く生活習慣になり、現実に戻された時に絶望で腕を傷付け首吊りをして死のうとすることの繰り返しだった。苦しいし辛い。お前だって辛いのにごめん。そう謝ると

「辛かったな。俺を少しでも頼りたいと思ってくれて嬉しいよ」そう言われて少し気持ちが楽になれた。それと同時に少し恥ずかしくなった。

「カッコつけやがって。ばーか」

二人で笑い合い、お互いに久しぶりの笑顔だった為に顎が疲れたな、とそのまま二人でベッドに飛び込んで寝た。


偽りの人格も本人だ、なんて綺麗事は存在しない。そんな綺麗事が通用するのは、はじめから全てを知っていた存在だけだ。偽りは偽りでしかなく、後に全てを明かしたとして受け入れてくれる存在は0に等しい。

ただもし俺も彼も、自身が偽りの存在を受け入れられてたなら何か変わっていたのか、なんて無理なことを考えた。それから俺達は自分らしく居られる世界を作ってしまおうと考えた。俺が歌い踊り、彼がマジックをする現実から離れた世界を楽しんでもらおうと、現実では無いから苦しい偽りの存在ではなく自分で居られる世界にしようと。


「幻想の世界を楽しんで」

伊織と千紘は目の前の観客に微笑みを浮かべて、声を掛け手を伸ばし俺達の世界へ招いた。

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幻想の世界へ 千春 @Runcga

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