第50話 幽門歓待


「お前は俺に『海の女神の加護を受けてる』って言ってくれたけどさ……。俺もいつかココで死ぬ気がするんだよ。理由も根拠もないんだけどな」


 それは、人魚の男にそう言われてからずっと考えていた事でした。願望でもあり、しかしそう断言してしまうには確信めいて横たわるなにか――――……おそらく『運命』とでも呼ぶべきものを、彼は感じ取っていました。自分はこの先、生活拠点を陸に戻す事も手厚く埋葬されて大地に還る事もないのだろう、と。


 金色の鱗を持つ人魚の男がこの島で居場所を見つけたように、癖毛の男もまた、大農場から逃げ出してキャプテンの船に忍び込んだあのときに、ようやくあるべき姿になる事ができた気がしたのです。


「そしたら、今度は海中こっちで会えますね! 僕とも相棒さんたちとも、また」


 癖毛の男の発言を妄想と断じて片付けるのではなく、一点の曇りもない笑顔で返した人魚の男。彼の物の見方には見習うべきところがあると癖毛の男は感じていました。


「そうか……。そう考えると案外悪くねえな。人間なんざみんな土に還るもんだと思い込んでたが、いまさら故郷に帰る気もなし。万が一帰りたくなっても、この海ならどこで果てても繋がってるもんな。……あいつだってそうさ。最期を迎えたのは海だった」


 癖毛の男には、人魚及び話し相手である彼個人の感覚は理解しかねるものであるはずですが、彼はそれを抵抗なく受け入れるのみならず、発想の転換の糧としてしまいます。その柔軟さは、ともすると彼の人間離れした才能のうちのひとつといえるのかもしれません。

 

「……なーんだ。意外とちゃんと『海の男海賊』じゃないですか」


 右腕を気にしている癖毛の男に向けたその呟きには、とびきりの友愛が込められていました。

 

「ああ、本当だな。もしいつか本当に海に招かれたら……そんなに嬉しい事はねえんだが。空なんざ俺には遠すぎる……。そういえば、神じゃあないが、神々しい人魚相手に懺悔はしたんだったな。さすがにそれはカウントはされねえか」


「あはは、僕には海の女神の代役なんて務まりませんよ。力不足です。あの人魚が生贄として不適切だったのと同じに。でも、本当に望むなら……。海はいつでもあなたを歓迎してしまうと思いますから、気をつけてくださいね」


 人魚の男は粛々と注意を促すと、最後に確認のひと言を付け加えました。


「そろそろ発つんでしょ?」


「よくわかったな」


 と癖毛の男は言いましたが、彼も別段驚いた様子はありませんでした。二人は今日一日で互いの事が手に取るようにわかるようになっていたのです。


「さっきから、そわそわしてましたから」


「ははっ! わかっちまったか。お前には敵わねえな! …………なあ、俺たちはまた会えると思うか?」


 癖毛の男は期待を込めて人魚の目を真っ直ぐ見つめます。はぐらかすように笑顔を広げた人魚の男は、千両役者顔負けの口上を述べました。


「さぁ、それはなんとも言えません。海の女神の采配に期待しましょう。いつかまたどこかで会えたら嬉しいですけど、今度はこんな危険な海域に入っていっちゃダメですからね。せっかく命拾いしたんです、お互い長生きしましょう。約束ですよ! じゃあ……良い旅を!」


 癖毛の男は再会を信じていましたが、人魚の男はそんな日が訪れる事はないだろうという予感がしていました。彼がこの海域を離れる事は滅多にないため、その可能性が最も高いのは、この『魔の海域』だけです。しかし、人魚の男は癖毛の男に二度とここには近付かないようにと忠告しました。彼がその約束を守っている限りは、二人が生きて会う事はないでしょう。人魚の男は涙を堪えて、癖毛の友人の船出を祝福しました。彼と自分の発言が予言となる事も知らずに。一人の人間を乗せた船は漕ぎ出し、その横を一人の人魚が金色の鱗を煌めかせながら並んで泳ぎます。


 海を往く癖毛の男は、人魚の男に宣言したとおりに逃げ場のない――家も同然のアジトをなくし、途方に暮れていた犯罪グループの――少年たちなどを広々とした船に乗せ、世界中を見て回ります。時は過ぎ、二十年後。自身の引き入れた新たな仲間たちに慕われる立派な船長になった彼の掲げる信念は、いまも昔も変わらず『海賊らしい海賊には死んでもならない事』、ただ一点。各地の港に停泊して酒宴を開く風変わりなその海賊団の船からは、いつも楽しそうな声が絶える事はなかったそうです。


 癖毛の男に警告を与えたのは人魚の英断でしたが、実はここでひとつ、彼は大失態を演じていました。彼は癖毛の彼の行く末を案じるあまりに、自分自身の運命を測る事を怠けていたのです。尤も運命とは別に、予測していたとて防ぎようのない宿命も同時に存在します。ある程度の選択や変更が可能となっている運命とは異なり、そちらは動かしがたいもの。『魔の海域』のように、一気に引き込まれたら、あとはおとなしくその流れを受け入れるのみ――――……。その者の持つ無限の可能性の分岐を摘果し、あるひとつの運命へと決定付けて強制的に向かわせる力をこそ宿命というのでしょう。


 彼らの終焉の儀式は、深く暗い底の底で執り行われました。命は命を取り込み、栄え、そして、衰えては絶え、やがてすべては海へと還っていきます。そこからまた生まれ出づる生命に、懐かしき痛みを背負わせて。


 

  

 END



 

(※金色の鱗を持つ人魚と癖毛の男の辿った結末は、『やがて海はすべてを食らう』にてご覧いただけます。)

 

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