第46話 淡い黄緑色


「そういえば、お前の鰭……というか鱗か。綺麗な金色だよな。みんなそうなのか? ちょっと気になってさ」

 

「本当ですか? ありがとうございます。鱗や鰭を褒められるのって、僕たちにとってはすごく名誉な事なんですよ。嬉しいなぁ」

 

 人魚の男は、癖毛の男に褒めてもらった鰭を彼にもっと見せようと水中から出しました。

 

「鱗も鰭もみんな違いますね。色だけじゃなくて形状もそれぞれで……血の繋がった家族だったら若干似てる場合もありますけど、まったく同じだったりそっくりだったりする事はないです。家族よりも、そのへんを泳いでる魚のほうが似てるなんて事もあるくらいで」

 

「へえ……そういうもんか。なら、例の人魚はどうなんだ?」


「アイツですか? 鰭はどんなだったかなぁ……。たぶん、尾鰭の先端が海に溶けてるみたいな幻想的な感じだったと思いますけど、長い事会ってませんし、合ってるかどうか怪しいとこですね。でも、鱗の色なら忘れもしません。見てると晴れ晴れとした気分になる、淡い黄緑です!」


 熱っぽく語られる自然美に癖毛の男の想像は膨らみますが、彼自身は黄緑という色を好んではいませんでした。なぜなら、奴隷の時分、過酷な環境や労働に命を奪われた仲間の亡骸を見てきた彼の瞼には、放置された遺体にぼうっと浮かぶ死斑が焼き付いて離れてはくれなかったからです。おそらく他の多くの人間にとっても、淡い黄緑色は心安らぐ類のものではないでしょう。しかし、うっとりしている人魚の男の気分を害さぬよう、彼は話を合わせます。

 

「そうか。……きっとすごく綺麗なんだろうな」


 癖毛の男は、終わりの見えないその話題からどうやって抜け出したものか……と思案していましたが、そのチャンスは人魚の男直々にもたらされます。彼は癖毛の男の後ろに広がる島を眺め、思い出したように言いました。

 

「そうそう。僕が船の修理に興味を持ったのも、アイツのおかげでした。アイツのあとをついていった帰りに、ここを見つけたんです」


「行きは……いや、訊くまでもねえか。それどころじゃなかったよな」


 癖毛の男は突然の話題変更を気にも留めず、人魚の話に食い付きます。


「はい。それに、アイツが海から顔を出したのは目的地に到着する直前でしたしね。国を出るときに結構急に上昇したんですけど、全身浸かってたほうがスピードも出せますから。だから、気付かれる心配もせずにあとを追えました」


「それだけ会いたい相手だったって事なんだろう」


「はい。親しいひととは片時も離れたくない気持ちはアイツのなかにもちゃんとあったんだなぁって思えて、ちょっと親近感が湧きました。まぁ僕の見てないところでは仲良しな人魚と一緒に行動してたのかもしれませんけど」


「…………だとしても、二人が出会えたのは、お前たちが公園で集まるようになったおかげでもある。不思議な縁だな。直接深く関わってるわけじゃねえのに、互いの人生に転機をもたらし合ってるなんて」


「言われてみれば、確かに……」

 

 大きく見開かれた人魚の瞳は、きらきら、ぱちぱちと閉じ込めてしまった星を隠すように、盛んにまばたきをしています。

 

「お前がそいつと敵対してなかったら、二人ともいまごろ全然違う道を辿ってたかもしれねえな……。それで、この造船所を見つけたお前はどうしたんだ?」


「えぇっと……。あのときの僕は、ゆっくり景色でも眺めながら帰ろうと思ってたんですよ。滅多に海から出る事もなかったんで。……でも、あちこち見てたら方向がわからなくなっちゃって。その場で潜っちゃえば帰る事はできたんですけど、せっかくですからまだ海の外にいたかったんです。とりあえず、近くになにか目印になりそうなものはないか見回して、見つけたのがこの造船所でした。僕たちはあんまり目が良くなくて、遠くになるほどぼやけちゃうんですけど、『なにか大きなものがいっぱいある場所』だって事だけはわかったんです」


「目が……?」


 気遣わしげな視線を寄越す癖毛の男に、人魚の男は首を振って答えます。


「あぁ、でも日常生活に支障は出ない程度なんで大丈夫ですよ。発見した時点では結構離れたところにいたんで、近付いてみたら、沢山の船とそれを直している人が確認できて……そういう施設なんだなってわかったんです。人間のひとたちが大きな船を直していくのは、魔法みたいでした。その日はしばらく見てから帰ったんですけど、その光景が忘れられなくて、たまにここへ来るようになったんです」


 目を閉じた人魚の男は、かつての島の様子を追憶しているのでしょうか。癖毛の男は静かに彼の話に聞き入っています。


「何回目かの訪問のとき、一人の船大工さんが僕に声を掛けてきました。『君、ときどき私たちの事を見ていますよね』って。誰も気付いてないと思ってた僕はびっくりして頷くだけしかできなかったんですけど、そんな僕に向かって、その人は『一緒にやってみませんか?』って提案してくれたんです」


「親切ないい奴だ。お前はなんて?」


「遠慮するつもりだったのに、気付けば『いいんですか?』って答えてました。そしたら、『じゃあ、早く上がってきてください。歓迎しますよ』って言われて……最初はなにを言ってるのかわからなかったんですけど、『いつも思っていたんですが、君はずっと海の中にいるのに冷えないんですね』って言葉で、人間だと思われてるんだ……! ってわかったんです」 


 人魚の男はおかしそうに笑います。

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