第39話 人魚という生きもの


「どういう事かって言うと、その『海を汚したり邪な目で見たりしてくる』っていうのが、ほぼ偏見なんですよ。わかりやすいかと思って例に挙げちゃいましたけど、ちゃんと人間のひとと接してみた感想として、そう主張してる人魚は実はそんなにいません。僕も聞いた事ないです。ほとんどの人魚は『あの人魚がそう言ってたんだから、きっとそうなんだろう』って思い込んで、自分もそういう扱いを受けた気になって吹聴してるだけなんですよ……。ひどい話でしょ?」


「素直すぎるだけじゃないか? もしくは、共感能力が高すぎて自分の事みたいに思っちまう……とか」


「素直なんて可愛いものじゃないんです。鵜吞みにして……思考停止して、ありもしない妄想に取り憑かれてるんです。そんなの、共感でもなくて自他境界が引けてないだけですし。僕はそういう人魚たちの事が怖いし、好きにもなれない」


 癖毛の男は、耳の奥に凄味の効いた有毒な美声がへばりついて離れない感覚に襲われ、思わず耳輪を抑えました。人魚の男は憤りを隠しもせず、すごい剣幕で捲し立てています。

 

「人間側だけが悪いんじゃないんです。むしろ人魚側の抱えてる問題のほうが厄介かもなぁ。なんにせよ、僕たちはお互いに歩み寄る努力をしてないから、間違った認識のまま、共存の機会を逃し続けてる……。こんなに悔しい事が他にありますか? 種族が同じだからってみんなと仲良くできるわけじゃないのと同じで、人間と人魚だからってだけで親交も持とうとしないのはもったいなくないですか? 見えてる世界が狭すぎませんか?」


「そうだな……。本当にそうだ。同じ種族だからって誰とでも分かり合えるはずがないように、種族が違うからってなにもかも違うものだと思い込むのはおかしい。…………俺も人魚について知らない事が多すぎるみたいだ。蒸し返してすまねえが、お前たちはまったく老ける事がないのか? まさか生まれたときからずっと同じ姿だったり……なんて事は、さすがにねえよな?」


 癖毛の男は、熱弁が始まったために遠慮していた質問を投げかけました。彼にとっては初めて知る事の連続で、中でも人魚の生態については、特別に興味をそそられたのです。


「さすがにそこまでは。最初からこの姿だったわけじゃないですよ。僕たちは一定の年齢になると、外見の変化がだいぶ緩やかになるんです。精神的には……どうなんでしょうね。正直なんとも言えないです。でも……そもそも一生が長いのが当たり前なんで、一人前になったって認められる時期が結構あとではありますね。あなたたちは生まれて十数年もすれば成熟した個体として見られるし、そう振る舞わなくちゃいけないんでしたよね?」


「大人になる時期の話なら、そこまではっきりした境目があるわけじゃない。親がガキに期待するのは労働力だ。大体の子どもは働き手にするために作られるからな。小さい頃から働かされてきて、正直いつから大人なのかわからねえ奴ばっかりじゃねえかと思うよ。俺自身もそうだ」


「思ってた以上に『子どもでいる事が許されない』環境で育ったんですね……。こんなご時世だから、っていうのもあるのかなぁ」


「まあ俺にとってはそれが当然だったし、みんなもそうだったと思うよ。だから、そんなにしょぼくれなくていい。実家での農作業は大変だったけど、好きだったしさ」


 そのあとに起きた痛ましい事件などなかったかのように、癖毛の男は過去を懐かしみます。彼は肉体面のみならず精神面の強度も持ち合わせていました。人魚の男は瞼を閉じて想像します。彼のふわふわな髪は、どのような匂いの風に靡いていたのだろうか、と。


「そうですね。……ごめんなさい。ちょっと聞きかじったくらいで簡単に同情するのは失礼でした。でも、あなたたちと比べると、やっぱり僕たちは『未熟な精神のままで過ごす期間が異様に長い』って言ったほうがいい気がします。『若い』って言い方は……ポジティブすぎますね。全体的に『幼い』者が多いんです、実年齢に釣り合わないくらいに。もしかしたら外見に引っ張られてるところもあるかもですけど、それにしたって異常です」


「まあ内面はともかく……俺はお前以外の人魚に会った事がねえからな。外見については、若い姿でほぼ固定されて一生を過ごすって事だな。じゃあ、集落の奴らは人魚の肉を取り込んだ事で、その特徴を備えるようになった……って考えればいいのか。理屈ははっきりしねえが」 


「そんな感じの理解で十分だと思いますよ。全国に人間が人魚を食べたって事例は残ってるみたいで、その分野の研究も昔から続いてます。なにを思って人魚を食べようと思ったのかはわかりませんけど、事情があったんでしょう。半分魚ですもんね、人間よりは食べる気になったのかもしれません」


「……他の例、か。じゃあ、そいつらの体もやっぱり?」


 癖毛の男はとげとげしい物言いにひるみつつも、ずばり切り込みます。


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