第3話 疑惑 

 シュスター公爵夫人であるアデライトの部屋は、花で溢れていた。

 寝たきりとなったアデライトに少しでも季節を感じて欲しい、暗く沈みがちな部屋を明るくしたいという使用人達の気持ちの表れだ。


 その部屋に突然現れたシルヴェストルを見たアデライトは、菫色の瞳を見開いて驚きを露わにした。

「こんな昼間に旦那様が我が家にいるなんて! わたくしは死んでしまうのかしら?」

「そういう冗談は止めなさい!」


 シルヴェストルは普通にしていても険がある緑の瞳でアデライトを制した。

 そんな夫の態度に慣れているアデライトはクスクス笑っているが、その顔色は青白い。


 王妃が命を絶った日に、アデライトは賊に襲われ生死を彷徨った。

 幸いにも命を取り留めたが、命に関わる大怪我だった。ベッドから降りることは一カ月経った今も叶わない。きっと、この先も……。


「旦那様のご機嫌が悪いということは、陛下はライサ様とクライトン家を表立って罰する気はないのですね……」

「……そうだ」

 シルヴェストル声は怒りがこもっているが、それはアデライトも同じだ。


「クリステンス国には、真相を伝えたのですか?」

「一部だけな……。ブリュノが幽閉先を勝手に抜け出して王妃を襲い、身の危険を感じた王妃が自ら命を絶ったと伝えているそうだ。もちろん『淑女の証』を使ったのは言っていない」

「ハイマイト国と違って、クリステンス国は甘くはありません。ブリュノを拷問にかけてでも、必ず真実を吐かせますよ」

「目の前で王妃の死を見たブリュノは、完全に自我を失っている。全く話が通じないから、ライサが手引きしたこともばれないと国王は踏んだんだ。それにブリュノを国から出したのは、クリステンス国の落ち度だ。そこを突いて責任の所在をうやむやにするつもりだ」


 シルヴェストルはこんな不甲斐無い報告をして、妻をこれ以上落胆させたくなかった。

 だからこそ事件の顛末を口にする度に怒りが膨れ上がり、国王とのやりとりが鮮明に蘇る。




「ブリュノは異常者だ。そんな男相手に、なぜ『淑女の証』を使う必要がある? 本当に自殺なのか?」


 王妃の自殺を疑うシルヴェストルの言葉に、国王は顔を曇らせた。

 シルヴェストルと言う通りで、王妃が『淑女の証』を使ったのは、ブリュノとの仲に対してではないと国王にだって分かっていた。


 この事実は、できることならシルヴェストルには黙っていたい。しかし、優秀なこの男が、それを許すはずがないのを嫌と言うほど知っている。

 

「……王妃とお前の関係を注進してくる者がいた。私と王妃との仲は冷え切っていたんだ……」


 深い地底の闇の中に叩きつけられたような衝撃で、シルヴェストルは言葉を失った。


 王妃はシルヴェストルとの関係を夫に訴えるために、『淑女の証』を使ったのだ。

 シルヴェストルの忠誠心は、国王には全く信用されていなかったのだ。

 たった二つのその事実は、シルヴェストルの自尊心を打ち砕くには十分過ぎた。


 誰かが国王に吹き込んだ虚構が、真実に勝ったのだ。

 そんな馬鹿げたことが、こんな悲劇を、こんな結末を生んだなんて信じられない。


「誰かが作り上げた馬鹿げた話を陛下が信じたことに傷ついた王妃が、自分の心を証明するために『淑女の証』で命を絶ったのだな」


 悔しさを抑えられず真実をあえて言葉にして、被害者を装う国王に投げつけた。

 だが、そんなことで、シルヴェストルの心は晴れない。




 事件の真相は、お粗末なものだ。

 ヴィルヘルミーナに王妃の座を搔っ攫われたと恨みに思っていたライサとクライトン家。

 王妃になる予定が王弟の妻では、手にする権力が小さいとずっと恨みを重ねていた。

 ヴィルヘルミーナが嫁いで以来ずっと嫌がらせを繰り返してきたが、ついにそれだけでは飽き足らず、離縁の原因となる醜聞を作るに思い至った。

 どこでどう知ったのか、クリステンス国の幽閉先から抜け出していたブリュノが、ヴィルヘルミーナに一方的に連絡を取っていたことを掴み、それを利用して今回の計画を立てた。


 クライトン家側の言い分はこうだ。

「愛人を城に引き入れるふしだらな王妃として醜聞を立て、それを理由に離縁させることで鬱憤を晴らしたかった。まさか命を絶つとは思わなかった」

 筆頭公爵家の言葉とは思えない下劣な発言だ。


 本来であれば裁判にかけて、ライサとクライトン家の罪は公にするべきだ。

 しかし、王弟の妻が嫉妬のあまり他国から嫁いできた正妃を陥れたと広まれば、ハイマイト国は近隣諸国から他国を軽んじる国と軽蔑され、外交面でも不利になる。

 加えて、クリステンス国に真実を知られれば、どんな報復が待っているか分からない。


 それだけではない。

 ライサやクライトン家の王妃に対する嫌がらせは有名だ。それをずっと放ってきた国王の資質も問われるし、この結果を招いたのは国王のせいだと責められる。


 だから、国王は保身に走った。

 全て、なかったことにしたのだ。王妃の死は病死とされ、ライサにもクライトン家にも直接的なお咎めはない。


 ただ、代々宰相職を担ってきたクライトン家が、宰相職と公爵家の筆頭を辞した。そして当主が隠居して息子に代替わりし、領地を半分国に返したいと申し出た。

 クライトン家の息がかかった王城の職員も一掃された。

 王弟はライサと離婚し、別の令嬢を娶った。

 王妃を二十四年も苦しめ死に追いやったことに対する罰が、たったこれだけで済まされた。


 国王は「妃はヴィルヘルミーナただ一人」と宣言し、新たに妃を迎えなかった。

 だが、それは王妃を愛しているからなのか?

 ハイマイト国内やクリステンス国の目を気にしてのことなのか?

 どちらにしても国王は自分に対する罰を、何も課さなかったのだ。


 この馬鹿げた結末にシルヴェストルは全く納得していないし、国王には失望した。多少強引なところはあるが、シルヴェストルは優秀な国王だと尊敬していたのだ。

 だが、信じていたのは自分だけで、国王は自分と王妃の不貞を疑っていた。いや、きっと未だに疑っているのだろう。


 アデライトが襲われた事件の真相だって、全く解明されていないのに捜査は打ち切られた。

 王妃の事件が起こるのと同じくしてアデライトが賊に襲われるなんて、そんな偶然があるはずがないのだ!

 調べられると困るのだ。国王は何かを隠している。シルヴェストルは確信していた。


 国王にとって不都合な事実は消されていく。

 シルヴェストルにとっては、何もかも納得がいかない。




「私は財務大臣の職を辞したよ」

「そうですか」

 あまりにもあっさりと話を受け止められ、かえってシルヴェストルの方が驚いてしまう。

「アデライトは、驚かないのか?」

「ふふふ、仕事を辞めていなければ、旦那様は今ここにはいませんよ」


 アデライトとしては何気なく放った一言だが、シルヴェストルにとっては「瀕死の妻より、仕事が大事」と言われているようでショックだ。

 だが、過去を振り返れば、そう言われて当然の態度を取ってきた。


「今回の事件に納得がいかない。私なりに調べてみようと思う」

「わたくしは、反対です」


 はっきりとしたアデライトの拒絶の言葉が聞こえた。

 なのにシルヴェストルは自分の聞き間違いだと思い、「え?」と聞き返してしまう。


 固い意志を宿した菫色の瞳をシルヴェストルに向けたアデライトは、「反対です」ともう一度はっきりと言った。


 出会ってから今まで一度だって、シルヴェストルの意見に対してアデライトが反対の言葉を口にしたことはない。

 何かあれば、いつも「旦那様のお好きなように」と言って微笑むのだ。


 そのアデライトが、厳しい表情でシルヴェストルの意見を否定している。

 シルヴェストルは信じられない思いで、アデライトの泣き出しそうにも怒ったようにも見える顔を呆然と見ていた。


「この事件がライサ様やクライトン公爵家の手に余るのは、わたくしでも分かります。筆頭公爵家の手に余るのなら、黒幕の正体は限られます……。危険です、危険すぎます! わたくしだって王妃様の無念を思うと辛いです。悔しいですが、わたくしには旦那様の無事が一番大事です。お願いします。この事件はもう、忘れて下さい」

 傷が痛む身体で、そう言ったアデライトの目から涙が溢れ出している。


 アデライトがシルヴェストルの前で涙を流すのも、これが初めてだ。シルヴェストルの知るアデライトは、嬉しくても悲しくても夫の前では笑顔だった。


 シルヴェストルはアデライトの涙を、そっと手で拭った。

「分かっている。だが、アデライトがそう思ってくれるのと同じように、私はお前を傷つけた奴が許せない。忘れるなどできない。例え敵が、手に負えない相手でもな」


 アデライトが反対したところで、シルヴェストルは止まらない。

 そうだと分かっていても、この事件の影に隠れる大きな闇からシルヴェストルを守りたかった。

 自分のようになって欲しくない、命を無駄にしないで欲しいとは、アデライトは言えなかった……。


 この事件はこのままでは終わらない。この国を闇に沈める事態となって襲い掛かってくるのだ。





◆◆◆◆◆◆


読んでいただき、ありがとうございました。

次話から本編です。

よろしくお願いします。

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