第2話 王妃の独白②

 礼拝堂の前に着くと、案の定、侍女が護衛に「王妃様の命令です。中には王妃様がお一人で入られます」と勝手に指示を出している。

 注意をすれば、身に覚えのない醜聞を広められるだけだ。だから、何も言わずに黙っているのが一番だと学んだ。


 何が待っているか分からない礼拝堂に、一人でなど入りたくもないが仕方がない。

 うんざりしながら中に入ると、侍女によって扉を閉められた。


 二階の窓を彩るステンドグラスから、柔らかな春の陽が礼拝堂に降り注いでいる。礼拝堂の白い床に色とりどりの光が差し、まるで宝石のようだ。

 そんな穏やかな礼拝堂にガチャリと鍵の閉まる無機質な音が響いた。


 どうして鍵を閉める必要があるの?


 背筋にぞくりと不安が這い上がり、それと同時に異様に胸がざわつく。

 王妃らしからぬ弱気な自分が恥ずかしく、気持ちを立て直すためにも、お守り代わりに持ってきた嫁入り道具に触れて心を落ち着かせてみるが、上手くいかない……。


 私の不安は的中したのだ……。




「……ミーナ!」

 突然聞こえた声は、吐き気を催すほどの不快感をせりあがらせた。ここまで不愉快な気持ちになる相手は、一人しか考えつかない。


「あぁ、やっと会えた、ミーナ!」

 わたくしにはおぞましいとしか言えない過去を、一人で勝手に懐かしみ、いつの間にかわたくしの視界に入っていたその男は、ここに居るはずもない人物だ。


 三十年近く前にクリステンス国でまだ学生だった頃に同級生だったこの男は、わたくしと愛し合っていると勝手に思い込んだ。

 毎日執拗に追い回された挙句、遂にはわたくしを連れ去ろうとした為、この男の父によって幽閉されていたはずだ。


 それが、どうして?


 どうやって抜け出したか分からないが、ライサの手引きによってここに来たのだろうか?

 王妃になれなかったことを恨み続け、わたくしを穢すことが生きがいの彼女なら、何の罪悪感もなくこれくらいのことを平気でする。


 だが、クリステンス国まで巻き込んで、ここまで大掛かりなことをライサとクライトン家にできるだろうか? もっと大きな力が必要なはず……。


 いや、今はそんなことを考えている場合ではない。

 わたくしを貶めるために、わたくしとこの男との不貞を裏付ける偽の証拠や証言が既に用意されているはずだ。


 油断した!


 例え偽りであっても私の醜聞が、国王陛下や息子であるマルスランの足を引っ張る訳にはいかない。

 自分以外の者は巻き込みたくない!


 礼拝堂にはアデライトの名前で呼び出されているのだから、アデライトやシルヴェストルにも迷惑がかかるかもしれない。


「……アデライトは?」

 この計画のために、勝手に名前を使われたアデライトは無事なのだろうか?


 アデライトの名前を聞いたブリュノが、ニヤリと口角だけを上げた。


「僕達が結婚することを邪魔した、あの女に罪を擦り付けるって、あの男は言っていたよ。フフフ、今頃襲われている頃じゃないかな? 早く死んじゃえば、僕たちの邪魔をする者がいなくなるね」

 心底楽しそうにアデライトの命を語るブリュノの狂気が恐ろしくて足が震え出す。


 ステンドグラスを輝かせていた太陽が雲に隠れ、礼拝堂が雲の影に覆われる。

 灰色の影をまとい、場違いな笑顔を見せるブリュノが一歩一歩と近づいて来る。


「僕がいない間に、こんな所に連れて来られて、辛かったね。もう大丈夫だよ、僕が迎えに来たからね。一緒に逃げよう」

 揺らめく金髪の下にある碧い瞳は、現実を見ていない虚ろな瞳だ。狂気の世界に住む男が、目の前に迫っている。


「こ、こんなことをして、国際問題になりますよ!」


 わたくしの言葉は耳に届いているのだろうか? 生気のない碧い目からは、狂気がドロリと溢れ出ている。


「……国際問題? この国の王が僕に君を差し出したのだから、国際問題になんてなるはずないよ。安心して僕と一緒に行こう」


 ガストン様が? 嘘だ、そんなはずない!


 でも、ずっとわたくしとシルヴェストルの不貞を疑っていた。

 嫁いでからずっと、わたくしを疑っていた。


 疑っていたのではなく、憎んでいたの?


 だから、クライトン家にも強く出ずに、わたくしに対する嫌がらせも見て見ない振りをしていたの?

 二十四年もわたくしがハイマイト国の貴族から蔑まれているのを放っておいたのは、わたくしを憎んでいたから?


 ガストン様の本心を聞きたい!

 もう信用されないのだとしても、やっぱりわたくしの心を知って欲しい。

 そのためには、ここから逃げなくては。


 叫び声を上げようとするも、この細腕の一体どこに隠されていたのかと思える力でブリュノに口を押さえられた。


 まるで死神のように忌まわしいブリュノに触れられたことで、『絶望』その言葉が頭をよぎった。

 自分も自分の周りも全てが闇で塗りつぶされてしまったように、汚らわしいものに感じる。


 仮に助けられたとしても、この事件をネタに今まで以上に貴族達に蔑まれ生きていかなくてはならない。

 王城に他国の恋人を連れ込んだ不貞の娘として、クリステンス国の家族にも迷惑をかけるかもしれない。

 もう、耐えられない……。


 何よりも悲しいのは、ガストン様から今以上に冷たい疑惑の目を向けられることだ。マルスランから今以上に嫌われることだ。

 そして、わたくしの悪評が愛する二人の足を引っ張ることが、何よりも辛い。


 お守り代わりに『淑女の証』を持ってきたことも、運命なのかもしれない。


 『淑女の証』は、クリステンス国の女性王族が持つ懐剣だ。

 かつて大陸の至る所で戦争が起きていた頃、隠れていた離宮で敵国の兵に囲まれたクリステンス国の王妃は、伴侶や家族に自分の身の証を立てる手段を欲した。

 敵国の手にかかる前に、懐剣で自分の命を絶ったのだ。

 それ以来クリステンス国の王女が、花嫁道具の一つとして持たされる懐剣が『淑女の証』だ。そして、最初に使った王妃以外に、今まで『淑女の証』を使った者はいない……。


 握りしめていた懐剣を鞘から引き抜き、わたくしは自らの胸に『淑女の証』を突き立てた。





◆◆◆◆◆◆


読んでいただき、ありがとうございました。

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