小枝

@HAKUJYA

小枝

小枝は、目が見えない。

七つの年に

母親の菊と一緒に

高熱を発しった後に

突然、

目が見えなくなった。


小枝の目が見えなくなったことより、

幸太に、

小枝に

もっと大きな不幸がおとずれていた。


小枝は視力をうしなったが、

幸太の女房

小枝の母親である菊は病の末に

短い生涯を閉じたのである。


幸太は炭焼きで

生計をたてていたから、

住まいも 炭焼き小屋の横に作っていた。


ここに菊を嫁に貰い、

翌年には、小枝をもうけた。

つづいて、生まれた子は

死産で、

これも、幸太をずいぶん、かなしませたが、

炭焼きのかせぎで、

何人もの子をまともにそだててもゆけないから、

小枝一人を

りっぱにそだてあげればいいと、

幸太は

次の子を作らないように

配慮したものである。


それはやはり、

菊のためにはよかったようで、

なにかにつけ、

菊はくたびれをだしやすく、

時に

腰骨に重い疼痛があるをうったえることがあった。


不幸が菊を飲み込み

悲しい余波を

小枝と幸太にあたえたが、

幸太は

残された小枝を見ながら、

人里はなれた山の中で

小枝を育ててゆく臍をかためていた。


娘をもつ、男親の嗅覚でもある。


人の来ない山の中で

娘をそだてることが、

小枝の人生に

汚辱をあたえずにすむと、

かぎとったのである。


目が見えなくなった当座の小枝はさすが、

身動き一つも出来ずにいた。

が、母親をなくし、

頼る父も炭焼きに出掛けてゆくしかない。

と、なると、

せめて、自分の手で

自分の出来る事をしてゆくしかなかった。


尿意をもよおせば、

やはり、厠にいきたいと

小枝はてさぐりで、

かまちにおりたち、

履物をさがし、

かまちを手でなぞりながら、

はうようにして、

外にでてゆく。


喉も渇けば水瓶の汲み置きの水を飲むに行くしかない。


目が見えたときには何でもなくつかんだ手柄杓さえ、

うまく、つかめず、

つかんだと思った時には

水瓶の位置がさだかでなくなる。


簡単に口を寄せた柄杓の桶を手で抱え込むようにして

水瓶の口をなで

水を汲んで飲み干す事が出来たときには

小枝の見えぬ両目からは

滂沱の雫がおちていた。


目が見えなくなったことより、

今更ながらに

母、菊の死が応えた。


「かあちゃんが、いたなら・・・」

目が見えなくなったって

菊さえいてくれれば。


いってもせんないことを

いっても、

誰一人、聞きとがめるものが居ない

家の中で

小枝は一人、泣いた。


泣いて、なきおえた小枝は、

目がみえていた時の

記憶がある。

それをたよりに

せめて、家の中だけくらい自由に動けるように

なろうと、決めていた。


それから、十年がすぎた。


幸太は小枝が盲目になったことを、

いっさい、口に出そうとしなかった。


炭焼き小屋に訪れる人間はいない。

五,六日おきに幸太が問屋に

出来上がった炭を運びに

町にいくときだけが、

唯一、小枝以外の人間と

関わるだけである。


幸太さえ黙っていれば、

小枝の失明は

明るみに出る事はなかった。


問屋の前に荷車をおき、

いつものように幸太は炭を

店の中の角につみあげた。


よってくる番頭はにこやかである。

「おまえさんの炭は評判がよいよ」

これが、幸太への愛想の良い訳であるが

「今日はめでたい日なんだ」

と、幸太に椀にはいった、

赤飯、と箸をさしだし、

ほうらくだ。祝ってくれ。と、わらった。

湯飲みに印ばかりのお神酒を

注いで、

二口ほどの赤飯と一緒に

問屋に訪れた人間に振る舞う。


「おや。おめでとうございます」

幸太は渡されたものをおしいただくと、

「で、おめでた事とは?」

と、たずねてみた。


問屋の一人娘に入り婿が来る。

今日はその結納の日であるというのである。

「ああ。それは、それは」

だんな様もさぞかしご安心なされたことでしょう。

ぐびりと、お神酒がのみほされ、

赤飯もたべおわった。

共喜びをおえた、器を受け取りながら

番頭はふと、

幸太にたずねた。


「そういえば、おまえさんとこの、小枝(さえ)ちゃんも

そろそろでないのかね?」

幸太の胸に小さなしこりがふきだまってくるが、

それをとじこめて、

幸太はわらってみせる。


「いやあ、まだまだ、人様に差し上げるわけには、いきません。

亡くなった家内にかわり、

家の中のことをよくやってくれているので、でていかれてはこまります」


ただでさえ、炭焼きの跡をついでくれる男などいないであろうに、

肝心の小枝は盲目である。

炭焼きの仕事は自分一代であきらめるしかないと思っている。


そして、

小枝も・・・。


一代でおわるしかない。


悲しい思いを隠し

幸太は笑う。

「よくやってくれております」


見えないのが、嘘かと思うほど小枝は

家の中のことをこなしてくれていた。


一方、小枝である。


幸太は、ここ、三,四年前から、町へでるとき、

小枝にくどいほど念を押す。


いいか、小屋から出るんじゃないぞ。

しんばり棒をかって、

俺がけえってくるまで、外にでちゃいけない。


幸太が心配するわけはわかる。

山家のくらしといえど、

山の中に人が来ないわけではない。


山中を渡り歩くマタギがとくに不安である。


幾日も山を渡り歩いたマタギが

ひょっくり、若い女子をみつけたら・・・。


流れ者である。

この土地でなにをしようと、負い目になるものがない。

こんな男が一番危ないのだ。


と、幸太は小枝に言い聞かせる。


だけど、

幸太の言うように、誰かが来る事はなかった。


それに、

そうはいっても、厠にいかぬわけにはいかぬ。


小枝は炭俵を編む手をとめて、

立ち上がると

かまちに向かう。


かまちの一番端にいつも履物をおいておくようにする。

つまり、そこが、小枝の出入りの立った、一つの決め場所であり、

そこから、すべてが始まってゆくのである。


履物をはくと、

まっすぐ四歩。

右に向きを変え十歩で、戸口の前にたつ。

芯張り棒を外し、直ぐ戸口の下において、

さらにまっすぐ十五歩。

右に五歩で厠。

もう、五歩歩いて左に八歩歩めば

小さな畑がつくられていて、

其の三歩先に山からの水を

といであつめる、水瓶がある。


小枝の動きは直線的である。

小枝の目的が

何歩目かの分岐で達せられていく。


小用を足すと

小枝はまた、歩を数えながら分岐点に戻ってくる。

向きをかえて、

また、歩む。


その動作は十年の繰り返しで

ひどく、慣れたものになっていたが、

小枝が其の分岐や歩数を

あやまてば、

何もかもが狂って行くのである。


慣れていても

小枝の頭の中で引かれた線を

きっちりと、踏んでゆかねば成らないのである。


五歩歩いて

右に向きをかえて・・・。


角ばった小枝の動きを見つめていた男は、

やっと、気がついた。

「おまえ?

目がみえないのか?」


突然の声に

小枝はやっと、誰かが傍に来ていた事に気がついた。


目が見えなくなってからは

音や匂い、気配には

ことさら敏感に成った小枝であるのに、

男に声をかけられるまで男の存在に気がつかなかった。


それは、

気配を隠して獲物に忍び寄る

マタギだから出来た事だろう。


小枝は小屋の中にはいりこもうとして、

足を止めた。


逃げても、

無駄だと思った。


頭の中で描かれる道を歩くしかない小枝である。


「あい。目がみえませぬ」

男がいるだろう方向に小枝はこたえた。


「うまれたときからの、めしいか?」

男は小枝の動作から

感じた事をたずねた。


突っ立ったままの小枝のおももちは、

複雑である。

視力をうしなうまでに、二,三度

幸太の荷車に乗り、

町についていったこともある。


問屋の人間に

いくつだと訊ねられ

名前を聞かれた。


それ以来小枝が幸太以外の人間と

口を利いたことがない。


十年以上、幸太以外の人間に触れたことの無い

小枝には

おそろしいはずの男の存在は一方で好奇であった。


「いえ、ななつのとしにやまいをひろうて・・」

目が見えなくなったのだと小枝はこたえた。


「ほう・・・」

まるで、目が見えているかのような動きは

長い年月のなれのせいであるのだろうと、

男が思ったとおりであるが、


「すると、此処を一歩もでることがないのか?」


「はい。ここをでては、一歩もうごけなくなります」


女は小屋の中と小屋の外のわずかな敷地の中だけで

くらしているのだろう。

女のこの先もそうなのであろうと、思った男の口をついて

出て来た言葉は男にも、意外で、

その言葉の深い意味を考えたとき

男は女を酷く、傷つける言葉を吐いてしまったと思った。


「すると、おまえは一生、独り身で、此処にすまうということか?」


この先どうなるか?

小枝はかんがえてならぬことを

口にした、男に応える言葉をなくしていた。


女の沈黙が男に哀れを覚えさせた。

女は女に生まれながら、

どこかに嫁ぐ事も知らず、

誰かに寄り添う事も出来ず、

ありきたりな、女の幸せに

手を伸ばす事も出来ないのだ。


「あい・・。私は人様の役に立つ事も出来ず、

おとっつあんの助けでようようにいきております」


小枝の不安が言葉をつめさせる。

独りで生きて行くどころではない。

おとっつあんがいなければ、

小枝はどうなるのであろう。

そして、

頼りの幸太もいつか、この世から、居なくなるときが来る。

其のとき小枝はどうすればよいのだろう?


考えてはならぬ事が

小枝の胸の中に流れ込み、

面差しはかげりを見せる。


「わるいことを、きいてしもうたか」

男はぶっきらぼうに謝ったつもりである。


「あ、いえ。これは私のことですから・・」

男の居るだろう方に顔を上げなおし、小枝は笑って見せた。


その刹那。

男の中に沸きあがってくる想いがあった。


それは

女のいじらしさに打ちのめされた

あさましい男心といってよいかもしれない。


「おまえが、嫁しこすことを諦めてしまうは、

わからないでもないが・・・」


恋も知らず、

男にふれられもせぬまま、

一生をこの小屋の中で過し、

命をとじてゆくのか?


女の人生という布地に

色を染めることもなく、

無垢のまま、

骨になるのか?


あまりにあわれである。


そうとるのが、男のあさましさかもしれない。


そして、男の口をついて出た言葉は

唐突ゆえにいっそう野卑かもしれない。


「男をしりたくないか?」


おまえは女にならずとよいか?

人並みの幸せをてにいれられないとしても、

めしいゆえに

女になることもいらぬか?


「はい?」

男の言う意味が何をさすか、

小枝に理解できる、焦がれがある。


木々に群れ集う小鳥とて、

春の獣とて、

相手をもとむるせつなさになく。


そのせつなさの萌芽が小枝にないとはいわない。


だが・・・。


女が答えに戸惑うをみつめていた男は

大きく足を踏み出すと、

女をだきよせ、

其の口を吸った。

吸いざまに胸のあわせに手をさしいれ、

女の乳房をもみしだいた。


「ぁっ」

小枝の小さな声は男の獣臭い抱擁にふさがれ、

口の中に押し込まれてくる男の舌が

小枝の平静を乱し、

胸の先の熱い感触にめまいさえ感じる。


「男をしりたくないか」

繰り返した言葉にうなづく者が女の中で

息をし始めている事を確かめた男は

やっと、自分の名前を名乗った。


「俺は文治という。おまえの名は?」


「さえ。小枝という意味です」

小枝。

花を咲かせる新芽は小枝であり、

小枝の先にこそ、花がつくというのに、

皮肉な名前だと男は想った。



男の腕の中にとらまえた生き物は

たとえて、言えば

傷をおった小鹿のようなものであった。


うちふるえる女の息はとまどいと惧れをみせながら、

文治にすがるしかない。


手負いの小鹿はふるえながら、

手を差し伸べる人間に

身を任せる。


観念したといえる。

すくわれたいという。


自然は、一瞬のうちに

命の駆け引きをする。


いちか、ばちか。

身をゆだねることしか、

活路が無いと悟ると小鹿は文治の手の中にすべりこむ。


小枝の姿はそれと似ていた。


文治とて、小枝のおそれをみぬけなかったわけではない。


『生娘だな』

男の勘が小枝を見定める。


と、同時に小枝の返した言葉にも

語るよりも多くのものがあった。


おとっつあんの助けでようようにいきております。

女はそういった。


『おとっつあんに迷惑をかけてばかりいる』

それは、文治にすぐに小枝の境遇を悟らせる言葉であった。


目がみえないばかりでなく、

女親がいない。


文治はそう気がついた。


気がついたことを

改めて女に確かめる事はしたくなかった。


不幸な境遇に念を押すようなものでしかない。


かわりに・・・。


文治は女の着物のすそをさばき、

下半身に手をのばした。


逃げ出しそうになる小鹿はもはや、逃げるすべの無いことを悟りながら、

文治が寄せてくる欲に

やはり、ふるえる。


「こう・・・」

人差し指の先に鋭敏な部分をのせる。

教えられてゆく感覚に抗う事を忘れそうな

女が出来上がる。


「もう・・じき・・・おとっつあんが、かえってきます」

男から逃れるためか、

惧れが勝ったか、

小枝は文治の手を引かせる言葉をもらした。


「俺がこわいか?」

文治は小枝が本意でこばんでいるのか、

たしかめたかった。


暫くの沈黙の後、

小枝は

「いいえ」

と、それだけを応えた。


目が見えない女が

いっぱしに男とかかわりをもとうということさえ、

罪であり、おろかである。


だけど、それ、以前に男が本気なわけがない。


きまぐれの、かりそめ。


だったら、そのほうがいい。


そのほうが、いい。


ほんの少しのやさしさをかたむけられ、

それをうけとめることができるだけでいい。


小枝には・・・それでさえ、もったいない。

一生、だれにも、

気にかけてもらえる自分ではないのだから。

気にかけてもらえても、

なにもかえすことができない自分なのだから。


男が

小枝の「女」に興をひかれてくれる事さえ、

自分の一生には無いことだと思っていた。


自分の中の「女」を飼い殺しにするしかない。


それは嫁になぞいけないという事実と一緒に

小枝の中にうずめた息吹だった。


その息吹が蠢く。


それだけで、充分過ぎる。

小枝にとって、

それは「恋」と呼ぶことも許されない鼓動。

知る事も許されない鼓動。


欲でもいい。

男は小枝を「女」としてみている。


文治の手の中でじっと動こうとしない女の

鋭敏な場所をなであげれば、

女の口からは、切ないうめきがもれてくる。


「また・・くる」

手に入れることの出来る女とわかれば

ゆっくりと手はずを踏むのも一興である。


小鹿と思ったものが

若い牝であったことが、

文治のほむらをあおりたてていた。



男の気配が嘘のように消えた。

立ち尽くしていた小枝の足は

力を放出し、

身体を貫いた感覚が小枝を

地面に立たせていることをゆるさなかった。


赤子のように這い蹲り小枝は家の中に入った。


かまちに腰をかけ、板の間にあがろうとするのもようようであるが、

小枝の思いは

時を止め

先の甘い余韻を追う。


ぬめる男の舌は

ねばりこく、小枝の口中をさまよい

胸の先をつまみあげられた。

その心地は、小枝がいままで味わった事の無い幻惑をともない、

そして・・・。

小枝の女の部分は男にあっさりふれられていた。


その先・・・どうなるのだろう?


あの時考えもしなかった思いが湧いてくる。

おそらく、

男のくれる陶酔におぼれていたままであれば、小枝は

こんなことも考えず

男によって、その先をみちびかれていたことであろう。


だけど・・・その先どうなるのだろう?


初めて会った『男』という生き物に

小枝の中の「女」がはじきだされてゆく。


その先・・・。

それはこわくもある。


だが、男の厚い胸板にもう一度

いだかれてみたいと思う小枝が居る。


おとっつあんは

マタギをきらっているけれど・・。

小枝は

・・・・。

きらいになれそうもない。


文治がふれた、小さな突起にてをのばして、

小枝は

そっと文治がくれたものをしのんでみた。


「あっ・・」

自分のその場所がかくも鋭敏であったことを

小枝は改めて知る事になる。


そして、

小枝の中で湧き上がる思いも・・。


「文治さん・・・?

本当にまた、きてくれるんかね?

小枝は・・・」

初めて会った男であるのに、

文治が恋しいと

小枝は思った。



幸太が帰ってくるまでの半時。

小枝の夢想は

文治に結ばれる。


幸せに色があるとすれば、

小枝の今は、

桜の花びらのように、

薄い桃の色をしているのかもしれない。


それをあかしだてるように、

小枝のほほはうっすらと

色を染め

炭俵を編む手がふととまる。


「おとっつあん・・・。

小枝は・・・」

おとっつあんを裏切っているのかもしれない。

「だけど・・・。小枝もわかってる」

文治になにをか、負わそうというわけではない。

文治とであった事を

一生の宝物にして、

胸の中に秘めて、

それだけで、

この先、生きてゆける。


男はマタギ。

獲物が手に入れば、また、別の場所に行く。

それは、

きっと、小枝にたいしても、同じ。


でも、

それでも、

小枝は構わない。


おとっつあんには、

もうしわけないけれど、

それでも、

もうすこしだけ、

もうすこしだけ、

『文治さんにあいたい』

もうすこしだけ、

はっきりと、

このときめきを

しっかり胸の奥にきざみつけてしまいたい。


せめて。

それぐらい。

それぐらいしか、

のぞんじゃいけない小枝だから、

『山の神よ。

どうぞ、小枝の親不孝をみのがしてください。

どうぞ、おとっつあんに・・・しられないように・・・』

男にとって、かりそめの恋にさえならない出会いを

小枝は

命の蝋燭の芯にして生きて行きたいと思う。

めしいの女の心にともった

初めてのまばゆさである。


胸の中での想いだけが、小枝の自由になるものならば、

想いを埋み火にして、

小枝の中で消すことなく

もやしつづけることも小枝に許される自由だろう。


それだけだから、

それしか、望みはしない。


幸太はよく、炭焼きのことをこういった。

「不思議なものよのう。

物を燃やすものをつくるに、

これも、また、燃やしてつくる」


それは、小枝のこの先の人生を燃やしてゆくためにも、

小枝という木もまた、一度は燃えてしまわなければならないのだと

教えられている気がする。


また、幸太はこうもいった。

「炭になるにも、ころあいが大事だ。

はやすぎれば、

芯が生木のまま、

おそすぎれば、

灰になってしまう」


一度は燃えるしかない小枝という生木も

文治という火を取り払うしかない。


いずれ、

文治とは、別離しかない。

それは、覚悟のうえとて、

頃合とはいつであろう?


今、もう、文治が二度とあらわれなければ、

小枝は間違いなく

芯が生木の炭。

生木の芯から、くされてゆくだろう。

だが、たとえ、

文治が約束どおり、再びあらわれたとしても、

小枝のような小さな木の枝が

灰にならずに、炭になってゆけることのほうが、

もっと、むつかしいだろう。


だけど、

『文治さん・・・。

小枝はもう、文治さんの火に

くべられてしまってるんだ』


自分のこころのままに、文治を追うことを

許そう。

そして、こんなことは、小枝の生涯でたった、一度。

この一度きり。

たとえ、結果、

生木に朽ちようと、

灰になろうと、

炭になってみたい。


小枝は坂を上り、帰り来る幸太の荷車の音をききながら、

はっきりと決めていた。


幸太は荷車をひさしのしたにかたせると、

家の中に入ってくる。

小枝はなにごともなかったように、

炭俵をあみつづけながら、

「おとっつあん。おかえり」

と、声をかける。

「ああ。そうだ。小枝」

幸太は懐から小さな巾着袋を

ひっぱりだし、

小枝をよぶ。


「今日は、みやげがあるんだ」

幸太の声のするほうに

首をねじまげて、

小枝は応える。

「あら?なんだろ?」

小枝の手に巾着袋を

にぎらせておきながら、幸太は言葉に詰まる。

「・・・あとでな・・・。おとっつあんが、つけてやるよ」

小枝が袋の中から、

引っ張り出したものは小さな貝殻だった。

「紅がへえってるんだよ」

不思議そうに指先で貝を触る小枝である。


幸太が小枝に紅をかってきたのは、

今日の問屋での祝い事のせいである。

同じ年頃の娘でありながら、

かたや、めしい。

着飾ることもできぬ、暮らしであるのは、もとよりだが、

たとえ、着飾った所で、

それを見せる相手もいなければ、

自分でも見ることは出来ない。


娘らしい楽しみも知ることができない小枝に

紅をかってきたところで、

小枝はかなしいだろう。


幸太はそうも想った。


だが、今日の出来事で、幸太の中のなにかが、かわっていた。


誰かの元に嫁ぐ事も無い小枝であるから、

目が見えない小枝であるから、

だからこそ、

娘らしいはなやぎをもってみたいのではないか?


それをつんでしまうことを

していたのかもしれない。


幸太は問屋の娘をうらやむまいと、

自分に出来る小枝への、

はなやぎをてにいれることにした。


そして、小枝は・・。

「ああ?紅って、けわいの紅だよね」

化粧なぞしなくても、

小枝は充分にうつくしい。

うえに、娘である。

どんな花とて、うらやむ年頃の娘であるが、

やはり、それでも、

「おとっつあん。どうやって・・・これをぬりゃあいいんだろ?」

幸太の不安を拭い去るに足りる

小枝の声はうれしげであった。


「どら・・・」

無骨な指が貝をひらき、

小枝の唇に紅をのせると・・・

幸太の瞳から、こぼれるものがあった。


目さえ見えりゃあ、

小枝は器量よしだ。

どんな所の娘にもひけをとりゃしない。

三国一の花嫁になるのさえ夢でない。

なのに、

こんな、紅ひとつに、心を弾ませることしかできなくて・・・。


これくらいの幸せしか、もらうことができない小枝なのに

邪気なく喜ぶ小枝だからこそ

小枝がいっそういじらしく、あわれである。


「おとっつあん?どうだい?」

弾んだ声が紅をさしおえた唇から、洩れてくる。


「ああ。べっぴんだ。かあちゃんにみせてやりてえよ」

小枝にこそ、みせてやりたいといいそうになる言葉を幸太は言い換えた。


「ほんとうにかい?」

弾んだ声は幸太が思わず吐き出した言葉に

しなれることもなく、

「あたしひとりで、紅をさせるようになれるかな」

浮き立った喜びが小枝を包んでいた。



小枝の朝は早い。

起き上がると小枝はまず

手水鉢にむかい、顔を洗い

口をゆすぐ。


それから、畑にいって、

伸び上がってきた大根菜を間引く。

手探りで積んだ葉を触り、そっと、ひきぬく。

それで、朝の采をつくる。

青い葉の匂いは小枝の手に染み付き、

小枝はそっと、指先をすりあわせてみる。


そうだ。

尾根の向こうから文治が小枝を見ているかもしれない。

小枝は間引いた大根菜をもつと

急いで家に入る。

くどの水場に大根菜をおくと、

水桶の水をひしゃくにくみ上げ

手をあらうと、手ぬぐいで手をふきあげ、

昨日の紅を懐からとりだした。


紅の蓋をあけてみたものの、

小枝はとまどう。

文治が見ているかもしれない。

だから、綺麗に紅をさしてみたい。

だけど・・・。


戸惑ったままの小枝の手にもたれたままの

紅を目に留めて

幸太は声をかけた。


「紅をさしたいのだろ?」

「うん」

小枝だってわかっている。

紅なんてものは、

祭りや、祝言や

そんな特別なときにつける

大事なものだ。


贅沢な事をしちゃいけないと、わかっていながら、

だけど・・・。


小枝が戸惑っているのを見ると幸太は

わらっていった。

「小枝。かまわねえよ。おまえにゃ、晴れ着の一つも

あつらえてやれねえで、すまないとおもってんだ。

そのかわりと、いっちゃあ、なんだが、

紅くらい、いつでも、かってきてやるから・・」

気にせずにささしゃあいいんだよ。

そんなことひとつで、

小枝が嬉しくなるなら

かまわないんだ。


幸太は小枝の手を取ると

薬指をたてさせた。

其の指を紅にのせあげると、

小枝の唇にそっと、のせた。


「はじめはよく、わからねえかもしれねえが、

勘のいい小枝のことだ。いいか・・・こう」

小枝の指を紅筆のように考えればいい。

小枝は自分の唇にあたってゆく紅の感触を

覚えるかのようである。


そして、小枝は再び外にでてゆこうとする。

「おや、どうした?」

「なっぱをもうすこし、つもうとおもってさ」

どうやら、小枝は紅をさす事に気を奪われてしまったようである。

娘心の映えが小枝の一日をうきたたせてゆく。

紅ひとつで、小枝がこうも喜ぶのかと

幸太は心の中で苦笑する。

『男親はうとくていけねえや』

と。


畑の前にたつと

小枝はわざとゆっくりとたたずんでみる。

文治さん。

みてるかね?

小枝はほら・・・。

おとっつあんは、綺麗だといってくれたんだ。

文治さんも

綺麗だとおもってくれるかね?


小枝の心にともったものは、小枝の心をなびかせてゆく。


山の尾根の向こうから

文治は確かに小枝を見つけていた。


小枝のたたずむ姿と

紅の色は文治に鋭い憧れを覚えさせる。


小枝は今、確かに

文治という山の神の供物台の上に

乗ったといえる。


文治はマタギである。

マタギが獲物を狩るときは、

まず、めどうとする獲物のすまう

地形をつぶさに把握する事から始める。

そののちに獲物の行動をじっくりと

量りこむ。


あわてて、獲物を狩りだそうとはやる気持のままに動けば

獲物を取り逃がし行方をうしなう事もある。


一度、マタギの難を逃れた獣は

嫌に成る程臆病で、敏感になり、

マタギの気配を感で知るようになる。

殺気を気取りだした獲物を

追い込むことほど

危険な事は無い。


逃げ足は速いくせに

ひとたび追い詰められると

捨て身でマタギに向かってくる。


獲物が大きければ大きいほど

この危うさも大きくなる。


ひとたび、マタギにてむかい出した獣は

命ぎりぎりの覚悟をもちながら、いっそう用心深く逃げ惑う。


こうなったら、この土地での猟はいったん

撤収をよぎなくされる。


文治は狙った獲物を逃さないために

周到に地形をはかり

獲物の行動を把握する。

これがマタギに身についた倣いである。


そして、

安全に確実に獲物を手中に収めるためには、

文治のこのたびの

獲物には「親」というやっかいな護りがいた。


文治は「親」が子から目を離し、

子の傍らから離れてしまうのを待った。


そして、獲物に狙いをつけた、数日後のことである。


今日の「親」は朝早くから炭俵を積み込んだ荷車を引き

山を下っていった。


機がめぐってきた事を知った

文治は「親」の護りのなくなった、獲物に

にじりよってゆくだけである。



山の斜面に大きな岩がせり出し、

其の後ろに祠がある。

文治はこの土地での仮住まいを

この祠に決めると

祠の奥に山の神への供物を

ささげるために

土を盛り、平たくならすと、そこに

白米をいれた小さな杯と、

竹筒に入れたお神酒をそなえおいた。


この地での狩猟が実りあるものであること、

狩りの無事を祈願し、

山の神の聖域に入り込み、山の神の物である

獣を頂戴する許しを請うた。


文治は其のまもなしに、

小枝という女子に出会う事になった。


山から山を渡り

およそ、おなごと名のつくものを見かけることなぞない文治の前に

あらわれたおなごに

男の欲を漱がれたいと

男の息吹が文治を差配するのは、無理の無いことである。


が、であったおなごはめしいであった。


尾根の中腹からみわたした炭焼きの小屋の狭い平地に

おなごがいるのをみつけた

文治は

獣道を通り、おなごにちかよっていった。


この時点での、文治は

おなごの不遇をしるわけもなく、

ただ、ただ、身中にわきあがる欲につき動かされ

その欲をはらすためだけに

おなごにちかづいていった。


炭焼き小屋のひとの気配をさぐる文治に

此処に居るのは、

おなごひとりだと教える風が吹いてくる。

すみやき小屋はむろん、

その横の住まいからも、

人の気配は無い。


欲にかられた男は

忍び足でおなごにちかよった。

その場におなごを

おしたおしてでも、目的をはたさねばならない

渇く飢えがある。


だが・・・。


厠からいできた、おなごの姿は

文治の目に、横顔をみせた。


其のときに文治の胸のうちは、その美しさに

けおされ、

一度きり、手に入れるだけにしかならない

無理やり無体な手籠めではおしいとおもわされていた。


情交がほしい。


この美しいおなごを無理にしいたげて

己の欲をはらすのではでなく、

おなごとなれあった交わりで、

この地にいる間、

甘く匂う恋の華香に酔いたい。


かりそめの恋でしか、ないが

文治はおなごに強く惹かれ、

常の男と女がふんでゆく

恋路をとおってみたいと思った。


だが、

おなごは、マタギなぞ、よせつけはすまい。

と、思った文治の目の中でおなごは奇妙な歩みを見せた。


(目がみえぬということか)

こんな山家で目がみえぬおなご。


おなごは、

間違いなく無垢だろうと、文治は思った。


で、あれば、ぜがひでも、

己のものにしたいと思った文治であり、

ひとたび、男に触れられた初女(うぶめ)が、

その感覚に

己を見失うだろうことも、直感した文治であった。


幸太のくどいほどの念押しに、

小枝は素直に

「はい」

と、応えると、幸太のいいつけどおり、

小屋の中に入って、

しんばり棒をかった。


俵に詰めた炭を問屋に持ってゆく

幸太は己の留守の間の小枝が心配でならない。

「むこうの尾根に、煙があがっていた。

マタギがはいりこんでいるにちがいない」

だから、

小枝は外にでちゃいけないと、出掛ける寸前まで小枝にいう。


男親の勘というものは、

男の生態を解したうえで、

わきあがるものであろう。

ゆえに、

幸太の勘は当たっている。

マタギが小枝を見つけたら、

何をしでかすか判らないという点で、

鋭すぎる勘ではあった。


が、

まさか、既にマタギが小枝をみつけ、

なにかをしおでかす道筋をつけているとは、

思いもしない幸太である。


その幸太の親心を

小枝は裏切ろうとしている。


胸の内にきりりと突かれる痛みがあるが、

小枝は幸太に隠し通すつもりでいる。

自分の一生の秘密にしておくだけの

文治とのであいであると、

覚悟を決めている。


だからこそ・・・。


別れるしかない人だからこそ・・・。


「あいたい・・・」


幸太の荷車の音が遠くなると、

小枝はしんばり棒をはずし、

戸口の前を進み

畑の前に立った。


日当たりの良い畑は

山の尾根からも

明るく開けて見える場所だった。


立ち尽くしたまま・・・。

小枝は文治が現れることだけを

夢に待つ。


「文治さん・・・あいにきてくれるんね?」

小さな呟きで文治の名前をよんでみるだけで、

小枝のめがしらがあつくなる。


「いくら、思うてみても、せんないことやけど・・・だけど、小枝は」

文治さんを好きになってしもうたんや・・・。


立ち尽くす小枝の傍をすり抜けてゆくのは

小鳥だろうか?

小枝は自然の中に溶け込むほど

静かに

じっとたちつくして、文治を待った。


小枝には

待つことしかか出来なかったから。


小枝にできる精一杯の恋華は

待つことしか、なかったから。



立ち尽くす小枝の瞳に映るものを

小枝には、認識できない。


ただ、光の温かさが変わった。


小枝に差し込む光をふさぐ何かが

影を作ったに、違いない。


「文治さ・・・ん?」


小枝は、小声でそっと、たしかめてみた。

雲の流れが

日の光をさしとめただけなのかもしれない。


なのに、小枝は文治ではないかと、

思うだけで、

鼓動が大きくなる。


はたして・・・。

「よう・・・わかったの」

文治の声だった。


女が文治の名前を呼んだ。

たった一度会っただけの男の名前を

女は覚えている。


女は文治を待っていた。

そう思って間違いはない。

其の自信が文治を

大胆にさせる。


我が物のように、女をよせつけ、

その胸にかきいだくと、

女は抗いもせず、

まっていたとしか、いえない

素直さで文治にいだかれる。


それは、

女の可愛さだ。

その可愛さをもっと、

はっきりと掴み取りたいと

文治の男がせく。


どこまで、小枝が文治を受止めてゆこうとするだろうか?


男の無体を小枝は畏れるだろうか?


「小枝・・」

小枝をどうしたいか。

口で言うても、判らぬことでしかない。

文治は小枝を横抱きにだきあげると、

やけに早い足取りであゆみはじめた。


「文治さん・・・どこに?」

小枝は不安に包まれる。

文治さんは小枝をどこにつれてゆこうとしているのだろう?

どこにつれてゆかれてもいいけれど、

おとっつあんが帰って来るまで

此処につれかえってくれるのだろうか?


「心配すな。俺のねぐらにゆくだけだ」

小枝の問いにこたえると、

「おやじさんは、この間と同じくらいの

刻限に、かえってくるのか?」

と、文治のほうから、問い直した。


「はい・・・」

そうだと返事はしたけれど、

文治の足は段々と速くなってくる。

小枝を軽々と横抱きにだかえたまま、

獣道にはいっていったのだろう。

小枝の身体もかやや薄の葉に当たり始めている。


「俺にしっかりつかまっていろ」

文治の言葉に小枝は文治の首あたりに手をからみつけながら、

「小枝は、目が見えなくなって、山の中に入るのははじめてです」

と、告げていた。


「そうなのか?」

見えない世界での生活の場所から、

突然に知らない所にはいりこむ。

小枝は

もう、今、文治にすがるしかない。

で、なければ、

小枝は家に帰ることはおろか、

山の中におきざりにされでもしたら・・。


独りでは何も出来ない小枝であることを

思い知らされれば、

いっそうに文治の存在がかけがえないものになる。


娘に何かあったという痕跡を残せば

父親は用心する。

その結果、小枝と合えなくなりたくはないと、考えた文治は

小枝を連れ出すことを考え付いた。


だが、其の行動の余波は、もっと深いものになっていた。


『小枝にとって、神隠しの世界の中に迷い込んだだけと、

おもわせることができるのかもしれない』


いずれ、小枝を捨て去る事を考える男は

小枝へのあとあじの悪さをどうにか、薄めたい。


『神隠しにおうて、

山の神に惑わされた』


本当のことだったのか、

嘘のことだったのか、

判らなくなる。


なぜなら、小枝にだけしか、判らない不可思議なのだ。

誰も今のこのことも

文治のねぐらでのこれから、小枝に起こることを

あかしだてるものがいない。


そして、

小枝もふっと、もらした。

「まるで、文治さんは韋駄天のようだ」

山の中はマタギの庭でしかない。

が、

自在に走る文治がまた、ふしぎでしかたがない小枝である。


「俺は山の神かもしれんぞ」

小枝の言葉にこたえたふりをして、

小枝を思い込ませようとしている自分が居る。


いくばくか、卑怯だとおもったが、

文治の飢えは

小枝を早くねぐらに連れてゆく事をせき、

その足取りが、

おちることもなかった。



祠の前に小枝をたたせると、文治は入り口を覆った

木々を取り除ける。

「入り口は狭いがとおりぬけたら、

中は人が立って歩ける。

頭の上の岩肌がきれたら、もう、たってもだいじょうぶだ」

祠の中に小枝をいれこめおえると、

文治はもう一度

木々を引っ張り、入り口を覆う。

別段、かくれるためではない。

熊や猪が直ぐに入ってこないように

用心のためである。


小枝が祠の中にたちつくすと、

わずかな、煙の匂いを感じる。

「火をいこらせてあるのですか?」

「そうだ。地べたをすこし、ほりさげて、

火をうずめてある。危ないから、こっちへ・・」

文治にひかれるままに従う小枝を

寝場所にしている熊の毛皮の上に

導いてゆくと

もう、文治を抑えるものがない。


いつかのように

小枝の口を吸えば、小枝の身体から、力がぬけ

文治の腕に小枝の重みが温かく伝わってくる。

小枝をささえながら、小枝の帯をときはなっておいて、

文治は小枝を後ろ抱きにだかえなおすと、その膝の中に

くるむようにして

小枝を座り込ませた。


「文治さん・・あいたかった」

小枝は文治の胸に背をあずけながらやっと思いを告げた。


小枝の思いはやはり、文治にある。

と、

遠慮なく小枝の胸に手を伸ばすと、

左右の手が左右の乳房をもみしだき、

小枝の胸の先が固く膨張すると、

文治の指は小枝の乳首をころがしはじめていた。


小枝の喉の奥から、切なさがうったえだされると、

文治の右手は胸をおり、

小枝の着物をはだけながら、腹をすべりおり、

小枝の腿を外側におした。

文治の希どおり小枝が足を広げると

小枝の過敏な場所に

文治の指が滑り落ちてきた。


こらえきれない声が洩れてくるのを

小気味よく聞きながら、文治の指は休むことなく

小枝の其の場所をすりなでてゆく。


やがて、小枝の漏らす声より確かな快さが

したたりという形であふれだしてくると、

文治は指をすべりおとし、

したたりに指をからめ、

小枝の鋭い突起をなめらかになでまわしてゆく。


小枝の声はただただ切なさをうったえつづけ、

文治の意地悪い攻めに

泣いているかのように、したたりをあふれさせられていた



「小枝・・心地がよいか・・」

文治の問いに自分でもなんと答えたか、

小枝にもわからない。

それ程に、文治に与えられる感覚が、

小枝を陶酔の中にひきずりこんでいた。

声を上げる以外ないまま、

小枝は文治の指にもてあそばれ、

時間の流れさえ、

小枝の中にはなくなっていた。

「小枝・・」

文治はぬめりをからめるために

すべりおろした指を

そのまま、小枝の中にもぐりこませた。


薄いひだが文治の指にやわらかくからみついてくる。

その肉ひだの狭さは、小枝が未通女であることを語っている。

入れ込んだ指をそっとうごめかすと小枝にささやいてみせる。

「小枝。おなごはここで男を知るんじゃ」


『ここで・・・?』

男を知る。

それが具体的にどういうことであるか、

判ろう筈もない小枝の鋭敏な部分を

再びなぶり続けると、

小枝のその場所からは

さらにぬめりがあふれでてくる。


文治は小枝の手をつかむと

小枝みずからのその場所に

触れさせた。

「このようになるのはの・・

ここが・・・

はよう、男をしらせてくれというておるからだ・・・」


文治はただただ、

小枝のあえぎを楽しみ

小枝に男を知らせる頃合を待っている。

「そして、俺のここも、小枝をしりたいといっている」

小枝を女と言わず

小枝をしりたいと、個別の名前をよばれると、

小枝はいっそう、文治にこたえたい。

その思いをどうつげればいいのか、

どうすれば、

文治に小枝をしらせることができるのだろうと、

思う迷いさえ文治が

次々と小枝に知らせてくれる事柄にながされてゆく。


文治は

『俺の此処』を小枝の手につかませた。

異様な温みと奇妙な触感に

小枝は手をのがそうとする。

「小枝。もう、かまわぬか?もう、たまらぬ」

怒張したものが、

小枝をかくもほしがっていると、

文治はいってみせる。

訊ねられたことの意味合いもわからぬまま、

小枝がうなづくより先に

文治の両手が小枝の太ももに伸び

小枝の足がもちあげられ、

広げられた足の間に文治が位置を変えたと小枝にわかった。


判った、その刹那。

小枝は痛みに貫かれた。


痛みがどこから、何故わいてくるかも

わからないまま、

小枝の感覚も意識も、

すべてが

痛みだけになった。


逃れられぬ痛みであると、

知るまでに

小枝はなんども、

文治に懇願した。


「痛いよ・・痛いよ」

そう訴えてれば、痛みをどけてもらえると

小枝は思ったのかもしれない。

だけど、小枝の心の中のどこかで

おぼろげに理解するものがあった。

それは、

「痛い」と、いう言葉を文治につげても

構わないが、

「やめてくれ」

とか、

「いやだ」

とか、いう言葉をはきだしてはいけないと

いう事だった。


それでも、身体をつらぬく痛みが

小枝を覆う。

「文治さん・・・痛いよ。痛いよお」

なにか、さけんでいなければ、

小枝はただ、くるしいだけで、

痛みを訴え続ける事が

わずかに緩和をもたらすだけであった。


何度、叫んでも痛みは小枝から

ぬけでない。

依然と小枝をひっつかまえている。

「小枝・・・これが男なんじゃ・・・。

かわゆいおなごには、男は皆、こうするものなんじゃ」

文治の宥めが小枝をだまらせた。

男は、みな、こうする。

逆をいえば、

女はみな、こうされるしかないということになる。

そして、

文治がこうするのは、

「小枝がかわゆいおなごだから」という。


『ほんに?ほんに?小枝がこと、かわゆいと

おもってくれてるから・・・』

だから、文治はこうするという。

文治とて、小枝の悲痛はわかっている。

それでも、

「こうせずにいられない」

と、いうのであるなら、

小枝には嬉しいことでしかない。


だから、

小枝は痛いというのをこらえた。

文治がきずつないだろう。

小枝がこんなに泣き叫んでは

文治がせつなかろう。


静かに痛みをこらえだした

小枝だからとて、

たとえ、泣き叫ぼうと

小枝の中に入れ込んだ物がおさまらぬ以上は

文治のうごめきはかわりはしないが、

それでも、

文治に

小枝があっさりと、「女」になったと判った。


男の物をうけいれてゆくしかないと、

諦めたとき

おなごは、

真に「女」になる。


男を女の持ち物でうけいれる「心」が出来たとき

小枝の「女」が

男を知ったといえる。


「小枝・・・思うた以上にお前はかわゆいわい」

文治の肉を包み込む小枝のうるみも、

充分で、

小枝の中も文治を小気味良くひきしぼってゆく。

それだけでも、

充分小枝を堪能できるというのに、

小枝が見せる「女」は

文治を夢中にさせる。


あきたらぬかのように、

小枝を貫き続けられるのは、久しぶりの女体のせいばかりではない。

小枝にいったとおり、

小枝のかわゆさが異様に文治を高揚させつづけていた。


「小枝・・・おまえは、ほんとうに、かわゆい」

文治のささやきに

小枝はいっそこのまま、

この幸せのまま、しんでしまいたい。


ふと、そう思った。


棹の先の欲情が解きほぐされると

文治は

小枝を見つめなおした。


裸身の下の敷物に鮮やかな血溜りがある。

小枝の目が見えぬことが

この場合幸いというべきかも知れない。


女に仕立て上げられた

小枝の悲しい痛みが

そこで、はっきりと

男をいとうている。


「小枝。お前は女になったんじゃぞ」

とおりいっぺんの言葉でしか、

小枝をなぐさめることができないまま、

文治は小枝に着物をまといつかせ、

小さな巾着袋をひろいあげた。


『紅・・・か・・・』

小枝の女心が憐れにも、思える。

「すっかり、のうなってしもうておる・・・」

文治が小枝の唇をなぞると、小枝は紅があせたことを

いうと気がついた。

「文治さん・・・」

言い出しにくい言葉が胸の奥でとまる。

自分ひとりでは

紅さえまともにさしなおせない女でしかない。

だから、

多くはのぞみはしない。

ひとたび、焦がれたものを手にしたときから、

小枝の悲しみが始まる。

文治と時を重ねるということは

文治との別れをひきよせてゆくことでしかないから。

「文治さん。小枝はまだ、自分で紅をよう挿しきれません」

恋を謳おうにも、一人では

かくも、なにもできない盲目の自分でしかないのだと、

告げるしかない。

そんな自分が悲しくある。


だから、

多くはのぞみはしない。

恋の成就は小枝の中でだけで咲く。

それだけでいい。

この先、ずっと。

こんなことは、ありえない。


なぜなら、小枝は盲目だから・・・。

文治さんの足手まといになるだけの女だから・・・・。

だから、

文治さんにおもいをかけてもらえる。

それが小枝の頂上。


もう、少しだけ・・・。

文治さんをわずらわせることを、

許してください。

と、小枝は胸の中でねがうと、

やっと、

いいにくい言葉をだした。


「だから・・・。小枝のかわりに紅をさしてください」

小枝の瞳から、大粒の涙がおちてきていた。

目さえみえれば、どうにしてでも、文治についてゆくことができる。

なのに、

文治に与えられるものを受け止めることしかできない。

文治が小枝をもとめなくなれば、

それで、何もかもが終わると知っている女は

ただ一度のおねだりを口にした。


『小枝・・・』

追いすがられたら、どうにもしてやることもできない女だと思っていることも、

ころあいが来たら、狩場をかえるだけだと、

小枝をすてるつもりでしかない文治だということも、

小枝はなにもかも、覚悟していると、

小枝の涙が、語っていた。


あまやかな肢体を投げ出してくれる獲物を

まだ、捨て去るに惜しい男は

紅を挿しあたえながら、

優しい言葉を選びなおす。


「小枝。また、おうてくれるの?」

小枝の小首が云とうなづかれると、

あごまでつたった涙が一滴、

ほろりと顎からおちた。



文治はこれから、仕掛けたわなをみにまわると、

小枝を炭焼き小屋におくりとどけた。

「また、親父さんがでかけたら・・・」

と、次の逢瀬を約束した文治に

小枝ははいと、小さく答えた。。


これが、最初で最後になるかもしれない。

その不安を不安でしかなくさせることは、文治が約束どおりに

小枝をむかえにくることでしか、果たされない。

いずれにせよ、三度か五度か。

幾たびかの逢瀬の後に

文治の「また、こんど」が未来永劫にはたされない約束になるだろう。

だが、今。

今がこのまま、とまればいいと小枝は思う。

今。

そっと、小枝を抱きよせた文治が

今の小枝のすべてである。


小枝の背中をそっとおすと、文治は

山にかえってゆく。

気配が遠ざかってゆく

文治の残像を追うこととも出来ない小枝は

立ち尽くした

その場所を考え直す。


戸口の前に小枝をたたせたのは、文治のはからいである。

「優しい人・・・」

だが、この戸をあけ、一歩中に入れば小枝はいつもの小枝に

戻るしかない。


今日のことは夢だったのだろうか?

文治は

文治がいったとおり、

本当に山の神なのかもしれない。


小枝には熱くいこった、文治の

男に刺し貫かれた痛みだけが

恋の証でしかない。


「文治さん・・・」

文治に求められた喜びを

胸にかきいだくと、

小枝は小屋の戸を開けた。


幸太がかえってくる刻限までに

炭俵を編んでおかねば、

幸太がいぶかるだろう。


思いが文治を追うのを

おしとどめ、

小枝が四っめの炭俵を

あみあげた時、

幸太の荷車のきしんだ音が聞こえ、

まもなく、幸太が家の中に入ってきた。


「おとっつあん。おかえりなさい」

声をかけ手、立ち上がった小枝を

幸太は

やわらかくみつめた。


「紅をさしてみたのか?」

朝の紅があせることなく

小枝の唇に乗っている。


「あ?は、はい。うまくのってるのかねえ?」

小枝はあわてて、つじつまを合わせた返事を返すと

幸太に茶をいれようと、

くどにむかった。

その後姿を何気なく追っていた幸太である。

「小枝?」

幸太は小枝の異変に気がついた。

「さわりになっておるでないか?」

目が見えぬ小枝がさわりになると、

さわりの血が着物にしみだしてしまうと、いう失策がたまにあった。

「え?」

小枝は幸太に告げられた事実にあわてた。

さわりになっておれば、自分でわかる。

そんな兆候などなかったに、

なんで?

「小枝・・もれておるわ・・」

「え?」

小枝がおもいあたることは、文治とのことである。

痛み・・・。

それは、血を流す怪我であろう。

あの痛みが血を流させていたのだと、

きがつくと、

小枝は幸太に言いつくろうことしか出来ない。

「きがつきませなんだ・・・。はずかしいことです」

「う・・ん」

女の身体は不思議である。

いつなんどきさわりの周期が狂うか、わからない。

盲目の娘を男手一人で育てると決めたときから

幸太はこの娘に女の身体の生理もつたえるしかなかった。


ときに、不安定な周期に小枝より幸太が不安を抱いた。

そんな少女期がすぎて、

小枝のさわりもほぼ一定の間隔の周期にかわり、

小枝もその時期には、それなりの準備をするように心がけていた。


だから、こんな失敗は久しぶりのことである。


だが、幸太がもっと感覚を研ぎ澄ませていれば、

このさわりの血がさわりのものでないと気がついたことであろう。


小枝の身体が男をむかえ入れたのだと幸太が気がつくのはもうすこし後のことになる。



小枝の変化にきがつかぬまま、

幸太はいつものように

焼き上げた炭を町の問屋に運ぶ。


幸太が炭焼き小屋をでてゆくと、

それをどこでみていたか、

待っていたかのように、

文治が現れると

小枝を抱き上げ、この前と同じように

文治のねぐらに小枝をつれてゆく。

それは、まるで、

小枝の『女』を導き出してゆく道程そのもののように、

荒々しく、せかれるものだった。


短い時の中で恋を燃焼させるしかない

女は文治に息をのませるほど

あでやかに色めくつやを満たし始めていた。


小枝のおののきをかばうために、

文治はやはり、最初に小枝の鋭い場所を

しつようになぶりつづけてゆくと・・・。

「文治さん・・・せつな・・い・・」

小枝はあえぎつづけ、

吐息とともに、

文治が欲する事をかなえてほしがる女に代わる。

女としての小枝の感覚が

十分に開花しているはずはない。

だが、小枝の女の本能は

男の欲望が女のうろの中で満たされるしかないことを

嗅ぎ取っている。

そして、

男の欲望を充足させる女になろうとしている。

この四,五日会わぬ間に

小枝の「女」が確実に芽を吹き出していた。


文治という「男」を求める

小枝という「女」を植えつけた男根が

さらに小枝に自身の女を知らしめる。

「小枝・・・」

男にくみふせられ、

女である局地に男をむかえることで、

小枝は文治のものになったと感じるのだろう。


『それほどに・・・俺が恋しいか?』

文治は己の男をいっそう小枝に刻み付けてやりたくなる。


‘‘いたぶる’’


まさに文治の心をその言葉どおりにあおらせる

小枝の「女」ができあがっていた。



目覚めるといやな気分にとらまえられている自分がいる。

文治は両手で顔をこすり上げ、

その「いやな気分」を追い払う。


だが・・・。

いやな気分・・・・。

それがどこから、わいてくるものなのか、

文治には、その答えは分かっている。


小枝を抱いてから・・・・。


朝はいつも、こんな調子で目が覚める。


小枝の境遇と初さにつけいって、

文治がしでかしたことに

せめぎをかんじている。


己のよくをはらすためだけに、

小枝の初を利用し、

小枝をだますようにして、抱いている。

小枝の局所に鋭い快さを教え、

小枝の油断とすきをみはからい、

小枝になにをしたか。


小枝を好きなようになぶれば、

男の狡猾さを疑うこともしらぬかのように、

あわれに小枝は文治のものになる。


文治の欲がおさまると、

男としての文治のあり方を

せめる自分が出てくる。


この先、小枝をどうするか・・・。

めしいの女をめとるきはない。

答えはすぐに出てくる。


つまり、小枝は文治の欲をぬぐうためだけの女でしかない。


これが、五体満足な娘であれば・・・。

文治は小枝をめとるきになったかもしれないし、

そうでなくとも、

他所へ嫁にゆく前の

恋をうたいあげたという思い出に収めるだけである。


だが、小枝は違う。

たとえて言えば鹿罠にかかった兎。

本来の獲物でない兎を

手に取り、文治は考える。

にがしてやろうか・・・・。

本来、そうすべきであったろう。

だが、文治は逃がすことを惜しみ

その首をへしおり、命を奪う。

小枝もそうだ・・・。

手をつけずにおけば、できなかったことではない。

捨てるしかないとわかっておるのに・・・。

しゃちほこばった己の肉棒の渇きにひきずられ、小枝を抱いた。


抱かれた小枝は

文治のうす汚さを照らすひたむきさで文治を慕う。


誤算だった。


小枝のひたむきさにうちのめされ、

文治は己の欲に恥じ入る。


こんなことをいつまでも繰り返しちゃいけない。


それだけは文治にもよく判る。

よく、わかっているからこそ、

眠りにより真っ白に生まれ変わった目覚めの朝は

己の罪がつきまとう。


いけない。


そう思う文治が尾根から炭焼き小屋をながめると、

小枝の父親の荷車がある。


と、

小枝を抱けぬかと残念に思う文治に成り代わっている。


こんなことを繰り返し

炭焼き小屋に荷車がないと判ると

文治は小枝の元へはしりだしてしまう。


浅はかな男の欲にひっつかまれた、文治であり

小枝である。


小枝を抱きたい思いにとりつかれ、

おちるところまで、落ちるしかないと、

文治は己を捨て去り

一匹の獣になる。


きっと、明日はもっと、深く

いやな思いで目覚めると

判っていながら、

小枝という「女」の味を反芻すると、

文治は今日も小枝の元へ走り行く獣になった。



そぞろ。

小枝に出会ってからの文治の様子といっていいか。

朝一番に罠を見回ると、

小枝の炭焼き小屋が見渡せる尾根に戻る。

尾根に戻って

荷車がないと分かると

小枝を連れ出し

半日は小枝をかまう。


そうなると、

罠に捕らえた小さな獲物は

他の獣に食い荒らされる。

小さな獣が血の匂いを恐れるため

わな場を変え、改めて、わなを仕掛けなおさなければならない。

少し、大きい獲物がかかっても、

ときに罠を壊して無理やりに逃げることもある。

と、なると、罠の修繕も必要になってくる。

で、あるのに、

時間を小枝との逢瀬に費やし

罠の見回りもおろそかになり、

獲物を食い荒らされることも

たびかさなり、

場所を変えることもおおくなり、

罠の修繕もおろそかになり、

あげく、やっと捕らえた獲物の

始末にも追われてくる。


労だけがふえるわりに、

実入りがすくない。


それでも、小枝をこの先、娶るなら、

このたびの損失を犠牲にしても良いかもしれない。

だが、

この先を考えられない女である。

いや、

考えてはいけない。

盲目の女の生活をささえてやれる

文治ではない。


で、あるのに、甘い汁だけすすろうとする文治である。


この卑怯な自分と

小枝への欲。


小枝への欲に引きずられているうちは

己の卑怯さを見てみぬふりができた。


だが、その卑怯さにながされるうちに、

猟もおもわしくない。


「山の神がおこっているのかもしれない・・」

小枝への蹂躙が後味悪くなり出し、

猟の成果も小枝ゆえによくない。


ひきぎわなのかもしれないと、

文治にささやく声をもうすこし、聞かぬふりをした。

あと、なんどか、

小枝をだきつくして、

猟場をかえるか。

この地をさろうと、かんがえはするが、

小枝の身体が未練で、

まだ、ずるずると小枝にひきよせられ、

小枝におぼれる男は

ふと、今までに

何度おうたか、と、小枝に尋ねていた。



「八たびになります」

と、即座に答えをかえしてくる、

小枝は文治との逢瀬を宝物をようにかぞえているのだろうとおもう。

小枝のいじらしさに

文治がかえせることは、

己の欲情をたたきつけることでしかない。

小枝の足を開き、小枝の鋭い場所に顔をうずめ

文字通り甘い汁をすすりあげると、

小枝のわななきがいっそう甘くなる。

女である場所に

男である物をおさめつくしてくれと

小枝の声が文治を促す。

おもえば、八たび。

小枝を貫いたものが

小枝に痛みでないものを

覚えさせ

女といううろが、文治にじかに応えている。


だから、いっそう、文治は小枝に夢中になる。


だが、今日の小枝は文治の問いかけに

悲しい予感が現になる日が

近づいているとさとっていた。

「文治さんが、狩場を変えるときは小枝におしえてください」

黙って別れてくれるなと、小枝は懇願し

「小枝はいつまでも、文治さんのものです」

と、つけくわえた。


ここを去り、いつか、文治も嫁をもらうだろう。

そして、何年かあとに、

もしも、この場所に立ち寄ることがあったら、

小枝はいつでも、文治をむかえいれる。


それだけの女でいい。

それだけしか、望めない。

文治がたとえ、いなくなっても、

いつでも、いつまでも、文治の女である小枝でしかないから。


「だから・・・いつでも・・・」

小枝をおいていってくれればいいのですと、

告げる言葉が涙にうずもれ、

小枝の悲しみをふさぐために

文治はひとときの快さを小枝にきざみつける。


繰り返される振幅が小枝を深みに

ひきいれ、

いままでと違う感覚が小枝を包みだし、

声を上げずに置けなくさせた小枝のうろが

間違いなく

「女」になったと文治にもわかった。



とたび・・・。十度。

つごもりの音がなくなる

十の字は

男の縦糸と

女の横糸がまっすぐに交わり

恋をあけそめる最後の契りになる。


言い出しかねる別れを胸のうちに

秘めた男の雁が、最後の小枝を抱くために

衣を解き放させる。


小枝をはなしたくないと

いくどとなく、そそり立ってくる物で

はてどなく、小枝を求める文治に

小枝は終わりを見せ付けられる。


文治さんは・・・。

もう・・・。


もう、小枝を迎えに来ない。


韋駄天のように走る文治を

もう、しることはない。


小枝が小屋の前にたっても、

影がおちてくることはない。


『文治さん・・・』

愛しい名前を胸の奥で何度もよびつづけるのは、

呼べば帰ってくるこだまじゃないからだ。

声にだして、

文治を呼べば、

きっと、小枝と文治はこたえてくれるだろう。


その声をなまなましく

覚えたくない。


小枝の胸の中で思いを満たし続ける。

呼べどかえってこなくなる

文治を呼べば、小枝の声が涙になる。


声を殺し文治の蠢きに酔いしれる今。

今。

小枝には今しかない。


『文治さん・・・。文治さん・・

小枝はあなたに会えてよかった。

一生、未通女のままの小枝しかなかっただろうに。

文治さんは小枝に・・・』

あがってくる快さが、小枝のすべてになり、

小枝の一生一度の恋を燃やし尽くすかのような

情恋の炎に小枝はつつまれてゆく。


『おとっつあんのいうとおり・・・。

小枝は、炭になります。

灰になることなく

生やけになることなく、

きっと、今日・・・・炭になって

小枝の胸の中で・・・』

この恋を埋み火にして、

生きてゆく・・・。


堰をやぶる快さにこらえきれず

小枝はとうとう・・・、

文治の名前を呼んだ。


文治が小枝の名前をよびかえしたか、どうかも

判らなくなる頂に小枝は浮遊しはじめていた。



それから、文治はもう、小枝の元に現れることがなくなった。

小枝の確信はうつつのものになり、

ただ、もと通りのめしいの小枝に戻るしかなくなった。


けれど、小枝は今までの小枝ではない。

心にともされた明かりは今も小枝を照らしつづけている。


そんな小枝が身ごもっていることに気がつかされた。

小枝の変調を懐妊だと解き明かしたのは

ほかならぬ幸太であった。


「いつ頃からかの・・・気がついておった・・・」

幸太はそういった。

幸太が出かけるたびに

小枝の炭俵を編む数が減る。

身体の具合が悪いのかとはじめは気にしなかった。

が、

必ず幸太が留守のときに限って

炭俵が編み上げられない。


「おかしいな。と、思っての・・・」

でかけるふりをして、

幸太は荷車を引き

山を下った。

下った場所に荷車を置き

炭焼き小屋に引き返してみた。

「あれは・・・・マタギじゃのう・・・」

小枝を軽々と担ぎ上げ走り去る男を見た。


「やめろ・・・何度、言おうと思ったことか・・・」

思ったが幸太は制止の言葉を口に載せることが出来なかった。

どこにも、嫁ぐこともできず、

蕾のまま、この山家で命を閉じるしか出来ない娘が、恋をしている。

恋の行く末がいずれ、悲しみに辿り着くとしても

マタギにいだかれ、その首筋にしっかりと

腕を回した小枝だったから・・・。


いずれやってくる別れは幸太にも読める。

それでも、恋さえ知らずに、命を閉じるより、

小枝は幸せなのだと思った。

男の戯れをせめる事はできない。

どこの男がめしいの女に本気になれよう?

本気になったとしても、

ともに、暮らせることは・・・ない。

小枝が幸せならば、

それでよい。

そう、考えて幸太は黙った。

黙った幸太にやっと、小枝が紅ひとつに華やいだ心のおくが見えた。

「だから・・・・。何もいわずにおった。・・・・つらかったろう・・・」

幸太は別れをも知っていた。


「小枝・・・」

幸太は紅の入った巾着を小枝に握らせた。

「お前がおとしたのであろうが・・・」

幸太の声が涙にむせんだ。

小枝はなくした紅を探そうとしなかった。

それは、小枝の恋を彩どる必要がなくなったせいであり、

小枝が深い悲しみにとらわれたせいである。


マタギとの逢瀬が続くのなら、

小枝は紅をなくしたことに

心をとらわれていたであろうに、

それさえ、

心にない。


小枝にめぐってきた終焉を

幸太はいやがおうでも、

推測できた。


「おとっつあん?」

小枝をせめもせず、

文治のしうちもゆるすしかない、

それも、これも・・・小枝がめしいだからだ。

「めしいの女とつれそうことはできまいて・・・。

おまえもつらかったろうが・・・。

そやつも、くるしかったろう」

いいおくと、幸太はうっと、うめいた。

幸太のうなりは幸太自身の悲しみでもある。

目さえみえれば、小枝は・・・。


いってもせんない繰言を小枝に聞かすまいと幸太は口を閉じた。


しばしの、沈黙のあと、幸太は辛い宣告をつげる臍を固めるしかなくなる。

「小枝・・・おまえ・・・はらんでおろう?」

言葉はたずねているが、幸太にはひとつの確信がある。


それは、外の厠である。

便壷から、肥えをくみ、

わずかの畑にまきあげる。

これは、幸太の仕事である。


そのときにも、きがついていたといっていい。


ここ、しばらく、小枝のさわりの痕をみていない。


そして、

マタギ・・・。


幸太とて、男である。

男の生理はすぐに思い浮かぶ。

めしいの女が紅をつけ

男に腕をまわす。

その結果がどうなるか、

考えてみなくても、分かる。


その結果・・・。

小枝が身ごもった。


当たり前のこと過ぎる。


だが、それを機に二人が一緒になることはありえない。

むしろ、

それゆえに男は無責任な恋から、のがれようとするだけだろう。


小枝が身ごもったゆえ、男が小枝を捨て去ったのだと

幸太は考えていた。

小枝は小枝で

身ごもったことを幸太に言うことも出来ず、

そのまま・・・、どうするというのだ?


幸太は小枝の白状を待ちきれず

小枝にひとつの対処を

告げるしかないと覚悟を決めた。

里には、小枝を取り上げてくれた産婆がおる。

産婆はこの世に命を吹き上げさせるてつないもするが、

いっぽうでは、

あの世に命を渡す法もこころえていた。

産婆をよんでくるしかないと、

幸太は考えた。


だが、その事実を小枝に言うは辛い。

小枝もそれがいやで、

幸太にいいだせないのだろうと、

思えばいっそうに、告げるに辛い。


だが。


「え?」

と、小枝は声を上げた。

「おとっつあん?小枝は・・・?

小枝にややができているというのですか?」

考えてみれば無理もないかもしれない。

小枝は男と女の仕組みさえ分かっていない。

さわりが、なくなり、

だるそうに、転寝をはじめることも、

食事がはかどらないことも、小枝には兆しであると、知る元がない。


ましてや、恋しい男との別離に胸をふさがれ、

身体の変調もそのせいだあるとおもっているか、あるいは、

紅とおなじように、その変化にも気がついていないといってよいかもしれない。


「ほんとうにですか?小枝は?小枝は?

おっかさんになるのですか?」

幸太の宣告の出鼻をくじく小枝の喜々の声色である。


「小枝?」

幸太はこんどこそ、本当の悲しみを

小枝に告げるしかないことに

言いよどんだ。


恋の花が咲き終えたあとに知らされた

恋の花の結実が、

小枝の心から、悲しみを取り除き始めていた。


小枝の瞳は潤む。

「小枝は普通のおなごのように、

いきることはできないと、おもってました」

恋さえしらず、

恋をしっても、

それだけ。


それだけ。

そう思っていた小枝に

命が芽吹いている。


はらはらと喜びの涙を落とす小枝に幸太の

告げ事はいっそう重く、深く、むごいものにものになっていった。


「小枝・・・・」

一言声をかけたもののやはり、言葉はとまる。

小枝がめしいでなければ、

簡単に言える慰めが

本当と言える言葉が

のどの奥に止まる。


『なにも、おまえを弄んだ男なぞに、執心しておらずとも、

ほんに、おまえを大切にしてくれる男は他におるわい』


身勝手な男を慕うのさえ、きにいらぬ腹立ちでしかないが、

その男にいいように、なぶられ、

犬、猫のように、子をはらまされ、

あげく、まだ、そんなことに感謝しなければならないのは、

小枝がめしいばかりのせいではない。


幸太が貧乏なせいだ。

これが、どこかの大店の主人ででもあったら、

めしいの娘でありとても、

婿を見つけてやることくらい出来るだろう。


小枝の盲目をはかなんでみる以上に

胸にささくれる悔しさが

小枝への一言をおしだしてゆく。


「おもちゃにされてできた子なぞを後生大事にかんがえやがるな。

よからぬ思いでできた子供なぞ、

よからぬように始末するもんだ。

天乃御中之主のその前からの決まりごとじゃあ」

国産みの昔の神とて、

不浄の思いの子は流してしまったという故事をいいだす幸太に

小枝は

吃驚のままの顔をむけると、

「違う!!」

大きな声で叫んだ。


「違う。あの人は・・・」

文治は山の神が小枝に人らしく生きる偶を与えるために遣わした人だ。

こういえば、幸太は納得するだろうか?

「あの人はそう・・・じゃない」


まやかしだ、気まぐれだといわれたくないばかりに、

その痛みに抗うために

小枝がいっそうに男をかばうのが、

いっそう幸太の癇に触る。

「信じたくねえだろ。みとめたくねえだろ。そりゃあ、わしもむごいことをいうとおもうがの・・」

ほろほろと涙を落とす小枝の顔を真正面からみつめてしまうと、

もう、すんでしまった男のことをこれ以上穿り返すむごさを知らされる。

小枝とて、己のめしいをわきまえている。

男が本意であるか、ないか、

こんなことをえらびとれる贅沢をいえる小枝ではない。

わかっているからこそ、あわれに、その身をなげうって、

みせかけの男のわずかな情とひきかえた。

それをせめて、どうする。

幸太はすんでしまったことよりも、この先のことをもう、一度

念を押した。

「明日。産婆をつれてくる」

どういう意味かと顔を上げた小枝に

幸太は今度ははっきりと、告げた。

「腹の子はあきらめろ。

かき出してしまうんだ。早くしないと、お前の身体に障る」


幸太の恐ろしい宣告をうけたとたん、

小枝は板の間にべたりと頭をつけた。

「おとっつあん。堪忍してください」


馬鹿なことを。

堪忍も何もててなし子を

それも、めしいの小枝が

どうしてやれるわけもない。

「今、あきらめたほうが良かったときっと、あとで、思える」

だから・・・。

「小枝。あきらめてくれ。ながしてやってくれ」

めしいでなければ、めしいでなければ。

幸太の喉の奥がひりひりと、痛んだ。

小枝に告げた言葉は

鉛だまをうちこんだように、幸太の喉の奥から悲しい血を噴出させていた。


板の間に頭を擦り付けていた小枝が

顔をあげると、幸太に尋ねた。

「おとっつあん?おとっつあんは、小枝が生まれてこなかったほうが

よかったのでしょうか?」

小枝が言おうとしていることは幸太にもわかる。


ここで、うかつに生まれてよかった。と、いえば、

小枝は腹の子もそうであるというだろう。

その言葉を吐き出させないために、

生まれてこないほうが良かったといえば、

小枝自身の命が否定される。

親にうとまれる。いらないといわれる。

どんなにみじめになるであろう。

ましてや、

たとえ、めしいでありとても、

小枝は幸太にとって、大事な娘である。

「なあ、子供がにくくていってるんじゃねえんだ」

やっと、小枝の策をそらす言葉を見つけると、

幸太は小枝の手を取った。

「おまえがいるから、わしもいきてゆくめどうがある。

菊をうしない、おまえまで、なくしては・・・わしはいきておらぬかったかもしれぬ」

「ですから、おっとっつあん。小枝も・・・」

言いかける言葉を幸太はさえぎった。

「おまえが、子供をめどうにして、いきてゆくことはできまい?」

めしいの小枝に子供をそだてることなど、

不可能なことだ。

「ですから、おとっつあん。どうぞ、小枝に七年だけ、力をかしてください」

力を貸す。

この発案より、小枝の言う七年はどこからでてきた数であろうかと、

幸太は不思議に思った。

「七年?」

「はい。小枝はななつの年から、めしいになり、

それからは、自分で出来る限りのことはやってきました。

この腹の子もななつまで・・・。五体満足にうまれさえすれば、

そうすれば・・・その先はひとりできっといきてゆけます」

小枝はついさっき、腹に子供がいると知ったばかりである。

命がめぶいている。

そうきいただけで、

小枝の中身はあっというまに『女」から、『母」にかわっている。

この変わり身の早さこそが、

女が子を守り育ててゆくゆえんかもしれぬと、

幸太は目の前の『母」をみつめなおした。

「おとっつあんのいうとおり、小枝は子供を育てることなどとうてい、ひとりではできません。

ですが、

この子は小枝がうんでやらねば、この世にあらわれることもできない。

おとっつあん。

小枝が生まれてよかったといってくださるなら、

どうぞ、小枝にもそういわせてください」

「小枝・・」

うなづくしかない幸太である。


だが、そうはいっても、この先・・・。

幸太も老い、小枝のめしいはなおらない・・・。

もしも、幸太になにかあったら、

小枝は、・・・その先どうなる?

子供をだかえ・・・どうなる?


ふと、不安がよぎったとき幸太の中に

「七年。あとはひとりでいきてゆける」

言い切った小枝の言葉が再び沸いてきた。


そして、

『あっ』

幸太は胸の中で大きな声をあげた。

この先幸太が老い、死んでしまっても、

『その子供が小枝の目の代わりをしてくれる。

わしのかわりに小枝をささえてくれる』

そこに幸太は気がついた。

そして、そのきずきはマタギへの憎しみをも説き去った。


マタギが小枝に渡したものは

小枝への欲だけじゃない。

マタギは小枝に

この先の支えをよこしたのだ。


「小枝。うむがよいわい。

その子は、小枝がいきてゆけるように、

山の神がさずけてくれた子じゃろう。

マタギは・・・・。

山の神のつかいじゃったんじゃろうなあ」


小枝は小さく

「はい」

と、返事をすると、

そっと、腹をさすった。

幸太に渡された紅が帯の間にある。

それをそっと、手に持つと、小枝は

すっかり、塗りなれた手つきで

紅を挿した。

紅を挿した小枝の瞳から

あとから、あとから、涙がこぼれおちてきていた。


紅は特別な日だけにつけるものだ。

小枝は

今日は

この世に生まれて一番、特別な日だと思った。

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小枝 @HAKUJYA

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