幕間1 蒼井空という人間について


 朝の挨拶、そして感謝の言葉は、会話における潤滑油のような役目を果たす。


 手伝って貰った時は「ありがとう」。

 迷惑をかけた時は「ごめんなさい」。

 相手に感謝された時は「こちらこそ」。


 感謝と謙遜の言葉は、クラス委員長として皆の輪をとりまとめるため、或いは親の機嫌を取り持つため、ごく自然に身につけた。

 僕にとっては、人が空気を吸うことを意識しなのと同じくらい、自然な動作だ。


 僕自身、そんな自分を嫌っている訳ではない。

 ”友達クエスト”の理念ではないけれど――他者と円滑なコミュニケーションを結び、頼まれごとをしやすくする環境を作ることは、大切だと思う。

 その基礎基本にして土台こそが「感謝の言葉」だろう。





 ……けど、たまに思う。

 僕はもしかしたら、どこか間違っているのかもしれない、と。




 もちろん僕が嘘だらけの人間だとか、建前だけの仮面人間と言ってる訳ではない。

 感謝の気持ちは本当にあるし、お世話になっているのも本当だ。


 けど僕は時々、同じ教室にいるクラスメイト達を見ていて――違和感を覚える。


 感謝や遠慮の言葉を潤滑油として使っている僕とちがい、彼等はどうやら心の底から感謝し、心の底から遠慮し、心の底から他人と繋がっているような気がするのだ。

 そして、そういう100%の信頼関係を取り持てる間柄を指して「友達」と表現しているような、気がする。


 そこには、何か――

 言葉では表現し辛い、決定的な差異があるような。

 人として持つべきものを、僕だけが実は持っていないような、そういう後ろ暗い感情に捕われる時がある。


 位相のズレのようなものだ。

 皆が同じ波長で会話しているときに、じつは一人だけ周波数のズレた信号を送受信している僕。

 他人が「青」と呼ぶものを、僕だけは「赤」と認識していて、そのことに誰も気付いていないような――クラスメイトという地球の中に、一人だけ混じり込んだ宇宙人のような――そんな違和感。


 だから僕は、そんな自分を隠蔽するため、いつも人の世話をする。

 他人の手伝いをしている限り、僕は僕について深掘りさせる危険性はなく、一歩引いた身でお付き合い出来る。


 そう考えると。

 もしかしたら僕は”友達”という概念を、本質的には理解してないのかもしれない――


*


 帰宅しようと廊下を出たところで、深瀬さんのお母さんに呼び止められた。

 これついでに、とペットボトルのお茶までもらってしまい、逆に申し訳なさすら覚えてしまう。……なんていうか、お礼されすぎるのは、僕としては困るしちょっと恥ずかしい。

 けど、御母様は構わずニコニコと挨拶をしてくれる。


「今日は一緒に遊んでくれてありがとう、蒼井君」

「いえ、こちらこそ楽しく遊ばせてもらってますので」

「そう? それは良かったわ。けど、大丈夫? 学校の方には影響してないかしら?」


 返答に詰まった。

 友達クエストはゲームであると同時に、学校指定のワークショップだ。

 純粋な進捗だけで言うと、”四人迷宮”攻略組として見れば僕は遅い方にあたる。


 本当に学業のことを考えるなら、深瀬さんとだけでなく、クラスメイトと一緒に攻略すべきだけど――


「大丈夫です。深瀬さんの協力のおかげで、成績への影響はありません」

「なら良かったわ。でも、もし困ったら言ってね? それと、これからもたまに、ひなたをお願いしてもいいかしら。今度またご飯を奢らせて貰うから」

「いえ、何度もご馳走になる訳にはいきませんし、それにゲームだと、お世話になるのは僕の方ですし」


 丁寧に答えると御母様はくすりと笑った。

 それから、


「すこし重い話だけど、私が色々あってよく入院するのよ。あと、ひなたも地元に帰りづらい事情があるの」

「やっぱりそうなんですか」

「あら、気付いてたの?」

「詳しい事情までは、わかりませんけど」


 あれだけ母親べったりな人が、一人暮らしをしてるのだ。

 訳ありなのはまあ、推測できる。


「本当はすごく心配だったけど、あなたが隣で良かったわ。……蒼井君にばかり頼むのも失礼だけど、これからも相手してあげてね?」


 御母様はまるで苦労を感じさせない微笑みを残し、おやすみなさい、と優しく扉を閉じた。




 ――御母様の入院。

 それと、推測……いや正解だと思うけど、深瀬さんは学校に通っていない。


 部屋の大掃除でクロゼットを開いた時――あえて触れなかったけど、荷物と一緒に新品の制服が僕の顔面めがけて襲いかかってきた。

 登校してるなら、山積みの荷物に制服を入れるはずはない。


(でも、どの辺まで踏み込んで良いんだろうか)


 踏み込みすぎるのは、宜しくない。

 ただ逆にまったく触れなさすぎるのも、気を遣いすぎてるようで難しい。

 人間関係というのは、小さな変化で容易に変化する化合物だ。変数となる因子が複雑に絡み合い、ほんの少し端をつついただけで全体のバランスが崩れてしまう時もある。

 彼女との関係を、僕は進んで壊したいとは思わない。



 そこまで考えてふと、僕は自分でも不思議なくらい、深瀬さんに意識が傾いていることに気がついた。


 いくら自分がお人好しと言っても、普段ここまではしない。

 僕がするのはあくまでクラス委員長としての範囲内だ。相手に声をかけ、上手く輪に入れるよう誘導するくらいで、それ以上のことまで深入りはしないし、相手にもさせない。

 他人に、自分のことについて深掘りされたくないからだ。


 というか普段の僕なら、深瀬さんを上手くクラスメイトに紹介して、フレンド登録してもらうよう誘導すると思うけど――


(……もしかしたら、僕自身が、嫌がってるのかも?)


 理屈に反する自分の気持ちに、ふと気付く。


 僕が、彼女と二人で攻略しようと頑張っているのも。

 僕が、彼女にどこまで踏み込んでいいのか悩むのも。

 もしかしたら、深瀬さんがフレンド登録を怖がっているから二人で進めようと意識してる、だけじゃなくて。

 僕自身が――


「……まあ、まだ問題が起きてないから、もう少し様子見しようかな」


 ふるふると首を振り、意識から彼女のことを追い払った。

 寝る準備ついでに歯磨きをしつつ、今後のことを考える。


 ”友クエ”の成績評価はまだβ版ということもあり、出された課題さえクリアできれば評価は必ず5だと聞いた。

 要はクリアさえ出来れば良い。


 寝る準備を終えつつ、スマホで友達クエストを起動。

 ヘッドセットやPCみたいな精密操作はできないけれど、自動で素材集めやクラフト作業するならスマホでも可能だ。


 寝るまでもう少し、作業しようかな……

 と、ゲームを起動して、右下にメッセージアイコンが点滅しているのに気付く。

 スワイプして何気なく開き、僕はそのメッセージを瞳に映し、眉を寄せた。





【チュートリアル:警告 本ゲームは友達を作らずプレイすることを推奨していません】


 ――そういえば。

 ”四人迷宮”攻略後、僕はもう一度クラスメイトの作った攻略サーバーを確かめた。


 ガーゴイルの爪や額に、色の異なる宝石がついてるなんて情報はなく。

 ましてや首を伸ばすなんて馬鹿げた話は、誰一人として噂すらしていなかった。


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