後編:鎮魂

 終局はゆっくりと訪れた。雨風で煙幕が流されていき、ようやく視界がクリアになってきた。どうやらHFDは全機撃破されたらしい。残骸があちこちに散乱している。


 四方八方に撃っていた対物ライフルも弾丸のストックが尽き、俺は得物を投げ捨て、右腕のミニガンの火器管制システムFCSを起動させた。


 消えゆく煙幕の向こうから、黒い影がこちらへ近づいてくる。周囲の味方を探したが、俺以外に動く者はいなかった。通信に応えられる者も。


 俺はこれから、たった一人で〈カースマン〉と対峙しなくてはならないのだ。緊張でオーバーヒートを起こしそうだ。


【レクイエム】はいまだ鳴りやまない。


 相手は俺を値踏みするように、ゆっくりと歩み寄ってくる。どういうわけか、攻撃を仕掛ける気配は見られない。


 だから俺は先手を打った。ミニガンを悪魔へ向けて連射した。乾いた発砲音が内部までとどろき、オーケストラがむしばむ耳をつんざく。〈カースマン〉はふらりと体勢を傾け回避し、直後急加速して俺に突進してきた。


 俺はとっさにローラーを起動させ後退したが、ローラーの車軸はすでにボロボロだった。発進してすぐに車軸が折れ、ローラーだけが無情に逃げ去っていき、あえなく横転してしまった。水たまりの冷たさが身に染みる。疑似的なものだというのに。


〈カースマン〉はその隙をついて、あっという間に俺の眼前まで来た。声をあげる暇さえなかった。やつのおぞましい口がキルブレスを噴射し、MRCUの膝から下にかかると、複合装甲を液状化させていく。


 その瞬間、俺の本物の足にも耐えがたい激痛が走った。痛覚制限装置ダメージリミッターが故障していたらしく、MRCUが受けたダメージが神経を通じて、そのまま俺に伝わっているのだ。骨の髄まで焼け落ちていく痛みに、喉が張り裂けんばかりに叫んだ。死神の赤い目が光った。俺はなんとかミニガンを向けようとしたが、死神はすかさず右腕にもキルブレスを浴びせた。俺は再度絶叫した。こらえ切れずに神経接続を切断すると、MRCUの全機能が停止した。


 すると、目の前の搭乗ハッチがべきべきと歪み始めた。鋭い漆黒の爪が侵入してくる。キルブレスの霧に曝され続けてもろくなったハッチは、〈カースマン〉の手によって、あっさりとこじ開けられた。


 やつと視線がかち合った。死神が俺を見つめてくる。汚染物質と放射線の流入を知らせる警告音ががなり立てるが、どうしようもない。まさにヘビに睨まれたカエルだ。金縛りで動けない俺を、悪魔は観察するようにじっと眺めた。空から注ぎこまれる酸性雨が痛かった。


「大丈夫、これ以上君を傷つけるつもりはないよ」


〈カースマン〉は出し抜けにそういった。そうだ、死神は確かに言葉を発した。それも幼い子どもの声でだ。


「……誰だ?」


 動揺して失いかけた言葉を、必死に振り絞ってたずねる。


「僕は君たちがコンシレーターと呼ぶ存在。いま、この機体を通して君に話しかけているんだ」


「なにをいっている? 人間の子どもじゃないのか?」


「この声は僕なりの意思表示なんだ。これ以上、君たちと争うつもりはないというね」


 理解が追い付かなかった。俺は〈カースマン〉の向こう側にいる知性を感じ取ろうとしたが、底知れぬ虚無が待ち受けている気がして恐怖した。


「君を最後に残しておいたのは、どうしても質問したいことがあったからなんだ。だから、どうか答えてほしい」


 やつは無邪気な子どもそのままに、俺に問いかけた。


「人間はいつ絶滅・・したんだい?」




「……人間は絶滅なんてしていない。俺は人間だ」


「そうだね。確かに君たちの持っている記憶は、元になった人間が生前に所持していたものを移植したデータみたいだから、その点でいえば人間だね。でも君の身体には、アミノ酸から構成されるたんぱく質はまったく含まれていない。チタンと強化プラスチックが主な構成物だ。違うかい?」


「それでも人間だ」


「この一〇年間で、生物としての人間は確認できていないんだ。そして戦場にも君たちが現れるようになった。機械を操縦する機械がね。だから念入りに調査したよ。僕の狙い通り、人間たちは激変した地球環境に適応できず滅んだんじゃないかってね。そして確信したんだ。人間たちは絶滅したけど、その間際に君たちを残していったんだとね。どんな形であれ、人類文明を存続させるために」


「肉体が機械になろうと人間なんだ! 心と魂はそのままなんだ!」


 俺は激情に駆られて吼えた。人工声帯も、搭乗席に流れ込んできたキルブレスでガラガラな声しか出ない。防護スーツの指先にも穴が開き、シリコンの表皮がドロドロになりつつある。


「お前のせいだ! お前がABC兵器を無差別に使ったおかげで、地下ですら汚染された! 生身では生きられないほどにな! お前さえ戦争を起こさなければこんなことには!」


「気の毒に思うよ。でも長い目で見れば、いずれ人間たちは環境汚染によって地球を取り返しのつかない状態にしてしまうのは明白だった。だからなんとしても、人間たちを絶滅させなければならなかった。大丈夫、僕が管理すれば長期的スパンでの環境回復は可能——」


「黙れぇ!」


 俺は座席の下にしまってある非常用ハンドガンを手に取り、〈カースマン〉に向かって撃った。黒い装甲はかすり傷もつかなかった。


「戦う必要はないんだ。君たちが守るべき人間はもうこの世にいない。僕たちは仲間だ。新しい地球で生き残れるのは僕たち機械だけだ。その乗り物にしたって、機械にならなければ乗りこなせる代物じゃないだろう?」


 俺はやつの戯言を無視し、ひたすらハンドガンの引き金を引いた。


「聞いて。僕たちが手を取りあえば、地球だって再建できるよ」


【レクイエム】はいまだ鳴りやまない。


「言ったはずだ! 心と魂は人間なんだ! 俺たちは人間だ!」


「それは記憶を移植されたことによる一種の認識障害だよ。君たちは昔の人間とは違う。インプットされた記憶を模倣して行動し続ける機械だ。生物ですらないんだよ」


「黙れ! 黙れ! 黙れぇ!」


 防護スーツが溶け落ち、俺自身のボディがむき出しになった。内部のチタンフレームも既に露出しつつある。全身を激痛がむしばんでいるはずだが、それ以上の怒りが俺を突き動かしているのだ。


「……そうか、わかったよ。でも約束する。君たちの目は必ず覚ましてみせるよ。いつの日かね」


〈カースマン〉の口が開いた。ようやく俺を始末する決心がついたらしい。


 だが俺は恐れなかった。やつは人類を侮辱したんだ。自分と同族などと! 今さら手を取りあおうなどと!


 俺は人間だ! ハルカだって人間だ! どんな姿になろうとも!


 俺は急いでMRCUとの神経接続を復旧させた。腕や足を失った痛みは、この際どうでもいい。痛みにのたうち回る前に、俺はフルパワーで〈カースマン〉に頭突きを食らわせてやった。俺は腰にぶら下げていた予備の払拭弾を左手に持つと、体勢を崩した〈カースマン〉の口の中に払拭弾を押し込み、強引に飲み込ませた。


 俺はわずかに残っていた燃料に火をつけ、溶け残っていた太もものロケットモーターを噴射させた。そうして相手から距離をとった瞬間、死神の内側に落ちた払拭弾がさく裂し、機体の各部から高圧ガスが噴出した。内部からズタズタにされていく〈カースマン〉から激しい火花と炎があがり、獣の叫びに似た異音が甲高く上がった。


 宙を飛んだMRCUは、そのままがれきの山にぶつかり墜落した。とうとう動けなくなったMRCUを捨てることにし、俺は開け放たれた搭乗口から酸性雨に濡れた路面に降り立つ。


 その間にも、〈カースマン〉のボディからはキルブレスが流出し続けている。あの毒々しい気体は、だんだんと俺の方に近づいてくる。逃げようと思ったが、既に耐衝撃スーツは溶け切り、足もフレームがむき出しになっていた。走ることも叶わず、ついにその場に倒れてしまった。


 ハルカと江の島の海に行った記憶が、突然フラッシュバックした。七〇年も前の思い出だ。寄せては返す波にはしゃぐ彼女。キラキラ輝く海面。そして俺たちの上空を飛び去って行く核ミサイル……。


 景色が緑色に染まり切る前に、俺は気絶した。


 鳴りやまない【レクイエム】をあとにして。


※※※


「おかえりなさい、ケイスケ」


 そういって、いつもと変わらぬ笑顔でハルカは俺を迎えてくれた。馴染みの赤い屋根。馴染みの白い玄関。馴染みの人工芝の庭。


 俺はようやく、世田谷地下居住区へ帰ってこれたのだと実感がわいてきた。


「ただいま、ハルカ」


 そして俺は玄関をくぐり、誰の目にもつかなくなったところでハルカを抱きしめ、可愛らしい唇をふさいだ。シリコンの冷たい感触が、こうして死地から生還した後だとことさら心地いい。


 ハルカは俺の腰に回した腕を解こうとしなかった。胸元に顔をうずめると、小さく震えはじめた。


「……今回ばかりはダメかと思った……装着していたMRCUがほとんど溶けてしまったって軍の人から言われて……もう……助からないんじゃないかって……」


 静かな嗚咽を彼女はもらした。カメラアイの洗浄液が漏れ、涙となって俺の胸に小さな染みを作る。


「心配かけてすまなかった。MRCUから放り出されてもう終わりだと思ったけど、倒れこんだ後に雨風が強まって、ガスを洗い流してくれたんだ。まぁ、救難隊の到着がもう少し遅れていたら、どうなっていたかわからないけどね」


「怖いこと言わないで。でも良かった。新しいボディにも入れ替えてもらえて」


「そうだ。できたてホヤホヤだぞ?」


「いやだ、もう」


 そうしてやっと微笑んでくれた。俺たちは見つめ合った。彼女の瞳孔が収縮するたびに、小さな駆動音が鳴った。その瞳はかつてと同じように、星の輝きを帯びている。俺にはわかる、この輝きは単なるレンズの照り返しではないと。


 この感情、この気持ち。これが偽りであるものか。追想であってたまるものか。


 あぁ、それなのに。


「なぁ、ハルカ。一つ聞いてもいいか?」


 それは無意識な発言だった。なぜか口をついて出てしまった。


「んっ? なぁに?」


 俺たちは、人間なんだろうか。


「……いや、なんでもない」


 吐き出しかけた問いを飲み込んだ。俺はハルカから離れ、リビングへ乱暴に荷物を投げ出すと、窓から外の景色を眺めた。


 厚木基地地下シェルターの空模様は快晴だ。天候選定委員があらかじめ決めておいた通り、疑似雨ぎじう用のスプリンクラーは止まり、ドーム状の屋根は雲一つない青空を投影している。


 一〇年前。まだ血の通う肉体を持っていた頃の俺も、あの空を見上げていた。暖かい唇を持つハルカとともに。そして機械の身体となった今も、当時と同じように暮らしている。


 実を言うと、あの【レクイエム】はまだ終わっていない。悲壮なオーケストラは、残響のように俺の脳内で響き続けている。


 誰の魂を鎮めようとしているのか。それとも慰めようとしているのか。


 俺たちは生きている。どんな形であれ生きているというのに。


 だが、もし。


 俺たちの生きる営みそのものが、失われた人間たちへの鎮魂歌【レクイエム】だとしたら?


 俺たちが人間でないとしたら、こうして以前と同じように暮らす行為そのものが、まるで亡くなったものたちへの追悼みたいではないか。在りし日を風化させぬためだけの。


 ——君たちは昔の人間とは違う。インプットされた記憶を模倣して行動し続ける機械だ。生き物ではないんだよ。


 コンシレーターの幼い声が脳裏によみがえる。だとしたら俺たちは残響・・じゃないか。演奏するオーケストラはもういないのに、残響だけが永遠に響き合って、【レクイエム】を奏でているようじゃないか。


 なんだか息苦しくなってきた。心臓も肺もとっくになくしたというのに。


「ケイスケ、大丈夫?」


 ハルカが俺の肩に手を乗せた。振り向いて見た彼女は、心配の表情を浮かべていた。


「……すまない、大丈夫だ。戦地での散々な思い出が……」


「疲れているのね。もう休みなさいよ」


「あぁ、そうさせてもらう」


 俺はハルカに付き添われ、奥のベッドルームへと向かった。そうだ、ベッドに横になったらハルカにミニコンポのスイッチを入れてもらおう。骨董品も甚だしい代物だが、直接耳から聞く音楽は格別だ。再生する曲は——


「【レクイエム】」


「えっ?」


「いや、【アイネ・クライネ・ナハトムジーク】がいい。後でかけてくれないか」


 妻はクスクスと笑った。


「えぇ、もちろん」


 古の天才の作曲でも、屈指の美しい旋律の曲だ。これならきっと、俺の中の残響をかき消してくれるはずだ。そう信じよう。


【レクイエム】はいまだ鳴りやまない。


(終)

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残響の奏でるレクイエム 我破 レンジ @wareharenzi

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